1話:目覚めの日
彼女はゆっくりと瞼を開け、じっと僕を見つめた。目が覚めきらないのか、その視線はぼんやりとしていた
「おはよう、体の調子はどう?」
僕がそう問うと彼女は微かに首を振った
「別に。どうせいつもの痛みだ」
彼女の声には感情がほとんど含まれておらず体の手当をしたとはいえ未だに完治していない傷は残っており痛みがあるのだろう。彼女が少し体を動かすたびに痛そうに少し顔を歪める
彼女は少しの間、なにか考えているような様子を見せた後、やがて彼女は口を開いた。
「…ここはどこだ?あの戦場…じゃない。戦争はどうなったんだ?」
少し困惑しており今の状況が掴めないような様子を見せる彼女に僕は伝える
「戦争は終わったよ。結果は勝利、君が今いるのは僕の家だよ。僕は君の身元請負人だよ」
彼女は一瞬、何を言われているか理解できない様子だった。彼女の目が微かに揺れ動く
「勝利…?」
彼女の声はまるで砂の上を這うようなかすれた声だった。
「ここは…安全なのか?」
彼女の唇から出てきた言葉には驚きと不信感、そして疑問が混じっていた。疑心暗鬼に包まれた瞳が部屋を見渡し、僕を捉え直した。
「うん、ここは安全だよ。もう君を傷つけるものは何も無い」
彼女は微かに震えた。信じられないという表情が一瞬彼女の顔に浮かんだ。
彼女の左手が、まるで痛みに耐えるように体の上を這った。
「もう…傷つかなくていい…?」
彼女がその言葉を言った瞬間彼女の左目から雫が一粒重力にしたがって毛布におちる
しかし、その涙はすぐに止まり、再び無表情に戻ってしまった。
「本当に…ここは安全なのか?本当に誰も、私を傷つけたりしないの…?」
彼女の声にはまだ疑念がこもっていた。彼女の手が無意識に右目の眼帯を触る。
その仕草には、不安と恐怖が現れているように思えた。
僕は彼女の目をまっすぐ捉え、出来るだけ優しい声色を意識して言う。
「本当だよ。君を傷つける人はここにはいないよ」
彼女は一瞬、瞳を閉じた。その表情には微かな安堵が浮かんでいたが、すぐに消えてしまった。
「本当に…安全なんだな…」
彼女は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
彼女はほんの少し体の力を抜いたようだったが彼女の顔にはまだ深い悲しみと疲労感が刻まれている。
彼女はふと自身の身体に視線を落とした。完治はしていないが、つきっきりで看病したおかげでいくぶんかマシになっていた。
「…これは貴方が?」
彼女は身体から視線を外し、僕の方へと左目を向けた。
その目には困惑の色がにじみ出ていた。
「…助けてくれてありがとう。でも…」
彼女の声は再び弱まり、彼女の目は僕を捉えているはずなのにどこかぼんやりと遠くを見ていて彼女の目は深海のように深く、そして常夜のように暗く感じた。
「どうして私なんかを助けたの?助けても貴方にはなんのメリットもないのに…」
彼女の声は未だに疑いや不信、そして不安をはらんでいる。
僕は警戒心と不安がこもった彼女の視線を受けながらも言う
「ほっとけなかった。たったそれだけだよ」
彼女は意味を理解できなかったかのか面食らったかのように少し固まり、僕を見つめた後
彼女はまるで心の奥底を探るかのように目を細め、彼女の細い指が右目を覆う眼帯を握りしめた。
「…信じられない」
彼女は警戒心と不安を隠さない瞳で僕を見る。彼女は警戒しているので隙一つ見せない
「さて、朝ご飯にしようか。食欲ないかもだけどちゃんと食べないと治るもんも治らないからね」
彼女は一瞬の間、食事の提案に反応しなかった。彼女の手がゆっくりと眼帯からはなれ、膝の上に置かれた。
「ご飯…」
彼女は言葉を反芻する。それは少し混乱している頭を落ち着かせるために見えた
「…食べる……」
彼女は体を少し横に向け立ち上がろうとしたが体がふらつき、すぐに座り直した。顔色は青ざめ、目元には苦痛が浮かんでいた。
僕はそんな彼女を急いで静止させる
「大丈夫、ベッドで寝てて。今もってくるから」
彼女は僕の言葉を聞き静かに頷いた。彼女の体は震えていたが僕を見るその目には僅かな安堵の気持ちが宿っている様に見えた。
「…ありがとう」
彼女の声はかすれていたが、彼女の表情には感謝の色があった。彼女がベッドに腰を下ろすと痛みに表情を歪めたが、必死に声をあげまいと腕を抱えこらえていた。
私を拾った男はそんな私を見た後少し心配そうに部屋を出て行った。食事を取りに行ったのだろう。
私は自身の右手を見つめ、指を動かしてみる。右手の麻痺による不自由さとしびれはあいかわらずだったが、船にいたときよりはいくぶんかマシになっている。
あの男が看病してくれていたのだろう。あの男を信用はできないが危害を加えてくる相手ではないことは事実なのだろう。
「持ってきたよ。食べやすいかなと思っておかゆ作ってきたよ」
私が考え混んでいるとあの男がドアを開けこの部屋に一つの茶碗とスプーンを持ってこの部屋に入って来た。
「…おかゆ?」
私は初めて聞いた言葉を反芻した。
私は男が差し出したおわんに視線を落とした。白い湯気と共にほのかな香りが私の鼻孔をくすぐる。
私は無意識に唾を飲み込む。
「…ありがと」
