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10 かくしごと 円城さんの家庭の事情 その2

「華澄さん!?あ、あなたってもしかして……?でも、パパは亡くなったって美澄ちゃんが……」


 その場の空気にいたたまれなくなった俺は、無意味に言葉を繋ぐ。それは華澄さんを不快にするものと理解しながらも、無言でいることはできなかった。


「死んだ?なるほど、僕のことは話しもしなかったわけか。フフン、まあいいさ。そいつの最初の旦那はそうらしいな。まあ、僕にはあずかり知らぬことだけどね。そんなことより、その子が噂に聞いていた君の『新しい男』かい?華澄」


 一見爽やかそうに見える男の口からは、外見からは想像のつかない、俺でさえわかるような悪意に満ちた、いやらし言葉が吐き出される。


「気安く呼ばないでください!私たちは、もうあなたとは何の関係もないんですから」

「おやおや、つれないなぁ。そう気色ばむなよ。そもそも、多少の行き違いがあったとはいえ、僕がこんなにも歩み寄ってあげているんだよ。お前のような下品なアバズレにとっては、むしろ喜ぶべきことだろう?」

「いっ……、行き違いですって!?よくも平然とそんなことが言えたものね」


 男の物腰は柔らかだし、身なりだって綺麗だ。例えて言うなら、ドラマに出てくる銀行員やエリートサラリーマンって感じだ。

 よく見れば年齢なりの感じはするものの、顔だって二枚目だし、パッと見は若く見える。もちろん、俺が世の中年男性の平均像とはどういうものかを知っているわけではないが。

 だが……。

 なんと言うのだろうか。注意して見ると、その笑顔もお面をかぶっているような不自然な印象で、何か信用できない薄気味の悪さを感じさせる。

 もっとも、俺がそう感じたのは華澄さんの態度や、男の口から出てきた華澄さんを侮辱するような言葉のせいかもしれない。

 けれど、そう感じる理由はある。

 例えて言うのなら亮太の笑顔というのは、裏表の無い豪快な心からのものだ。それに対してこの男の笑顔というのは本心を隠し、作り上げたものを常に貼り付けているような不気味なものだ。

 

「あの、華澄さん、この人は……」

「…………」

「やれやれ、新しい男に僕のことを紹介するのは気が引けるかい?まあ、昔の男を隠しておきたい気持ちはわかるさ。『子供がいるとはいえ、体を許した相手は旦那だけなの』とかか?まあ、そういうのが効果的な相手もいるだろうし、お前がどんな手を使って男を誑し込もうが、僕にはどうでもいいがな」

「ふっ……、ふざけないで!この子はそんなんじゃないわ。養子として、家族に迎え入れようとしている子よ!!」


 だが、華澄さんの言葉にも男の余裕を持った、どこか人を見下したような態度は変わらない。

 

「フフン。バケモノ同士のことは興味もないし、どうでもいいさ。それよりも場所を変えようか。ご近所にいろいろと聞かれて、困るのはそっちだろう」

「ば、化け物って……。私のことはともかく、この子のことを悪く言うのは許さないわよ!」

「少し落ち着きなよ。ご近所に素性がバレて困るのはそっちだって言っただろう。それに、僕が口にしてるのは事実だけだよ。人間じゃないヤツをバケモノと呼ぶことの、どこが間違ってるんだい?」

「くっ……、サイテーの男ね!」

「おいおい。しばらく会わない間に、随分と口が悪くなったもんだな。そんなんじゃ先が思いやられるし、美澄の教育にも良くないだろう。いや、それは僕がじっくりと躾ければいいし、それも楽しみのひとつか……。さて、僕も方々で必要とされる忙しい身だ。時間もないしそろそろ行こうか。ああ、別にこんな女をどうこうするつもりはないが、心配ならそこのバケモノのボーヤも一緒に来るかい?」

