38 Misumi in Wonderland 鏡の国の美澄 その3
「……っ!美澄ちゃん!?美澄ちゃん!!」
意識を失いかけた俺だったが、固い床に倒れこんだのがむしろ幸運だったのだろう、その衝撃で目を覚ます。慌てて周りを見回すが、鏡に映るのは大小様々な自分の姿ばかりだ。
「くそっ!どうなってんだ……?美澄ちゃん……、美澄ちゃんはどこに……!」
妙な胸騒ぎを感じ、鏡にぶつかるのも構わずに駆け出す。
鏡は強化ガラスにでも覆われているのだろう。幸か不幸か、俺がぶつかったくらいじゃ傷一つ入らない。
だが、右往左往する俺をあざ笑うかのごとく、鏡は俺の醜態を映し出すだけで美澄ちゃんの姿はどこにも見当たらない。
「美澄ちゃん!どこにいるの!?聞こえてたら返事をして!美澄ちゃん、美澄ちゃん!くそっ……。すみません、誰か、誰かいませんか!近くに小学生の女の子がいませんか!?迷子なんです!」
もはや、なりふり構ってなどいられない。
もしかしたらこれは俺の勘違いで、たんに目を離した隙にはぐれてしまっただけかもしれない。
ただ、先ほどから感じる嫌な気配に、どうしようもなく不安な気持ちにさせられる。これが勘違いだったなら、あとで迷子くらいで大げさだと美澄ちゃんに怒られようが、恥をかくくらいで済むならかまわない。大声で助けを呼ぶ俺だったが、やがて妙なことに気付く。
「誰も……いない……!?」
そこは、奇妙な静寂に支配された世界だった。
だが、そんなはずはない。ほんの数分前には父親と小学生くらいの男の子の親子連れとすれ違ったし、いくら間仕切りされた空間とはいえ、鏡越しにほかの客の話し声だって聞こえていたのだ。
いや、たまたま今の合間に客が全て外に出ていたのだしよう。ならば、先ほどまで流れていたBGMすら聞こえないというのは、どういうことなのか。
「すみません、誰か……。スタッフさん!誰かいませんか!?美澄ちゃん!」
どれだけ叫ぼうが、やはり聞こえてくるのは鏡に反響する己の声のみ。その時俺は、唐突に先日のことを思い出す。
それは、黒狼探偵社でのバイトが終わり帰ろうとした時だった。狗巫女さんに見送られて事務所を出ようとした時、夢中で緋光子ちゃんと遊んでいたはずのフェンリルさんが、不意に真顔で声をかけてきたのだ。
☆ ☆ ☆
「フン……、お疲れさん。初めてにしちゃあ、まずまずの働きだったよ。だけど調子に乗るんじゃないよ。今回成功したのは、たまたまだったかもしれないってのを忘れるんじゃないよ」
「そりゃあ、俺だってわかってますよ。いろいろヒントを貰わなければ、きっとアイツを捕まえられなかったでしょうし」
「フン……。ま、当面はアヤカシ関連には気を付けることだね」
「はい。…………ん?どういうことですか?」
俺の質問に、フェンリルさんは不機嫌そうな顔で鼻を鳴らす。だが仕方ないだろう。いくら鬼とはいえ、俺は素人なのだ。長く修羅場を潜ってきたフェンリルさんが何を言いたいのかなど、わかるわけがない。
「リルさん、もう少しわかりやすく説明してあげないと……」
見かねた狗巫女さんの言葉を受け、面倒くさそうに口を開く。
「ハッ……。いいかい?今でこそ大手を振って太陽の下を歩いちゃいるが、ホンの少し前、それこそアタシがガキの頃には、アヤカシってのは世界に存在しない、するはずがない、しちゃいけないモノだった。闇に生まれ闇に生き、誰も知らないうちに消えていく、それがアタシらだったのさ。現にアタシだって、大妖が馬鹿娘のために法律を作る前は……。フン、そんなコトはどうでもいいか……」
フェンリルさんが突然何を言い出したのか、その意図はわからない。ただ、今までとは違う雰囲気から、何か大切なことを伝えようとしているのは伝わってくる。
「太古の昔から人間はアタシたちを恐れ、時には恐れから逃れるために、それを敬い奉ることに変えて生きてきたのさ。ま、八百万の信仰の一つとも言えるけどね。もっとも、そうやって敬ってもらえるのはまだマシな方さ。ほとんどは闇に見立てられ、耳を塞ぎ目を瞑り、穢れとして見ないようにされてきたんだ。闇にはアタシらが潜む、闇はアタシらを呼ぶって信じてね。つまり、暗闇とはアヤカシと同義だったのさ。もっとも、今じゃ科学技術の発達で真の闇なんてものはほぼ存在しないけどね。だけど何百年、何千年もの昔はどうだっただろうね。月の無い夜なんざ、辺り一面……、いいや、世界そのものが闇に包まれていくように感じただろうさ。当時の人間なんかは、夜が広がって行くってのは、闇が闇を呼ぶ……、つまりはアヤカシがアヤカシを呼び、さらに闇……、つまりは穢れや恐れが増え続けて行くと思ったんだろうね。ま、科学の『か』の字もない大昔の話さ。だけど……」
