45 バレンタインデーキッス? チョコレートの怪 その2
「はぁ~……」
迎えた2月の14日。俺の前には、机の上に義理以外にもいくつかの本命チョコを並べるという、男の憧れのシチュエーションを実現しながらも、なぜか浮かない顔の亮太がいた。
「お前なぁ……。そんな贅沢言ってたら、そのうち誰かに刺されるぞ」
そうは言ってみるが、ため息を吐く亮太の気持ちもわかる。
俺の目の前でチョコを渡してきた女の子に、好きな子がいるから付き合うことはできないとキッパリと言い切る亮太と、去り際の悲しそうな女の子の顔。
何度か同じ経験をしながらも、コイツは一途に秘密子を想い、告白してきた女の子たちに辛い思いをさせてしまったことで、彼女たちと同じように苦しんできたのだろう。
おまけに、今年に至ってはその中に『男』も含まれていたのだ。少しばかり複雑な顔をしながらもチョコを受け取り、丁寧に断っていた亮太には頭が下がる。
もっとも、コイツが浮かない顔をしている決定的なものは、そのいくつかのお洒落な箱の前に置かれている物の中では、明らかに浮いた雰囲気のビニールに包まれた小さな一片のチョコだろう。さっきからそれを、ジッと見つめている。
ちなみに、俺も同じモノを持っている。つまり、そのチョコの送り主とは……。
「やっぱ、鬼ノ元さんからはコレだけかよ……」
そう言いながら、亮太は俺の手に握られた同じモノをチラリと見る。まあ、鬼畜ロリコン野郎のレッテルを張られた俺にわざわざ義理チョコをくれる女子も、秘密子くらいだろう。
もちろん、この後に貰うであろう珠魅たちの分は数には入らない。
そもそもアイツらは俺にくれたはずのチョコを、涎を垂らしそうな顔で見つめてくるのだ。そんな顔をされては貰ったはずのチョコも、結局珠魅たちに渡す羽目になるのだ。
「もちろん嬉しいんだぜ。ホワイトデーには最高のお返しも送るつもりだ。ただ、鬼一と同じモノってのが残念なような安心したような、複雑な気分なんだよ」
「なに言ってんだよ。考え過ぎだっての。俺と秘密子はそんなんじゃねーってわかってんだろ」
秘密子はこの大入り袋の中のひとかけらで、投資額の何十倍……、いや何百倍のお返しを回収するのだろう。それなりの物を渡さないと後が怖いし、俺も結局はチビどもの分と併せて、食ってもいないチョコに対して結構な金額のお返しを送る羽目になるのだが……。
「さて、俺は亮太と違って一口で処分できるからな」
包みを解くと、チョコを口の中に放り投げる。貰っておいてなんだが、口の中には砂糖を大量に使った妙に甘ったるい、いつもの安物チョコの味が広がるばかりだった。
☆ ☆ ☆
「いやー、今日の稽古もキツかったなぁ。しかぁし!フフ、フフフフ……。そんな疲れも一瞬で吹き飛ぶものが今日はあるからな。楽しみだなぁ、鬼ノ元さんのチョコ。疲れた体に染みわたるんだろうなぁ」
手の平に乗せたチョコを眺め、ニヤニヤと笑う亮太。手のデカさと相まって、指先ほどの大きさにしか見えない。鞄の中にはそれよりも遥かに高級で大きなチョコが入っているというのに、その仕草は少々滑稽だ。
あれだけ浮かない顔をしていたというのに、やはり秘密子のチョコは特別なのだろう。
「というわけだ、鬼一」
「なにが『というわけ』だよ」
「フフフ、俺は今から、帰ってじっくりとこのチョコを味わう。早々に食っちまった鬼一には、この感動は味わえまい」
「いや、味わうも何も、そんな小さなチョコ、一瞬で無くなっちまうだろ」
「この甘さには、やはり苦めのコーヒー……。いやいや、酸っぱめの紅茶も悪くないな。おお、そうだ。コンビニに寄って飲み物も選んでいかなきゃな。いや、いっそ喫茶店でいいコーヒーでも頼んで……。いやいや、いかん。食べ物の持ち込みなど迷惑だし怒られてしまうな」
俺の皮肉も、練習後の疲れと秘密子のチョコを貰った興奮でハイになっている亮太には届かないようだ。
「そんなわけで鬼一、俺は一足先に帰る。じゃあな!」
言うが早いか、亮太は陸上部のスカウトに目を付けられてもおかしくないくらいのスピードで駆け去って行った。
☆ ☆ ☆
「やれやれ。本人が幸せならいいんだけどな。ん?」
靴を履き替えようとしていた俺は、視界に入る人影に気付く。
「秘密子じゃねーか。お前がこんな時間まで残ってるなんて、珍しいな」
そこに立っていたのは秘密子だった。
コイツは部活にも入っていないし、いつもはチビどもの面倒を見るためにさっさと帰っているはずだ。
もっとも、本来群れるのを好まないコイツのことだ。チビどもの面倒を見るというのは、部活に入らないで済む言い訳にもなっているのだろう。それが、今日に限ってはどうしたのだろう。
「あ……、ああ、図書館に寄っていたらこんな時間になっちゃってね。その……、ついでだから、鬼一を施設に連れて行こうと思ってさ」
