Episode.32 知らない顔Ⅱ
怜也は翌日もダンテに勉強を教えてもらっていた。補習までの間に随分と予習出来たような気がする。きっと僕一人だと途中で放り出していただろう、と怜也は教科書を読んでいるダンテの横顔を盗み見ながら思った。誰かと一緒に何かをする、ということが大切なのかもしれない。今まで怜也には経験のない事だった。
そしてついにこの勉強会も今日で最後だ。少し寂しいような、安心したような、そんな気分だった。
「じゃあ、ここの公式は覚えとけよ。暗記ばっかりは俺がどうこう言っても、お前が覚えてないと意味ねーからな」
「分りました」
「じゃあ、ちょっと休憩すっか」
ダンテはそう言うと、冷蔵庫からジュースを二本取り出した。怜也が慌てて立ち上がると、片手で追い払うような仕草をする。
「いーって、いーって。座って公式とでもにらめっこしてろ」
怜也は大人しく椅子に座り直した。するとペットボトルのジュースが目の前に置かれる。
「ありがとうございます」
「気にすんな」
怜也はお礼を言いながらそれを受け取った。
ダンテはカフェラテの蓋を開けると、豪快に口に含む。まるでワインを味わっているかの如くしばらく堪能したのち、片手で顔を覆い隠した。
「んー、こりゃ失敗だな。甘くねえ」
怜也はオレンジジュースを飲みながら、素直な感想を述べる。
「ダンテさんってコーヒー飲むんですね」
「どういう意味だよ。味蕾がガキみてえって言いたい訳?」
「べ、別にそういう意味ではっ!」
「カッカッカッ!」
怜也が急いで付け足すと、ダンテは揶揄っているかのように笑った。そして片手に持ったペットボトルをクルクル回す。
「普段は飲まねえよ。新作が出てたら気になっちまうんだよな。あいつ好きかなーって」
「あいつ?」
もしかして……。
「か、彼女さん……ですか」
そう言うと、ダンテは口に含んだばかりのコーヒーを盛大に噴出した。見事に机の上のノートに直撃だ。
「ぎゃああ! 僕のノートがああ!」
「変なこと言うな気持ち悪りいな! ジョニィとはそんな関係じゃねーよ!」
「え、ジョニィさん?」
なんだ。もしかしたら、この前言っていた『クルミちゃん』って人のことかと思ったのに。
「ジョニィさん、コーヒー好きなんですか?」
「あいつこそあんな態度とってても、口はおこちゃまだからな。苦いコーヒーは飲めねーの。でも、何に固執してんだか、コーヒーが飲みたいつーから、こうやって甘いカフェラテ探してやってんのよ」
「優しいんですね」
「いつだって優しいだろ、俺は」
「優しいです」
なんだか素敵だと思った。普段の生活でも、これが好きかな、とか相手のことを思いやることが出来るなんて。僕は親しい友達がいないから、普段何気なく誰かのために何かしてあげようと思い立ったことは、ここ最近ほとんどない。毎日自分のことばかりだったような気がする。もっと、メンバーのことが知りたくなった。
「あの、ダンテさん……。その、もし答えにくかったらいいんですけど……」
「あ? どした?」
「……普段のこと……。その、クラフトにいない間の、普段のダンテさんの生活って聞いてもいいですか?」
「俺の?」
「その……。皆さん、お互いのことよく知られてるみたいだし。僕、まだここに来てちょっとしか経ってないから仕方ないんだろうけど、僕だけ、何も知らないなって思っちゃって……」
「……くだんねー」
ダンテの一言で突然拒絶された気持ちになって、ぎゅっとペットボトルを握りしめる。ぺこ、と少し凹む音がした。
「んなことでしょげてんじゃねーよ。普通聞けばいいだろ」
「え? で、でも……、お互いの正体がばれたりしないように、諸事情にあまり突っ込まない方がいいのかな、とか。その、言いにくい事とかあるかもしれないし……」
「まあ、そういう奴もいるかもな。別に俺は気にしてねえけど」
「じゃあ……」
怜也が顔を上げると、ダンテはカフェラテを全て飲み終えて空をゴミ箱に放り投げた。ペットボトルはゴミ箱にはじかれてそのまま地面に転がっているが、拾いに行く気配はなさそうだ。
「俺はお前ん家よりだいぶ西で暮らしてる。普段は家でゲームすることが多いな。他に用事はねーし。学生時代の友達はほとんど刑務所……」
