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36,幸運は災いのもと

お待たせしました。難産回です。







「バカ真面目にクソつまらんことやってんな」


 小指を耳の穴に突っ込んで、耳垢を穿りながら坂之上信綱は愚痴った。

 シニヤス荘は三階建だ。だが急遽エヒムが四階目を増設し、エレベーターを設置して、四階の全フロアを面接会場として整理していた。全て『奇跡』の力である『言霊』によるものだ。

 そこで現在行われている二次面接とやら。その様子は肉眼で捉えることなど能うべくもないが、常人を遥かに上回る五感を有する超人であれば、普通に会話している声を拾うなど造作もない。

 一階の女神アグラカトラの部屋で片膝を立てて寝そべり、頭を片腕で支えた姿勢でだらけている翁の愚痴に対し、ギルド長アグラカトラは苦笑いをして窘める。


「まあまあ、そう言うなよジジイ。エヒムは根っこは真面目な人間なんじゃ。アイツにこういうことやらせりゃこうなるっちゅうんは目に見えとったわ」

「ハッ。つまらんだけならともかくよ、やることまでヌルいとなりゃ儂も愚痴の一つぐらい吐きたくなるわい。折角の便利で融通の効く能力も持ち腐れだ。欲しい数を集めんやならんなら、強制的にあと十人は呼び寄せて、テキトーに洗脳でもカマしとけばいいだろが。あんな雑魚どもをたった三人集めただけで満足して、挙げ句の果てには自由意志で配下に加わるか選ばせるたぁヘソで茶が沸くってもんだ。なあ、お誾」

「さぁてねぇ」


 ボロクソに酷評する信綱に、勅使河原誾は曖昧な笑みで応じる。正座をして瞑目し、四階で行われる面接の様子を盗み聞きしながら。


「ウチはまあ、エヒムの坊やのすることは楽しくていいよ」

「あぁ? 楽しいだぁ?」


 予想外の意見に、信綱は胡乱な目を誾に向ける。アグラカトラも興味深げに老婆を見遣った。


「だってそうだろう? あのお嬢さん達は東京での一件を体験している。その上でエヒムの坊やの言うことを信じさせられてんだ。坊やが事情を説明しちまえば、嫌でも現実のことだと信じざるを得ない。……ならアンタの言う雑魚のお嬢さん達はこう思うだろうねぇ」


 ――このまま帰ったら、誰にも庇護してもらえない……ってさ。


「知らないでいるってのは楽なもんさ。けど人間ってのは知っちまったら後戻りできないだろう? 表の世界でなら頼りになる警察も自衛隊も、ウチらのシマじゃ全く以て役に立たないんだ。誰かの庇護もない状況で、またあんなことがあったら助かる保証はない。そういう脅威を知っちまったら……まあ、普通に考える頭と度胸がありゃ帰られはしないよ」

「ほぉ……目から鱗だな」

「だろう? 本人に自覚があるかは知らないがね、エヒムの坊やも残酷なことをするもんさ。裏の怖い世界を教えてやってんのに、ウチらの配下になんないなら守ってやらない……手ぶらで帰れと言うんだからね。クク……しかも自分の意思で【曼荼羅】に入るかどうかを決めさせるんだ、お嬢さん達に無理矢理従わされてるって言い訳もさせてやらない気なんだよ。なかなか面白いねぇ」


 知れば知るほどドツボにハマる。何せエヒムの配下でいられるというのが、どれほどの安心材料になるかをあの若者達は知らないのだ。

 上級天使――それも救世主の再来としての力を持つ化け物だ。こちらの世界に通じれば通じるほどに、エヒムの庇護下から離れ難くなるのは自明である。

 懇切丁寧に退路を潰し、自身に忠実な手駒を獲得する手腕は、自覚的であれ無自覚的であれ、かなり高く評価するに値するだろう。誾がそう結ぶと、なるほどなぁ、と信綱も納得した。

 アグラカトラは言われるまでもなく同じ見解を持っていたのか、誾と信綱に向けて問いを投げる。


「オマエらはあの三人の中で、強いて言えば誰が一番有望じゃ思う?」


 五郎丸という青年、景という女、栗落花という少女。

 女神の問い掛けに信綱と誾は顔を見合わせた。


「あぁ……? あー……お誾はどう思うよ」

「そうさねぇ。ウチからして見れば、あの栗落花とかいう小娘は論外(・・)だね」

「その心は?」

「ふん。自暴自棄になっちまってるなまっちょろい小娘なんざ、ちょっと現実にぶち当たっただけで折れちまうよ。それならまだ平和ボケしている小娘の方がマシなんじゃないかい」

