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鬼隊長が僕の姉ちゃんに恋をした

作者: みのり

 「うおおぉあぁぁーーーーッ!!」

 「ドルァァアァァーーーーッ!!」


 小雨が舞う曇天の空の下、泥に塗れた男達が地を蹴り足を滑らせ、咆哮を上げて剣撃を叩き込んでいる。


 盾を失った者は足を動かして攻撃をかわし、剣を落とした者は相手からの容赦の無い追撃にも怯まず立ち向かう。追い込む者も追い詰められる者も一瞬でも気を抜けば大怪我を負ってしまうのが、テストニア領主の私兵隊の日常訓練だ。


 そしてこの私兵隊には、対峙した誰もが恐れをなす一人の男が存在する。


 男の名は、ゼヴァン・アッカート。


 逆立つ漆黒の髪と奈落を思わせる深い闇色の瞳、岩石のような体躯、傷だらけの相貌。

 戦場では率いる部下を不死身の『死兵隊』に変えてしまう程の覇気を放つ、獰猛かつ冷酷な男だ。戦場から陣地へ戻るその姿は必ず敵の返り血で真っ赤に染まっている事から『炎纏(えんてん)の獅子』と呼ばれ、その名は広く知れ渡っていた。


 その男の前には今、入隊二年目の新米兵士エイジン・ヨーウェンが剣を持つ手を震えさせて立っている。というより、手に力を入れると膝の力が抜けてへたり込んでしまうので、二択の末に立つ方を選んでいる状態だ。しかしそれすらも、もう限界に近付いていた。


 ----こ、こここ怖いぃぃぃぃ!!


 なぜここに立っているのが自分なんだと、エイジンは数分前の己の不運を心の底から呪った。


 数分前よりさらに前、エイジンは訓練開始の直前に腹を壊してしまい、一人厠にこもっていた。もちろんのっぴきならない理由で遅れてしまうので、上長には報告済みだ。そしてそのせいで訓練場に来るのが少し遅くなったのだが、運悪く出入り口でその男と鉢合わせてしまったのだ。

 すると、


 「お前、遅れて来るとは良い度胸じゃないか。」


 となり、


 「来い。俺が相手になってやる。」


 と、この惨状に陥ってしまった。


 もう少し早く厠から出ていれば、もしくはもう少し腹がグズッてくれていれば、鉢合わせる事だけは回避できたかもしれない。そうしたらこの大勢いる兵士の中で自分のようなペーペーなど視界にも入らなかったはずだ。


 「おい。」

 「ヒィッ!ははははいぃぃ!!」

 「なぜ来ない。剣を構えた敵が目の前にいるんだぞ。」


 ----だってそんな大将首と戦う事なんてねーもん!!


 可能性だけで言えば、そういう状況も無くは無いだろう。しかしエイジンはまだ門番にもなった事が無いヒヨコだ。いきなり敵陣の中枢に向かって突撃するような精鋭部隊に入る事などあり得ない。


 そんな殻を被ったヒヨコには、獅子の前に立つだけで精一杯なのだ。できれば剣を放って逃げたいが、そんな事をすればもっと酷い大惨事が待っているのは目に見えている。

 エイジンはゴクリと唾を飲み込み、意を決して剣を構えた。

 が、それより少しだけ早く獅子が一歩足を踏み出した。


 ジョロロロロ〜……


 不意をつかれた男の一歩。思わず『そっちは動いちゃダメだよ!!』と言いそうになる。

 エイジンはあまりの恐怖に糸が切れ、声も発せぬまま失禁しながら失神した。


*


 恐怖の訓練から一週間後。

 エイジンは『厠で運を落とした男』として、ちょっとした有名人になった。言葉だけ聞けばまったく嬉しくもない不名誉な言葉なのだが、相手があのゼヴァン・アッカートでは仕方がないと同情の意味で使われた。


 ----あっ!しまった、弁当忘れた!