「…………」


 状況が飲み込めないが、直感で華澄さんとこの男を二人きりにさせてはいけないのはわかる。無言で頷くと、俺は黙ったまま華澄さんたちの後をついて行ったのだった。


☆ ☆ ☆


「さて、ひとり蚊帳の外ってのも可哀想だし、自己紹介をしておこうか。とは言っても、お前のような子どもに名刺を渡すのも無駄だし、今さら名前を言うのも無意味だな。その女の二番目の旦那、とだけ言っておこうか」

「……っ!たった一か月もなかったですけどね。それに正式には籍も入れていませんし、体の関係だってありませんでした!」

「ああ、別にお前の体なんて興味は無いし、どうだっていいさ。そっちのボーヤに言い訳がしたいなら言っといてやるよ。この女とはヤってないし、興味もないから安心しな。とは言っても、娘を3人も産んでる時点で処女じゃあないんだけどな。クククッ」

「ふっ、ふざけないでください!!」

「別にふざけてなんかいないさ。高校生くらいの童貞ってのは、相手にも潔癖を求めるもんだろう?少し安心させてやっただけさ。もっとも、お前のような年増の経験人数が一人二人増えようが、どうでもいいだろうがな」

「最低ね……。下劣だわ!」

「おいおい、随分な言い草だな。僕は穢れ無きものを求める、言わば美を探求する求道者さ。むしろ高尚と言ってほしいね」

「なっ、なにが美よ……。このっ……変質者!」

「フフン。芸術というものは、愚者には理解できないモノさ。嫉妬は見苦しいぜ。なんたって僕の求める美は、この先お前がどれだけ努力しようが、もう手に入れることのできないモノだからな」

「そっ、そんなものは求めてないわ!」

「強がるなよ。女にとって若さってのは、絶対の正義だ。人体の構造を無視した秘薬でも開発されない限り、二度と手に入れることのできないものだからな」

「……っ!」

「しかし……。籍を入れていなかったってのは、大きな失敗だった。うまく騙されたよ。まさか婚姻届けを提出していなかったなんてね。人任せなんかにせず、僕が直接持って行っていれば、今頃美澄は……」

「やめてちょうだい!気持ち悪い……。娘たちには感謝してるわ。あの子たちがあれほど反対しなければ、すぐにでも届を出してていたでしょうからね」


 感情的な華澄さんに対し、男はあくまで冷静に見える。だが、平静を装うなかにも、隠しようのない憎悪と苛立ちが透けて見えている。

 俺には過去に何があったのかはわからない。だが、いつも穏やかな華澄さんのこんな顔は初めて見る。それだけで、ただ事ではないのはわかる。


「あの、部外者の俺には過去のことなんてわかりません。でも、あなたが華澄さんによくないことをしようとしてるんじゃないかってのはわかります。いったい何がしたいんですか」

「やれやれ、バケモノ……、いや、男を手なずけるのは得意ってわけか。この淫乱悪魔が」

「やめて!」


 なんだ?こいつ、今なんて言った?悪魔って……。でも、華澄さんは間違いなく人間だぞ?

 

「おいおい、知らなかったって顔だな。フフン。じゃあいいさ、教えてやるよ。その女はな、『サキュバス』の血を引く淫乱女なんだよ」


 瞬間、華澄さんの顔から更に血の気が引く。それは、今までに見たことがないほど緊張したものだ。

 

「頭が良さそうには見えないが、今どきのガキならゲームや漫画でサキュバスがどういうものかくらい知ってるだろう?夜な夜な男を求めて快楽に耽る、淫乱な悪魔だよ」

「…………」

「心配しなくとも、具合は良いと思うぞ。お前らくらいの頃は、こういった腐りかけのモノが美味そうに見える時期だしな。それにコイツは、下品なフェロモンを出させたら一級品だ。童貞にはいい練習相手になるぜ」