「あの景ってガキか。お前の嫌いそうな、平和で人の好さそうなガキだな」

「はン。そういうアンタはどうなんだい?」

「儂は五郎丸ってのだな。ダチの為にここまで来た行動力を気に入った。どいつもこいつも才能なんざ欠片もねぇ、平々凡々な雑魚どもだがな、同じ雑魚ならあのガキが一番マシだろ」

「……真面目に答えるんじゃないよ。ウチがバカみたいじゃないか」

「ヒッヒッヒ。お前が好みで答えるんなら栗落花ってガキなんだろ? 知っとるわ、お誾が好きなイジメ甲斐のありそうなガキじゃねぇのよ」


 誾は小さく舌打ちして顔をそむけた。

 放っておけば延々とお喋りに興じそうだったからか、アグラカトラは手を叩きながら口を挟む。


「はいはい二人だけでお喋りしてんなよ。年寄りの話は長いもんじゃが、オマエらん話聞いちょったら胸焼けしちまうわ」

「ギャッヒャッヒャ! 大層な言われようだな!」

「人のこと言えるほど若くないだろう? それで、主神殿はウチらに何をさせようってんだい」

「ババアは察しがよくて助かる。ジジイ、ババア、オマエらであの人間共を鍛えちゃれ。配役はジジイが五郎丸で、ババアは栗落花な。エーリカには景を付ける気でおる」

「……あぁん?」

「………」

「文句は聞かんぞ。いつまでもオマエらを無駄飯喰らいさせとくんは勿体ない……っちゅうんは建前で、エヒムに頼まれとんのよなぁ、アタシも。新人研修よろしくお願いしますってな」


 心底嫌がってそうな雰囲気で、隠す気もなく面倒臭そうに顔面を歪める老人達。だがアグラカトラは決定を覆す気がなさそうだった。誾は嘆息して肩を竦めた。

 だが信綱は往生際が悪い。寝転がったままブゥッと屁をこいて抗議する。


(くっせ)ぇ! 内臓腐っとるんか己は!」

「生理現象だっつの。それより刀娘はどうした、ガキ共なんざ刀娘に面倒見させりゃいいだろ。未熟なガキ同士なんだ、仲良くやらせてりゃいいだろが」

「刀娘?」


 鼻をつまんだアグラカトラは信綱を睨みつつ、嫌味ったらしく吐き捨てた。


「内臓腐っとるジジイは脳も腐っとんのか? 刀娘は今ぁ害虫共の駆除で大忙しよ。そろそろ尻の締まりの悪いジジイじゃなくて、エヒムにでも便りを出すんじゃねぇの。手ぇ貸せってな」









  †  †  †  †  †  †  †  †









 人の脳に寄生する【月の虫】はムカデに似ている。細長い体と無数に蠢く脚は、多くの人の視覚にえもいわれぬ嫌悪感を与えるだろう。

 だが【月の虫】の恐ろしさは、奇怪な昆虫に似ていることには起因しない。資格(・・)ある者にのみ見て取れる昼の月、太陽と横並びに連なる不可解な満月にて生誕するソレは寄生虫なのだ。


 なんたる悲劇なのか。どこかの企業が有していた高層ビル、その全フロアにいた全ての男女は、老いも若きも関係なく醜い虫けらに寄生されてしまっていた。


 もしも寄生させたまま放置しては、被害者は輪廻転生の環に入ることもできず消滅の末路を辿り、その過程で剥き出しの神経に熱湯を浴びせかけたが如き激痛を味わうだろう。

 肉体的なものではなく、魂そのものを咀嚼される痛みは、およそあらゆる生命体に耐えられるものではない。故に、寄生された時点で詰みなのだ。(マモ)()まれる前に殺してやり、脳に寄生する虫を潰してやるのが、無力で無知な人々に対するせめてもの慈悲なのである。


