Episode.83 破壊される世界
タンバが思い描く平和に満ちた世界を、万寿たちは静かに聞いていた。あれほどに争いを望まなかった彼が、こんな現実を望むはずはないのだ。決して交わってはいけないものが、交わってしまった。しかしそれはどうしてだろう――?
それはダンテが代わりに続けた言葉で明らかとなった。
「そこに来たんだな。ジョニィが」
「ジョニィさん……?」
その言葉に、タンバは歯を食いしばった。かみしめた歯茎から血がしみだしてくる。口端からそれを垂れ流しながら振り上げた剣を、勢いよく壁へと振り下ろした。無機質な壁に痛ましい傷が残る。
「ええ、来ましたよ。飄々と。――真っ黒な羽根を持った、悪魔が」
彼女はやって来た。平和の国『パラドックス』へ。
◆
それからコツコツとパラドックスを探し続けていたタンバ。リミットであるかそうでないかを見分ける術は、タンバにとっては容易いものだった。彼らと接触しては、彼ら自身の言葉を聞いて回った。それが恨みや悲しみに向かうものであったなら、タンバは迷わず彼らの手を引いた。そしてまもなく百人という程のリミットが、新たな地平線へと集められた頃だった。
集まった者の多くは痛ましい過去を持つ者同士だ。ツェッペリンに住むリミットとは違い、彼らの記憶はそのまま残っている。その痛みを取り除くことも出来ず見守るしかできないタンバにとって、その時間は彼らと同様にとても長いものに感じられた。
しかし数週間もすると、彼らはあっけなくこの国になじみ始めた。そしてなんと互いに慰め合い、手を取り生きることを決断したのだ。脅威であった人間たちから離れたことで、過去の記憶を思い出すきっかけを排除出来たからかもしれない。
記憶があることが、問題だと思っていた。それを取り除けば楽になると。でも本当は違ったのかもしれない。それぞれが助け合い、乗り越えることで新たな道が続いていく。それが希望の光だ。
「きっとここは、豊かな国になる」
そう思っていた矢先だった。
真っ黒な羽根を広げながら、彼女はこの地へと降り立った。タンバは彼女の顔を見てすぐに気が付いた。――ジョニィではないと。街中を嘗め回すかのように見回す彼女へと歩み寄り、背後から一言声をかける。
「ご無沙汰ですね」
そう言うと彼女は笑顔で振り返った。まるで再会を喜んでいるかのように。
「タンバさん、お久しぶりです。やっぱり気づかれておられましたか」
「ええ、まあ……。けれど随分と雰囲気が変わりましたね。リーダーからジョニィさんの中にいると聞いた時は、到底信じられはしませんでしたが」
「けれど気づいてくださった。やはりあなたはお優しい人です」
「それよりも、どうしてこの場所を……?」
タンバが半ば睨みつけながら言うと、彼女はにこりと笑って見せた。
「以前ここから脱走した爆発魔に教えていただいたんですよ。だって『パラドックス』と言ったらリミット達の聖地ではないですか。是非お伺いしたいと思って」
「そうですか。しかし残念ながら、ここはかつての『パラドックス』ではありません。ここにあなたの望まれるものはないと思いますが」
「いいえ、立派なものをお持ちです。私今、とっても嬉しいですよ」
不気味だと思った。その笑顔が。まさに作られた笑顔。その目の奥は、何ひとつ笑ってはいない。否、笑っていたのかもしれない。悪意ある笑顔で。
「理由はそれだけですか?」
「もちろんそれだけじゃないです。アナタに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? ここに来なければならない程の急用ですか?」
「まあそうですね。じゃないと私、捕まっちゃいますから」
その言葉にすぐに事情を察知したタンバ。
「……逃亡中ですか」
「ご理解が速くて助かります! 今さっきやっとの思いで、ダンテ君のところから抜け出してきたところなんですよ。彼は多少過保護すぎではないかと思っていましたが、それもまた甲斐甲斐しいというか。本当にこの子のこと大好きだったんだなって思います。それに関しては感謝ですね」
「それでそんな彼から逃亡してまで、私に何を確かめに?」
彼女は浮かべた笑顔を崩すことなく続けた。
「ここにいるのって、クラフトを皆殺しにする目的のため集まった人間たちですよね? つまり――殺し合いをさせても良いってことでしょうか」
「……は?」
もちろん最初に出たのはその一言だった。一体何を言っているんだ、この女は……。
タンバは彼女の意見に取りあう様子も見せず、凛とした態度で言い放つ。
「何を考えていらっしゃるのか。断じてそんなつもりはありません。確かに集まった者の中にはクラフト壊滅を口にする者もいましたが、真の目的でないことを理解し今では平和に暮らしていますよ。彼らを御覧なさい。幸せそうに笑っている。そんな彼らが今、争いを求めるとでも?」
街中で笑いあって協力しながらひとつの建物を作り上げる人々。それに彼女は首をかしげる。
「ふーん。じゃあ殺し合いをするつもりはないんですか」
「当たり前でしょう」
「なるほど、なるほど」
彼女はタンバの言葉を聞きながら、適当な相槌を返した。
「それよりも、どうしてそんな物騒なことを言われるのですか? 殺し合いなどと……。ジョニィさんがそれを望んでいるとは思えませんが」
「過去を変えるのには、多くの犠牲が必要なんですよ。それはアナタが一番よくご存じなのでは?」