「く、腐りかけって……。アンタ、華澄さんを馬鹿にするのも……!」

「やめてキーちゃん!暴力はダメよ!」


 激高し詰め寄ろうとした俺だったが、しがみついてきた華澄さんに止められる。


「おいおい、勘違いするなよ、僕は褒めてるんだぜ。果物でもなんでも、食い物は腐りかけが一番の美味だ。自然界を見ればわかるように、鳥が種のない青い果実をついばむか?食われる側だって十分に種をまき散らせるように、繁殖するための知恵を持ってるのさ。知能の低い野生動物は本能的にそういうことを知っているし、それは多少知恵のついた人間だって同じだ。つまりは腐りかけの女こそ、快楽を貪るには最適だってことさ。もっとも、高尚な僕はそんな低次元の、本能任せに快楽を貪るだけの連中とは違う。こんな不格好な凹凸をした女は願い下げだが、世間的にはこういうカラダは十分に需要があるだろう?」

「アンタ……。何が言いたいんだよ……」

「わからないのか?フン、賢そうにも見えないし仕方ないか。わかりやすく言ってやれば、心配しなくてもいいってことさ。たぶらかされたきっかけはこの女でも、いざあの家に潜り込んだらお前の狙いは変わっただろう?澄麗……、いや、随分デカいが高校生みたいだし、歳が同じくらいの那澄菜の方か?別にこの年増狙いでも構わないが、美澄ってことはないだろう?今さら那澄菜はどうでもいいが、さすがに美澄だけは譲れないからな」


 早口で捲し立てる男の意図と、洪水のように溢れ出る言葉の意味がまるでわからない。

 俺にわかるのはせいぜい、頭が悪そうな化け物と言われたこと、華澄さんが馬鹿にされたことくらいだ。それに、さっきから美澄ちゃんがどうしたというのか。

 

「……。回りくどい話は結構です。結局、何が言いたいんですか」

「なんだ?ホントにそういうつもりじゃないのか。おいおい、もしかして女に興味がないのか?フン、まあいいさ。どっちにしたって、サキュバスだと世間に知られれば、人気商売のこの女には随分とダメージになるだろうなぁ。平等を尊ぶはずの世間の目ってやつが、どれほどアテにならないものかわかるさ。鬼ってだけでどんな目で見られてきたか、お前だって身に染みてるだろう?」

「そっ……、それは……」

「おまけに、あの美人の娘たちがその血を引いてるってなりゃ、周りの男たちがどんな反応をするかな?少なくとも、淫乱相手なら無理矢理悪さをしてもいいだろうって、良からぬことを考える連中は出てくるだろうなぁ。ククク……」

「な……!それは……。お願い……です。やめてください……。娘たちは関係ないんです。お、お金なら……」

「ダメですよ華澄さん!こんなヤツに金なんて渡したら……」

「おいおい、誤解するなよ。僕は金になんざ困ってないし、むしろお前らの面倒を見てやったって余るくらいさ。だから心配しなくてもいいし、そんなことにならないよう僕がお前らを、『家族』として守ってあげようって言ってるのさ」

「は……?守……る……?」

「あれから僕も、さらに出世したんだぜ。この国一番の国立大学を首席で卒業したエリートとして、同期なんか比べ物にならないくらいにね。超一流の学歴、超一流の職業、超一流の収入……。まさに人生の勝ち組ってやつだ。そんな僕が旦那と死に別れた、さらには3人の子連れの二流の年増女と結婚してやろうってんだ。お前にとっても、こんな幸せなシンデレラストーリーがあるかい?まさに美談じゃないか。それに、今は良くてもあんな商売じゃあ、お前の収入だっていつ途切れるかわかったもんじゃないだろう?」

「アンタ、さっきからいったい何を……」

「子どもは黙ってな。要するに、この女が僕とさっさと結婚して、一緒に住めばいいってことだよ。何か問題があるかい?」

「は……?なんで……」


 意味がわからなかった。

 目の前の男の言葉からは、華澄さんへの愛など微塵も感じられない。どう考えたってこいつは華澄さんを嫌っているし、どちらにとっても、害にしかならないはずだ。

 それなのに、なぜ結婚などと言い出しているのか。もしかしてこの男、俺が誤解しているだけで、途轍もないツンデレなのだろうか……?

