11 かくしごと 円城さんの家庭の事情 その3
家に帰るまで、二人はずっと無言だった。俺から何かを言い出せる雰囲気でもなかったし、華澄さんも同じ気持ちだっただろう。
でも、俺たちが思っていたことはきっと同じだ。それは、おそらくはこれで『お別れ』だろうってことだ。
そう思うと、言葉は出てこなかった。
そんな中、今後のことを考える。
現実問題としてやるべきことは、格好は悪いが施設に頭を下げてしばらく住まわせてもらい、住み込みの働き口を探すだけだ。
そう、数ケ月前に思い描いていた人生のとおりに……。
亮太は残念がるだろうが、仕方ないだろう。なあに、仕事が落ち着いたらどこかのスポーツ施設でも借りて、思う存分乱取りでもしてやるさ。
もっとも、なまった体ならすぐに投げ飛ばされてしまうかもしれない。いや、そうなればむしろ亮太の成長を喜ぶべきだし、俺が弱いとわかれば諦めがつくか。
そうだ、あいつなら俺が弱いとわかれば興味もなくし、新たな世界を求めて進んでいくだろう。
俺と秘密子の関係を気にしていたようだし、案外俺がいなくなってホッとするかもしれないな。
少しばかり寂しい気もするが、俺みたいなのとガキの頃から親友でいてくれたんだ。それ以上を望むのは贅沢ってもんだろう。
俺の将来を心配して、養子の話をまとめてくれたリサリサ先生には悪いことをしてしまった。もっとも、あの先生が顔をつぶされたくらいで怒りはしないか。
そもそも、俺なんかたくさんいる生徒の一人だ。数年もすれば俺のことなど忘れて、新たな生徒たちと忙しく向き合っているだろう。
それに、あの美貌と明るい性格だ。心配せずとも、昔の想い人を忘れさせてくれるような素敵な人が見つかるだろう。案外数年後には、あっさり寿退職してるかもな。
秘密子は……。まあアイツは文句を言いながらも、また一緒に賑やかに暮らせるって喜ぶかもしれないな。それにチビどもだって、遊び相手が戻ってきたと無邪気に喜んでくれるはずだ。
澄麗さんや美澄ちゃんは少しばかり残念がるかもしれないが、ほんの一か月程度一緒に暮らしたヤツのことなんて、すぐに忘れてしまうだろう。
あの男のように、話題になることすらなく……。
那澄菜は……。そうだな、あいつは嫌いなヤツがいなくなって、むしろ大喜びするだろうな。
そういえば、あいつが喜んでる顔なんか見たことないぞ。どんな顔で笑うのか、一度くらい見ておきたかった気もするな……。心残りってほどじゃないが、それだけが少し残念だ。
なんだ……。そう考えれば、俺がいなくなったってたいした影響はないじゃないか。俺がいなくなれば皆が悲しむなんて、なんて自意識過剰なんだ……。
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、その日の夜を迎えた……。
☆ ☆ ☆
「よかったら……、二人で飲まない?」
美澄ちゃんが寝付いたあと、華澄さんが声をかけてきた。
「はい、俺も話しがありますから」
そんな状況を見れば、真っ先に澄麗さんが乱入してきそうなものだったが、なにかを感じ取ったのだろうか。それに珍しく那澄菜も口を出すこともなく、自分の部屋へと戻っていった。
おそらくだが、俺には普段どおりにしか見えなかった夕食時の母親の様子が、いつもと違うことを感じ取ったのだろう。
しばらくは向かい合ったまま、さしつさされつ無言で酒を飲む時間が続いた。そして、重い口を開いたのは俺の方だった。
「俺……、出て行きます。短い間でしたけど、本当にお世話になりました。用心棒の役割も終えたみたいですし……」
「そう……」
「あ、心配しないでください。またアイツが現れるようなことがあれば、呼んでもらえばすぐに駆け付けますから。それにほら、役目を終えて去って行く用心棒とかって、昔のチャンバラ映画や西部劇みたいで、けっこうカッコよくないですか?と言っても、ちゃんと見たことはないんですけど。アハハハ……」
少しばかり寂しい気もするが、これでいい。自分から俺を迎え入れると言った手前、華澄さんから出て行けなどと言い辛いだろうから。
「そうね……。あんな恐ろし気でおぞましい姿……、美澄が見たらそれこそトラウマでしょうし、力尽くで襲われでもしたら、どうにもできないしね。こんな危険な人と一緒に暮らすなんて、私たちには無理だわ」
「ア……、アハハ……。そうですね……。でも、そう思うのは当たり前ですよ。俺だって自分が親だったら、同じ心配をすると思いますし……」
あの時抱きしめてくれたのは、気を遣って精一杯無理をしてくれたのだろう。予想も覚悟もしていたが、最近は暖かい環境に慣れすぎたようだ。正面切って言われるのは、思った以上にこたえる。
「そんなわけなんで、明日にでも荷物をまとめて……」
「……るさ……ないわよ……」
「え……?」
うつむきながら話しをしていた俺は、華澄さんの顔など見ていなかった。
それはきっと、ガキの頃から嫌と言うほど浴びてきた視線……、畏怖、蔑み、嘲り、憎悪……。とにかく、そんな感情のこもった目で華澄さんに見られることに耐えきれなかったからだ。
だが、意味のわからない言葉をかけられ思わず顔を上げた俺は、そこにある華澄さんの表情を見て息をのむ。
