Episode.30 意味
怜也は保健室を後にすると、そのまま家には直行しなかった。あまり利用する人が少ない一階の端にあるトイレへ入ると、中に誰もいないことを確認し扉に身体を預ける。そして耳の機械を二度タップした。
《こちら、第三部隊・管理組織》
「あ、あの。第五部隊の怜也……じゃなかった。お、おまんじゅう、です」
《はい。どうなさいました?》
「え、えっと……。ワープ、したいんですけど」
《了解致しました。今おまんじゅうさん周囲に視線を感知するものはありませんでした。開始します》
怜也はぎゅっと目を閉じる。そして次の瞬間には、そのトイレから忽然と姿を消していた。
◆
ゆっくりと目を開く。そこは見慣れた第三部隊の管理室。室内が慌ただしくなることはなく、そこにいるクラフトメンバーは黙々と仕事を続けている。つまりは万寿が時を止めなかったということだ。
「やった……。やったー!」
訓練の成果あり! と両手を上げて喜んでいると、それはそれで注目を浴びて、室内の空気を一変させることになってしまったのだが。
「あ、すみません……」
万寿は恥ずかしそうに首を縮めた。くすくすと笑い声が聞こえてくる。万寿はいてもたってもいられず、逃げるようにその部屋を後にした。
万寿が行きたかったところ。それはタンバのところだった。パラドックスの能力をなくし記憶を操作するあの手術に携わっていたタンバなら、今万寿が感じているこの不安定な気持ちを正してくれると思ったのだ。
万寿が第二部隊、保証組織へと向かうためエレベーターのボタンを押すと、開いた扉の先にはタンバが立っていた。
「おや。いらしていたんですね、坂下怜也くん。おっと、今はおまんじゅう君、でしたね」
「タンバさん」
「訓練ですか? あなたも随分と真面目なお方だ」
「あ、いえ……。今日はちょっと違う用事で」
タンバはエレベーターの扉の開けるボタンを押したまま待ってくれている。どうやら降りる様子はない。万寿は慌てて乗り込んだ。そして扉が閉まるのを待つ。
「どちらに向かわれますか?」
「あ、あの……。僕! 実はタンバさんに用事があって!」
「そうですか」
タンバはそう言うとⅤのボタンを押した。
「だろうと思いました」
エレベーター内で特に会話のないまま、二人は第五部隊の部屋のある階に着いた。無言のままエレベーターから降りると、タンバが第五部隊の扉を開ける。その部屋には誰もいなかった。奥にあるるい太御用達の研究室にも人気はなかった。どうやら今日は誰も来ていないらしい。タンバは部屋の中にあるポットのスイッチを入れると、カップを二つ出した。
「何がいいですか?」
「あ! お、お構いなく!」
「構われるのは私の方ですが。ま、気にしませんが」
「あ、すみません! 僕がやります!」
万寿は慌ててタンバに駆け寄った。ここに来てまだ数日と言えど、ここは戦闘組織の部屋なのだ。自分が招かずにどうするというのだ。万寿はカップに着けるドリップコーヒーの袋を開けてセットしていると、思い出したように振り返る。
「タンバさん! コーヒー飲めますか⁉︎」
慌ただしいその光景に、タンバは小さく微笑む。そしてそのままソファへ腰掛けると足を組んだ。
「では紅茶で」
「すみませんでした!」
万寿は慌ててもう一つカップを取り出した。
◆
「お待たせしました」
万寿はカップにひたひたに注がれた紅茶とコーヒーを持ってきた。スティックミルクと砂糖を差し出すが、それは片手で軽く押し返される。
「結構」
彼は一言だけ言うと、そのまま紅茶を口に含んだ。万寿はその様子をひやひやしながら見つめつつ、自分のコーヒーに二本ずつミルクと砂糖を注ぎ込む。タンバはそれを視界の端に捉えながら、少しでも場を和ませようと声をかけた。
「苦いのは苦手ですか?」
「あ、そのままはちょっと……。コーヒー牛乳なら」
「では今度からそこの冷蔵庫に牛乳でも追加しておくといいですよ。あの中身、ほとんどはアイツのものでしょうから」
「アイツ……?」
タンバがそんな言い方をするのは珍しい。だが自然と一人浮かぶ顔。
「ダンテさんのことですか?」
「まあ、正解だとお答えしておきます」
「仲悪いんですか?」
「アナタ、そういうところはずかずか聞いてきますよね」
「すみません」
タンバは紅茶をもう一口飲むと、カップを机に置いた。
「さて、話しは彼のことではないのでしょう?」
「あ、はい。えっと……」
ダンテのことはさらっと流されてしまったが、仕方がない。素直に保健室の先生の話をすることにした。