 開けたカバンの口を見下ろし、ガックリと肩を落とす。今日も朝から厳しい訓練をこなして新米兵士用の雑用を終わらせたというのに、唯一の楽しみである弁当が無いなんて。


 ----今からすぐに取りに帰ったらギリギリ間に合うかな…


 エイジンの家は兵舎のある敷地から歩いて三十分のところにある。必死で走れば弁当を探す時間を含めて往復三十分。休憩時間は四十五分。悩んでいる暇は無い。

 エイジンはカバンを持って部屋を飛び出し、受付に向かった。


 「すみません!僕、第六隊のエイジン・ヨーウェンです!弁当を忘れたので取りに帰って…」

 「エイジン!」


 ふと、聞き慣れた高い声が耳に触れて振り返る。視線の先には今来たばかりのエイジンの姉、セレディアが立っていた。


 「姉ちゃん!」


 おっとりした物腰で控えめな綺麗さを纏う姉は、昔から本人の知らないところでとてもモテる。今も相変わらず四方八方からチラチラと男達の視線を集めていた。


 「はい、お弁当。忘れて行ったでしょう?」

 「そうなんだよ。ちょうど今から取りに帰ろうと思ってたんだ。」

 「それなら入れ違いにならなくて良かったわ。それじゃあ私はこのまま仕事場に行くから、午後もがんばってね。」

 「うん。わざわざありがとう。」


 セレディアは受付係の兵士に軽く頭を下げ、弟に手を振って扉から出て行った。その背中に小さく手を振り返し、受け取った弁当を見て安堵の息をつく。やれやれ良かったと回れ右をしたところで、突然現れた大きな壁にギクリと身体を強張らせた。


 「おい。」

 「え?ヒィッ!?た、隊長!?」


 目の前には訓練の時よりも至近距離に立つ獅子の姿。あまりの衝撃に意識が飛びそうになったが、男の目線は真っ直ぐ扉の方に向けられていた。それだけでもずいぶんマシだと、水面から鼻の穴だけを出している気分になった。その気分通りスハスハと浅い呼吸を繰り返す。


 「今のは誰だ。」

 「え?え?」

 「今、お前にそれを渡した人だ。」


 ゼヴァンの睨むような視線と指が手の中にある弁当をさしている事に気が付き、エイジンは慌てて口を開いた。


 「あ、は、はい、あの、彼女は、わた、私の姉ちゃ、姉です!」

 「姉だと?お前の?」

 「はい!」

 「ふぅん…」


 ゼヴァンはゴツゴツとした手で口元をさすり、エイジンをジッと見下ろした。その画はさながら捕らえた獲物をどう処理するか考える猛獣のようだ。周囲にいた男達はすでにその場から立ち去り、火の粉が飛んでこない場所までさっさと逃げて行った。


