第9話
《第1部あらすじ》
小国の領主の嫡男・志岐成鷲は、生き残るためだけの小戦に明け暮れる日々に決別しようと義兄となった叔父・稲郷殊武を訪ねて京を訪れる。その帰路、山道であった人喰う白い鬼に、成鷲は戦する人の愚かさを指摘され……
(戦国時代前期頃のイメージですが、純粋な歴史ものではありません。時代背景等はかなりアバウトです。あくまでフィクションとしてご了解下さい。)
「成鷲っ!」
父の声にハタと我に返り、成鷲は頭を下げた。
「申し訳ございません」
玄鷲の扇がダンッと台板を叩いた。
「軍議の最中、心ここにあらずとは如何なる了見ぞ。この場を何と心得る」
穏やかな玄鷲らしからぬ様相に、その場の者達が一斉に父子に注目する。
「お許しを…」
「皆の身を危険に曝す所存か。いや、国を滅ぼすつもりか」
珍しい声高な恫喝に、当の成鷲も、周りの者共も目を見張り言葉を失った。
「その方はこのまま帰城せよ。陣に留まることまかりならん」
「父上、何卒お許し下さりませ」
「ならぬ。斯様な慢心許すわけにはゆかぬ。命のやりとりの場に、そなたのような者は要らぬゆえ、即刻退陣いたせ」
「父上っ…」
懸命の謝罪も懇願も用を為さなかった。皆も何とか取りなそうとしてはくれたが、それも無駄だった。玄鷲は嘗てなく毅然として、一切聞き入れようとはしなかった。
「若君、一体都で何があったのでございますか。慎弥が山賊に殺られたとお一人で戻られたあの日以来、若君はすっかり変わっておしまいになった」
結局退陣させられた成鷲は、城に帰り着いた途端、付き添ってきた芳賀敏邦に問い詰められる。
「すまぬ。某の未熟ゆえに…」
「未熟などと…誰もその様なこと思うてはおりません。若君の身に何ぞ悪しきことがあったのではと、一同案じておるのです。若君、お話し下され。都で何が…」
成鷲は唇を噛んだ。
話せない。話すわけにはいかない。
「……お話し頂けぬのでございますね」
老臣は静かに、しかし悔しさを込めるように呟いた。
「この敏邦は信用なりませぬか。情けのうございます」
畳みかけるように、悔し涙を流さんばかりの恨み言が投げつけられる。
老人の巧みな弁に、成鷲も思わず口を滑らせそうになり、しかし、すんでのところで鬼との約束を思い出し、言葉を飲み込んだ。
鬼と話したあの夜から、二十日ほどが経っていた。
翌日、放心のまま、ようやく国へ帰り着いた成鷲であったが、待っていたのは拒むべくもない現実だった。
戦の是非など問うている暇などあろうはずもない。盟邦に合力すべく準備万端整えられており、帰国早々の出陣となった。
しかし、迷い乱れた心で陣に赴いたとて、ものの役になど立たぬは必定。
成鷲の変貌を玄鷲も家臣郎等も一様に案じ、何とかそのわけを探ろうとしたが、成鷲には答える言葉がない。
結果、成鷲の中で誰にも明かせぬ、どこにも吐き出せぬ悶々とした迷いばかりが際限もなくふくらみ続けることとなった。
此度の再びの出陣で、またも戦時にあるまじき息子の姿に、ついに父も堪忍袋の緒が切れたらしい。
当然だろうな──と、成鷲も思う。ひと月前の自分であったら、やはり許せなかったろう。
成鷲とて、思い悩んでも詮無きことだと、今は斯様なことに惑っているときではないと解ってはいるのだ。
解っていても、気が付けば脳裏に蘇る鬼の姿に恐怖する己がいた。
「人の戦は国ごと喰らう」
白い鬼が、血染めの口で人を、成鷲を嘲笑うのだ。幾度も幾度も――
いつしか、成鷲の中で鬼への畏怖は畏敬へと変化し、白い鬼が美しく気高い者にさえ思えてくるのであった。
それは、取りも直さず人への嫌悪感と表裏のもの。戦場で、成鷲は誰よりもまずその嫌悪感と戦わねばならなかった。