「明日の朝刊に載っちゃうかな、これ」


 とはいえ、だ。殺された側に救われた自覚はないだろう。むしろ殺戮者である刀娘を恨み、憎み、莫大な無念と怨念を遺すのは自明の理だった。

 渦巻く血の臭いに交じる怨霊の気配を肌に感じつつ、刀娘は黙祷を捧げる。すっかり人殺しに慣れてしまったし、罪悪感もどこかに置いてきたが、儀礼的な弔いの作法を欠かしたことはない。両手を重ねて握り、ビル全体に漂う全ての霊に呼びかけるのだ。

 お前たちを殺したのは自分だ、と。すると全ての霊は泣きながら、怒りながら、憎みながら、悲しみながら刀娘に襲い掛かる。吸い寄せられるように刀娘の肉体に百を超える霊が吸収され、刀娘はほんの微かに顔色を悪くした。


「……制幽鬼符――皆さん善き来世へお進み下さい」


 刀娘の霊体から捻出される霊力が、掲げた彼女の右手に一枚の御札を形成する。制幽鬼符と名付けられた、怨念や祟りを鎮め、成仏させる祈りの結晶だ。

 その御札を己の胸に貼り付け、パンと音を鳴らして合掌すると、彼女の内に吸い込まれていた全ての怨霊が浄化される。御札を通して虚空に消えていく魂は安らぎ、輪廻の環に向かったのだ。

 刀娘は大儀そうに肩を回し人差し指を立てると、その指先から青紫の炎を現す。人の世である物質界にはない性質の霊的な炎だ。刀娘は自らの指先に灯った炎の濃さを確かめる。


「――前から思ってたけど虫の経験値って(しょ)ッパ過ぎない? バランス調整絶対ミスってるって。こんな調子じゃ次のレベルアップはまだまだ先っぽいじゃん」


 霊炎は刀娘の魂が有する霊力の密度、強度、総量を表しているのだ。青紫の霊炎は、レベル表記をすると150ほどか。一般人が1から10であることを考慮すると、刀娘は充分に超人の域にいる。

 だが足りない。全く以て不足している。刀娘はとある霊媒師に自らの霊体へ手を加えてもらい、殺めた命の数と質に伴い霊力を増す体質になっていたが、まだまだ目指す域は遥か彼方だ。

 求めるレベルは1000である。刀娘は自らの霊力をゲーム感覚で数値化しているが、あくまでそれは体感による皮算用に過ぎない。確実を期すなら1100は欲しいと思っていた。


 故に、刀娘は薄く笑むのだ。


「だからさぁ。あんた達(・・・・)もアタシのレベル上げ、手伝ってくんない?」


 転瞬。刀娘が黒いロングスカートの裾をはためかせ、身を翻したのと同時、床下から真っ直ぐに伸びた穂先が刀娘の残像を貫いた。

 疾走。革のロングブーツが軽快な足音を鳴らし、黒髪の少女はジグザグに走る。それを追うかの如く連続して穂先が刀娘を狙うが、悉くが残影を掠めるだけで命中しない。

 跳躍。壁に両足の裏をつけて着地した刀娘は、壁を蹴りながら真下に大太刀を振るった。四角く斬断されたコンクリートの床が地滑りし、重力に引かれて下の階層へと落下する。

 落ちていく四角い床に着地した刀娘は、素早く九字を切った。


「――青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女」


 手刀で空中に四縦五横の格子を描く、陰陽術の破邪の法だ。破邪の法は護身を目的とした法で、下の階層に刀娘が移動した瞬間飛来した多数の銃弾を全て遮断する結界(たて)となった。

 陰陽術に限らず、あらゆる『特別な術法』は、時代を経るごとに更新(アップデート)されている。過去の業もそのまま現代まで伝わってはいるが、過去よりも今が進化しているのが道理だ。

 故に『九字の破邪法』もまた更新され物理的な護りとしても作用する。火花を散らす結界と銃弾の鬩ぎ合いを視界のノイズと切り捨て、刀娘は素早く左右に視線を走らせ敵を視認した。


 人型、三。衣装は黒い戦闘服。機能的なそれは【輝夜】のもの。微かに露出する首に、赤黒いムカデのような痣がある。敵は【月の虫】に寄生された哀れな宿主か。

 得物は一人が長槍。使い手は壮年の男。痩身だが腕がやや長い。槍の柄は複合金属、穂先は見たことがない材質の幅広なもの。

 二人目は刀。一般的な打刀と同規格。ただし鍔はなく、柄もない、剥き出しの刀身と一体になっているタイプだ。いつかのどこかで見たSFアニメに登場する刀に似ている。使い手は10代半ばの少女で華奢だ。機能的な黒いヘルメットを被っており容貌は見て取れない。

