4 ターニングポイント 大天使降臨!? その1
「な、なあ……。鬼ノ元さん、怒ってなかった……、かっ!?」
「いや、あいつは根に持つような奴じゃないし、大丈夫……、だろっ!」
「くっ……、そうか!けど、お前らホントに、何も……ないんだよなっ?まさかとは思うが、もう……付き合ってる……とかっ!」
「んなわけ……ねーだろっ!」
「ホ……、ホントだ……ろうなっ!」
「当たり前……だっ!物心ついた時から一緒だし、ガキの頃はみんなで風呂にだって入ってるんだ。きょうだいみたいなもんで、なんとも思ってねえ……よっ!」
「そっ、そうか!それはそれで羨ましいが……なっ!」
「つーか、お前の性格なら、真っ直ぐ告白すると思ったの……にっ!」
「うおっ、危ねっ!いや、さすがに女子に対しては、ガンガン行けねえ……よっ!ぐわっ!!」
目の前で大の字にひっくり返る亮太を見て、俺はようやく一息つく。
俺たちがいったい何をしていたかといえば、乱取り稽古の真っ最中だ。ちょうど今、俺が亮太を背負い投げで叩きつけたところだ。
随分とおしゃべりが多かったと思うが、これでも真剣に稽古しているので大目に見てほしい。
そして亮太は、天井を見つめたまま俺に話しかけてくる。
「あーあ、また勝てなかったか。なあ鬼一、やっぱ卒業したら就職すんのか?」
「ああ、そのつもりだ」
「じゃあ、卒業したら柔道は……」
「辞めることになるだろうな」
「でもよ、実業団とかあんだろ?よくわかんねえけど、そういったトコに就職すれば……」
「それでも、公式な試合には出られないしな。そもそも、ああいうのは会社の広告塔も兼ねてるんだろ?。だったら、試合にも出られないヤツを、無駄な給料払って飼っとくなんてことないだろ」
「で、でもよ、お前の実力なら、コーチとかならいけるんじゃねえか?」
「馬鹿言うな。俺に人に教える技術があるわけないだろ。そもそも実業団なんてプロみたいなもんなんだし、ちゃんとしたコーチだっているだろ。碌に知識のない、中学を出たてのガキが何の役に立つんだよ」
「まあ……、そうだよなぁ……」
俺の言葉に、亮太は寂しそうに笑う。
「てことは、俺は一生鬼一に勝てないまま終わるわけか」
「なーに言ってんだよ。そもそも階級が全然違うじゃねえか。それをここまで食らいつくんだから、体重が同じなら俺が負けてるかもしれねえぜ。それに亮太は全国上位クラスなんだぞ。高校じゃ全国一を狙うんだろ?」
「だからこそだよ。いくらお前のほうが階級が上だからって、全国レベルの俺が全く敵わないんだぜ。お前が公式の大会に出てたら、間違いなく全国一……、いや、世界レベルなのに」
友人の実力に嫉妬するのではなく、活躍の場が与えられないことを悔しがる。心底残念そうに言う亮太は、本当に良いヤツなのだろう。
それに、相手の事情を理解して無理を押し付けない。これこそが、こいつとの付き合いが長く続く理由かもしれない。
だが、どれだけ理解者がいようが、アヤカシが人間の公式大会に出られるはずがない。
「だいたい、俺が出られるってことは、ほかのアヤカシも出られるってことだぜ。巨人とかが出てきたら勝てるのか?それに、幽霊とか透明人間とかが出てきたら、そもそもどうやって組めばいいんだ?空を飛ぶヤツとかがいたら、地面に投げつけられんのか?」
「そ、それはだな……」
「お前は買いかぶってるかもしれねえが、俺は人間と比べて少しデカくて力が強いだけだ。俺よりも強い奴なんて、世間にはごまんといるぜ。亮太だってこの国じゃあ強いけど、世界に出りゃわかんないだろ?それと同じことさ」
「そ、それはそうだけど……。だが、俺は鬼一以外に負けるつもりはなぁい!全ては気合と根性でなんとかなる!」
「なるほど。前時代的だが、たしかに最後にモノを言うのは気合と根性だな」
「おうよ、苦しい時こそ気合と根性が必要になるのさ。そしてそれこそが、最後の勝敗を分けるカギになる!」
「おー、よく言った。そんじゃ、その気合で卒業前に、秘密子にズバッと告白しろよ」
「あ、いや……、それはだな……。も、もうちょっと待って……」
急速にテンションの落ちた亮太を前にし、その日の稽古は微妙な雰囲気で終了したのだった。
☆ ☆ ☆
「あら、こんばんは鬼一君。今帰ったの?遅くまで部活かしら」
施設に帰った俺は、ふわりと香る甘い匂いに気付く。同時に、鈴を転がすような声が聞こえてきた。
「あ……、はい。こんばんは……」
「遅くまで大変ね。うふふ、聞いてるわ。すっごく柔道強いんですってね。それに勉強も頑張ってるみたいだし。やっぱり男の子ねぇ。何かに夢中になれるって素敵だわ」
