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魔の国  作者:
8/10

第8話


戦国時代前期頃のイメージですが、純粋な歴史ものではありません。

時代背景等はかなりアバウトです。

あくまでフィクションとしてご了解下さい。


 かつてこれほど夜明けを待ち遠しく思ったことなどあったろうか。しかし、日はまだ暮れたばかり。ならばいっそ鬼に喰われてそれきりになった方が…。


「元服の武士のと言うておった割に、随分と弱腰ではないか。斯様な腰抜けわっぱが都に暮らせるものかの? 鬼より怖い人買いにさらわれてどこぞに売り飛ばされようぞ」

「腰抜けと申したかっ…」

「おや、まこと腰が抜けて動けぬのではなかったか?」


またも言い負けて、成鷲はぐっと言葉につまった。

闇が迫って、もは鬼の顔など判別できないが、見えずともなにやらニヤニヤと薄笑いを浮かべているように思える。

この鬼は自分をからかって楽しんでいるのだ。そう思うと何とも口惜しい。


「鬼が人を喰らうを見て腰を抜かさぬ者がおろうか。憚りながら戦場では己の方から引いたことなどない。人知の及ばぬ物の怪相手はまた別物であろう」

開き直った物言いは、またも鬼を楽しませるだけとはわかっていても、成鷲は何か一言もの申さねば気が済まなかった。

「人を生きながら喰らうものなど到底受け入れられるものではない。命知らずの山賊とて一歩も動けず声も立てられずあえなく餌食となったではないか」

一度滑り出した舌は容易にはとまらない。

「そればかりか、先程のあれは喰ろうたと言うにも当たらぬ。あの大男の山賊が僅かの間に跡形もなく消し飛んだ。音もさせずに頭から丸呑みにいたしたのか? 八岐大蛇のごとき大口とも思えぬが…」

成鷲は堰を切ったように喋り続けた。

「そも、鬼は何故に人を捕って喰らうのか。悪業を背負い地獄に堕ちた死人が鬼となって現世に蘇るというはまことか? ならば鬼とて元々は人の子であろうに」


「さぁて、何故であろうな」

鬼は意外なほどのんびりとした声音で答えた。

「確かに儂とて大昔には人であった。が、鬼となりし今、人を喰らうは宿命。宿命なれば、訳を問われてものう…。されど鬼とて腹は空く。人でなくば腹は膨れぬ。仕方があるまい」


「宿命か…」

一瞬哀れみを感じて成鷲の饒舌が止まったが、鬼の口車に乗ってはならぬと思い直した。

「しかし…しかし都の鬼は特に悪業と聞いたぞ。人を喰らい、婦女を拐かし、宝を倉ごと奪うそうではないか」


あーっははっ…と、鬼の高笑いが闇に響く。

「鬼としては名誉と言いたいところなれど、白状してしまえばその手柄の多くは生憎あの山賊共の仕業よ。この辺りも閑かで良いところであったに、あのような者共が日に日に集うて来よる。彼の者共ときたら身ぐるみ剥いで死体はそのままじゃ。烏が群れてうるそうて適わぬ。迷惑なことよ」

「それで山賊を喰ろうたのか?」

「いいや、そろそろ空腹を覚えて人を喰らいに出てきたら、ぷんぷんと血の匂いが漂うてきたのでな。他意はない。近頃は、血の匂いを辿りさえすれば苦もなく獲物の人間にありつける。具合がよいといえば具合がよいが…いやはや…」


山賊とはいえ、人の行いを選りに選って鬼に呆れ称され、成鷲の中で微かに羞恥心が疼く。なぜ山賊如きの悪行のために自分が恥じ入らねばならぬのか。無性に腹立たしくなってくる。


「あやつらは人の屑だ」

成鷲は力を込めて言った。

「人の道を外れた外道だ。もはや人とは言えぬ者共よ」


「ほお、そうであったのか」

が、鬼は無感動に受け流しただけだった。


「それに…あ奴は共の者を殺した敵。ああ、そういえばお主には敵を取って貰うたことになる。まだ礼の一言申してはおらなんだな」

「礼か。左様なもの言うてもろうても仕方がない」

「そうだな。鬼に礼を申すのも妙な話かも知れぬ。されば…いつの日かきっと都に巣くう悪党共を蹴散らし鬼も閑かに暮らせる都を取り戻してやろう」


「おお、鬼も閑かに暮らせる都か。なんと頼もしいことよ」

鬼は乾いた笑いを発した。

「だがさて、これはなかなかに難儀ぞ。その細腕に為せるかな?」


細腕と称され、成鷲はキッと目を見開いた。

「細腕とは笑止。若輩なれど既に剣の道も極め戦場にも出ておる。某が家督となった暁には都にまで届く大国にしてみせよう」

胸を張る成鷲を見て鬼はまたひとしきり笑ったが、成鷲が更に意気込みを示そうと身を乗り出すとそれをさり気なく制しながらふと真顔になった。


「都にまで届く大国を作るなどと、そなた左様なこと誇りに思うか? そなたのごとき年若き者までもな。さてさて人とは罪な生きものよ」

「人を喰らう鬼が何を申すやら」


癪に障ってそう言い返したものの、成鷲は心の奥に何かが引っかかったように鈍い痛みを覚えた。たった今、屑だ外道だと言い捨てた山賊どもと、結局自分も同じ者なのだと、そう鬼が言い出すのを予感したからだ。

予感は的中した。鬼が深い溜息を漏らした。


「そなたその歳で幾人人を斬った? そなたの父は、そなたの兵共はどれ程の血を流してきた? それに比べれば儂の喰ろうたものなどものの数ではないわ」


成鷲は答えに詰まった。予想していた展開であるのに、返す言葉が見つからぬままきっぱりと断言されてしまった。


「大方、生まれてこの方戦のことばかり習い思うてきたのであろう。都も取れる強者と誇らしげに言うそなたこそ生まれながらの人殺しではないのか?」

「…戦わねばたちまち滅ぼされる。今は戦国の世。如何ともし難いことだ」


言い訳がましいと思いながらも成鷲にはそうとしか言いようがない。

しかし鬼はそんな理屈など聞く耳持たぬとばかり成鷲を見据えると、まるで子供を諭すように言った。


「よいか、よく覚えておけ。鬼は人を喰らう。なれど人の戦は国ごと喰らう。鬼と人と、どちらがより罪深きか、よう考えてみることだ」


言うなり、鬼はすくと立ち上がった。そして、もはや言い抜ける言葉もなく、惚けたようにただ見つめ返すだけの成鷲を一瞥すると、やって来た時と同じく、成鷲の横をするりと素通りしてどこへともなく去っていった。


 ひとり残された成鷲は、暗闇の中、随分と長い間ピクリとも動けずにいた。動けなかった。考えられなかった。どう動きどう考えてよいかもわからない。

人を喰らった鬼のたった一言で、価値観を完全にひっくり返された。


人喰らう鬼は悪、米を作りそれを食む人は善。

山賊は悪。里に住まう者は善。

人を喰らうは悪。人を守り戦うは善。

旅人を襲うは悪。所領を広げんと隣国と戦うは善。


今の今まで信じて疑わなかったことは、全てまやかし事になり下がった。

これまで学び覚えたことも、夢見てきた未来も、注いできた情熱も、全て意味を失い、ちりあくたの如く散り果てた。

成鷲は、秋風に晒された廃寺の山門に寄りかかり、まんじりともせずに一夜を明かした。


第1部 少年期・遭遇編 完。    

第2部は 青年期・結婚編 となります。

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