 「名前と歳は?」

 「エイジン・ヨーウェン、十九歳です!」

 「お前じゃない。お姉さんのだ。それと声がうるさい。」

 「はい?あ、はい、セレディア・ヨーウェン、二十一歳です。」

 「二十一歳…セレディア、か。フッ、可愛らしい名だ。」


 『うん?』と首を傾げる。

 よく聞こえなかったが、ほんの僅かに上がった頬を見るとどうやら笑ったようだ。なぜだ。


 「あの…何か仰いましたか?」

 「いや、何でもない。ところで彼女は何しにここへ来たんだ?」

 「実は今日、弁当を忘れてしまって。取りに帰ろうとしたら姉が届けに来てくれたんです。」

 「ほぉ…」


 ----怒られるかな。


 しっかり者の姉の事だから、きちんと挨拶をして名と用件を伝えてから入ってきているはずだ。しかしやはり部外者である事に変わりはない。

 恐怖と緊張で張り裂けそうな心臓を抱えて息を潜めていると、耳を疑う程の優しい声が頭上から降ってきた。


 「そうか。優しいお姉さんだな。」

 「へ?」

 「…おい。」


 通常音に戻った。さっきのはただの誤作動だったようだ。


 「は、はい!」

 「明日も弁当を忘れてこい。」


 ゼヴァンは呆然と立ち尽くす若い兵士をその場に残し、踵を返して立ち去った。


*


 翌日。

 エイジンは命令通りに弁当を忘れて受付の前に立っていた。


 ----なんで隣にいるんだよぉ…


 チラと見る事もできない距離に立つ男に気圧され、エイジンは肩を縮ませ冷や汗を大量に流して口を真一文字に結んだ。隣で腕を組んでいるのか、丸太のような太い腕が視界の端に映る。それだけでも萎縮してしまうというのに、男は妙にソワソワしながら腕を何度も組み替えてはエイジンにトントンとぶつかっていた。それがまた地味に痛い。


 ----お願い姉ちゃん、はやく来て…!


 そんな涙の懇願が届いたのか、それ程待つ事もなくセレディアはやって来た。今日もこのまま仕事に行くのか、いつもの仕事用のカバンを持っている。その姿を見てようやく解放されると安心した。隣ではいつの間にか組んだ腕を解いて胸を張っている男が、コッソリと喉の調子を確かめていた。


 「もう、また忘れるなんて。」

 「ご、ごめん…」


 なぜ謝らねばならないのか。理不尽だが、これも命令だと諦める。


 「明日はちゃんと…あら?」


 セレディアは弟に寄りそうゼヴァンの存在に気が付き、あからさまに『誰かしら』という目を向けた。


 「こんにちは。」

 「あ…こんにちは。私はこの子の姉です。弟がいつもお世話になっております。」

 「いや、私は何も。彼は私の手など借りず毎日とても良く頑張ってますよ。」


 その軽い言葉のやり取りの後、二人は互いにフフッと笑い合った。


 いやいや、何を言っているんだ?

