9 かくしごと 円城さんの家庭の事情 その1
「いやぁ、よかった。本当によかったよ。こうしてまた、鬼一と組みあえるなんてなぁ」
それは、入学直後のことだった。入学式が終わるのもそこそこに、俺は亮太に引きずられるように柔道部へと連れて行かれ、なし崩し的に入部させられていた。
ちなみに亮太は、柔道のスポーツ推薦で入学している。つまりは、またも同じ学校に通う同級生となったわけだ。
これが、入学前に知ったもう一つの嬉しい出来事だ。
中学でも名の知られた亮太の紹介であることと、さらには俺のことを知っている先輩もいたらしく、入部はあっさりと決まった。
ただ、『あの無冠の帝王か!?』。『なに!あの伝説の!?』などと呼ばれたのには、少々閉口したが……。
そもそも、俺はそんな伝説を作った覚えはない。
だが、今はそんなことよりも……。
「アッー!」
「なっ、なんだ鬼一!?突然叫び声なんかあげて、どうしたんだよ」
「い、いや、すまん。ちょっとばかり寒気がしてな」
「おいおい、しっかりしろよ。また二人で稽古できて嬉しいのはわかるけどよ」
自分でも不思議なのだが、今の叫び声は何だったんだろう。亮太の態度を見ていたら背筋が寒くなったと同時に、自然と口から出ていたのだが……。
「な、なあ亮太。それよりも、聞きたいことがあるんだが……」
「なんだよ?」
「お前って、秘密子のことが好きなんだよな?」
「なっ……。いっ、いきなり何言いだすんだよ!こんなとこで、恥ずかしいじゃねえか」
顔を赤らめ、少しばかり返答を躊躇する亮太。だが、俺も興味本位だとか、からかってやろうと思って聞いたわけじゃない。
「もちろん好きだ。生涯を懸けて愛し抜き、守ろうと思っている!」
「……。そうかよ……」
いや、明らかに前者の質問より、躊躇なく口にした後者のセリフの方が恥ずかしいと思うのだが……。それを平然と言ってのける亮太の羞恥心は、いったいどうなっているのだろう。
もっとも、心からの思いを素直に口にできることが、コイツのいい所なんだが。
「なんでそんなこと聞くんだよ。……っ!やっぱり鬼一も?も、もしかして、お前らもう付き合ってるとか……!?」
「勘違いすんなよ。そんなわけねえし、ちょっとした確認だよ。俺の貞操が安全かどうかのな」
俺がわかりきったことを聞いた理由、それは亮太の態度にあった。
興奮し顔を赤らめ、組み合うというよりも抱きついてくるような仕草に、『もしや!?』という悪寒が走ったからだ。いや、十年来の親友を失わなくて本当によかったよ。
「なんだよ貞操って。でも、せっかく鬼一と一緒のクラスになれたのに、鬼ノ元さんと離れちまったのがなぁ。柔道部のマネージャーとかやってくれねえかなぁ」
「妄想するのはいいけど、あいつがマネージャーなんかやった日には、練習量が倍になって死人が出るぞ。もっとも、チビどもの面倒も見なきゃいけないから、絶対にやらねえだろうがな」
亮太の妄想に、俺は受験勉強での秘密子の鬼コーチぶりを思い出す。そっちはそっちで、別の意味で背筋が寒くなるが。
「鬼ノ元さんが忙しいのはわかってるよ。けど、施設の子供たちの面倒を率先して見てあげるって……。くぅ~っ、やっぱ天使のような優しい人だよなぁ。それに、あんな優しくて可愛い人に世話してもらえるなんて、子どもたちも幸せなんだろうなぁ……」
幻想を抱くのは自由だ。妄想の翼を折ることも誰にもできない。
だが、亮太が考える基準なら、ギリシャ神話に出てくる怪物の『ゴルゴーン』や『メドゥーサ』ですら、天使のカテゴリーに入るだろう。
もちろん、ここは秘密子の名誉のためにも黙っておくが。
「そうそう、そういや一緒のクラスになったあの金髪のヤンキー女、お前の住んでる家の子なんだろ?なんか怖えんだよなぁ」
「そう言うなよ。家族思いだし、見た目と違って悪いヤツじゃない……と思うぜ。それにアイツ、何となく秘密子に似てる感じがするんだよなあ……」
「は!?鬼一は目ん玉腐ってんのか?アイツがあの可憐な鬼ノ元さんと似てるなんて、これっぽっちもありえるわけないだろ」
「いや、亮太の秘密子に対する幻想も、たいがいだけどな……」
結局、俺たちと那澄菜は同じクラスとなったが、秘密子だけは別々となってしまった。
もっとも、アイツは大学の推薦も狙う特進クラスだし、仕方ないだろう。
クラス分けの掲示板を見た時は少々苦い顔をしてはいたが、特待生として入学した以上、こうなることは事前にわかっていたはずだ。
それよりも、俺と同じクラスだと知った時の那澄菜の心底嫌そうな顔は、少しばかりショックだった。
まあ、そんなこんなで、俺の高校生活は始まりを告げた。
だが、その平穏な日常に影を落とす事件は、俺の高校生活が始まって少し経った頃に起きたのだった……。
