Episode.28 普通の人間
訓練の翌日。万寿、もとい、怜也は朝自分の部屋で制服に着替えていた。学校の事件後、初めての登校だ。結局母親とは仲直りできてはいないが、行くと言えば多少は気分よく送り出してくれるだろう。
怜也は学校へ行く荷物をまとめてリビングへと降りる。すると、そこにはきちんと朝食が用意されており、母親もなぜか機嫌が良さそうだった。
「あ、あの」
「あら、おはよう。学校行くんでしょ?」
「うん」
怜也はおどおどしながら椅子に着くと、母親の作ってくれた料理を口へ運ぶ。特別洒落た朝食でもない。焼いたパンに目玉焼きが乗っている、どこか既視感のある朝食。珍しく今日は牛乳もついている。よほど母親は機嫌がいいらしい。
「ねえ、あの先輩、どこの高校の子?」
「先輩?」
「ほら、この前迎えに来たじゃない。一緒に勉強するって」
「あ、え? えっと……う、うん。と、友達……」
怜也は中学生ぶった服装で自分を迎えに来たるい太のことを思い出す。だが確か彼は「中学生に見える?」と言っていたはずなので、高校生だとは伝えていないはずだ。なのになぜ母は高校と?
「クラスメイトだよ」
「あら。でも『この前まで中学生だったから』みたいな事話してなかった?」
盗み聞きか……! 怜也はのどへ詰まりそうになったパンを牛乳で流し込む。
「え⁉︎ そ、それは! その……!」
「まさか……学校辞めた子、とかじゃないわよね」
「え?」
「学校辞めて危ない遊びしてる子につるんでるとかじゃないわよね?」
母親の顔色が一変した。怜也は残っていた食パンの欠片をお皿に落す。
「そ、そんな訳ないじゃん」
「じゃあ誰なのよ、あの子」
「そ、それは……」
「なんで言えないの? 何歳なの? どこで知り合った子なの? ちゃんと学校に行ってる子?」
「行ってるよ!」
怜也は久しぶりに母親の前で大きな声を上げた。母親は突然の罵声に似た声へ怒鳴り返す。
「私はねえ! アナタのこと心配して……!」
「心配何てしなくていいよ! あの人はすっごい良い人だよ! どこの高校行ってるとかも知らないけど! 母さんよりも僕のこと分かってくれてるんだから!」
「なんてこと――っ」
怜也はその場から逃げ出すように家を出た。母親は呼び止めなかった。止められなかったのかもしれない。
家を出た怜也は怒りがこみあげてきていたが、それもだんだんと罪悪感へと代わっていく。
ひどいこと言っちゃった。でも、本当のことだし……。僕のこと大事にしてるとか、本当かな。散々文句言ってたくせに。……大事にしてくれてたから文句も出て来るのかな。でも頭ごなしに決めつけなくてもいいじゃん。るい太さんが来た時、そんな悪い印象何てなかったはずなのに、なんで悪い人だって決めつけようとするんだろう。るい太さんは僕の思ったこと、すぐに理解してくれて、ちゃんと認めてくれるのに……。
「うざいよ」
怜也はその日、人生で初めて親に口答えをした。
◆
学校に着いた怜也はすっかり自分がいじめの対象になっていることを忘れていた。というかあの事件以降、一体どのようにみんなの記憶が改ざんされているのかも理解していなかった。
あの日は確か放課後、高堂に絡まれて。殴られた後に魔物が来たんだよな? あれ? 殴られたっけ? その後のことの方が印象強すぎて、高堂に何されたかも覚えてない。でももし、あの記憶が全部なくなっているのだとしたら、普通の放課後が普通に終わっただけ。ってことは――。
怜也は見事に自分がいじめられっこであることを思い出した。
「うわ。行きたくない……」
最近現実離れしたことがありすぎて、さらには仲間に恵まれすぎて、学校のことなんてすっかり忘れていた。そう、学校であったことを忘れられるほどに、自分が別の人格になっていたような気がしていたのだ。だがそれは、誰も知らない。
実際にリミットの能力を使って見せても何の証明も出来ないし、るい太の言う通りこの能力を誰かを卑下するために使ってはいけない。
今ある自分の能力は、この学校にいる生徒にとって無価値同然なのだ。つまりは、ただの人間。普通の人間。
……普通? 普通って、何だっけ?