 三人目は拳銃。ここまでで使用弾数は31……弾切れもリロードも無し。霊力で弾丸を形成しているようだ。拳銃自体にも肉厚のコンバットナイフが括りつけられている。使い手は逞しい肉体の老年の男。白い髪を総髪にしている。勘だが保有霊力量も一番強い。隊長格だ。


(――人型、三。虫の宿主。得物は槍、刀、ナイフ付き拳銃)


 驚いた。全員(・・)アタシより強いじゃん――雑多な情報を僅かに脳裏へ奔らせて処理し、刀娘は結界が保っている内に現代版陰陽術を行使する。 

 御札を三枚形成し、瞑目して詠唱した。


元柱固具(がんちゅうこしん)、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神おんみょうにしょうげんしん、害気を攘払(ゆずりはらい)し四柱神を鎮護し、五神開衢(かいえい)悪鬼を(はら)い、奇動霊光四隅(きどうれいこうしぐう)衝徹(しょうてつ)し、元柱固具、安鎮を得んことを慎みて五陽霊神に願い奉る」


 古代では陰陽師が毎朝に朝日へ向かって唱えていた呪文だ。己の生活を律して四柱神の加護のもと心身を神に捧げ、五陽霊神に願い奉ります――種々の災難を退けて、幸いを齎す言霊である。

 だが現代ではより先鋭化し、一部の効能だけを任意に切り取って特化させることが可能になった。それにより刀娘は『朝日』に込められる清浄な空気を強調し、効果範囲に存在する邪なモノ、即ち【月の虫】に対して毒となる空気を散布した。そして概念的な『幸運』が自身に働きかけやすいように因果律へ干渉したのだ。


「がヒュっ……!?」


 最も強い反応を示したのは老年の男だ。当然である、格上三人を相手に全員にデバフを掛けようだなんて強欲だろう。故に狙いを一人に絞ったのだ。

 喉を押さえて苦悶し、たたらを踏んだ隊長格が苦しそうに喘ぐ。――僅かな間、最も厄介そうな敵を行動不能にした。それを見止めた刀娘は結界の内側で大太刀を肩に担ぐ。注ぎ込んだ霊力が刀身に刻まれている文言を青く光らせ、初撃に打ち込む大技の準備に入った。

 陳腐だが、必殺技だ。出せば必ず殺す技である。

 必殺技を有しているのなら、実戦で使い惜しむ刀娘ではない。対処されない自信があるなら、初撃から速攻で開陳して叩き込むのがセオリーだと信じていた。元より戦とは己の得意を押し付け合うもの――開戦したなら余計な駆け引きなど不要、格上だろうがなんだろうが寄って斬れば終いだ。


「――隊長ッ!?」

「うろたえるなウィンター! 隊長の解毒を優先しろ、奴は俺が対処する!」

「ッ……了解!」


 刀を持つ少女が一喝されるも指示に即応し、蹲る隊長格の許に駆け寄ると背中に手を置き、何やら濃密な霊力を練りはじめた。

 長槍を持つ男が踏み込み接近してくる。突き出された槍の一突きで、限界が近かった結界に罅が入る音がした。次で砕けるという確信を、刀娘と男は共有する。

 故に始動だ。刮目した刀娘は心の内で独語した。


(柳之流一刀礼法・『上座』の崩れ――『龍巻』)


 師より伝授された刀法の奥義を、刀娘が使いやすいように崩した型。家具屋坂刀娘が唯一持つ、名前を付けられた必殺の技だ。

 迅雷の如き刺突を放ち結界を破った男に、刀娘もまた大太刀を肩に担いだまま突貫する。男が迅雷なら少女は神速、刀娘の刀身は最悪の竜巻災害、最大風速94m/sを超える最大風速127m/sもの風力を帯びていた。周囲に及ぼす影響は全くの零――余計な風圧を生じさせない技量こそ見事であろう。残像すら発生しない驚異の踏み込みに、敵手である男は驚愕しながらも対応した。


 なんたる速度。一歩の踏み込みで長槍の間合いは潰されている。突くことも払うことも能わぬ、退いても追われて斬られるのが瞭然、ならば一度は受けて即座に反撃するのが最善手だ。

