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新しい朝

作者: 迷い猫



 四月初旬。鮮やかな桜が美しく咲き誇り、澄みきった青空の中、暖かな太陽が浮かんでいる。

 涼やかな風が木々をざわめかせ、数多の花弁を舞い散らせてゆく。その桜の花びらたちは母さんと父さん、そして僕を賑やかに彩っていた。


『いやあ、いい天気だ』


『ええ。桜も綺麗……。ほんと、晴れてよかったわ』


 父さんが空を眺めつつぼんやり呟き、母さんは嬉しそうにニッコリと微笑みながらお弁当を敷物の上に広げている。

 お弁当は実に色鮮やか。母さんが早朝から作ってくれたお昼ご飯は感謝の気持ちを抱かせると共に、心まで満たしてくれるようで。


「お腹減ったなぁ……」


 僕は手持ち無沙汰で待ちきれず、ついつい母さんを急かすように呟いてしまう。


『ふふ、ここまで結構歩いたものね。わたしも早く食べたいわ』


『俺も俺も。……でもその前に、やることがあるだろ?』


 父さんと母さんの手にはいつの間にかコップが握られている。父さんはビール、母さんはリンゴジュースだ。

 僕もまたコップを握っている。中にはジンジャエール。炭酸は少し苦手だったが、今日でしっかり飲めるようになろうと思い注いだ。


『ちょっとあなた。昼間からビールなんてお行儀が悪いですよ』


『いいじゃないか。今日は車じゃないし、めでたい日なんだから。せっかくの花見だし、これくらい許してくれ』


『もう……。仕方のない人』


 母さんと父さんは笑い合う。それに釣られて僕も笑う。僕たち家族を満たすのは暖かな優しさと和やかさ。じんわりとした幸せが胸を満たす。


 愛があった。確かな愛が、そこに。


『それじゃあ、ユウの高校合格を祝って乾杯!』


『乾杯!』


 母さんと父さんがコップを僕に差し出してくる。


「えへへ……、ありがとう。父さん、母さん」


 僕は照れ隠しに笑いながら、二人とコップを打ち合わせた。


***


 僕は目蓋を開く。大して高くもない位置にボロっちい天井が見えた。


「……夢、か」


 起き上がり、時計を確認する。百均で買ってきた安物の小さい時計はカチコチと自分の役割を淡々とこなしていた。

 時刻は8時45分前。あと数十秒で長針は9を指し示す。


「……あれ?」


 視界がぼやけ始めた。原因を探るために手を顔に当てる。指先が湿った。濡れていた。

 僕は涙を流していた。


「はは……」


 苦笑をもらすだけで涙は拭わない。そんなことより、夢の感傷に浸っていたかった。


「懐かしい夢だな」


 そう、懐かしい夢だった。今から、もう、5年ほど前になるのだろうか。


 僕が第一希望の高校に入学し、そのお祝いで父と母と3人でお花見に出かけた。そんな何の変哲もない優しい思い出。


 今は痛みしかもたらさない、懐かしく悲しい記憶。


 父と母はもうこの世にいない。高校卒業式前、事故に遭って死んだ。信号無視したワゴン車と家の軽自動車が交差点でぶつかり、死んだ。ワゴン車の運転手も、死んだ。

 僕はその時、家でゲームをしていた。ちょっとエッチなゲームで、ニヤニヤしながらしていたのを覚えている。実に下らない。


 それからのことはよく覚えていない。親戚の人に手伝って貰ったはずの葬式の記憶などほぼ抜けている。気付いたら、高校進学を辞めていたのは確かだ。

 しばらくの間、父と母が残してくれた貯金を切り崩しつつ、家に引き籠った。いつの間にかお金もずいぶん減っていて、父が必死にローンを組んでいた一軒家も売り払った。生きていくためには仕方がなかった。


 そして、今いるボロアパートに住み、バイトを転々とする日々を送っている。


「……下らないな」


 これまでのことをぼんやり思い出したって、どうしようもない。いいことなんて、ひとつもないのだから。


 僕は涙を拭う。今日はバイトの面接の日だ。気合を入れなければならない。

 苦しくても、辛くても、生きているのなら、歩かなければ。父と母が産んでくれた僕という命を、無駄にはしたくない。


「よしっ」


 今日もまた、新しい朝が来た。俺の気持ちも心境も全部無視して朝日はのぼる。


 必死に生き続けている人々に良い事がありますように、と僕は青空に祈った。



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