 関わったのは昨日と今日、そしてあの日の訓練場での一コマだけだ。

 危うく弁当を落としそうになった。


 「そうだ、申し遅れました。私は隊長のゼヴァン・アッカートです。」

 「まぁ!隊長さんでしたか!私ったらそうとは知らず失礼な態度を…」

 「ハハ、お気になさらないで下さい。あの、名前を伺っても…?」

 「はい。セレディア・ヨーウェンと申します。」

 「セレディアさん、ですね。弟さんがいらっしゃるのでヨーウェンさんじゃややこしいな…。名前でお呼びしてもよろしいですか?」


 ----グイグイいくなぁ…


 「はい。セレディアとお呼び下さい。」

 「できれば私の事も名で呼んで頂けるとありがたい。その方が慣れてますので。」


 ----嘘だ。そんな事ができるのはこの敷地内にはほんの一握りしかいない。


 「えぇ、もちろんです。えっと…ゼヴァン様…でよろしいですか?」

 「はい。ぜひ、それで。」


 ゼヴァンはニッコリと微笑み、小さく頷いた。

 エイジンは衝撃のあまり、目玉が飛び出し言葉を失った。


 「それじゃ、もう行くわね。」

 「うん、ありがとう…」

 「ゼヴァン様、失礼致します。」

 「はい、お気を付けて。」


 互いに軽く会釈をして、セレディアは長い髪を揺らしながら扉から出て行った。


*


 ----なんでだよぉ…


 二人は今、並んでベンチに腰を下ろし、遅めの昼食をとっていた。


 エイジンはセレディアを見送った後、余韻に浸るゼヴァンに頭を下げて一刻も早くその場から立ち去ろうとした。しかし。


 「待て。」

 「は、はい!」

 「どこで食うんだ?」

 「え?えー…っと、食堂…か、中庭…ですか、ね…」


 嫌な予感がする。なぜなら男の視線が弁当に一直線だからだ。

 エイジンは固まったまま、祈る思いで次の言葉を待った。


 「中庭にしろ。ベンチがあるからそこで待ってろ。」


 待ってろと言われてしまった。もう逃げられない。

 エイジンが命令通りにちょこんと座って待っていると、ゼヴァンは両手に大量のパンを抱えてやって来た。

 まるで狩った獲物を巣に持ち帰る獣だ。遠目でも怖い。


 そして、今である。

 周囲の騒然とした空気と好奇の視線がザクザクと刺さり、なかなか食事が喉を通らない。


 ----さっきのは何だったんだ…


 互いに何も喋らないままモソモソと食べていると、突然横から声をかけられた。


 「セレディアさんは…」

 「ヒェッ!」

 「なんだ。」

 「いいいいえ、何も!姉がどうかしましたか?」

 「セレディアさんは普段何をしているんだ?」

 「姉ちゃ…姉ですか?」

 「姉ちゃんでいい。普段通りに話せ。」


 ゼヴァンはあっという間に四つ平らげ、五つめに手を伸ばした。


 「あ、はい。えと、姉ちゃんは普段は家事全般をこなしながら、昼間は針子の仕事をしています。」

 「母親は?」

 「いません。僕が幼い頃に亡くなりました。それ以来、姉ちゃんが母さんの代わりに家を切り盛りしてくれてるんです。」

 「そうか…。父親は?」

 「父さんは大工の仕事をしています。」

 「そうか。それで…恋人はいるのか?」

 「いません。今までそんな影すらありません。」


 今、嬉しそうに『フッ』って笑わなかったか?見間違いか?

 姉の話題になったからか、エイジンは少し緊張を緩めて小さく溜息をついた。


 「もうそろそろ良い人を見つけてほしいのですが…。僕が一人前になるまではって言って、恋人も作ろうとしないんです。」

 「そうか、分かった。」


 ゼヴァンはガタンと音を立てて立ち上がり、膝に落ちたパン屑をはたいた。いつの間にか七つもあったパンは全て無くなっている。それよりも何が分かったんだと見上げてみると、男の表情はすこぶるイキイキとしていた。


 「そうだ。それ、セレディアさんが作ってるのか?」

 「え?あ、はい、そうですけど…」

 「ふむ…美味そうだな。」

 「姉ちゃんが作るものは何でも美味しいですよ。」

 「…。」


 ----え。


 羨ましそうな眼差しが食べかけの弁当に注がれる。

 何か言ってほしそうだ。言わなきゃダメな流れになっている。


 「えと…今度、隊長の分も作ってほしいって言いましょうか?」

 「ん、頼んだぞ。」


 ----あっさり頼まれてしまった。


 「あぁ、そうだ。俺はしばらく時間が不規則になるから、一緒に食える日が分かったら連絡する。」


 ----え、一緒に食べるの?


 そう思っても言えないのは、口にものが入っているからだと自分に言い聞かせる。

 ゼヴァンは満足そうにエイジンの肩をポンと叩き、『またな』と言って去って行った。


*


 二週間後。

 エイジンは二人分の弁当を持って家を出た。


 ----とうとうこの日が来てしまった…


 中庭での一件以来いつ連絡が来るかとビクビクしながら過ごしていたが、二日前、午後の業務で雑用をしていた時にご本人が直々にやって来てこう言ったのだ。


 「明後日、空いてるか?」


 そこは主に下っ端の兵士が出入りする倉庫だった。暗くて臭くて汚くて、先輩の兵士が来る事もなければ、各部隊の隊長が来る事などほぼ無いような場所だ。


 そこへあの『炎纏(えんてん)の獅子』が現れたのである。

 凍りつくような威圧感に晒された下っ端兵士達は全員がその場で立ちすくみ、同期であるエイジンに何かあったのかと固唾を飲んで見守った。


 「明後日ですか?はい、大丈夫です。」


 エイジンの方はというと、この二週間の間に何度かゼヴァンとすれ違う事があり、その度に『姉さんは元気か?』と聞かれていたので声をかけられる事自体には慣れていた。ただ、遠くからチラッと見えただけのエイジンに向かって大股で近付いてきた時は、このまま狩られるんじゃないかと思う程恐ろしかった。