 

「だからグズグズするな、もう時間がないんだよ!あの至高の彫刻のように美しかった那澄菜は、あんなふうになっちまうし……。そもそも、ああいうケバいのは好みじゃないんだ。父親として僕好みに教育するという手もあるが、もう賞味期限が切れちまったし、労力のわりに見返りが少ない。急がないと、いずれ美澄も成長しちまうだろう?淫乱の血を引いて、ただでさえ発育がいいんだ。数年もしたら僕好みじゃなくなっちまう可能性が高いんだ。いいか?その数年のためだけに、お前みたいなのと結婚してやろうって言ってんだ。愚か者にはわからないだろうが、今の美澄にはそれくらいの価値があるんだよ!わかったら、さっさと婚姻届けに判を押せよ!!」

「アンタ……、なにわけわかんないこと言って……」


 冷静だった男の語尾は、興奮のあまりか徐々に上ずり、意味不明のことを言い始める。

 いや、意味のわからないことはなかった。

 いくら鈍い俺だって、こいつが何を言おうとしているのかはわかる。かつて秘密子が狙われたように、こいつは美澄ちゃんを、年端もいかない少女をそういった目で……。

 それに、華澄さんが言ってた二人のトラウマというのは、もしかして……。

 

「それに今時は、養子を貰う審査も随分と厳しいんだ。バケモノどもの施設に、こまっしゃくれた僕好みの化け猫の娘がいたんだが、養子にするには既婚者のうえに審査を通らなきゃダメときた。まったく無能どもめ。僕の社会的地位になんの問題があるっていうんだ。まあ、マニュアルどおりにしか動けない無能な連中に何を言っても仕方ないが。お前と結婚しておけば、そっちのほうも上手く行くかもしれないしな。ああ、そういえばお前もあの施設の出身だったな?あの子を連れ出すのに協力してくれないか?上手く行けば、好きなだけ小遣いをはずんでやるよ。名前はなんて言ったかな。たしか、タマ……コ?、いや、少し違うな。まあ、名前なんかどうだっていいさ」

「施設の化け猫って……、アンタ、まさか……」

 

 いつしか、俺の拳は固く握りしめられていた。そんな俺の態度に気付いたのだろう。

 

「おいおい、暴力はよくないぜ。いくら未成年といっても、人間よりはるかに力の強いお前が僕に手を出したら、大問題になるだろうよ。それに、人間がお前のお仲間を見る目も白くなるぜ。『やっぱりバケモノは危険だ』ってな。下手すりゃ今の学校も退学だ。いいか、お前のようなバケモノで、なおかつ中卒なんて言ったらまともな就職先はなくなるぞ。それに、よぉく考えろよ。これはお前にとってもいい話なんだぞ。お前の狙いは上の娘のどっちかなんだろ?いや、別にこの年増でも構わないがな。もちろん僕はこんなババアに手を出しちゃいないし、兄弟になる心配もないさ」

「ふっ……、ふざけんな……よ」

「フン……。結局はお前も、崇高な芸術がわからない愚者か。見ろ、この女の下品に突き出た胸や尻、それに、張りや艶を無くしつつある肌や髪を。それに比べて、美澄の美しい流線形の体と、全てを弾くかのような白い肌。それに、美しきペルシャ猫を思わせるような柔らかい髪……。ああ……、あの体を好きにできるのなら、どれだけの対価を払っても惜しくはないさ」