☆ ☆ ☆
「あらキーちゃん。今帰りかしら?」
声をのした方を見れば、両手に買い物袋を抱えた華澄さんが立っていた。
「はい。華澄さんは買い物ですか?重そうですね。俺、少し持ちますよ」
「あら、ありがとう。やっぱり男の子がいてくれると助かるわぁ。……って、ちょっと、それ全部じゃない!」
「大丈夫ですよ。俺、力だけはありますから」
「ふふ、そう?キーちゃんは力だけじゃないと思うけどなぁ。澄麗はともかく、美澄があんなに懐くなんて。それも、一緒にお風呂に入ろうって言うなんてね」
「ぐっ……。ま、まあ、施設でチビどもの面倒見てたし、子供の扱いに慣れてるって思ったんじゃないですか?それか、なんでも言うこと聞くから便利に使えるって思ったのか……。美澄ちゃんって頭良さそうですから、扱いやすいって見抜いたのかも」
「ふふ、そんなんじゃないと思うけど?子どもに好かれるのは、いい人の証拠よ」
「いい人……ですか?でも、那澄菜……さんには、親の仇を見るような目で見られてますよ?」
「気を遣わなくても、いつものとおり那澄菜でいいわよ。まあ、あの二人は男の人に対して、少しばかりトラウマがあるし……。そう考えれば、美澄は本当にキーちゃんを信用してるんだと思うの。ちょっと驚いたくらいだけどね」
「トラウマ?」
「あ……。ううん、なんでもないの。そうそう、そろそろ夕飯の支度しなきゃいけないから、早く帰りましょう。うふふ、今日は奮発してすき焼きよ。キーちゃんも好きでしょ?」
「え……?あ、はい……」
「それに……。うふふ、さすがに高いものとはいかなかったけど、お酒も買ってきちゃったしね。キーちゃんにも、時々ならいいしね」
「ああ、重いのはそのせいだったんですね」
なにか引っかかる物言いではあったが、急に話題を変えたような素振りを見るかぎり、あまり触れてほしくないことなのだろう。俺もあえて追及する気もない。
家へと向かう華澄さんを慌てて追いかけながら、ふと別なことに気付く。
そういえば、引っ越してから今まで、華澄さんが仕事に出かけているのを見たことがない。
もちろん、俺が学校に行ってから帰ってくるまでの間に出掛け、帰って来ている可能性はある。近所のスーパーのパートとからなら、そのくらいの時間でもできるだろう。
だが、普通なら多少なりともそういった形跡が見られるはずだ。
それにしてはそんな素振りは見られないうえに、帰ってくればほぼ晩飯は出来上がっているし、洗濯物も畳まれている。
気にはなったが、聞いていいものか迷う。
澄麗さんは私立大学に行っているわけだし、さらには俺や那澄菜を私立高校に通わせるくらいの余裕があるってことは、生活に困っているわけではないと思う。
もしかしたら、亡くなった旦那さんの遺産があったりとかで、働かなくてもいいくらいのお金持ちかもしれないし……。
あれこれ考えたって仕方ない。それに、俺を受け入れてくれた華澄さんの事情を詮索するのも失礼だ。
まあ、一緒に暮らしていればそのうちわかるだろう。
そんなことを考えていた俺は、目の前で華澄さんが立ち止まっているのに気付いた。
だが、華澄さんの様子は何か変だ。それは立ち止まっているというより、立ち尽くしているという表現がピッタリするような……。
なぜだろう。ものすごく嫌な予感がする。
「華澄さん?どうしたんですか?……っ、華澄さん!?」
慌てて駆け寄った俺は、華澄さんの横顔を見て驚いた。そこにあったのは、まるで幽霊を見たかのように目を見開き、青ざめて唇を震わる姿だったからだ。
「大丈夫ですか!?華澄さん?」
だが、俺の問いかけにも反応せず、その瞳は一点を見つめたままだ。
その姿に驚いた俺は、華澄さんの視線を辿る。
そこにいたのは、歳の頃なら40歳くらいだろうか、高そうなスーツを着た、小ぎれいな身なりの男が立っていた。
「やあ華澄、久しぶりだね」
男は笑顔で、気さくに声をかけてくる。だが、その気さくな態度はなんだか不自然で、取ってつけたような印象を受ける。
しかし、声をかけられた華澄さんからはなんの返答もない。唇を震わせながら男を睨みつけ、しばらく無言の状態が続く。
「あ、あの……」
何か言ったほうがいいのかだろうか……。不穏な空気を感じた俺が口を開きかけた時、ようやく華澄さんの唇が動く。
「今さら……何の用……なの……?『あなた』!」
少しばかりシリアスな、円城家の過去のお話です。メインタイトルは、久米田康治先生直近の名作漫画より。素晴らしい作品を作る漫画家さんだと思います。副題はまたも昔の漫画からですが、内容は読んだことがなく知りません。すみません。昔のコミックスの巻末によくあった、既刊漫画一覧とかの記憶からです。