「あの、以前記憶を消したパラドックスの話なんですが」
「さて、どのパラドックスでしょう。過去に記憶を消したパラドックスはまあまあ数がいますからね」
「ぼ、僕の学校で……。ここに連れてきた女の先生です」
「……ああ、確かそんな方もいらっしゃいましたね。彼女が何か?」
「あの……」
聞きたいことはあるはずなのに、なぜかうまく言葉にできない。なんて聞けばいいのだろうか。
「あの……。その……」
万寿がどもっている間、タンバは急かすでもなく助け船を与えるでもなく、ただじっと万寿の言葉を待っていた。万寿はうまく説明できないので、もうそのまま言うことにした。
「なんて言えばいいのか分からないんですけど……。僕今日、その人に会ってきて、それで……」
「……」
「ぼ、僕! リミットの能力を消しちゃうだなんて、あんまりだって思っていて! 確かに彼女がしたことってひどい事だと思います! 人殺しだし、リミットの能力を奪うことがクラフトの償いだというのならそれに従います! 能力を奪った彼女はすごく幸せそうで! でも能力のなくなった時の自分は、はたして本当の自分自身と言えるのかどうかとか! なんていうか! 僕は……!」
不安定な気持ちを表現するため、何とか言葉をつなげ合わせて説明する。タンバは長々と語る怜也の言葉を聞きながら、もう一度カップを持ち上げ紅茶をすすっていた。
「なるほど。つまり、能力を奪うことが正しい事か否か、私に問いただしたいと言うことですね」
「問いただす、とか! そんなたいそれたことじゃないんですけど……」
「いいでしょう」
タンバはもう一度カップを机に置くと、足を組みなおす。
「私は相手の能力を奪い、その記憶を改ざんすることに何の意味も見出してはいません」
「え?」
「聞こえませんでしたか? 何の意味もないと言ったのです」
タンバの返事に万寿は豆鉄砲を喰らったような顔をして固まっていた。
「意味がないって……」
「パラドックスからの脅威を少しでも減らし全人類が住みよい場所を作り上げる。それがクラフトにおける第一目標です。彼らが抱える苦しみを取り除き地上へ戻すことまでが、パラドックスを救う一連の流れであって……」
「一連の流れ……?」
思わず万寿は口をはさむ。それにタンバはちらっと眼鏡の奥から万寿を見た。
「どうやら、私に言いたいことがあるようですね」
「た、確かに……! リミットの能力を奪うことでパラドックスの数を減らすことは出来ると思います! それに関する記憶もなくなったほうが、絶対に幸せでいられる! なのに! なのになんで僕はこんなにも納得できないんでしょうか⁉︎ リミットでなくなったリミットは、一体なんになるんです⁉︎」
「ただの人間ですよ」
「……っ」
タンバは淡々と答える。
「坂下怜也くん。君は私が相手の能力を奪い記憶を改ざんしたことを多少たりとも後悔や懺悔の念を持っていればいいと思っていましたね? なぜなら一人の人間の人生を大きく変えてしまったのだから、と。ならば問いましょう。その保健医は、はたして不幸になったでしょうか」
「――っ」
タンバは立ち上がるとその場で動けないままの万寿を残して入口へと向かう。そして扉に手をかざす前に、最後に万寿へ呼びかけた。
「君はリミットになることで虐めから脱することが出来た。ですが、世の中にはリミットが原因で虐められている人もいますし、リミットになっても虐めが続くことだってあります。世間から認められない存在になり、それでも周りの人間誰もが彼女を救ってくれなかったとしたら――。きっと、こう思うでしょう。『人間を殺して自分も死ぬ』と。そこで一本の蜘蛛の糸を降ろした神はこう告げる。『リミットの能力をなくし、過去リミットの能力によって翻弄された人生を全てなかったことにしてやろう』と。さて、君ならどうします?」
「……」
「わらをもつかむ思いで、すがりついてくる。だから私は後悔などない。ましてや感謝される必要もない。ただ、ひどい地獄の様な夢を、本当の夢にするだけ。そこに、意味などない」
タンバはそう言うと部屋から出て行った。
万寿はしばらく、その場に座ったまま動けなかった。頭の中で今の話を何度も、何度も繰り返す。そうしているうちに、一体自分は何でここに来たんだっけと思い、冷めきったコーヒーを飲み込んで明日の小テストについて思いをはせるのだった。
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