24 鬼ノ元秘密子の憂鬱
「くぅ~っ。バカバカバカバカバカバカ!馬鹿鬼一ーっ!!」
言いようもなく不快な気分で帰ってきた私は、手にしていた紙袋を壁に投げつけようとしたところで思いとどまる。
そうだ。物に当たったところで後で後悔するだけだし、本に罪はない。それに、私のことを怯えた目で見ていた珠魅たちにも悪いことをしてしまった……。
けれど、やってしまったことは仕方がない。あの子たちには、今日は好きな食べ物をいっぱい作ってあげて、今度いっぱい遊んであげることで勘弁してもらおう。
だが、そう思ったところで本以外の買い物をしてこなかったことに気付く。今日の夕飯は、せっかく鬼一とあの子たちの好きなモノを作ってあげようと張り切っていたのに……。
どうしよう。今から買い物に戻るべきか……。でも、とてもじゃないがそんな気分にはなれない。
いや、今日の食事当番は私がすると宣言したんだ。ほかのみんなのためにも、作らないわけにはいかない。冷蔵庫にはまだ食材があっただろうか……。
なんで……こうなっちゃったんだろう……。
数日前に珠魅と話をしていた時は、私の大好きな作家の新刊が発売される日と、鬼一がこの家に帰ってくる日が重なるってだけで、不思議なくらいワクワクしていたのに……。
それがどうだろう。今やまるで、この小説に出てくる報われない想いを抱える登場人物のような気分だ。
いや、別に私が報われない想いを抱えてるってわけじゃない……と思う。
そもそも、私はあの朴念仁のことが好きなのだろうか……?
たしかに、鬼一のことは嫌いではない。むしろ、好意を持っているといってもいいだろう。
だが、はたしてそれは、世に言う男女の恋愛感情というべきものなのだろうかという思いと、これはただの家族愛、肉親に寄せるものと同じものではないかという疑問が交錯する。
でも、鬼一同様本当の家族を知らない私が、家族愛なんて感情を持っているのだろうか……。
私も鬼一も、物心ついた時にはすでにこの施設で暮らしていた。もちろん、お互いに自分が誰の子供なのか、親は生きているのか死んでいるのかすら知らない。
興味がないと言えば嘘になる。だが、そんなことを聞いて先生たちを困らせるくらいなら、自分の感情を押し殺していた方が楽だ。
それに真実を知ったからといって、どうなるわけでもない。
例えば、私を探し求めていた生き別れた裕福な両親が迎えに来て、ある日突然豪邸暮らしのお嬢様に……、なんて童話のような結末が訪れるわけでもないだろう。
だから、私たちは世間で言う家族愛なんてものは知らない。
誤解のないように言っておくが、施設の先生たちや、周りの兄弟姉妹は本当の家族のように優しかった。
でも、やはり心から感情をぶつけられる相手かと言えば、そうではない。
だから、私にとって鬼一は物心ついた頃から常に一緒にいた存在で、他の男の子とは少しばかり違う、素の自分をぶつけられるちょっと特別な存在だった。
常に私のそばにいてくれたし、どんなに我がままを言っても、顔をしかめながらも聞いてくれた。
私が笑えばぎこちない笑顔で一緒に笑ってくれたし、私が泣けば困った顔をしながら、泣き止むまでずっと一緒に寄り添ってくれた。だからいつも鬼一のそばにいるようになったのは、ごく自然なことだろう。
そう考えれば、これは恋愛感情と呼んでも差し支えないのかもしれない。最近無性にイライラするのだって、いつもそばにいるはずの鬼一がいなくなったからだろうか?
