Episode.4 訪問者
翌朝、母の声で目を覚ます怜也。廊下で何か言っている。昨日家に帰ってから母とは顔を合わせていない。だから折れた歯のことも伝えていない。
(なんて言おうか、素直に殴られたとでも言おうか。いや、どうせ無駄だ。そんなこと最初に言った。そしたら虐められる方にも問題があるって父さんに言われたっけ。)
怜也は母からの言葉を遮るように、深く布団をかぶり直した。
「いい加減にしなさい!」
ハッキリとした怒鳴り声と遠のいていく足音。
(昨日、勇気を出して学校に行ったのに。そのことを誉めてくれたっていいじゃないか…!)
コンコン、とノックの音が聞こえる。怜也はさらに布団を強く握りしめる。
(まだいるのか。早く仕事に行っちまえ!)
相手の反応が起こるまでじっと身を潜めていると、突然頭元から声が降りてきた。
「こんにちは」
知らない声だ。怜也は背筋が凍りついたような悪寒を感じた。まさか本当に、本当に来てしまったというのか。本物の『異常者』が―――。
されど実におかしい。ドアの開く音も、人が歩く音も聞こえなかったはず。
(能力者…?本物の、リミット…?)
だとしたらすぐにでも挨拶をしておきたい。あんなに恋焦がれていた存在であったのだから。しかし実際に今目の前にいるかもしれないと思うと、極度の緊張と得体も知れない存在への恐怖でとてもじゃないが冷静ではいられなかった。
怜也が布団から出てくる様子はない。頭元に立つ彼は、そんなことなど気にも留めていない様子で話を続けた。
「申し遅れました、わたくし、クラフト本部より参りました。第二部隊保証組織幹部長、タンバと申します。クラフトへのアクセス、まことに有難うございます」
優しく丁寧な声は、閉ざしている心であっても心地よく耳に入って来た。不思議と緊張がほどけていく。
「クラフト入隊のためには、まず貴方様の能力把握が必要となります。貴方の能力は“止まれ”でしたね」
(止まれ…?あの時認証された言葉…?)
「試しにここで、と言いたいところですが。突然の能力解放に家ごと爆破した大バカ者もいますので、まずは本部へ移動しましょうか。入隊するかどうかはそれから考えていただいて結構ですよ。坂下怜也くん」
怜也は息をのむ。なぜ、その名前を―――
「布団から出たくなければそのままで結構です。さあ、飛びます。最初は気持ち悪いかもしれませんが、すぐに慣れますよ。なに、ジェットコースターの固定が外れて空中に放り出されたくらいの衝撃です」
「な、に――!?」
「イッチ、こちらは準備が出来ました。お願いします」
布団の上から声の主に身体を触られた。次の瞬間、身体が落ちていくような感覚が襲ってきて、橋から落ちた時のことを思い出した。
◆
咄嗟に布団から顔を出すと、そこは全く知らないところだった。まわりは見たこともない重厚な機械があり、頭上からは折り重なる液晶画面が煌々と部屋を照らしている。部屋に置かれた作業デスクには数名の男女が座っており、黙々と薄いキーボードを弾いていた。
そんな中部屋の中心部に配置された机の周りを、二人の子どもが走り回っているのに気がつく。
「どうしたんだろ、システムエラーだ」
「エラーコードは?」
「遠隔操作時の伝達システムが上手くいかなかったみたい」
「どうしてだろ」
「解析してみるね」
その後も暗号のような言葉を交わし合い、とてもじゃないが年相応の会話とは思えなかった。見た目はまだ小学生くらいの少年少女だ。
しかしその顔は異様だった。白塗に赤い線が乱雑に入っている、まるで歌舞伎の隈取り顔だ。それにしても下手くそな落書きに、怜也は訝し気な顔をして二人を見つめていた。
(へったくそな絵…。なんであんな”可笑しな”格好を…)
布団を頭にかぶったまま口をぽっかり空けて見ている怜也。その格好も側から見れば充分滑稽であるのだが、そこにはあまり触れないでおこう。
二人の子どもはくるりと怜也の方へ振り返った。怜也は慌てて布団の中へと戻っていく。遮断した外の世界で、明るくはつらつした声が響きわたった。
「タンバちゃんおかえり」
「おかえりー」
(タンバちゃん…?)
「ただいま」
怜也は恐る恐る片目だけのぞかせた。声のする方へと視線を移す。左隣を見てみると、背の高い男性が立っているのが見えた。しかしこの視界では全てを把握しきれない。少しずつ視線を上へずらしていくと、隣には金色の長髪をゆるく一つ結びにしている眼鏡の男が立っていることが分かった。
彼が第二部隊の幹部長、タンバという男。怜也がじっと彼を見上げていると、彼はそれに気が付いて目を細め、微笑んでいるように見えた。
「ご無事ですか?坂下怜也くん」
「あ、はい!」
咄嗟に返事をしてしまった。
「よろしい」
タンバは軽い返事をすると、くるりと体を反転させ部屋の入口に向かって歩き出した。
「ここはイッチとニィニにお任せしましょう。ご報告は後程」
(いっち?にぃに?)
「さ、坂下怜也くんはこちらへ」
怜也はキーボードをとてつもないスピードで叩く幼い二人にもう一度視線を戻す。彼らがキーボードで打ち込んだものは頭上の液晶に反映されている訳だが、大量に流れて来るアルファベットと数字の羅列に頭はいとも簡単に考えることを辞めた。
「またね坂下ちゃん」
「またね怜也ちゃん」
先程と同じ明るい声が部屋に響き渡る。怜也は伝わるか伝わらないか分からない程の小さなお辞儀をして、布団をひるがえしながらタンバの待つ入口へと向かった。
「行きましょうか」
そう言うとタンバが、白く淡麗な手を扉にかざした。スーッと流れるように扉が横に開くと、そこからは左右に果てしなく廊下が続いている。四方をグレーの壁紙で囲まれた、実にシンプルな建造物だった。窓すらない。タンバは迷わず右に曲がるので、怜也も急いでそれに続いた。
「すみませんね。先ほどのシステムエラーが解除されるまではエレベーターは使わないほうがいいでしょうから」
「…は、はい……」
「少し長いですよ」
怜也はただただ着いて歩いた。廊下の先にあった階段を上り、その先の廊下を進むと階段を降りて、降りたかと思えばまた上ってを繰り返した。まるで迷路だ。
「帰り道は覚えましたか?」
「えっ!?い、いや…その…似た景色が続くので、その…」
「そうですか。なら帰りは迎えに来てもらうことにしましょう」
その後も黙々と歩いていると、突然タンバが立ち止まった。怜也は危うくその背中にぶつかりそうになったが、慌てて踏み留まりことなきを得た。目の前にはやけに洒落た木の扉。タンバは先ほどと同じく美しい指でその扉をノックする。
「リーダー。ご案内しました」
「はーい、入って~」
軽い返答。高いはずだが低くも聞こえる、不思議な声だった。それだけでは男なのか女なのか、区別がつかない。
「失礼」
タンバは扉を開く。中には黒髪で背の高い人が背を向けて立っていた。長い黒髪の毛先を赤いリボンで結っている。その時怜也は昨日見た真っ黒な画面がフラッシュバックした。黒に赤。まさかこの人があの時―――
「ようこそ、クラフトへ」
振り返ったその人は、とても可憐で美しく、赤黒い瞳を持った、女性のような顔をした男だった。
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