「えっ⁉︎」
「いや――。か、海外で生活してる」
いや、いま刑務所って言ったやん。友達層怖っ……。
「家はアパートの一室。別に狭くも広くもねーよ」
「一人暮らしですか?」
「……」
その質問には、なぜかすぐに答えてくれなかった。怜也は不思議がりながら続ける。
「その、ご両親とか」
「ああ、そっちね?親父もおふくろも、元気だよ。実家からはちょっと離れてるからたまにしか帰ってねーけど」
「仲良いんですね」
「ま、今までも迷惑かけてきてっからな。成人してまで面倒見てもらえねーって」
そう言って笑うダンテ。自由奔放で好きなことしかやってなくて、身なりもだらしない人だけど。家族思いで優しくて、ちゃんと生活してるんだなって分かると、ちょっと羨ましかった。
「いいなあ、家族仲良しで」
「何? お前んち、厳しいの?」
「うん……。厳しいっていうか……。僕のこと、信用してくれてないって感じ。口答えするとぶたれるし」
「俺も親父と喧嘩した時、バットで殴られておでこ縫ったぜ」
だから喧嘩のレベルが違うんだって……。
「でもさ、今はまだ中坊だからすぐには無理かも知んねーけどさ。そうだな…義務教育卒業したら、家出ればいいんじゃねえ?」
「え?」
「申請すりゃクラフトで得た金はちゃんと所得として認められるし、その金で高校行きたかったら行けよ。まあ、さすがに高けえところは難しいかもしれねえけどさ。別に、その親と生きていくことだけがお前のすべてじゃねーだろ」
――考えたこともなかった。家を出て、自分で生活をする。親の言いなりになって、親の顔色を窺って、毎日殴られないように生活をする。それが当たり前だと思っていたけど。そっか。そこからも逃げて良いんだ。
「僕、一人暮らし……。してみようかな」
「おーおー! いいねえ、学生は夢があって!」
ダンテさんは、僕の知らない世界を一杯知っている。誰かの言いなりじゃない、自分をしっかりと持っていて、僕に新しい道を教えてくれる。僕もいつか、こんなふうに、自信をもって生きていけるのかな。
「僕もなれますかね」
「何に?」
「えっと、その……。ダンテさんみたいに」
「……」
照れながら告げた一言。いつものように笑いながら適当な返事をしてくれると思ったのに、ダンテはやけに神妙な面持ちで答えた。
「ならねえ方がいいよ、俺みてーなやつ」
「え……」
「お前はお前だろ。それでいいんだよ」
ダンテはそう言うと、何事もなかったかのように教科書を持ち上げる。
「じゃ、気を取り直して次の問題やるぞー! ……って! 字読めねえじゃねえかよ!」
そしてカフェラテだらけになった本をはたきながら、大声をあげるのだった。
知らない。さっきのダンテさんの顔を。何かに悲観して、視線を落とした表情を。僕はダンテさんのことをまだ、何も知らない。
◆
その日家に帰ると、珍しく母がキッチンに立っていた。机には怜也の分も用意してあったので、大人しく席に着いた。そして数日ぶりに、リビングで母と一緒に食事をとった。母とは今学期最悪の成績表を持って帰って来た日から、またしても口をきいていない。
「あ、あのさ……母さん。あ、明日さ、補習があって、べ、弁当……」
母はそれを聞くと、さっと立ち上がって自分のお皿を下げ、その代わりに千円札を机に置いた。まだ随分と怒っているようだ。これ以上立ち入らない方がいい。そう思ってさっとその千円を持って部屋に戻ろうとすると、怜也の背中に母の声が届いた。
「お父さん、もう帰って来ないから」
「……え?」
怜也が振り返ると母は怜也を追い越して、リビングから逃げるように出て行った。
父さんが、何? 帰って来ないって……、どういうこと?
怜也は頭の整理がつかないまま、その場に立ち尽くしていた。ふと気が付くと、その机の上には普段見かけたない茶封筒が置かれていて、名を見ると母宛てだった。母がいないか確認しつつ、恐る恐る中を確認する。中には父の筆跡の離婚届が入っていた。
「離婚……?」
理由も何もかも、分からない。怜也の頭の中から、今日覚えた公式が全て、吹き飛んで行ったような気がした。
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