第4話
戦国時代前期頃のイメージですが、純粋な歴史ものではありません。
時代背景等はかなりアバウトです。
あくまでフィクションとしてご了解下さい。
小国の憂いを目の当たりにした成鷲は、次第に都の殊武に近づいていった。殊武は、己が翻弄されている流れの源流を見る位置にいるように思えた。
「所領の大小だけが力の差ではない」
殊武は明言する。
「所領を大きくするには戦に勝たねばならぬ。しかし、戦を重ねて所領を増やしたとて、民を傷つけ田畑を荒らしてしまっては肝心の石高は一向に増えぬ。戦のみを頼りとするは愚かとは思わぬか?」
殊武の言葉は成鷲の価値観を根底から覆した。目から鱗の落ちる如くの衝撃に、殊武に対する尊敬が一気に高まった。
では、所領の他に力となりうるものはと問えば、これもまた成鷲には思いも寄らぬ答えが返る。
「例えば銭。例えば金銀。例えば馬。例えば鋼。が、最も偉大なる力は人の和」
「人の和でございますか?」
成鷲はまるで幼子のように問い返した。国では秀才よ神童よと褒めそやされていても、一歩外に出ればまさに井の中の蛙。もの知らぬ己が阿呆虚けのように思えてくる。
「さよう、人の和じゃ。例えば、儂とそなたのようにな」
成鷲の不思議顔に笑みを向けながら殊武は傍らに折りたたんであった絵図を広げて見せた。
「ご覧じろ。志岐と稲郷は間に二国を挟んで東西に大国を控えておる。我らがばらばらであれば、早晩大国の餌食になるは目に見えておる。しかし、こうして和を結んでおるからには、おいそれとは無用な戦を仕掛けては来るまい。人の和の力とはそういうことじゃ」
「しかし、盟約を結べば約定による余計な出陣も増えまする。むやみやたらとはいたせぬことと存じますが」
「盟約を足枷ととらえるは心得違いというもの。付き合いだけの出陣など約してもものの役には立たぬ。盟約とは、もっと広く互いの利害を計り結ぶものじゃ」
成鷲は目を瞬かせた。この戦乱の世に、援軍合力以外の利害などあるのだろうか。
「つまりだ、兵と兵糧だけでは戦はできぬと…そういうことじゃ」
殊武が問うように成鷲の目を見る。
「他に何が?」
「おやおや…」
殊武の呆れ声に恥じ入りながらも、好奇心が勝って、成鷲は思わず身を乗り出した。
「お教え下さい、叔父上」
こうなればもはや恥の体裁のの問題ではない。成鷲は殊武の知ること全てを聞き出してやろうという気になっていた。
「例えばその腰のもの。戦にはなくてはならぬもののはず。して、志岐の里では鋼はたんとあったかな? 馬はどうじゃ?」
「つまり、鋼や馬を得るための盟約もあると…」
「まあ、例えばじゃ。大国も小国も何かしら欲するものはあるということよ」
「大国でも…でございますか?」
「もちろん。将軍家といえど全てが揃うておるわけではない」
「将軍家が…何ぞ不足のものがあるのでございますか?」
「さて、いろいろと足らぬはず。足りておれば都が斯様に乱れることはあるまいに」
成鷲は大きく頷いた。確かに、言われてみれば一々尤もである。しかし、だからといってそれこそ足りぬものだらけの小国にいったい何ができるのだろう。今の如何ともし難い状況を和を以て打ち崩す術があるというのだろうか。
「それでも将軍家がこの都に君臨できるは何故と思われる」
成鷲の胸の内を計ったように殊武が問うた。
「武家の統領たる権威と…」
「それから?」
改めて尋ねられれば、成鷲には将軍家の力が如何なるものかも満足に答えられなかった。
「わかりません」
正直に白状するのを、殊武は侮る風もなく、真剣そのものの面持ちで頷き返した。
「当然、権威の力は大きい。その権威を欲する者共が常に将軍家を支えておる。ろくに自前の兵を持たぬ将軍家が曲がりなりにも成り立っておるのは権威ゆえじゃ。そして、それを助けておるのが銭の力」
「銭が力となるのでございますか?」
「銭に力があるわけではない。が、銭はあらゆるものと交換することができる。刀にも馬にも兵糧にも塩にも…何なれば兵にも、領地にもなる。もちろん盟約の具ともなりうる」
成鷲は目を見張った。今の今まで銭をそのように考えたことなどない。志岐の山里の感覚では、銭は重い米の代わりに交換の仲立ちとして用いるものでしかない。
「権威しか持たぬ将軍家が力を持ちうるのは銭の力あってのことと…つまり、力を持たぬ我らも銭の力を頼めば…」
色めき立つ成鷲を殊武がすかさず遮った。
「そうそう容易きことではないぞ。将軍家が銭を集め得たのは、明国と太く繋がっておるからじゃ。そしていまだ都をその手に握っておるからじゃ」
ぬか喜びだったとわかり、成鷲はガックリと力なく項垂れた。
「叔父上、己の無知は十分に思い知りました。お願いにござります。はぐらかさずお教え下さい。今、某は、志岐は何に活路を見いだせばよいとお考えにございますか?」
「であるから、申したではないか」
「はい…」
「所領を広げるための戦に明け暮れるなど無意味じゃと」
「しかし…志岐一国がそのようにいたしても、隣国が変わらず攻め込んで参りましょう」
「そこで人の和が大事と申しておる」
「今の世に盟約など信じられるものでございましょうや」
「信じるのではない。盟約とは駆け引き。その盟約を相手が必要とする限り裏切りはない。いかな大国とて何かしら欲するものがあるはず。それをよくよく見極めれば、より強き人の和をつくれるのではないか」
「見極め次第と…つまり、どう見極めるかは己の才覚と――そういうことでございますか?」
「さよう、志岐の力となるのは何か、何を以て強き和を結ぶか、それを見極めるがそなたの役目と心得よ」
「はい、よくよく胆に命じましてございます」
叔父甥の義兄弟のといっても、結局のところ他国の主となる者同士である。殊武の教えは、慎重に選んだことのみで、今ひとつ歯切れが悪かった。
が、しかし、所領と戦にこだわる愚かさ、才覚を磨く大切さ、成鷲が得たものは大きかった。
成鷲はこれまで以上に足繁く都に上り、見聞を深めることに勤めるようになった。全ては己の目と耳で確かめねばならぬと思った。
殊武に願って付き合いに同行し、また市を歩き回り、土倉にも足を運んだ。
そうして都に、殊武の元に入り浸る成鷲を、父は何も言わず静観していた。初めて都を訪れた折に申し渡されたように、是も非も一切口にしなかった。
成鷲も、何をしているも何を見聞きしたも求められぬことを敢えて語ることはしなかった。時折、京の市で見かける明国渡りの珍しい文物のことなど、土産話にするのみであった。