 「そうか。なら、一緒に飯を食おう。」

 「はい。姉ちゃんに言っておきます。」

 「うむ。」


 倉庫のあちこちから『えっ!?』という声が聞こえてくる。

 エイジンは何も言わず、何も聞かれないまま仕事を続けて二日が経った。


 それが今日だ。

 エイジンは朝早くから道具の準備をしに訓練場へ行き、一旦戻って着替えてから訓練場に入った。


 ----いる。めちゃくちゃ見てる。


 一歩踏み入れた瞬間、訓練が始まる前にも関わらず場の雰囲気がすでに緊張感に包まれていたのですぐに分かった。訓練場のど真ん中に、ゼヴァン・アッカートが仁王立ちで立っているのだ。そしてエイジンをジッと見ている。


 エイジンは男の熱視線に気付かないふりをして基礎訓練をこなした。

 このままやり過ごしたい。

 何も起こりませんように。

 しかしそんな願いも虚しく、打ち合いに移った途端男に声をかけられた。

 とても大きな声で。


 「エイジン、お前は俺が相手をしてやる。」

 「はいッ!」


 急に名前呼び。周囲のどよめく空気にはもう慣れてしまった。偶然隣にいた兵士からの『お前何したんだ?』という声も、今さらすぎて耳に入らない。

 エイジンは心の中で涙を流し、剣を持って前に出た。


 「お前は基礎がなってないから、そこから教えてやる。何、大丈夫だ。しばらくは俺から手を出す事はない。」


 ハハハ、じゃない。そういう問題ではない。

 目の前に立っていられるだけで恐ろしいという事がなぜ分からないんだ。


 「いくぞ!」

 「はいッ!」


 ガンッ! ガンッ!


 「何してる!それで剣を振ってるつもりかッ!!」

 「は、はいぃぃぃッ!!」


 ガツッ! ガァァンッ! ガンッ!


 「違ぁぁぁうッ!!こうだと言ってるだろう!!」

 「ヒィィィィーーッ!」


 ガガガガッ! ガンッ! ガンガンッ! ガッ!


 「もっと強く叩き込め!!」

 「クゥッ!」


 「こっちがガラ空きだろうッ!!」

 「うわぁっ!」


 「何度死ねば気が済むんだお前はッ!!」

 「ヒッ…!」


 「それで姉ちゃんを守るつもりだったのかぁぁーーーッ!!」


 ----今それ関係無いじゃん!!


 そうして訓練を終え、魂が抜けた状態で午前の業務を終わらせ、やっと昼になった。

 いつもはあっという間に終わってしまう昼休憩だが、今日はこの時間がとてつもなく長く感じられた。


 隣ではゼヴァンがいそいそと弁当の包みを開けている。膝の上に置いているのでちょっと内股だ。ゆっくり蓋を外して出てきた料理をしばらく見つめ、迷った末に根菜煮を口に入れた。エイジンも同じものを食べる。


 「なぁ。」

 「はい。」

 「美味いな。いつもこんなの作ってるのか?」

 「はい。」

 「ふぅん…器用だな。」

 「姉ちゃんは僕と違って昔から何でも器用にこなしてしまうんです。その分頑張り過ぎてしまうので倒れないか心配で。」


 エイジンは口をモグモグと動かしつつ、鼻で溜息をついた。


 「そういう時の為に、支えになる人が必要だよな。」

 「そうですね。」

 「兄がいたらと思う時はないか?」

 「あります。僕が弟だから、姉ちゃんは余計に自分がやらなきゃって思ってると思うんです。もし兄がいたらまた違ってたでしょうね。」

 「義兄(あに)か…良い響きだな。」


 ----うん?今、字が変わらなかったか?


