Episode.16 初任務Ⅲ【いじめられた女】
怜也が自分の中に湧き出るどうにもならない感情を押し殺していると、後ろから爆発音が聞こえた。咄嗟に振り返る。そこには今まで見てきた中で一番大きい図体をした魔物が、ずるずるとこちらに向かってきていた。
「う、うわあああ!!!!」
高堂はパニックになって、怜也に縋りつく。
「な、なんとかしろよ!!なあ!!!」
「わ、分かってるよ!!」
だが自分が出来るのは数秒間時を止めることだけ。それで一体何が出来る?迷っている間にも魔物はどんどんこちらに迫ってくる。いつ時間を止める?時間を止めてどうする?逃げる?どこへ?前も後ろもふさがれている。戦う?どうやって?自分は何も出来ないのに。
「なあ!!まんじゅう!!!」
「分かってるって!!!!」
魔物との距離は約3メートル。もう目の前に奴がいる。高堂は腰を抜かしてしまったのか、立ち上がって逃げることも出来ず、ただ言葉にならない声で叫んでいるだけだ。怜也も正直ちゃんと動ける気がしなかった。こんな状態で逃げるなんて不可能だ。じゃあどうすればいい。どうすれば、役に立てるんだ。どうすれば。
一度視線を逸らして再び魔物に向き合うと、相手の口がすぐ目の前にあった。死ぬ。そう思った瞬間、怜也は時を止めていた。大口を開けた魔物が固まっている。自分の隣では泣きべそをかいた高堂がうずくまっていた。このままだと二人ともやられる。時間がない。時間が――。
怜也は咄嗟に高堂を突き飛ばした。距離が出来た。これで助かる。これで――
時が動き出す。高堂を見つめていた怜也の視界が暗闇に代わった。食われたんだ。不思議と怖くはなかった。死ぬってこんな感じなんだ。でもよかった。そう思った。
正直、ざまあみろって思わなかったかと問われると、素直に否定は出来ない。今までさんざん人をあざ笑ってきた報いだ。このまま見放しても、誰も文句は言わないだろう。助けたところでいじめがなくなるとは限らないし、それに彼がいなくなれば虐めはなくなるとさえ思った。
でも、助けた。どうしてだろう。殺したいほどに憎かった相手を助けて。分からない。だけど至極安心した。死ぬのは僕を虐めたいじめっ子じゃない。虐められていたこの僕だ。人生割に合わないことばっかりだ。けれどちゃんと、僕は人間を全うしたかな。誰かのためになれたのならそれで―――
長々と最期の言葉を綴っていた怜也の全身が、風に煽られる。暗闇で目を開けば、真っ黒だった視界は鮮明になっていた。目の前で高堂が床にへばりつきながら、こちらに手を伸ばしてきているのが見える。未だ立ち上がることも出来ないのに、必死になって…。
「高堂…」
怜也はその手を高堂に伸ばした。届いた。手を握られ、魔物の肉体の一部なのか、ぬめっとした液体から怜也の身体は引きずり出された。
「あ、ありがとう…」
怜也はなんだか急に気恥しくなって頬を染めながらお礼を言うと、高堂は思わずその小さな体を抱き寄せた。
「勝手に死ぬなよ!馬鹿野郎!」
その言葉に怜也は思わず笑ってしまった。殺そうとしてきた張本人が何を言っているんだと。
そんな二人の横を、何者かが歩いていく。怜也を助けたのはこの人物だろうか。つるつるの廊下に不釣り合いな下駄の音を鳴らしながら颯爽と歩くその姿を、二人は思わず見上げていた。
「仲がよろしいことで何より」
妙に色っぽい男の声。それは二人の前に立つ黒髪の男性から発せられたものだった。後ろで緩く結ばれた一つくくりの髪型には見覚えがあったが、クラフトのリーダーとは少し雰囲気が違う。その背中には真っ黒な羽根が生えており、和服を身にまとうそれはどちらかと言えば妖怪の類に近かった。男が振り返った。その顔には鼻の高い黒い仮面が付けられている。
「…誰…?」
怜也が呟くように言うと、男はケタケタ笑った後下駄を鳴らしながら駆け寄って来た。
「あーれ、僕のこと忘れちゃったのー?」
随分と軽々しい声が響く。
「え?」
「ほーら、僕だよ。やだなあ、顔見せないと思い出せないの?」
男はしゃがむと仮面をそっと外す。そこには黄色い瞳をした美しい顔があったが、まったくと言って見覚えはなかった。
「えっと…どちら様ですか?」
未だその男の正体がつかめずにいると、その答えはるい太の怒鳴り声で明かされる。
「ジョニィ!遊んでないで加勢しろ!」
……ジョニィ。正解は、ジョニィ。
「じょ、ジョニィさん!?」
「えー。せっかく今万寿と楽しい時間を過ごしてたってのに。なあ?」
怜也は信じられない!と顔を大きく振るわせた。なぜならジョニィは女だったはずだ!それにもっと無口で不愛想で可愛げがなくて!