一瞬自嘲気味に笑ったかのように見えたフェンリルさんだったが、再び真顔になると話を続ける。
「だけどね、アタシらのことが潜在意識レベルで世界に認識された現代はともかくとして、本来アヤカシってのは、そこに存在しているはずなのに存在していないモノなのさ。わかるかい?」
「い、いえ……」
リルさんの話は謎々やトンチ話のようで、よくわからない。いや、いるはずなのにいない、それはむしろ禅問答や哲学みたいだ。もちろん俺に、そんな難しい話が理解できるわけはない。
「つまりアヤカシってのは、かぎりなく空想上の存在だったのさ。本当にいるかいないかもわからない。でも、世の中には当時の人間じゃ理由を説明できない不思議な出来事が起きる。しかも、自然現象ですら神の怒りと思われてた時代だ。今のように低気圧がどうたらとか、地殻が動いてなんたらなんてことすらわからない時代に、不可思議な現象に理由をつけるにはアヤカシはピッタリの存在だったのさ。台風や洪水が起きたのは神様が怒ったから、地震は大鯰が暴れたから、山中で空腹で動けなくなったのは、ヒダル神に執り憑かれたから……ってね」
「ああ……、その、なんとなくはわかります。詳しくはないですけど、例えば自然災害が起こった時の生贄文化……、いえ、信仰って言うんでしょうか。とにかく、現代から見たら人柱とか、狂っているとしか思えない文化だって、当時の人たちは本気で神様の存在を信じて実行していたんでしょうし……」
「フン、脳筋にしちゃあいい解釈じゃないかい」
拙い解釈だったが、意外にもリルさんは俺が話を理解したことが嬉しかったのだろうか。少しばかり穏やかな表情になり続きを語る。
「乱暴に言っちまえば、アヤカシってのは神様と一緒で、人の心が生み出す存在なのさ。人がその存在を信じるかぎりは、見えないがそこかしこにいる。ああ、あの現象を起こしたのはナントカいうアヤカシだ。そうやって理由をつけることで、曖昧な境界線上にいたアヤカシという存在が人間に認知される。そうすることで、空想上の存在だったアヤカシが、現実の存在として人々の心に刻まれる。つまりアヤカシってのは、人が信じてくれる心がなければ存在を保つことができないのさ」
「存在を……ですか?」
「例えばだ。突然突風が吹いた後、気付いたら脛にすっぱりと切り傷があったとしようか。これは知る人が解釈すれば、ああ、『鎌鼬』にやられたんだ……と思い込む。ところが、そんなもの知りもしない人がいたら、『不思議なこともあるもんだねぇ』とか、『風に乗って舞ってきた葉っぱで切っちまったんだろう、運が悪かったね』で終わっちまう。この場合、前者には本当にいるいないに関わらず鎌鼬というモノが存在するが、後者にはたとえ鎌鼬が本当に存在したとしても、いないことになっちまうのさ。そうして誰も知る人がいなくなった時、ただの不思議な現象だけ残し鎌鼬という存在はこの世から消えちまう……って寸法さ」
「なんとなく……、わかる気がします」
「だからこそ、アヤカシってのは必死で自らの存在を保とうとする。人間に自分の存在を認識してもらうために、誰かに認識されたアヤカシがいれば、便乗してそいつのそばに現れる。一度でもアヤカシの存在を知ったり、怪異現象に遭遇した人間がいれば、自分の存在も知ってほしくて、視ることのできるヤツのそばに寄ってくる。つまりは、一度でもそういった世界のことを知ったヤツの周りには、アヤカシどもが群れて集まってくるのさ。たとえ現代になろうと、そうしたアヤカシに刻まれた習性……、特に原始的な知能しかないヤツや、人前に出てこられないようなタチの悪い奴らの習性ってのは変わらないのさ。救い、快楽、欲望……、様々な思惑はあれど、それらを求めて寄ってくる」
何を言いたいのかと思って聞いていた俺だったが、だんだんと話の深刻さが理解できてくる。
「つまり、積極的にアヤカシとかかわった俺には、この先さらにこういうことが起きる……と?それも、あまり人間に対して好意的でないヤツらと……」
「あ、あのね、確かにそういう傾向はあるんだけど、そもそも鬼一君も同じアヤカシだし、そんなに深刻に考えなくても大丈夫だからね。た、ただ、その、鬼一君は大丈夫でも……」
横から助け舟を出してくれる狗巫女さんだったが、最後に言わんとしていたことを、俺は理解していた。
「俺は大丈夫でも、周りにいる人たちが影響を受けるかも……、ってことですね」
「はわわっ!そ、その……、はい……。ごめんなさい。お仕事前にちゃんと伝えればよかったんだけど……」
「いえ、狗巫女さんたちを責めているわけじゃないんです。この仕事をすると決めたのも自分自身ですし、むしろ、教えていただいたことに感謝してます。何も知らないでいるのとは、心構えができるぶん全然違いますので」