 初見ゆえに刀娘の速さへ反応が遅れたが、そのまま斬り伏せられるほどヤワではない。半身になった男は槍を斜めに立て、刀娘が大上段に振り上げた大太刀の振り下ろしを捌く。刃と槍の柄が接触した瞬間に槍を旋回させ、上半身の捻転と共に鋭い中段蹴りを見舞って刀娘の腹部を打撃し距離を稼いだ。そのまま旋回させた長槍に霊力を注ぎ、反撃の回転払いで刀娘の胴を横薙ぎにする。


 ――つもりでいた。


 決着は一瞬だった。

 一気呵成の振り下ろしは落雷の如し。引き締めた唇は無言の気合いを溜め、防御に回った男の得物に大太刀の刃を叩きつける。同時、男は不可解な手応えを知覚した。受け止めたはずの刃に重みがない、と。あるはずの重さ、手応えの行方は何処(いずこ)か。超人たる男の動体視力は、最期にその軌跡を視界に収めるも、鮮やかな颶風の行方を終端まで見届けることは能わなかった。

 少女の稲妻の如き太刀筋は、槍の柄に触れた瞬間直角に切り上げられ、長槍を握る男の指を切り落としていたのだ。刃は止まらない、駆け抜け様に刀娘は再度上段に掲げられた大太刀を振り下ろしている。大上段からの振り下ろし、からの斬り上げ、終わりに袈裟斬り。慣性を無視した魔剣の冴えはまさしく必殺。男の左肩から右腰までを刃は素通りし、大太刀を振り切った刀娘は残心もせずに疾走する。向かうは行動不能になっている老兵の許。この機に畳み掛ける腹積もりだった。


「ソウマっ!」


 老兵の背に置いていた少女の手には、霊力の淡い光が灯っていた。刀娘は目を眇める。【曼荼羅】の勅使河原誾が使う忍法に似ているが、忍法の使い手なのかもしれない。おそらく老兵を苦しめる陰陽術の毒素を抜いているのだろうと推測する。

 悠長に回復を待ってやる義理はない。両手で大太刀の柄を握り締め、突撃する刀娘の先手は刺突だ。槍の間合いにも匹敵する長大な刀身が、蹲ったままの老兵を貫かんと迫る。だが刀娘の背後で鋭利な風に微塵切りにされ、跡形もなくスライスされた男の末路を見た少女が悲痛な声を上げながらも反応した。機械的な刀を握って立ち上がった黒衣の少女が迎撃のため身構える。

 刀身に纏った風の刃は維持されている。このまま敵に受け手を()い、防御不能の必殺の末路を押し付けるのだ。しかし――運良く(・・・)刀娘はつんのめって体勢を崩した。


「っ……!?」


 この階層にも刀娘が成仏させた人の残骸があったのだ。床に転がっていた誰かの腕を踏んでしまい、危うく転倒してしまう寸前で咄嗟に片手を床に付く。同時のことであった、直前まで刀娘の頭があった位置を、何者かの放った銃弾が通過していくのを察知する。


「あっぶないなぁ、もう!」


 ひやりとして冷や汗が浮かぶ。慌てて体勢を整えた刀娘は視界の隅で、拳銃弾がいとも容易くビルの壁を貫通していくのを捉えていた。放たれた軌道上には誰もいない、しかし斜め横に腕を伸ばした老兵の姿も見えている。壁に弾丸を跳ね返させ刀娘の死角から銃撃する跳弾の技を披露してくれたのだろう。発砲音も壁に弾丸が跳ね返った音もしなかったことに脅威を感じる。


「おまえ……!」


 転倒を免れたはいいものの、体勢を崩してしまっては攻撃の機は逸した。老兵が顔を上げ、苦しげに表情を歪めてはいるものの復帰は間近と判断。2対1で相手取るのはマズイ。

 体勢を整えるため床に突き刺していた大太刀を瞬時に薙ぎ払い、足元を崩壊させた刀娘は更に下の階層へと移動する。だが逃がすものかと踏み込んできた少女が片手突きを見舞ってきた。

