Episode.33 知らない顔Ⅲ
怜也はその日、補習に行った。配られたプリントの内容はダンテと予習したことがほとんどで、そんなに難しい内容には感じられなかった。けれど怜也の頭の中はそれ以外のことでいっぱいで、集中して解くことなんて不可能だった。
あれよあれよと時間は過ぎ、昼食休憩となった。ずっと隣で頭を抱えてうなっていた高堂は、この数時間でかなり疲労が溜まったようでぐったりしていた。
話しかけてもいいものだろうか。そんな事を思っていると、高堂の方から声をかけてきた。
「飯食おう」
「う、うん……!」
高堂は鞄からパンを取り出すと袋を破いた。怜也も慌ててコンビニで買ったおにぎりと取り出すと袋を破く。
「い、いただきます……!」
「…………」
高堂の返事はない。怜也は口いっぱいにおにぎりを頬張った。お互い相手を伺うような気まずいこの空白を、食事という動作で埋めたかったからだ。
高堂は今、僕のことをどう思っているんだろう。友達、なのだろうか。魔物が学校に出た記憶は何ひとつ残ってはいないし、タンバとの約束も覚えていないはず。けれどあの日から、高堂は僕を虐めなくなった。何が彼をそうさせるのだろうか。
しばらく沈黙が続いていたが、怜也は意を決して声をかけた。
「あ、あのさ……」
「……なに」
「あ、えっと。その……」
怜也はどもりながらなんとか言葉を繋ぐ。
「高堂と僕ってさ……。友達、かな?」
「は?」
一言だけの返事。やってしまった、と思った。例えイジメはなくなっていても、急に友達になる訳でもないし、高堂にとってはただのクラスメイトで、彼を助けたことも、彼に助けられたことも、何ひとつ覚えていないのだから……。
怜也が口癖のようになった「ごめん」を言いかけた時、まさかの高堂の方から返ってきた。
「ごめん」
「え……?」
「いや、その……。なんていうか……。今まで、ごめん」
「……」
「お前のこと、虐めてただろ。なんでそんな事してたのか今では理解できねえけど、あの頃はやらねえと落ち着かなかった。こんだけで赦してもらえる訳ねえよな。でも、本当に悪かったと思ってるんだ。……ごめん。ごめんなさい」
繰り返されたその言葉に、怜也は持っていたおにぎりをぽとんと机の上に落としていた。あの高堂が間違いを認め、自分に対して謝って来た。これは夢ではなかろうか。
怜也は思わず首を横に振った。
「謝らないでよ」
「……」
「もう、赦されたんだから」
その言葉は高堂にとってはなんのことだか分からなかっただろう。だが、タンバにより記憶を変えられ(それなりの罰金もあったことで)、あの時クラフトは彼を『赦した』のだと思った。
その一言で過去が消えるわけでもないし、怜也の中に蔓延る恐怖はそのままだ。だが、ここで彼を赦すことなくやり返したとしたのなら。
それは本当に自分の望んだ結果になるだろうか。一時的に不安定な心を落ち着かせる事は出来ても、心の痛みを消すことにはならない。
僕は決めたのだ。クラフトへ入った時に。
「いいよ」
怜也がそう言うと、高堂は明らかに安心したような深い息を吐いて肩を落とした。すぐに分かり合えるとは思えない。けれど、確実に変わっていける、そんな自信がどこかにあった。
それからしばらく黙ったままだったが、このままだと仲良くはなれそうにないなと思ったので話しかけてみることにした。けれど何を話そうか。
学校生活での高堂との思い出にいいものはなかったので、パラドックス襲撃時の事を思い出す。高堂は覚えていないのだから話の種になるものはないかなと思っていたが、ふと頭をよぎる言葉があった。
魔物に襲われて、第二部隊が修繕に来た時のこと。タンバが確か『彼の家は父子家庭だから』と言っていた。
高堂の両親も――離婚、してるのかな。そう思うと、急に昨日の記憶が再び鮮明に浮かんできて、激しい動悸に襲われた。
――そうだ、父さんはもう帰って来ない。
おにぎりを持ち直した手が震える。別に父さんが恋しいわけじゃない。暴力でしか解決できないような人だった。正直、顔が見たいとも思わなかった。でも、どうして急に? 父と母は、仲が悪かったのだろうか。それとも……僕が、困らせた、から……?