(これが、ジョニィさん!?あの、ジョニィさん…!?)
ジョニィは仮面を元に戻してしぶしぶ立ち上がると、どこからか拳銃を取り出した。口角を上げいやらしく笑うと歩きだし、襲い掛かってくる魔物を迷いなく打ち抜いていく。傷だらけのるい太が駆け戻ってくるのを確認すると、ジョニィはその手を止めた。
「あれ、るい太くん。どーしたの。生傷が絶えませんねえ」
「てめーがちんたらしてるからだろ!」
あからさまに口が悪くなっているるい太。どうやら能力を解放すると、性格が変わる人もいるらしい。
「じゃあ、後は任されるよ。ご苦労様」
そう言うと、ジョニィは空へと舞い上がった。体を回転させながら押し迫る魔物を次から次に打ち抜いて行く。バンバンと拳銃と魔物の破裂音がこだました。るい太は怜也と高堂のところまで来ると、静かに声をかける。
「しっかり見ろ。あれが戦闘組織、最強と言われる所以だ」
怜也は既にそこから目が離せなくなっていた。舞い踊るかのような身のこなし。確実に相手を打ち抜く正確性。可憐さ、美しさ、的確な判断力、余裕のある笑み。彼女の動きには一つとして無駄がない。
「ハーイ、お終い」
ズドンと最後の引き金を引くと、魔物は全部真っ赤な液体に姿を変えて消えて行った。
「こんだけか?随分と弱っちい相手だな。能力解除申請も出す必要ないんじゃないの」
「ジョニィ!」
るい太が叫んだ瞬間、液状化した魔物が一つになってジョニィを波のように飲み込んだ。そのままぐるぐるとジョニィにまとわりついて一つの塊になる。
「奴の本体はあの身体じゃない。あの液体だ」
「ジョニィさん…!」
怜也の声にかぶって、大きな銃声が響いた。先ほどよりもかなり大きな音だ。ジョニィを取り囲み玉状になったその内側から、何かが発砲されたのだ。塊は真っ二つに引き裂かれて再び液状化する。
「臭せえな。死臭がする」
そう言うと大きなショットガンを抱えたジョニィが姿を現した。一体どこからあんな武器を次から次に出しているのだろうか。
「液状か。じゃあ固めて潰すか」
ジョニィはるい太に来い、と指で合図を送った。るい太は素早く彼女に駆け寄る。
「持って来てるか、この間の試作品」
「まだ実践訓練では試してないけど」
「失敗してても多少動きを鈍らせることは出来るだろ」
るい太は頷くと四足歩行になった。すばやく相手の間合いに入り込み、今度は試験管に入った薬品をその体にぶっかける。その薬が触れた場所が固まった。だがすぐにまたゆっくりと動き始める。
「ダメだ!液状化の方が早い!」
「じゃあその前に――」
パリン、とまるでガラスが割れるような音がしたかと思うと、魔物は木端微塵に吹き飛んでいた。
「ぶっ壊せばいいんだろ?」
HAHA!と擬音語が付きそうな程激しく、両手に握られた拳銃を四方八方にぶっ放すジョニィ。るい太が液体を振りまいて戻ってきた頃には、廊下は赤黒い破片に埋め尽くされていた。
カツカツ、と足音が響く。しかしそれはジョニィの下駄の音ではない。何者かが階段を上ってきている音だ。それを聞くと、ジョニィは再びケタケタと笑い声をあげた。
「やっとお出ましか。逃げ隠れすんな。来いよ『パラドックス』」
ハイヒールを打ち鳴らしながら廊下に姿を現したのは、なんと保健室の先生だったのだ。
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