怜也はごちゃごちゃ考えがまとまらないまま、教室の扉を開けた。するとそこには、割と早朝だというのに高堂が席に座っていた。そして怜也の方を見ると、軽く手を挙げた。
「おはよ、坂下。今日早えーじゃん」
「……え?」
怜也がぽかんと口を開ける。高堂から声をかけて来ることはよくあることだ。だが明るく笑いかけられたことはないし、それに、名前……。多少気味が悪くなり、怜也は何も答えられず自分の席に向かう。すると高堂は椅子を揺らしながら悪態をついていた。
「んだよ、ノリ悪りーな」
なんだ、ただ茶化しただけか。結局何も変わってなかった。そう思って、怜也は机に顔を押し当てて寝たふりを決め込んでいた。
◆
「でさー、まじそれで両手上げて喜んでんの。軽くね?」
「まじかよ、お前なん股する気?」
「え? 今五股」
「やば」
高堂のグループがわいわい騒ぎながら教室を出ていく。どうやら次は移動教室だ。だが怜也は昨日の訓練もあってか、残念ながら深い眠りに落ちて起きそうにない。普段ならここで誰も怜也のことは起こさずに教室を去るのだが、その日は違った。教室を出ていく最中、高堂がわざわざ遠回りをして怜也の席へと近づいていた。
お、出ました、また高堂によるおまんじゅういじり!
そんな掛け声が飛び交いそうな程に注目を集めながら、高堂は怜也の頭に触れた。そしてぶっきらぼうに左右へ揺らす。多少の不快感に怜也が振り払うように顔を上げると、高堂は怒るでもなく淡々と告げた。
「置いていかれんぞ」
それだけ言い残し、彼は足取り軽く仲間の元へと戻っていく。他の取り巻きは怜也に冷ややかな笑みを浮かべながら、崇拝するいじめっ子を迎え入れた。
「なんだよ、高堂。優しいじゃん」
「いつもだろ」
声高らかに笑う高堂グループ。だがその中の高堂は笑っていなかった。
……なんか、変……。
怜也は椅子に座ったまま口元へ手を当て考え込む素振りを見せたが、始業のチャイムの音に大急ぎで教室を飛び出して行ったのだった。
◆
そして放課後。いつもの怜也であれば帰宅をするだけなのだが、今日は別に目的を持っていた。
保健室の先生へ会いに行くこと。パラドックスだった彼女は、リミットの能力と記憶をなくし地上へ戻ってきたはずだ。リミットでなくなったパラドックスがクラフトによる裁きを受けた後、どのような生活を送るのかをこの目で確認しておきたかった。
「なあ、今日帰りどうする?」
「いつもの定食屋行く? それともファミレス?」
「あー。ゲーセンの気分」
「いいねえ!」
高堂グループが盛り上がっている。怜也が絡まれる前に教室から出て行こうとすると、冗談交じりの声が聞こえてくる。
「まんじゅうも誘う?」
絡まれると面倒だ。早くここは教室から逃げなければ。怜也が足早に扉へ向かっていると、案の定高堂の取り巻きが声をかけてきた。
「どこ行くんだよ、まんじゅう」
「――っ!」
「そんな急いでも、お前に用事がある奴なんていねーって」
「今日ゲーセン行くんだけどさー。まんじゅうも行かね? てか財布持ってきたー?」
半笑いで告げられる言葉から逃げるように歩いていると、今度は強めの言葉が飛んできた。
「おい」
立ち止まってはいけないと思ったが、反射的に足が止まってしまった。高堂の一声だ。何を言われるのだろうと思っていると、高堂は少し間をおいて静かに問いかけてきた。
「今日用事あんの?」
怜也はゆっくりと高堂を振り返ると、小刻みに頷く。すると高堂はぎこちない笑顔を作る。
「珍し。お前にも用事あんだ」
「……っ」
「ま、気を付けて帰れよ」
怜也は再び頷くと、早歩きで教室から出て行った。高堂グループはその様子を見て再び馬鹿にする笑い声をあげる。
「どうする? 後追う?」
「用事とか言ってある訳ないじゃん。俺らから逃げてえだけだって」
「せっかく誘ってやったのにな?」
すると高堂は携帯をつつきながら言った。
「用事あんだからほっとけよ」
「え?」
仲間同士顔を見合わせる。だが高堂がこちらを見ていることに気が付くと、慌てた様子でヘラヘラしながら言葉を濁した。
「ま、そうだよなー」
高堂はそれ以上何も言わなかった。その会話を廊下で聞いていた怜也。
――気が付いた。僕も。高堂の友達も。高堂が、変だと言うことに。
あの日、タンバは言った。いじめはもうしないように、と。それと何か関係があるのだろうか。高堂はあの日のことを何も覚えてはいない。だが、失われたはずの記憶のどこかで、彼は変わろうとしている。そんな感じがした。
もしかしたら、仲良くなれるかも……なんて。
その感情は怜也を浮足立たせていた。ついさっきまで、能力者であることが日常生活に何の支障も与えないと沈んでいたのが嘘みたいだ。
何の支障も与えない?僕は能力者。僕は僕をいじめていた彼を救った。そして、彼は変わろうとしている。
「やっぱ、リミットっていいじゃん」
怜也は保健室へと駆け出していた。
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