 視線から避けるように手で体を隠す華澄さんを無視し、男は早口で冗長に、己の世界に入り込んだかのように捲し立てる。


「アンタ……」

「おっと……、いいから落ち着けよ。別に多くは望んじゃいないさ。こっちは美澄と『親子の交流』をできればいいんだよ。一緒に風呂に入ったり、一緒のベッドで寝たり……。くくっ、まあ、その途中で親子の愛を超えたものが芽生えるかもしれないがな」

「ふざけんなよ!美澄ちゃんにそんなことさせるわけないだろ!!」


 下卑た笑い声に耐え切れず、気付くと男の胸倉を掴んでいた。

 

「ダッ、ダメよキーちゃん。暴力は……!」

「おっ、おいおい、いいのか?僕の気分次第で、こいつらがサキュバスだって世間に知れ渡るんだぜ。それに、僕が父親になればお前の面倒も見てやるぞ。どうせ親に捨てられたバケモノなんだろ?」

「そうなったらアンタの趣味も、世間に知れ渡ることになるんだぞ!」

「フン、そんなことにはならないよ。なあ華澄、利口なお前はそんなことしないだろ?家族の幸せを投げ打ってまでもなぁ。それにガキ、お前だって俺に付いた方が良い目を見られるんだぞ。金も、女もだ」

「ア、アンタ……」


 あまりの怒りに、俺の全身は震えていた。気付けば、男を掴む右手にも血管が浮き出ている。

 ダメだ、冷静になれ!

 頭ではそう思うが、体が……、いや、すでに脳もついていかない。

 ダメだ。こんな姿を見せたら、俺の居場所はなくなる。でも、俺を受け入れてくれた華澄さんたちを不幸にするわけにはいかない。でも、でも、でも…………。

 

「おっ、おい!なんだよ。お前にも悪い話じゃないだろう。高校生の、ましてお前みたいな鬼のバケモノなんて、ヤりたい盛りの性欲の塊だろ?あんな美人どもを性奴隷にできるんだし、悪い話じゃないはずだ。そうなれば、美澄以外は好きにさせてやる!なんだったら、僕の知る秘密の店にも連れてってやろう。超高級店で会員制だが、タレントや幼い子だって抱けるところだぞ。顧客に政治家や官僚だっているから、万が一のことがあっても秘密の漏れる心配はいらないさ。そうだ、僕の記録を教えてやろうか。6歳だぞ6歳!まだ小学校に入ったばかりの、ジュニアアイドルとして活動していた子だ。しかも、僕が初めての相手だったんだ。あの時の痛みと恐怖に歪んだ顔は、今でも忘れない。ああ……、あれはまさに至高の体験だった……」

「アンタ、子ども相手に何てこと……!」


 恍惚としかけた男の表情を見て、胸元を掴む腕にも力が入る。


「ま、待て!それが気に入らないなら、お前と年の近いグラビアアイドルだっているぞ。なんなら、最近ヒットした映画に出ている女優だって……。も、もしも『そっち』方面の趣味だってんなら、美少年もいるから大丈夫だぞ!僕は顔パスだし、息子だと言えばお前も会員になれるんだ。もちろん、金のことなら心配いらない。どうだ、魅力的だろう!?」


 男の口から吐き出される薄汚い言葉を聞くたびに、心がザワザワする。息つく間もなく紡ぎだされる言葉や、饒舌で長ったらしい話も、よく回る舌をつまんで引っこ抜きたくなるほどに不快だ。

 そして、俺はあることに気付く。

 ああ、そうか。俺の力はもしかして、こういう時のためにあったんじゃないだろうか。それに華澄さんだって言っていたじゃないか。『男の子がいてくれたら安心だ』って。

 そうだ、俺はきっと、この時のために円城家で束の間の幸せを体験させてもらったんだ……。

 なんだ、解決方法なんてこんなにも簡単なことだったんだ。こいつがいなくなれば、華澄さんたちは幸せになれるじゃないか……。

 そう思うと、心の中で押しとどめていた理性がフッと軽くなる。

 そうだ、こんなクズは、世の中からいなくなったほうがいい……。

 頭の中で、何かがはじける音がした。

 右手どころか、徐々に全身に血管が浮かび上がっていく。そして、俺の視界に映る右手が、赤黒く変色していく。

 