怜也が震えていると、高堂は思わずその場に立ち上がった。
「坂下?」
「……っ」
「ごめん、俺……。お前を泣かしたかった訳じゃ……!」
「違うんだ……。高堂の、せいじゃない……」
そう言って答えるが、高堂の顔を見ると急に涙が込み上げてきた。泣きたい訳でもないのに、心の置き場所が分からなくて不安だった。
そうか。こんなグラグラした心で、高堂は必死に生きようとしていたんだ。
突然泣き出した僕を見て、高堂はどうするだろう。困るだろうな。それともめんどくさそうに距離をあけるだろうか……。
だが思いのほか、高堂は普通のトーンで返事をした。
「だよな、そんだけ怖がらせることして来たもんな。こんなんで赦して貰えるとか思ってねえし……。でも、本当に、ごめん……」
怜也はハッとする。この涙を高堂は自分のせいだと思っている。違う。この涙は君をさらに追い詰めようとしたものではないんだ。
怜也はなんとか言葉を繋いだ。
「い、いや……。違うん、だよ……。昨日、母さんと父さんが……。離婚……」
そこまで何とか言葉を紡ぐと、高堂は間髪入れず続けた。
「へえ、じゃあ俺んちと一緒」
「え……?」
高堂は改めて座り直すと、怜也の方を向き直った。
「離婚の原因何?」
「それが……。分からなくて……」
「じゃあ夫婦間の問題ってこと? 浮気じゃね」
「そ、そんな!」
「俺んちはそう」
「……」
高堂はそのことに重きを置いていないように、淡々と話し出した。
「俺の親父仕事人間でさ、ほとんど家に帰ってこなかったんだよね。その間に母さんは他に男作って遊んでたらしい。話すことは決まって出来のいい兄貴の自慢でさ。兄貴にはいい大学に行かせたいからって、町工場で働く親父捨てて、兄貴だけ連れて違う男のとこ行った。小さい頃の俺はさ、そんな母親に思えなくてさ。毎日おしゃれして、お母さんいつもきれいだねって言われるのが嬉しかったし、それが自慢だった。でも俺が大きくなるにつれて、だんだんと相手にされなくなって。それでも俺の親だし、愛してくれてるんだと思ってた。でも、ある日突然『アンタはいらない』って言って、俺と親父残して家を出て行った。あんときの冷たい母さんの顔、初めて見たな……。親父は昔から、ああいう人だったって言ってた。実の子どもでもさ、親の知らない顔ってのはあるんだよ」
怜也はその話を黙って聞いていた。
僕は知らない。ダンテさんや、第五部隊のメンバーのことだけじゃない。高堂のことも、何も知らなかった。実の両親のことだって。本当の顔を、何も知らない。
「あとお前さ……俺になんか、隠してない?」
「え……?」
高堂の言葉によって一瞬で現実世界に引き戻された。頬を伝っていた涙は一目散に引っ込んだ。
――そうだ。高堂にとって、僕が『リミット』であることは、『知らない顔』なんだ。
「ぼ、僕……」
言葉を返そうと口を開いた時、ピピピとその場にそぐわない電子音が鳴り響く。
「わああああっ⁉︎」
怜也は思わず音を抑えるように片耳を塞ぎながら、辺りを見渡した。そんな様子を見ていた高堂の頭の上には、これ以上ない疑問符が浮かんでいる。そうだった。この音が聞こえるのは自分だけなのだった。けれど、ここで通信を受けるわけにはいかない。ここから離れなくては。
「ぼ、僕! トイレっ!」
怜也は半分逃げるようにして教室を出て行こうとした。すると高堂に呼び止められる。
「おい坂下!」
「っ!」
「……抑えるとこ間違ってんぞ」
「えへへ」
怜也は塞いでいた耳から手を離すと、見るからに怪しい作り笑いをして教室から駆け出した。
◆
「よし、間に合った……」
怜也はトイレに駆け込むと、中に誰もいないことを確認して個室へ入り込んだ。そして通信を受ける。
「は、はい! こちら万寿です!」
《あ、まんじゅうちゃん?こちら、第三部隊イッチ!》
「なにかありました?」
怜也は個室の隙間から、人影が見えないか覗き込みながら話を聞く。
《うん! 出動準備!》
「はあ、出動……。出動⁉︎」
思わず大声を上げる怜也。
「そ、それってつまり……⁉︎」
《パラドックス出現確認だよ! 現在人質を取り建物内に立てこもり中! すぐに現場へ向かってパラドックスと対峙せよ!》
「な、なんだって⁉︎ 人質ー⁉︎」
怜也は突然異様な吐き気に襲われたように顔を真っ青にしている。
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕一人じゃ……!」
《もちろん他のメンバーにも連絡してるから! とりあえず、まんじゅうちゃんは先に現場へ向かって情報収集をお願い! きっと皆すぐ来てくれるから!》
「早めにって伝えてくださいね……?」
《通信に答えてくれたらだけどね!》
「え?」
《じゃ、まんじゅうちゃん! 飛んでもらいまーす!》
「ちょ、ちょっと待って⁉︎ 皆にはまだ届いてない⁉︎ ストップ! ストップ! 僕なんかじゃあ力不足だって――うわああああ!」
トイレの中にこだまする怜也の叫び声。それと同時にトイレに入ってくる人影があった。先客を失ったトイレの個室は、ぽっかりとあいた空間だけ残し扉を閉め切ったままだ。その扉をコンコン、とノックする男。もちろんのこと、返事はない。
「……」
男はじっとその扉を見つめている。
「消えた……また……」
高堂はくるりと踵を返し、トイレから出て行ったのだった。
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