 早い。速く、鋭い。しかし応手を誤るほどでもない。刀娘は自身の髪を括っていた髪紐を素早く抜き取ると、落下していきながら霊力を解き放ち髪紐を少女へ投げつけた。


「分身の術! なんちって」


 その髪紐は数年前に散髪した際、取っておいた刀娘の髪の毛で編んだ物だ。

 片手で印を結んだ刀娘が茶目っ気を滲ませて片目を閉じ、舌を出しながら言うや否や三体の分身が出現する。全てが刀娘と同じ姿、同じ武装を有した本物(・・)だ。十秒という時間制限付きで実体を得た分身の有用性は計り知れないものがある。


「小細工ッ!」


 一体の分身が少女――ウィンターと呼ばれていた――の刀を大太刀で防ぐ。そして残り二体の分身は本体と共に下の階層へと飛び込んでいた。

 本体と分身達は散開して別行動に出るも、全員が下へ下へと向かっていく。床を斬り、落ち、床を斬って落ちるのを繰り返したのだ。

 しかし本体はぴくりと眉を動かす。僅か一秒で足止めしていた分身が消えたのである。朧気な感覚としては、ウィンターはたったの三太刀で分身を斬り捨てたらしい。

 明確な力の差がある。必殺技を叩き込む機を逃した以上、分身三体と本体で挑んでも返り討ちにされてしまいかねない。だが刀娘に危機感はなく、むしろニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。


()っよ。けど強いだけ(・・)と見た。逃げたアタシを追わなきゃなんないでしょーに、追うための時間を短縮する動きがないもんねぇ? コイツは強くても手札が少ないタイプじゃん?)


 なら、カモだ。格上殺しなら何度もしてきた。敵が自分より強くても、刀娘の手札は豊富である。手元にあるカードを使いこなして勝利を掴むのは得意分野だった。

 刀娘は運が良い。運勢を操ることにかけては卓越した才がある。この手の術法で、己に勝る術師を見たことも聞いたこともないほどに。

 ウィンターは逃げた刀娘を追うだろう。だが残り二体の分身を始末するまで本体の自分とは出会わないだろうという確信がある。故に刀娘の行動に迷いはなかった。


 下に、下に、下に。不規則に移動しながら一番下の階層に到達した頃、分身が全て斬り捨てられた。所要時間はたったの六秒。化け物じゃんと笑う刀娘はあくまで陽気だ。

 ズザッと。両脚を開いて地面を踏み締めた刀娘は、自身の首の裏に大太刀の峰を乗せ、大胆に全力の霊力を漲らせる。刀娘の気配を追って襲来したウィンターが、三階から飛び出さんとしているのと目が合ってまた笑った。少女はヘルメットを被っていて顔が見えないが、確かに驚愕の色を感じられたのだ。


「もういっちょっ。柳之流一刀礼法・『上座』の崩れ、『龍巻』をご覧あそばせ!」

「っ……?!」


 自然災害としても最大級の風速規模を自在に操る刀娘の魔剣技が、躊躇なく二度目の解放を謳う。

 果たして横薙ぎに振るわれた太刀筋は、死の棺桶と化していた高層ビルを輪切り(・・・)にした。

 飛翔した風の刃がビル一つを丸ごと微塵切りにしたのだ。果たして瓦礫の積み木となったビルは、自重に耐えられず倒壊していく。中にあった遺体ももはや判別不能だろうが、魔剣技の範囲内にいた老兵やウィンターもただでは済んでいないだろう。

 少し前までならこんな大胆な真似はしなかったが、東京や埼玉の件があったから躊躇う理由もない。どうせ他の連中も自重を失くしていく一方だろうし、自分だけ律儀に暗黙の了解を守る気はなかった。自分の命が懸かっている局面だとなおさらである。


「一人は殺ったし、一旦退かせてもらいまーす。おつかれぃ!」


 快活な笑顔で片手を上げ、軽く敬礼じみた所作を取り別れを告げる。

 刀娘は踵を返して颯爽と退却していった。人の目を避けるためだ。これだけの大破壊、騒音を撒き散らして呑気に構えているほど馬鹿ではなかった。

 あ、そういや鞘と竹刀袋、なくしちゃったなぁ……なんて反省しつつ。

 剥き出しの大太刀を担いで走る刀娘は、出来る限り人に見つからないよう気をつけたのだった。


「ッ……!」


 山のように積み上がった瓦礫を蹴散らし、無傷(・・)で這い出た少女と老兵が、刀娘が逃げ去っていった方角を憎たらしげに睨んでいるのは知らんぷりして。







バトルパートが入るとどうしても手こずりますね…。

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