私は私が座っているベッドの近くで椅子に腰掛けている男に小さな声でお礼を言う。
私は左手でスプーンを掴もうとしたが、指先が震え、うまく握ることができない。
「…あなたが食べさせてくれる?」
彼女の声には少しの戸惑いと恥ずかしさが混ざっていた。しかし、その目の中には微かな期待も宿っているように見えた。
「そっか、気が利かなくてごめんね」
僕は彼女に軽く謝罪しスプーンとおわんを震える彼女の手から受け取る。
僕はスプーンでおかゆを少しすくい、息を吹きかけおかゆを少し冷まし、彼女の口元へとゆっくりと近づける。
「…あぁ」
彼女は少しためらいつつも小さく口を開け、おかゆを受け入れた。
彼女の瞳が一瞬だけ輝きを見せた
「…暖かい」
彼女の声はおどろくほど小さかったが、その中に微かな喜びが滲んでいた。彼女はゆっくりと目を閉じ、味わうかのようにゆっくりと咀嚼し始めた。
そんな彼女を見て僕も心が温かくなる。
「…ありがとう」
彼女は目を開き、微かに震えた声で僕に感謝の言葉を漏らす。
「どういたしまして」
僕は引き続き机の上においているおわんからまたお粥をすくいあげある程度冷ました後ゆっくりと彼女の口に運ぶ。
彼女は差し出されたおかゆを大人しく小さく口を開け口に含む。
「…おいしい…んだろうね」
彼女は目を伏せ哀愁漂う雰囲気をまとっている。
それから少しの沈黙が続いた
「私、味がわからないんだ」
彼女は無表情で何も感じていないように言っているが右手を握りしめており悔しさをこらえるかのように見えた
「…それは辛かったね」
彼は私の目を見て慰めるようにいう。
もう随分前からのことだ。
今更どうこう思うことは無い…はずなのだが。
…懐かしいこのぬくもりに絆されてしまったのか少し悔しく思ってしまう。
彼は思案するように顎に手をあて目を瞑った
部屋には少しの沈黙が訪れ、部屋に置いてある時計の小さな音だけが小さくこの部屋に小さく響き渡る
「その件は僕が何とかしてみるよ」
彼は顎から手を離し優しい笑みを私に向けながら言う。
それから食事が終わり、彼は私が食べ終わった後の食器を持って部屋を出た。
私は先ほど思わず弱音を吐いてしまった。
彼といると…なんだか体の中心が暖かくなる…気がする。
私は胸に手を当て無意識に微笑んでいた。私がそんなことをしていると床の軋む音がし、その方向を見ると扉が開き彼がなにかを持って来た。
彼は私と目が合うと持っている物を持ち上げ私に見せてくる
「体がまだ万全じゃないから移動は出来ないけどずっとそのままじゃ退屈でしょ」
彼はそう言いながら私の居るベッドの前まで来て何個かの四角い物を私に差し出してきた
「…これは?」
彼女は僕の差し出した本を興味のこもった目でまじまじと見つめている。
「これは本だよ」
僕の言葉を聞いた彼女は何かを思い出そうとするかのように目を瞑り「本」と小音場を反芻した。しばらくした後、昔のことを思い出したのか口元にはわずかな笑みが浮かんだ。
「ありがとう」
と言い受け取ろうと伸ばしたその手を道半ばで止め、彼女は顔を歪ませ自分の腕を見た。
「気が利かなくてごめんね」
僕は彼女の座るベッドに腰をかけ、前に本を並べた。
「どれがいい?」
僕がそう聞くと彼女は戸惑いつつもその中のきれいな白いドレスを身にまとったお姫様が表紙に書いてある本をゆっくりと指差す。
僕はその本を手に取り彼女と僕が見えるように持ち、本を開くと彼女は戸惑いを隠せずに僕と本を交互に見る。
「始めるよ」
僕の声が少し薄暗い部屋に静かに響く。彼女は小さく頷き、まるで子供かのように耳を傾けた。
読み始めると彼女の表情が少しずつ和らいで行く。彼女の目は半ば閉じられ、その唇からは時折小さなため息が漏れた。
「…暖かい声だね」
彼女の声は心地よさそうな優しい声色をしていた
「心地いいよ」
彼女は少し微笑んだ表情のまま僕を見る。
「でも…私はその暖かさが怖い。」
彼女の声は、わずかに震えながらも真剣さを帯びていた。
「何でそんなに優しくするの?」
彼女の言葉には警戒心と疑問、そして希望が含まれている気がした
「…僕には妹がいたんだ」
彼は私の問にそう静かに、だがはっきりと言葉を返す
「生きていればちょうど君と同じくらいの年齢かな」
彼は少し寂しそうな微笑みを私に向けその声はつらい過去を思い出したかのように震えていた
「ごめんなさい…嫌なことを思い出させてしまって」
申し訳無さが奥底から湧き上がる
「大丈夫。もう割り切れた」
そう言いつつも彼はやはり少し悲しそうに見えた
「妹と君を重ねてしまってね。だから僕は君に幸せになってほしい」
彼は頬をかきながら少し微笑む。
「それに見捨てたら天国にいる妹に顔向けできない。」
彼は手を下し真剣な眼差しで私の目を見る
「これが理由だよ」
彼は急に微笑みながら優しく私の頭を撫でてきた
私は彼の急な行動に戸惑いを隠せず固まっていると彼は手を下した
「それじゃあ、そろそろ寝ようか」
そういった彼はベッドから立ち上がり私に背を向け、本を机の上に置き歩みだした。
私は口を開くが言葉が出なかった。
少し寂しそうな哀愁漂う雰囲気を纏う彼を前に何も言うことが出来なかった。
扉の方へと彼は歩みだし扉に手をかける
「おやすみ」
そう言い残すと彼はこの部屋から出ていった。