「お、おいっ!なんのつもりだ!?くっ、苦し……」


 ああ、なんだか懐かしいな。ガキの頃に、こんな気持ちになったことがあったような……。あれはなんだったっけ?上級生のいじめっ子?いや、通りかかった不良どもだったか……。秘密子が傷つけられた?いや、それとも亮太だったか……。

 まあ、どうでもいいか……。

 気付けば、胸元を掴んでいたはずの手は、男の首を締め上げていた。

 首元を締め上げている?これ以上締めたら死んでしまう?だから?それがどうしたというのだろう。

 そうだ、こんなクズは生きていても仕方がない。華澄さんたちの害になるようなムシケラは、死んでしまえばいいんだ……。

 ざわざわとする気配とともに、俺の全身が赤黒く染まっていく。そして全身の筋肉が膨れ上がり、着ているシャツがミシミシと音を立て始める


「ひ……、ひいぃぃぃっ!な、なんだお前。ほ、ホントにバケモノ……!?よ、よせ……!な、なんだ?金か?そ、そうだ、月の小遣いは10万円やろう。高校生なら、欲しいものはたいてい手に入るだろ!?おっ、おい!そうか、お前も美澄が抱きたかったんだな?わかった、特別に僕の後なら美澄も好きにしていい!」


 だが、男の言葉にも俺の体の変化は止まらない。いや、むしろ聞けば聞くほど俺の体は変わって行く。下唇に固い感触が感じられ、牙が伸びていくのがわかる。それに、なんだか頭の左右が妙にムズ痒い。

 ああ、そうか。今の俺の頭はきっと角も伸び、両目は真っ赤に充血しているのだろう。あの時と同じだ……。

 けれど仕方ない。俺は怒っているんだ。でも、この姿を見た人間はきっと俺から離れていくだろう。『化け物』と蔑んで……。

 きっと、華澄さんもそうだ。

 でも、そうじゃなかった気もする……。この姿を見ても、俺を友達と言ってくれたヤツがいた気が……。

 頭の中に。暑苦しい男の顔が浮かぶ。

 そうだ、冷静に……冷静にならなければ……。アイツのためにも……

 いや、今はそんなことはどうだっていいだろう?俺の大切な……、大切なものを守らなければ……。

 守らなければならない……モノ?それとも……ヒト……?

 誰だったろう。そんな人がいたダろうか?でも、とても優しいヒトたちダった気がすル……。

 いや、気のセいだ。そんな人なんテ、初めからいナかった。俺は、ズっと一人だっタはズだ……。

 サっき浮かンだ男の顔ダって、きッと気のせイだ……。

 そうダ、オれは生マれタ時から、ずッと一人だっタ。

 あア、なんダか頭が、ヒどくボんやりとする……。

 そウだ、俺にハもともト、他人なんて必要ナい……。それヨりも、今すべきコトはナんだ?ソウだ、イまスべきコとハ、目の前のクズを殺スことダ……。

 あア、ソうダ。コンナくズ、ヨのナかのタメに、シンだホうガイインダ……。コろス、コロス……。タいセつナヒトたチヲ、キズつケルヤつラヲ、コロス!!

