Episode.38 人間らしい
家に帰った。リビングを覗く。がらんとした空間に、茶封筒はそのまま残されていた。怜也は逃げ込むように自室に戻り、ベッドにもぐり込んだ。
いつからだろうか、変だと思い始めたのは。仮にこれら全て、僕の作り出した幻想、なのだとしたら。本当は橋から落ちて、死んでいた? クラフトなんて妄想で、父のネクタイで首を吊っていた? それとも、その後の戦いで殺されていた? 魔物に食われた? 蜘蛛頭にされた? 血を抜き取られた? これは、僕が作った偽物の世界?
ならば、どうして両親は離婚する道を選んだのだろう。僕に都合のいい夢なら、家族とも仲直りをして、スーパーヒーローになって、もてはやされて。痛い事も、怖い事もない世界。でも、違う。
ならばこれはやはり現実? エアコンの効いていないサウナ状態の部屋も、今触れている毛布の感覚も、すべてがリアルだ。
でも、何か。何かが、おかしい。高堂? おかしいのは僕じゃなくて――高堂? だとしたら……。
怜也は勢いよく起き上がった弾みでベッドから転がり落ちていた。落ちた衝撃で背中を強く打った。一時的な呼吸困難に襲われる。こんな夢、あってたまるか。
「高堂がもし、リミットだとしたら? それを隠して僕に近づいていたとしたら? あの時の声……。まるで、パラドックスが誘っているような声だった。高堂が……パラドックス?」
怜也はこの不安が抑えきれなくなっていた。このまま何もせず部屋にいたら、不安でどうにかなってしまいそうだった。今まではこの部屋から出るのか恐ろしくてたまらなかったのに、今は動きたくて仕方がない。
「相談しよう。でも、誰に……」
戦闘組織の皆? でも相手がそうだと決まったわけじゃないのに、突然そんな話をするのはどうなんだろう。話しを聞いてはくれるだろうけど、解決には導けないのでは?
だとするならば、はやりあの人が適任だ。以前高堂の記憶を操作したことのある人。彼なら、今の高堂の変化について教えてくれるかもしれない。
怜也が向かったのは、第二部隊・保証組織だった。
◆
ツェッペリン。ここにいる人たちは、地上の世界を知らない。というよりも、忘れて暮らしている。最初からここに住んでいたかのような顔をして。それもまた、タンバの記憶操作が関係しているのかもしれない。タンバはこの地下に住んでいる。任務以外で外には出ていないはずだ。ここに来れば必ず会える。そう思って町を歩く。地上と同じ夕暮れだ。早くしなければ日が沈んでしまう。
「町の人に聞いたら分かるかな……」
怜也は町の人に声をかける。誰もが親切に返事をしてくれたが、タンバの行きそうなところを巡ってみても彼に出会うことは出来なかった。歩き疲れていつぞやのバス停にたどり着き、その場に座り込んだ。
「皆いい人たちだ。今の高堂と一緒。なのに、なんでだろう……。変な感じ……」
何もない。人間だれしもが持っている、奥底の悪意が。これだけ人がいて、全員が平等に肩を寄せ合って仲良く生きている。絵にかいたような素晴らしい光景だ。全世界が望む光景。でも――人間、らしくない?