「え……?あ……、いえ……。別にそんなに強くなくて……。ただ、少し体のデカい鬼ってだけっすから。それに、頭も良くないですし、成績もそんなには良くないっす……」
「うふふ。謙遜しなくてもいいのよ。担任の先生もすごく褒めてたわ。鬼一君はとっても努力家だって。あ、疲れてるのに突然呼び止めてごめんなさいね。それじゃあ、またね」
「あ……、はい……。さようなら……」
声をかけて来たのは、最近施設や学校で見かける女の人だった。別にそれだけなら、知らない大人に声をかけられても、多少緊張する程度のことだろう。
だが、俺が妙な態度になった理由とは……。
その人は、今までに見たことのないくらいの美人だったのだ。
もちろん、以前から美人ということはわかっていた。だが、遠くから見るのと間近で見るのとでは、その美しさは格段に違ったのだ。思春期男子としては、少しばかり自分を見失ってしまっても仕方ないだろう。
おまけに、動くたびにフルフルと揺れる大きな胸元についつい目線が行ってしまうのも、仕方のないことだろう。
それほどの美人に声をかけられてドギマギしてしまったが、後から冷静に考えれば俺に用事があるわけでもないだろうし、すれ違った拍子に挨拶しただけだろう。名前を知っていたのだって、雑談中に施設の先生に聞いたのだろう。
なにせ、俺は無駄にデカい分目立つから。
おそらくは、この時期に時々見かけるどこかの会社の人事の人だろう。今年高校を卒業するヤツもいるし、誰かの面接にでも来たのだろう。
「チッ!あいつ、やっぱ胡散臭ぇ。…を見た途端、雌の匂いを……」
振り向けば、ドス黒いオーラを垂れ流した秘密子が立っていた。何が気に入らないのか、あの美人が去って行った後をずっと睨んでいる。
「なにブツブツ言ってんだよ。優しそうな人じゃねえか」
「チイッ!これだから男ってヤツは……。乳か?乳なのか!?巨乳にあっさり騙されやがってよ」
「ち、乳って……。お前、下品だぞ。それに騙すってなんだよ。見ず知らずの人をそんな風に言うなんて、よくないぞ」
思春期男子には刺激的な単語が出てきたせいで、少しばかり怯む。だが、なぜかはわからないが、あの人を悪く言われたことで少しばかり苛立つ自分がいた。
「ンだと!?そんなに、あの女のおっぱいがいいのかよ!」
「い、いいって……。そういうんじゃねーだろ!?別にお……、おっ…ぱ…ぃは関係ねーだろ。そもそも、なんでそんなにカリカリしてんだよ」
「ぐっ……。う、うるせー!鬼一のくせに、なに偉そーに言ってんだよ!」
「なんなんだよ秘密子!ふざけんなよ、なにかっつーと突っかかって……!」
「ヒミコねーちゃん。アタシとおフロはいろ!」
「あ、ずる~い!あたしもいっしょにはいるぅ!」
「ボクも~!」
だが、一瞬険悪になりかけた空気も、チビどもが割って入ってきたことで霧散する。
「……。なんだい君たち?まだ一人で入れないのかい?」
「ちがうもん!ちゃんと一人で入れるよ。でも、ヒミコねーちゃんとはいったほうがたのしいもん」
「そうそう。あたしのかみのけ、ねーちゃんにあらわせてあげる!」
「やれやれ。仕方ないな……。それじゃあ一緒に入ろうか」
「やったぁ!キーチにーちゃんもいっしょにはいろ?」
「バーカ。さすがにそりゃマズイだろ」
「にししし。アタシのみりょくにメロメロになっちゃうから?」
「ったく、どこでそんな言葉覚えてくんだよ。ぺったんこのくせに……」
元気よく猫の尻尾をフリフリさせている姿は可愛らしいが、残念ながら色気は皆無だ。
「ひどーい!そーゆーの、せくはらってゆーんだよ!アタシだって、さいきんおっぱいがおおきくなってきた……ような気がするんだから!」
「バーカ。10年早えんだよ。どっからどう見ても、見事にぺったんこだろうが」
「ふーんだ!キーチにーちゃんとなんて、いっしょにはいってあげないもん!」
「おう、そりゃありがたい。こっちもお前らに邪魔されずに、ゆっくり入れるぜ」
「うぅ~……、いじわる!!」
「アハハ。ほら、セクハラ鬼一は置いといて、早くお風呂に行くよ」
チビどもと風呂へと向かう頃には、いつもどおりの秘密子へと戻っていた。裏の顔はあれど、基本的には面倒見のいい優しいヤツなのだ。それは、秘密子に懐くチビどもを見ていればわかる。
それがなぜ、あの女の人を目にすると豹変するのだろう。
釈然としないながらも、ほのかに残る甘い匂いを感じながら、俺は食堂へと向かったのだった。