Episode.90 回転する世界
万寿が目を伏せたままでいると、次第に少女の呼吸は小さく浅く、消えていくのが分かった。眠る様に瞳を閉じている彼女は、まるでフランス人形のように美しかった。顔から伝う赤い雫さえ、薔薇の花束に包まれているように見える。
万寿が彼女から目を逸らし、次に見たのはリーダーの顔だった。その顔は悲しみなのか、安心なのか分からない。けれどその瞳は優しく、涙で揺らいでいることは分かった。
彼は一度ゆっくりと瞬きをすると、万寿に向き直る。
「おまんじゅう君。どうか僕を、赦してくれませんか」
リーダーは一言目に、そう言った。
「赦す、ですか……?」
「この世界を止めることも、僕には出来たはず。けれどそれを望まなかった。この地獄絵図のような世界を見たかった訳ではないのに、どうしてでしょう――。この彼女の安心しきった顔を、見てみたかったのかもしれません」
そしてもう一度、優しい瞳で彼女を見下ろした。
「この世界を彼女の夢物語に変える。それが僕に出来る、最期の赦しです」
万寿は知っていた。リーダーがこれからやろうとすることを。だからこそ、彼女の最後の望みをかなえてやりたかったのかもしれない。
「まず、ここで命を落とした彼らの代わりが必要ですね。数千人という数の人間が自分の代わりに死ぬ運命など、ここにいる人間は誰一人として望まないでしょう。けれど、たったひとつの命でその代わりとする。彼らの命の重みには敵いませんが、長さでは勝っていることでしょう。それを代償に未来を変えます」
「……リーダー……」
「そして二つ目。過去に遡り、このきっかけとなった事象を排除すること。彼女の存在自体がなくなれば、リンが悪に染まることも、ここで起こることも変えられるかもしれません」
万寿は小さく首を振った。もちろん、今ある現実を変えたくないなんて一ミリも思わない。けれど、そのために二人のリミットが犠牲になるだなんて――。
「多くの尊い命のためなら、この命を懸けることなど惜しくはない。彼女もきっと、そう言ってくれることでしょう」
ダンテは温もりを失いつつある彼女の体を強く抱き寄せながら、確かに頷いて見せた。
「けれど知っての通り、世界が変わった先に必ずしも輝かしい未来が待っているとは限りません。私がいなくなることでクラフトは存在しなくなるし、ましてやリミットという存在すら本当の都市伝説になるかもしれません。それすなわち、おまんじゅう君の運命はいじめられっ子のままですが……」
「――なりませんよ」
万寿は強く言い放った。口元には余裕の笑みすら浮かべている。
「たとえ僕に力がなくなっても、世界からリミットがいなくなったとしても。僕はリーダーのことも、ジョニィさんのことも絶対に忘れません。それに、能力がなくったって――。僕は、名前の通り生きるって約束しましたから……」
言葉を綴るごとに、我慢できずあふれ出した涙が頬を伝う。しかし彼は笑い続けていた。だんだんと嗚咽がひどくなり、もはや笑っているのか泣いているのかも分からない。それでも万寿はリーダーを真っ直ぐ見つめていた。その顔を見て、リーダーもまた目じりに皴を寄せ、声を出して笑って見せた。
「ハハハ……。本当に君は。――これは、彼女の夢物語。主人公は君だった。君は確かに『選ばれた存在』だ」
万寿は涙をぬぐいながら、最後に一つだけ、聞きたかったことを問いかける。
「どうして、僕だったのでしょうか」
【運命を切り開くのはお前だよ、万寿】
それにリーダーは手を後ろに組み、いつもの様子で答えを返す。
「君の能力が、彼女の望んだものだったから――でしょうか」
「僕の能力……?」
『時を止める』。それがなぜ、彼女の望むものなのか……?
「君はこの世界で、時を操る能力にいくつか出会って来た。けれどそのどれを見ても、過去を起点にするものばかり。戻ることも、消すことも、再生することもね。けれど、君のだけは違う。常に進み続けているんだよ。止まった時の中で君は、『今』の自分自身と向き合い、そして『未来』を想像し続けた。君はリミットであることを後悔したことは一度もなかったし、どんなに絶望的な未来だと分かっていても立ち向かい続けた。君がジョニィの望む世界、そのものだったんだ」
窓のない閉鎖空間。なのに、万寿には爽やかな風が吹いた気がした。万寿はひとつ大きな息をすると、遥か上空を見上げる。暗い天井を貫いて、青い空がそこにはあるような気がした。
「ジョニィさんは――――本物の天使になるんですね」
その言葉を聞いて、ダンテもまた同じように青い空を見上げていた。
「ジョニィさんは、ずっとたくさんの命を救ってくれました。僕だけじゃありません。本当に、本当にたくさんの命を。そして、ここで消えかけてしまった命さえも救おうとしている。きっと、本当に望む大きな青空を、自由に羽ばたく存在になりますよ。もう誰にも、何からも縛られることはない。そうですよね、ジョニィさん」
万寿が呼びかけると、今まで背を押してくれていた温かな手が優しく見送ってくれているような気がした。
リーダーの大きく温かい手が、差し出される。
「おまんじゅう君。いえ――坂下怜也くん。旅立ちの時です」
「……リーダー。今まで、ありがとうございました」
「こちらこそ。良き万寿人生を」
「はい。リーダーも」
「きっとまた、どこかで」
「必ず」