「フン、必ずしもそうなるってわけじゃないし、あくまで可能性があるってだけの話さ。交通事故だって誰しも遭う可能性はあるが、誰もが遭うわけじゃないだろ?毎日のように出かけるヤツと引きこもってるヤツとじゃ、確率が違うってくらいの話さ。そもそも昔と違って、アタシらやアンタみたいなメジャーなアヤカシは、もう忘れようがないくらい世間に浸透してるんだ。それに今じゃ、アヤカシを見たことないヤツのが少ないくらいだしね。そのぶんそういったヤツらも、いろんなところに分散してるさ」
「わかってます。でも、知らないでいるよりはよかったと思います。フェンリルさんも狗巫女さんも、ありがとうございます」
「フン、もしもそんな状況になった時は、むやみに戦うことが全てじゃないさ。相手の力量を見定めて戦うのか逃げるのか、状況を見て自分が何をすべきなのか、何を守るべきなのか、何が一番大切なのかを考えて行動することだね。ああ、ちなみにだけど、『緋光子の幸せの妨げになるなら、商店街が潰れようがどうなろうが構わない』、アレはアタシの本心だからね。いざという時には、アタシは商店街の皆より緋光子を選ぶ。アタシにとって緋光子の幸せは商店街の何百人よりも重いし、他のことなんざ知らないね。そういうことさ」
とんでもないことを言いだすフェンリルさんに寒気を感じるが、少なくともこの人は、初めて会った時からスタンスはぶれていない。
「もう、そんなこと言って……。そう言いながらも、リルさんはちゃんと皆を助けようとするでしょ?」
「フン……。ま、そこまでのことはまずないんだけどね。ただ、いざって時はそのくらいブレない信念が必要なのさ。それよりも大事なのは、大切なヤツも含めて全員が生き残ることだ。『ヤバいと思ったら逃げろ』、仕事前にアタシが言ったコトの意味、肝に銘じておきな」
☆ ☆ ☆
フェンリルさんとの会話を思い出し、俺の心も少しばかり冷静になる。
そうだ。オロオロしたり、焦ってパニックになっている場合じゃない。今俺がすべきことは何だ?
そうだ、俺は探偵じゃないし、アヤカシ相手の知識もない。得体の知れない相手と戦う力もなければ、この怪現象を解決する方法も知らない。
俺ができること……。いや、するべきこと、しなければならないことはたった一つ。美澄ちゃんを見つけ出し守ること。そして、無事に家族の待つ家へと連れて帰ることだ!
「うっしゃぁぁぁぁぁっ!!」
両手で自分の頬を張り、気合を入れるために大声で叫ぶ。そうだ、迷ってる場合じゃない。何を差し置いても、まずは美澄ちゃんを見つけることが先決だ。
まずはどうするか。ミラーハウス中を駆け回り、隅々まで探し回る?普通ならそれで見つかるはずだろう。だが、この現象を引き起こしているのはアヤカシの可能性が高い。ならば、そんな当たり前のことは意味がないはずだ。あの男の気配を感じたことは気になったが、今考えるべきはそんなことじゃない。
俺は視界に神経を集中する。目を凝らし周りを凝視するが、鏡に映るのは俺の姿ばかりで、美澄ちゃんや何か変わったものが映っていることはない。
ならば、聴覚はどうだ?俺は目を閉じ、どんな小さな音も聞き逃すまいとする。
音の消えた静寂の世界は、何も聞こえないはずなのに耳に痛いほどの圧迫感を与えてくる。だが……。
「うっ……、ううっ……」
静寂の中に、わずかだが誰かのうめくような声が聞こえてくる。それは小さな女の子が泣いているような、悲し気なものだ。
「美澄ちゃんっ!」
それが本当に美澄ちゃんの声なのかはわからない。もしかしたら、俺をおびき寄せるアヤカシの罠かもしれない。
だが、俺は確信していた。なぜかはわからないが、これは美澄ちゃんが俺に助けを求めている声だと……。
次の瞬間、俺は声のする方に駆け出していた……。
『他のことは知らないね』。フェンリルの言葉の一部は、漫画『ベルセルク』より引用させていただきました。当初は無かったセリフですが、三浦建太郎さんの訃報を受けて追加させていただきました。もちろん、まったく同じというわけではありませんが。柳ジョージさん、BBキング、パコ・デ・ルシア、志村けんさん、その他の方々……。仕方のないことですが、生きていれば好きな著名人の訃報を聞いてショックを受けることもあります。ですが、近年では三浦さんの訃報が一番衝撃的でした。よくネタとして、作者存命のうちに作品は終了しないだろう……、などと言われていましたが、まさかそれが現実になってしまうとは……。長々と個人的な思いを書いてしまいました。非常に残念ではありますが、今まで素晴らしい作品を世に送り出してくださったことに感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。