けれどそれも、幼い頃から一緒にいることが当たり前のはずの鬼一を、誰かに取られるってことに対して不安がっているだけなのでは……。
でも……。
だったら、この言いようのないドロドロした感情は何なのか。
この淀んだ気持ちは、鬼一がこの家を出て行った時から晴れることはない。鬼一の新しい住み家が、あの美人のおばさんの家と知ってからは……。
ここは、本棚と子供用の勉強机と小さな衣装ケース、そして少しばかり窮屈なベッドだけが置かれた私の部屋。
たくさん服を持ってるわけじゃないし、衣装ケースは小さくても事足りる。
机は勉強さえできればいいんだから、子供用で十分だ。それに、本当に珠魅たちに邪魔されず勉強に集中したい時は、図書館にでも行けばいい。
ベッドに関しては子供の頃から使っているんだし、そりゃあ成長すれば窮屈にもなるだろう。
もっとも、私は鬼のくせに鬼一ほど大きくはならなかった。まあ、女の子としてはそっちのほうが嬉しいんだけど……。
そんなわけで、ベッドは多少狭くなっても、今でも十分に使えている。
それに、先生たちが私の唯一の我がままを聞いてくれ、買ってくれたものだ。少しばかり窮屈でも愛着はあるし、今やこのベッドじゃなきゃ寝られないんじゃないかとも思う。
鬼一に対しては散々に素の私を見せて我がままを言っているのに、他人に見せた唯一の我がままが子供用のベッドだとは、おかしなものだと思う。
まあ、窮屈になったからといってあの子たちにあげないのが、私の狭量さなのかもしれない。
もっとも、1つしかないものを誰かにあげれば、それはそれで喧嘩になるだろうし仕方ない……、というのは言い訳だ。
結局私は、人であれ物であれ、お気に入りの物を誰かに取られるのが惜しいだけなのかもしれない……。
「あーっ!もう!!」
モヤモヤする気持ちを振り切るように、ベッドにうつぶせに飛び込んでみる。ドシンという派手な音とともに、古くなったスプリングがギシギシと音を立てる。それは、下手をすれば何事かと誰かが駆けつけてくるくらいの音だ。
だが、幸いにもというべきか、ここではチビどもが立てる騒がしい音で、それくらいは日常茶飯事だ。心配した誰かがわざわざ駆けつけてくることもないだろう。
「鬼一の……、バカ……」
わざと呟いてみたひとり言は、自分が思っている以上に暗い声だった。今日のことを思い出せば思い出すほど、心がざわついていく。
こんな時、鬼一のように理性を失った鬼の姿にでもなれれば、スッキリするのだろうか?
だが、私は鬼の血は随分と薄い。華奢な見た目と違って、人よりは丈夫な体と力があるだけだ。
そんなことを思うなんて、きっと不謹慎なんだろう……。
幼い頃、あの姿を晒した後の鬼一が、どれだけ悲痛な顔をしていたか……。私は冗談のひとつも言って、和ませることすらもできなかった。
それほどまでに鬼一は、あの姿になることに悩んでいたんだ。それこそ、あの脳筋バカの赤神君があっけらかんと認めてくれなければ、今の鬼一はなかったかもしれないほどに……。
もしも……、もしもだ。もしも私があの時、鬼一と同じ姿に成れたのなら、鬼一は私をこの世界で唯一の仲間と認めてくれて、今頃は二人だけで生きていたのだろうか……。
ううん、そんなことはないか……。
今ならばわかるけれど、たとえそう成れたとしても、私たちは幸せではなかっただろう。
そう成ってしまった私、そうさせてしまった鬼一……。お互いに自分を責め続けて、苦しんでいるだけだろう。
だから、当時は鬼一を取られたようで悔しかったけど、今は赤神君に感謝している。
まあ、あの脳筋バカっぷりと、何やら私に思うところがありそうな態度は少々うっとおしいけれど……。
だがあの事件をきっかけにして、私の中の『女』の部分がただの幼馴染、友人、同族、親に捨てられた『同士』であったはずの鬼一を、少し別の目で見るきっかけになったのだとは思う。
けれど……。
鬼の姿に成れればなんて、不謹慎なことを思った自分に少し反省する。
でも、もう一度思わずにはいられない。
なんでこうなっちゃったんだろう……。
そうだ。数時間前には、それこそ浮かれた気分で街へと出かけて行ったのだ。それが、あんなものを目にするなんて……。
「もしかして、今……、シ……、シちゃってんのかなぁ……」
聞く人など誰もいないのに、声に出して呟いてみる。