「……?」
彼女は人を犠牲にすることへ、さほど重点を置いていない様な口調で続けた。
「今この子は宙ぶらりんの状態なんです。ダンテ君の死をこの子が代わりになろうとしたけれど、それを無理やりつなぎとめている。二人の命の代わりに誰が死んでくれると言うんですか? こんなにも尊い二人のためになら、リミットを装う人間など死んで当然だと思うんです」
「何を、言っているのですか……?」
彼女は可愛らしい笑顔で微笑んだ。
「――この子のために、みんな死んでくれますか?」
◆
「その後はまさに、地獄を具現化したようでした。無差別にリミットを銃撃し、さらにはその死体を愚弄しあざ笑っていました。まさに、悪魔ですよ。彼女は。一度地獄へ落された彼らに与えられた希望の光をもう一度打ち崩されたことが、とてつもない屈辱と決して治まらない怒りを生みました。そして去り際、彼女はポケットからある機械を取り出しました」
「まさか――」
それにはダンテが目の色を変えた。
「そう、アナタと共にあの部屋に侵入した際、彼女が盗んだものと引き換えに手に入れたクラフトの重要機密情報。まるでここに来ることを仕向けたように、あの地に放り投げて行きました」
「そんな……っ」
ダンテは全身から力が抜けたように肩を落とした。確かにあんころの機械は、二人でロッカールームに訪れた際、ジョニィが持ち出したのだった。
◇
どうしても、あんころの残した言葉を聞きたかった。その一心で、ダンテはあの部屋に侵入した。
「色々前後しちまったけど。お前の言葉、ちゃんと受け取ったぜ」
そう言って戻した機械を、彼女は手に取った。
「どうすんだ、それ」
そう言うとジョニィはダンテにこう告げた。
「クラフトがある場所の、はるか上空。本当の空を飛んでみたい」
クラフトがある本当の場所は、クラフト構成員であっても誰も知らない。ただ暗い天井を見上げながら、ジョニィは考えていた。
ここから見える空は、どれほど青いのだろうか――と。
◇
「ジョニィに、見せたやりたかっただけなんだ……。初めてだった。アイツがクラフトのルールを破ってまで、そんなことを言ったのは。見たいと言った空を、思う存分飛ばせてやりたかっただけなんだよ……」
ダンテは絶望に駆られながら必死に顔を左右に揺さぶった。
「夏になったら行こうって、約束してて。――後はちゃんと、リーダーに返すつもりで……」
ダンテの言葉に、万寿は気が付いたら涙を流していた。確かにそれは決して開いてはいけない扉だったのかもしれない。だがそれは、空を見たい彼女と、それを見せてやりたい彼が抱いた、純粋で優しい心だった。
きっとリーダーも気が付いていただろう。それでも止めなかったのは、二人を心の底から信じていたからかもしれない。
それらを全て踏みにじった、ジョニィの中の存在がさらに疎ましいものに思えた。
タンバは肩を落としたまま小さく息を吐いた。
「クラフトもパラドックスも、確かに愛する心を持っていたんです。けれど、一つボタンを掛け間違えればそれが争いへと繋がる。己の自由と平和ばかりを主張して、踏み入られた相手の自由と平和は踏みにじる。それが本当に望むべき世界でしょうか。違う考えは衝動、焦り、怒りを生みます。しかし相手の国では相手の国ルール、その考えを尊重することが歩み寄る第一歩です。ただ手を取り笑い合いたいだけ。なのに、なぜそんな簡単なことを忘れてしまうのですか。こんなにも、素晴らしい心を持っているというのに」
「タンバさん……」
呟くように彼の名を呼んだ。するとタンバは顔を上げ、万寿を見つめる。
「おまんじゅう君」
真っ直ぐ向けられた目に、万寿も応えるように彼の瞳を見つめる。
僕はこの目を知っている。人の真意を解こうとする瞳だ。
「あなたはこう言いました。間違うから、それを正そうとするから、人間は前に進めるのだと。君はこの現状を見て、何を思いますか?」
「……」
万寿は少し間を置くと、はっきりとした口調で答えた。
「僕がここにきてからの一年間、何度もこの世界が夢か現実か、分からなくなってしまいました。夢のように幸せなことがありすぎて、夢であって欲しい程の苦しい事が増えすぎて。そして今、僕は最も恐れていた世界を目の当たりにしています。でも僕は――彼らの死をただの間違いにだけはしたくない。ただの夢で終わらせてはいけないと思っています。戦う方法は間違えてしまったかもしれないけれど、何かを護るために一生懸命だったから、それほどにクラフトを、パラドックスを愛していたから。懸命に生きた彼らのことを、僕は誇りに思います。そしてもう二度と、同じことが繰り返されないよう――生き残った僕たちは、前に進まなくてはいけない。僕は生きます」
「……っ」
タンバはその言葉を聞くと少しだけ微笑んで、一冊の本を開いた。それはいつも手にしている分厚い本ではなく、小さな手記のようなものだった。
「お急ぎの所申し訳ありませんが、少し昔話を聞いて行ってはくれませんか。きっと何かの手助けになるでしょうから」
彼を拒絶する者は誰一人いなかった。タンバは静かに口を開く。
「では始めましょう。これは今から数百年前にさかのぼる。私が生まれた時の話から――」
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