繋いだ手のひらから星の光を集めたような色とりどりの光が解き放たれ、この世界の全てを包み込んだ。
本当は、知っているんです。この世界の続きも。
世界が変わったとて、この次元の世界が消えることはありません。この世界に生きる自分は居続けるし、世界は回り続けているのだと思います。
小さな小瓶を握りしめた一人の少年が、いつまでも僕らの帰りを待ち続ける世界。リミットという存在が世界から消滅し、次第に忘れ去られていく世界。
けれど僕は、この世界で生きることを諦めたのではありません。この世界のことだって、心から愛していた。本当に、本当に大好きだった。
ありがとう、この世界の僕。さようなら、ジョニィさん。
いつか必ず来ますよ。すべての生き物が手を取り合い、幸せになる世界がきっと――。
そうだな。その世界はどちらかというと――。蒲公英みたいな、黄色かな。
◆
目を開ける。少年の目の前には、数人の学生服を着たクラスメイトが立ちふさがっていた。その中、色とりどりのピンで前髪を止めた少年が、彼のことをこう呼んだ。
「おい、まんじゅう」
その声を聞いて咄嗟に走り出した少年だったが、無情にも橋の上で奴らに捕まった。背負っていたリュックを無理やりはぎとられ、争ううちに鞄の口は全開となる。その状態のまま川辺へと投げ込まれたものだから、無数の白いプリントが空中へと散らばった。ひらひらと風になびいて、遠くへ流されていくのが分かる。
「取りに行けよ」
「ほら、こっから飛んだらまだ間に合うよー?」
「ギャハハハ!」
卑劣な笑い声の中、彼は橋の下を覗き込んだ。それは自分の鞄の行方を確かめるためではない。白く舞い踊るそれが、天使の羽根に見えたからだ。
次に少年は空を見上げる。白い翼の天使が、青い雲間を飛んでいるような気がした。
「ジョニィ、さん……?」
直後、何者かがその背中を押す。冷たく、痛い手のひらが彼を空中へと放った。
振り返り様その目が捕らえたのは、慌てた様子で取り巻き達を払いのけ、必死に手を伸ばす一人の少年だった。いつも整えられている前髪が乱れて、いくつかのピンが地面に転がり落ちる。
伸ばし合う手。だがそれは届かない。そして――少年を救う彼女はもう、存在しない。
落ちていく時間が、とてつもなく長いものに思えた。まるで、時が止まっているかのように。
――これでいい。これもまた、僕が望んだ道だから。
最後に見える一瞬の青空が視界の端にうつりこむ。空を飛ぶってこんな感じなのかな、なんて、ちょっとだけ苦笑した。
「――っ!」
直後、己の全体重を受けて軋む肩の痛みが全身を駆け巡る。何者かが少年の手首を掴んでいた。橋の上から半身を乗り出して少年の腕をつかんでいるのは、一人の少女だ。さらにその少女を支えるように一人の少年が、乱れた前髪のまましがみ付いていた。しかし少年の重みで、二人もまた橋の下へ引きずり込まれかけている。
歯を食いしばりながら大粒の汗を注ぐ少女は、呆然とその光景を眺めている少年たちへ怒鳴り声をあげた。
「何してんだクソガキ共! 殺してえのか!」
見た目からは想像できない程の、悪い口が飛んで出た。そこに居合わせた少年たちは我に返ると、急いで二人に加勢する。
なんとか一致団結し少年を引き上げることに成功。橋の上で座り込む少年少女たち。全員が肩で息をしながらうずくまっている中、万寿は一人その場に立っていた。
オシャレなワンピースに身を包んだ彼女は、汚れた裾を払いながら立ち上がる。
「ったく、明日から転校だってのに最悪のスタートだぜ」
「転校オオォ~⁉︎」
それに大げさに反応したのは、彼女の周りに座り込む少年たちだった。
「そうだよ! よりにもよってテメーらと同じ学校かよ! マジ最悪。最初からこんなショッキング映像流してんじゃねえよ、しゃんと立てしゃんと!」
そう言いながら少女は、少年たちの頭を一人ずつチョップして回っていた。
「さてと」
そして満面の笑みで万寿を振り返る。
「大丈夫だった?」
「あ……、えっと――」
「間に合って良かったよ! 私、昨日アンタの家の隣に引っ越してきた、保良木くるみ! 虐められたら言いな? アタシ、喧嘩強いから!」
そう言って彼女は、ケタケタと笑った。そうここは、『ジョニィ』がこの世から消えた世界。
リミットもその神様もいないけど、繋がりが切れることはなく。世界は再び回りだす。この先、逃げ出したくなるくらい辛いこともいっぱいあるだろう。けれど大丈夫。僕は進み続けるから。
だって約束したからね。名前の通り生きるって。
「僕は……。僕の名前は――!」
万寿は言葉を止めると、思わず彼女へと飛びかかっていた。そして強くその身体を抱きしめる。
「ずっと会いたかったんです! あなたに!」
呆然とその状況に固まる少女。そしてそれを見つめる少年たち。くるみは声を絞り出す。
「へ、へ、へ――」
「へ?」
「へんたーい!」
激しいビンタの音が、川辺に響き渡った。痛い! これは凄く痛い!
「誰だー!? 女の子泣かせる奴はー!」
少女の悲鳴を聞きつけた長身の男が、大慌てで大型バイクから飛び降りて来る。その後彼からも背負い投げをされる万寿であるが、それはまた別次元でのお話。
「おや、たんぽぽですよ」
「綺麗ですね」
MANJU!~ひょっとこ饅頭空想譚〜 完
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