 ソウだ、ミギてにちョっとチカらをコめれバ……、こノクズのホそイくビをへしオレば、スべテガオワルンダ……。

 

「や、やべぼぉ!ひっ……、ぎいぃぃっ、やっやあぁぁ、やべでぇぇぇぇぇ!」


 それは、まさに正気を失う寸前だった。暗闇の中のわずかな光のごとく、極寒の中のともし火のごとく暖かく柔らかな感触を感じ、急速に目が覚めるような感覚を覚える。

 

「もう……いいのよ」

「ア…………、ガ……、がス……み……サん……。おレ……は……」

「ありがとうキーちゃん。本当にありがとう……。だからもういいのよ。そんな悲しそうな、そんな苦しそうな、そんな辛そうな顔をしながら自分を傷付けてまで、そんなことをしなくていいの」

「あ……」


 背中に感じる暖かな感触に、俺は正気を取り戻す。

 

「か……、かひゅっ……。ひ……、ひ……」

 

 いつの間にか、俺の右手は男を宙へと吊り上げていた。片腕で吊り上げられた男の股間には黒いしみができており、ズボンの裾からはポタポタと液体が滴り落ちている。

 おそらく小便のほかに、大きいほうも漏らしたのだろう。周りには、鼻をつく異臭が漂っている。

 

「心配しなくてもいいの。あなたはここにいてもいいのよ。キーちゃんは私たちの家族なの……」


 そして俺は、背中の暖かなものの正体に気付く。それは、醜悪な姿の俺を背後から優しく抱きしめる、華澄さんだった。

 

「華澄さん……、俺……」


 俺は喉元から手を放す。べしゃりと嫌な音を立て、男は尻から地面へと落ちた。

 

「が……、げ、げほっ……。よ、よくも……。くそっ、バラしてやる。全部バラしてやるからな。そっ、それにそのガキも、う、訴えてやるからな!退学にさせて、中卒でまともな職にもつけないような……、底辺の人生を送らせてやる!!」

「アンタ!まだ……」


 再び怒りに我を忘れそうになった時だった。

 

「ええ、かまわないわ」


 意外な言葉が華澄さんの口から飛び出した。

 

「華澄さん!?でも……」

「いいのよキーちゃん。おかげでやっと覚悟が決まったわ。こんな男の言いなりになんかなったら、それこそ家族が滅茶苦茶になってしまう。でも、当然あなたも一緒に破滅する覚悟があるんでしょうね?」

「な、なに……?どういうことだ?」

「これよ」


 その時になって、俺たちは華澄さんの手に握られているものに気付く。そして華澄さんが何かを操作すると、流れてきた音声は……。

 

「おっ、お前!それは……」

「そう、あなたに呼ばれた時から、一部始終録らせてもらったわ。ホント、文明の発展ってすごいわねぇ。もしもこれをあなたご自慢の、エリートとやらの集まる職場に持っていって公開したら、いったいどうなるでしょうね?」

「ぐぅっ……。ま、待て……」

「性癖の暴露に脅迫の証拠、おまけに失禁と脱糞のシーンは動画付きよ。よほどあなたが図太くなければ、もう愛する職場にはいられないでしょうし、エリート人生も終わりでしょうね。それから、この脅迫部分を警察に持っていったらどうなるかしら。少なくともただでは済まないでしょうねぇ。それに、いくらお店でお金を払ったとはいえ、未成年の少女への強姦罪も付くかしらね。そうなれば、あなたの社会的地位はおしまいね。どうする?今回のは、前とは違って完璧な証拠よ」

「ぐっ……。よっ、よせ!それをよこせ!さもないと……」

「さもないと、なに?力ずくでこの子に勝って奪い取るの?鬼の姿になったキーちゃんに?貧弱なやさ男のあなたが?ご自慢のエリートさんとやらの、ヒョロヒョロの腕力で?」

「う……、うぐっ……」

「それに、あなたの発言で政界に大激震……、なんてこともあるのかしら。いえ、その前に警察もグルになって口封じにそのまま……、なんてドラマみたいなことも起きるのかしらねぇ?」