 結局その会話を最後に二人は食べる事に集中し、ほぼ同時に食べ終わって片付けた。そしてエイジンはゼヴァンから空になった弁当箱を受け取り、立ち上がるゼヴァンに続いてサッと立ち上がった。


 「セレディアさんに美味しかったと伝えておいてくれ。」

 「分かりました。」


 ----よし!


 やっと解放された。これでもう関わる事は無いだろう。しばらくは周りからいろいろ聞かれるだろうが、適当に言葉を濁して時が過ぎるのを待てばいい。

 エイジンはペコリと頭を下げ、ゼヴァンに背中を向けて歩きだした。


 「エイジン。」

 「はい。」


 ゼヴァンの呼びかけに足を止めて振り返る。ゆっくりと歩み寄る男の表情がやや緩んでいる事に例えようのない悪寒を感じたが、すでに肩に手を乗せられた状態ではもうどうする事もできなかった。


 「一つ頼まれてくれ。」


*


 夕方の薄暗い空の下、空の弁当箱を手にぶら下げてトボトボ歩き、溜息をつく。

 今日まではまさかと思って気付かないふりをしてきたが、最後に頼まれた内容でとうとう決定的になってしまった。


 こんな日の帰り道はどうしてこうも距離が短く感じるのだろうか。エイジンは玄関の扉の取手を掴み、静かに開けて中に入った。


 「ただいま…」

 「おかえりなさい。」


 いつものように、弟の声を聞いたセレディアがエプロンで手を拭きながら近付いてくる。その姿を見て再び溜息をついた。


 「これ。弁当。美味しかったってさ。」

 「良かった、お口に合って。」

 「あのさ…」

 「え?何?」


 ----さぁ、言うぞ。


 「隊長が、弁当のお礼に今度ご馳走させて下さいって。」

 「えぇ!?そんな、お弁当ぐらいで!いいわよそんなの!」

 「いや…お願いだから行って。」

 「え?」

 「隊長、姉ちゃんの事好きなんだよ。一目惚れしたらしい。」

 「えぇ!?」

 「とりあえず一度会ってみて、ダメならそれっきりでいいから…うん?」


 ふと、静かになった姉に目を向ける。

 セレディアは目を見開き、顔を真っ赤にして弟を見つめていた。


 なぜ顔を赤くするんだ。なぜ両手をモジモジさせているんだ。

 …まさか。


 「そ、そん、え?そんな、あ、あんな素敵な方が私なんかを…」

 「は?素敵?」

 「も、もう!いい加減な事言わないでよ!お姉ちゃん怒るよ!?」


 ----嘘だろ。


 まさかの反応に絶句する。こんな事ってあるのかと立ちくらみを起こしそうになった。

 今までどんなにモテていてもまったく男に興味を示さなかったのに、急に両片思いだと?


 そういえば、とエイジンは手に持ったままの弁当箱を見下ろした。


 ----今日の弁当、やけに気合い入ってたな…


 今思い返せば、おかずが手の込んだものばかりだった気がする。

 なんだそういう事かと思ったが、直後に背中がゾワッと震えた。


 ----え…という事はもしかして、隊長が僕の義兄さんになるとか…?嘘だろ!?


 「ねぇ、あの、本当にゼヴァン様がそう仰ったの?」

 「え!?あ、う、うん…」

 「じゃあ…お願いしますって、伝えてくれる…?」

 「…。うん、分かった…」


 ----もういいや。どうにでもなれだ。


 正直に言えば、あのゼヴァン・アッカートが身内にいるのはちょっとした自慢になるかもしれない。それに側から見れば恐ろしいが、何度か関わっていくうちに気付いた事がある。


 親しくなると、実は意外と気さくで優しいのだ。


 エイジンは嬉しそうにはしゃぐ姉の姿に目を細め、小さく息をついた。


 そして一年後。

 テストニア領内にある最も大きな庭園で、ゼヴァン・アッカートとセレディア・ヨーウェンの結婚式が行われた。

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