新刊を手に入れ浮かれていた私は、街で偶然鬼一と会った。
でも、鬼一は私に全然気付くことなく、それどころか、ものすごく美人でスタイルのいい女の人と楽しそうに歩いていた。
その困ったような、ちょっぴり嬉しそうな顔は、私と一緒の時には見たことがないものだ。
その女の人には見覚えがあった。
いや、その人自身に見覚えがあるわけじゃない。正確には、鬼一を養子に迎えると言い奪っていったおばさんの面影があったのだ。
おそらくだが、あの女の娘なのだろう。悔しいが母親そっくりの美人でスタイル抜群の、しかも私と違いとても明るくて性格も良さそうな、男なら誰でも靡いてしまうだろう人だ。
私には関係ないことだ。たとえ誰と付き合おうが、鬼一には鬼一の人生があるんだから……。
そう思い、そこから立ち去ろうとした私だったが、なぜかその場から一歩も動くことができなくなっていた。
『ひっ、秘密子!?』
気付けば、私は鬼一たちを睨みつけていた。
自分でもなんて浅ましいんだろうと思う。これじゃあまるで、嫉妬に狂って安珍を焼き殺した清姫のようじゃないか……。
でも、残念ながら私は大蛇にも、ましてや本物の鬼にすら成れない。嫉妬の炎を吐き出すことすらできず、ただ黙って鬼一を睨みつけることしかできない……。
その後、あの女は鬼一をラブホテルに誘っていたようだ。しかも、私を挑発するかのような仕草で……。
それを知った私は、二人の邪魔をしてやろうとか、二人の元へ駆けて行き鬼一をぶん殴ってやろうとか、そんなことすら考えられなかった。
ただただ、男と女の未知の世界が怖くて、二人のその後を見たくなくて、どうしていいかわからずその場から逃げ出したのだ。
そりゃあ鬼一だって男の子だ。
小さなころから一緒だと忘れそうになるが、鬼の血がそうさせるのだろうか。最近は同級生の子供っぽい男の子とは違う、逞しさを感じさせる。
中学生の頃に、赤神君とこっそりエッチな本を見ていたのも知っている。本人は隠し通せているつもりだろうが、私にはバレバレだ。
その時は不潔だって思ったけど、今思えばそれは男の子として健全なことなんだって思う。
だから、鬼一が誰と付き合おうが私はかまわない。たとえあのおばさんと付き合おうが、僕は祝福して……?
いや、さすがに歳の差を考えたりすれば俺様はイヤだ……。それ以前に、あの女はなぜか気に食わない。ならば、さっきの女ならいいのか……?
でも、私は……、僕は……、俺様は……。
なんだろう。ずっと自分を偽り周りに合わせてきたことで、本当の自分ってのがわからなくなる。
僕の……、俺様の……、本当の私の気持ちってのは、いったいなんだろう……。
鬼一が帰ってくる前に、少しだけ読んでおこう……。そう思ってせっかく買ってきた新刊も、袋から出す気にもなれない。
いや、いっそ現実逃避をするためにも、無理矢理にでも物語の世界に入り込んだほうがいいのかもしれない……。
「え?あ……、はい」
思考の波に飲み込まれていると、不意に聞こえたノックの音で我に返る。
誰だろう……?あの子たちは何度言ってもいきなりドアを開けて入ってくるし、鬼一が帰って来るにはまだ早いはずだ。いや、そもそもホテルに行ってるんだったら、今日は来ないかもしれない……。
そのことを考えると、ズキリと胸が痛む。
でも……、仕方ない。男なら私とあの人を比べれば、誰だってあの人とシたいって思うだろう。それほどまでに、女としての違いは明白だったのだ。
もちろん世の男たちの中には、二人を比べても私を選ぶ人だっているとは思う。けれどもそれはきっと、世間的には褒められた趣味の人ではないだろう。例えるなら、まだ成熟していない女の子に欲情する類の……。
「開いてるよ。どうぞ」
相手が誰だかわからないし、もしかしたら先生方かもしれない。極力余所行きの『秘密子』を演じ、当たり障りなく返事をする。
「ふふ。お邪魔するわね」
「え……?雪姉……?」
扉を開けて柔らかな笑みとともに部屋に入ってきたのは、雪姉こと、『雪姫』だった……。
少しばかり蛇足が続きますが、閑話休題その2です。話は少し遡り、揺れる鬼っ娘乙女、秘密子の胸の内です。タイトルはもちろん大ヒット学園モノラノベより。最近新作が話題になりましたが、なかなか本編の続きが出ませんね……。