「人間は争う生き物ですからね」
ハッと顔を上げると、そこにはタンバが立っていた。ずり下がった眼鏡を人差し指で押し上げている。
「私に、用事があったようで」
「あ、あの! 僕……!」
怜也は急いで立ち上がろうとしてその場にずっこけた。それを見てタンバは手を差し伸べるでもなく、怜也の隣に移動する。
「君は実に人間らしい」
「え、えっと……」
「君は私に何やら不信感をお抱きなようで」
「そ、そういうつもりでは……!」
「それも当たり前のことです。人にとって記憶に残るほどの経験は、その人をかたどるために必要な時間。それを失えば、今あるその人が消えてしまうのですから」
タンバの答えに、怜也は高堂のことを思い出す。そして改めてその場で正座して座りなおしていた。
「高堂とは今、仲がいい方だと思います。友達みたいな感じ、っていうか。良いことなんでしょうけど、なんか、変な感じがして。高堂は高堂なのに、全く別の知らない人といるみたいだなって。今までの大嫌いで消えちまえって思ってたくらいの人間なのに、今ではそれすらなくなってしまっていることが怖いと言うか……」
「イジメをしていたころが彼らしいと?」
「イジメは良くないことだと思います。でも……なんか、なんて言えばいいのか分からないけど……。作られた世界で、生きているみたいで」
タンバは夕日が沈みかけて町をさす、薄暗く青い光を仰ぎ見た。
「作られた記憶。確かに。私は彼の記憶を操作する際、彼という人間を作り上げた最も核にある苦しみの記憶をあいまいにしました。その時感じた感情を元にイジメをしていたわけですから、なぜ今まで虐めていたのか理解できなくて当然でしょう。今は家族仲もそう悪くはないようなので、彼も生きやすいのではないでしょうか。しかし、苦しみもなくなってしまえば恋しくなるもの。人間とは傲慢ですね」
「タンバさんは――」
怜也は膝の上で握りしめたこぶしを見つめる。
「人間が、嫌いですか?」
その言葉に、タンバはこの日初めての笑顔を見せた。
「自分の欲望に正直で、それ故相手を傷つけてしまう。そこで踏みとどまる人間もいれば、復讐に燃え、同じように人を傷つける者もいる。それまた個性。しかし、私にはそれがどうも理解できない。憎しみは連鎖します。己に降りかかった苦しみを誰かに引き渡すことで、はたしてそれで幸せを得ることが出来るのでしょうか」
「それは……そうかもしれません。でも、間違うから、それを正そうとするから、人間は成長していくのではないでしょうか」
「ほう、その年にして持論を述べますか。私に対等してきたのはアナタが二人目ですね」
「二人目?」
「彼もまたそういう人間でした。間違ってしまったのなら正せばいい。その先には必ず報われる未来はある。けれど、そのせいで彼は命を落としました」
「タンバさん?」
「間違えれば戻れないこともあります。その間違いで、相手もまた間違えた道を進むかもしれない。それを正すには、一体どれほどの血と涙が必要でしょうか。傷つき傷つけ合い、お互いが立ち上がれなくなるほど争って、その先にあるのが真実ですか?それが本当に成長ですか?争わなければ成長できないのなら、人間など存在しない方がいい。自分に与えられた苦しみを糧に誰も傷つけることなく強くなれるような人間は、実に一握りだと思うのですよ」
「……」
「ならば問いましょう。君が最初ここに来た時、その力を復讐のために使おうと、ひとつも考えませんでしたか?」
「それは……」
確かにそうだ。僕が最初にリミットの力を得た時、これで奴らに虐められることはない。立ち向かうことが出来る、そう思った。その力を誰かのために、誰かを救うためになんて考えたりはしなかった。
「でも、僕は――。見ず知らずの僕を助けてくれた、ジョニィさんに救われました。僕はジョニィさんみたいに、誰かを救える人になりたいって思えた! だから、この力はもう復讐には使わない! そう決めたんです!」
「――そうですか」
タンバはそっと目を閉じて、ゆるやかな風を感じていた。
「考えを正してくれた人がいる。実に幸せなことです。パラドックスの多くは、その考えが正しい事だと信じています。彼らにとってそれは間違いではなく、悩み苦しんだうえで出した結論なのです。我々は恵まれている。――坂下怜也くん」
「はい」
「残念ながら、高堂くんの記憶を元に戻すことは出来ません。ですが、私がするのは『記憶を操作する』ことであり、消滅させることではありません。もし本当に彼が望んで思い出したいと願うならば、元の彼に戻すことは可能でしょう。彼が望めば、ですが」
「……」
タンバはそれだけ言うと踵を返した。怜也は慌ててその背中を引き留める。
「あ! タンバさん! もうひとつ聞きたいことが!」
「なんでしょう」
「……高堂といる時、変な声が聞こえて……。その……『恨んでいるならば殺せ』って……。誰かが言ってるような……」
「…………」
「高堂がリミットで、僕に何かしようとしてる可能性は――」
「ありません」
「え……」
タンバははっきりと答えた。
「お気を付けなさい。君が思う以上に、パラドックスは近くにいます。その声へ耳を傾けるかどうかは貴方次第。ただ――踏みとどまれるなら踏みとどまりなさい。人間は争う生き物。けれど、人間とは理由なくとも誰かを愛したり慈しむ感情も持ち合わせています。君が人間であり続けたいのなら、どうか誰かを恨むより、愛する力を身に付けなさい」
タンバそう言うと、分厚い本を開いた。
気が付けば、日は暮れて空には星が輝き始めていた。怜也はぼんやりとしてタンバが去った後もしばらくその場から立ち上がれなかった。いざ動こうとすると足がしびれて数分間痛みでもがくことになったが、それに気が付く者は誰もいなかった。
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