そういうことか。今日は約束の日ではないが、珠魅たちのチョコを貰いに行ってやらねばならない。それを忘れていないか心配だったのだろう。いくら俺が鈍くたって、これだけ浮かれた雰囲気の中じゃあ忘れようがないさ。
「大丈夫だって。帰りに寄るつもりだったからな」
「そ、そう?」
「おう、んじゃ帰ろうぜ。ああ、チョコ旨かったぞ。亮太も喜んでたしな」
「え?あ、ああ、うん……」
そこで俺は、秘密子の態度に違和感を覚える。何と言うか、妙にソワソワしているし、鞄をやたらに気にしている。
「なんだ?鞄がどうかしたのか」
「んぇっ!?え、ええと、その……。そ、そう、教室に忘れ物しちゃったみたいなんだ。悪いけど一緒に来てくれるかい」
「どうせ一緒に帰るんだし、そりゃ構わないけどよ。でも、わざわざ持って帰らなきゃいけないもんなのか?」
「う、うん!きょ、今日の宿題なんだ」
「ああ、そりゃたしかに大事なもんだな。毎日宿題が出るなんて、特進クラスってのも大変だな」
「だっ、だろう?お気楽な鬼一たちのクラスとは違うのさ!ほ、ほら、遅くなっちゃうから早く行こう」
「おう、って、おい。そんなに引っ張らなくてもいいだろ」
なんだか焦っているような秘密子に手を引かれ、俺たちは秘密子の教室へ向かったのだった。
☆ ☆ ☆
「へぇー。特進クラスっても、俺たちの教室とほとんど変わらないんだな」
「当たり前じゃないか、同じ学校の施設なんだから。そもそも、この学校の設備は余所と比べれば相当にいいんだよ。もっとも、ここの授業料を考えれば当然なんだろうけど。そんな学校に通わせてもらってるんだから、あの女たちに感謝するんだね」
「あの女って……」
秘密子は未だに、華澄さんたちにいい感情を持っていないようだ。だが、感情は抜きにしても、俺をこの学校に通わせてくれているのには感謝しているらしい。
「それより宿題だよ。お前の机はどこだ」
「え?あ、ああ、ええと……」
そうは言いながらも、なぜか秘密子はその場を動こうとしない。おまけに、ずっと鞄を気にしたままだ。
「なんか変だぞ。もしかして、鞄になんか変なもんでも入ってんのか!?」
「うぇ!?はは、入ってない!い、いや、入ってないことも……」
途端に秘密子の顔色が変わり、しどろもどろになる。
「ははぁ~ん」
その様子を見て、俺はピンとくる。
「秘密子……」
「はふぅっ!?な、なに?」
「お前、鞄の中に……」
「ちっ……、ちち、違……」
「虫が入り込んで、怖くて開けられねーんだろ」
「へ……?は、はぁ!?」
途端に秘密子の顔が、脱力したような呆れたようなものになる。コイツも那澄菜と同じで、昔から強がりのくせに怖がりだからな。
「しょうがねえな、取ってやるから貸せよ」
「ふへぇっ!?ばばっ、バカ!やめろ」
慌てて鞄を取り返そうとする秘密子だが、頭の上に掲げてしまえばコイツの身長では届くはずもない。だが、留め具が緩んでいたのだろうか。掲げた拍子に、中身がバラバラとこぼれ落ちる。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「なっ、なんだよ!?そんなに叫ぶことねえだろ。悪かったよ」
落ちた教科書や文房具を拾いながら、鞄の中を確認する。
「悪かったな。でも、虫はいねえぞ。とっくに逃げたんじゃねえか?壊れたもんも無さそうだし」
だが、大きく目を見開いた秘密子は、俺の話など聞いていなかった。
「な……、無い!?な、なんで、どうして……」
「いや、虫なんだからとっくに逃げてたんだろうよ。いないんなら、むしろ良かったじゃねえか。ほれ、さっさと宿題……」
そんな俺の話など耳にも入らない様子で、秘密子は必死に周りを見回している。それこそ、床に這いつくばるようにして机の下まで覗き込んで。
「お、おい、どうしたんだよ?」
「ま、まさか、来る途中に落とし……?いや、そんなはずは……。で、でもどうして?せっかく……」
「だからどうしたんだよ……。ん?」
その時、俺は教室中に甘い香りが漂っていることに気付く。これはつい最近、どこかで嗅いだ匂い。そうだ、これは……。
そして、教室の扉が静かに開いて行く。
おそらく、先ほどの秘密子の絶叫を聞きつけた教師が見回りに来たのだろう。もちろんやましいことはないが、あんな叫び声を聞かれたら、なにか誤解されているかもしれない。
「すみません、忘れ物を取りに来たんです。すぐに帰りま……す……か……」
俺の言葉は、最後まで続くことはなかった。秘密子にいたっては、床に這いつくばったまま唖然とした表情で、教室に入ってくる人物を見ている。
その人物は、俺が知っているこの学校の教師ではなかった。
いや、それを『人物』と言っていいのかはわからない。ただ、人『型』であることは間違いないだろう。ただし、全身が真っ黒なことを除けば。
『それ』はゆっくりした動作で教室へと入ってくると、静かに扉を閉めた……。
季節外れ第2弾。秘密子さんの主役回です。