「うぐぅっ……!よ、よせ。そ、それは本当にマズイ!ぼ、僕のせいで秘密クラブがバレたなんて知られたら……!」

「そうそう、もしも無くすと大変だから、たくさんデータをコピーしておかなくっちゃ。でも、コピーしてる間に間違えてデータを流出……、なんて事件はよく聞くわよねぇ。インターネットってよく知らないけど、あっという間に拡散して怖いらしいから気を付けなくっちゃ。あ、そういえば澄麗が、うちのパソコンにはウイルスソフトが入ってないとかどうとか言ってたけど……。私は機械音痴だから、よくわからないわ。さて、もう帰ってもいいかしら。たくさんコピーしなくちゃいけないし、お夕飯の準備もあるから忙しいのよねぇ。キーちゃんのお友達にパソコンに詳しい子はいる?コピーするのを手伝ってもらいたいんだけど」

「わっ……、わかった!やめてくれ。もう……、もう金輪際お前たちには近づかない!それでいいだろ!?」


 勝負ありだ。

 男のお株を奪うように饒舌に話し続ける華澄さんに対し、男は情けなくも両膝を付き、土下座するような格好で華澄さんを見上げている。


「あなたの約束なんて、簡単に信用できないわ。どう思う?キーちゃん」


 俺は争いごとは嫌いだ。

 ガキの頃に群れから離れたのだって、人をケガさせたり物を壊したりして、ケンカになるくらいならって思ったからだ。図体の割に、情けないと思われたってかまわない。

 でも、今は精一杯虚勢を張らなきゃならない時だと思う。大切な家族(・・)を守るために。

 俺はズシリと音を立て、精一杯相手を威圧しながら近づいていく。牙を剥き出しにして、まなじりを吊り上げて……。

 

「な、ななっ、なんだよ!い、いや……、な、なんですか?」


 俺は男の頭を掴み、力を込める。頭蓋骨からは、ミシミシという音が聞こえる。

 

「ひ……、ひいぃぃっ!痛い!はっ、離せ!い、いえ、離してくださいぃぃ……」

「黙れ!!」

「ひぐぅっ!」


 俺の一喝で、男はすぐに大人しくなる。

 

「いいか?今後もしも約束を破って、俺たち何かしてみろ。どこにいても見つけ出して、お前の全身の骨を握りつぶしてやる。それから良く回るその舌を引っこ抜いて、地獄すら生ぬるいって苦しみを味わわせてやるぞ!!」

「は、はは……、はひぃぃぃっ!やや……約束は守りますぅぅぅぅぅっ!!」


 瞬間、すえた臭いが一段と強くなる。どうやら再び漏らしたようだ。

 

「なら行け!二度と姿を見せるな!!」

「は……、は……、はひぃぃぃぃっ!!」


 男は声にならない悲鳴を上げながら、走って……、いや、立ち上がることすらできないようで、這うように逃げていく。必死に昔読んだ漫画のセリフを思い出して凄んでみたが、なんとかサマになったようだ。

 俺はホッとすると同時に、寂しさを感じていた。それは、この結末とともに、少しばかり楽しかった生活が終わりを告げるということを感じて……。

 こんな姿を見てしまえば、華澄さんも今までどおりに俺と接することはできないだろう。

 だが……。

 

「ありがとう、キーちゃん……。本当に……、ありがとう……」


 俺が元の姿に戻るまでの間、華澄さんは醜悪な姿の俺を、ずっと抱きしめてくれていたのだった……。

切りどころが難しく、随分と長い文章となってしまいました(元旦那のセリフをあえて長くしたのもあるんですが……)。読みにくかったらすみません。鬼一のキメ台詞は、世紀末救世主からいただきました(記憶違いっだったらごめんなさい)。鬼一の胸に七つの傷はありませんが、鬼と化した時に服くらいは破れそうです。しかし、かの救世主様は上半身の服だけ破れ、ズボンは無事というのも不思議なものです。もっとも、少年誌で下半身丸出しは大問題でしょうが、そんなパロディ漫画もあったような気がします。それにしても、相変わらずネタが古い……。華澄さん編はまだ続きます。

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