そこにある華澄さんの顔は……、怒っていた。
端正な顔を歪めたりだとか、露骨に表情がわかるものではない。ただ、何となくだがわかったのだ。静かな中にも強烈な怒りを込めて、真っ直ぐに俺を見つめているのを。
「許さないわよ。キーちゃんは、私が本気でそんなことを言うと思ったの?それに出て行くってなに?私の過去に愛想を尽かしたから?もちろん、それが理由なら私に何も言う権利はないわ。でも、違うわよね?キーちゃんの表情は、自分が悪いから出て行くって顔よね?あなたは何も悪くないし、そんな理由で出て行くなんて許さないわ!」
「かっ、華澄さんの過去なんて……。そんなもの、俺は気にしませんから」
「なら、自分の姿を見られたから?あの姿を見て私が……、いいえ、私たち家族がキーちゃんを怖がると思ったの?拒絶して、家から追い出すと思ったの?」
「う……。で、でも、俺は化け物で、あの時だって自分の感情を制御できなくて、ただあの男が憎くて憎くて……。華澄さんが止めてくれなかったら、俺はきっとあの男を……。もしも……、もしもその感情が華澄さんたちに向いてしまったら、俺はなにをしでかすかわかりません!だから、そうなる前に……!」
「化け物ってなに?人間じゃないから?人と見た目が違うから?それでキーちゃんが化け物だって言うなら、私たちだってサキュバスの血を引く化け物よ」
「そっ、そんな!華澄さんたちは俺と違って、間違いなく人間です」
「キーちゃんと違って?」
華澄さんは突然立ち上がると、俺に近付いてくる。
その顔を見て、俺は殴られると思った。それほどまでに静かな怒りを込めた顔をしていたし、それに対して抵抗しようとも思えなかった。
目の前に立った華澄さんの腕が動き、俺は目を瞑る。そして……。
「え……?」
次に目を開けた時、俺は暖かいものに包まれていた。それが華澄さんの腕の中だと気付くのには、少しばかり時間を要したが……。
「ごめんなさい、私の言い方も悪かったのね。男の子がいれば心強いって言ったのは、そう言ったほうがキーちゃんの気が楽になるかと思っただけで、本当にそんな役割を押し付けるつもりじゃなかったの」
「華澄……さん……?」
「あなたは化け物なんかじゃないわ。だって、こんなにも真っすぐで、優しい心を持ってるじゃない。見た目が人間じゃないからって、私たちはそんなふうには思わない。それに本当の化け物っていうのは、他人を見下し、己の欲望の道具にしか考えない、あの男のように醜い心の持ち主のことよ」
「で……、でも……、俺は……」
「それに、養子に迎えるだけならもっと適した幼い子がいたわ。でも、私は何か月もキーちゃんの人柄……、優しさや誠実さを見て、この子ならって決心したの。この子なら、那澄菜や美澄の心の傷を救ってくれるんじゃないかって……。あの子たちにもそれを伝えて、あなたなら家族に迎え入れても大丈夫って、みんなで納得してのことなの。だからお願い、家族として一緒にいてほしいの。私は……、いえ、私たちはキーちゃんと家族になりたいの……」
華澄さんの暖かな胸に抱かれていると、何かを思い出すような気がする。
それは遠い昔、俺の記憶が無い頃のことかもしれないし、ただの思い違いかもしれない。
でも、それはとても心地良いものだった。もしかしたら遠い昔、わずかに経験したことがあるのかもしれない、その感触は……。
気付けば、両目から熱いものが流れていた。
「お母……さん……」
それはおそらく、俺が生まれて初めて口にしたであろう言葉だった……。
☆ ☆ ☆
「あ、あの……。さっきのは忘れてもらえると……」
「さっきのって?あら、もしかして泣きながら私を、『お母さん』って呼んだことかしら?」
華澄さんは口の端を吊り上げ、猫のように悪戯っぽくニューっと笑う。それは、どこかで見たような笑い方だ。
「ぐっ……。お願いですから忘れてください……」
「あら、いいじゃない。でも、せっかくだから『お母さん』より、『ママ』って呼んでくれたほうがいいなぁ。そっちのが若い感じがするしね。あ、ちなみに語尾にはハートマークをつけてね」
「うぐっ……、勘弁してください……」
「うふふ、冗談よ。それよりも、昼間のことをちゃんと話さないとね」
「あの、言いにくければ別に俺は……」
「いいのよ。巻き込んでしまった以上……、ううん、家族であるキーちゃんには聞く権利があるわ。それにちゃんと知っておいたほうが、万が一の時にも役に立つかもしれないしね。でも、あのキーちゃんの堂に入った脅しを見たら、万が一なんてないでしょうけど」
「もう……、からかわないでくださいよ」
「うふふ。でも、優しいキーちゃんの精一杯の虚勢だったんでしょうね。足が震えてたわ」
その言葉に少しばかり驚くとともに、華澄さんが俺をちゃんと見ていてくれたことへの嬉しさも感じていた。そして、さりげなく俺を『家族』と言ってくれたことにも……。
「さて、退屈な話ですけど、お酒の肴でもしてもらって、少しばかりお付き合いくださいな」
華澄さんは空になった二つのコップに酒を注ぐと、ゆっくりと語り始めたのだった。
華澄さん編、もう少しお付き合いください。次回ついに、華澄さんのかくしごとが明らかに!?いや、そんなたいそうなネタフリではないですが……。




