第10話
戦国時代前期頃のイメージですが、純粋な歴史ものではありません。
時代背景等はかなりアバウトです。
あくまでフィクションとしてご了解下さい。
「敏邦、人はなぜ戦をするのであろう」
老臣の心配を無下にするに忍びず、成鷲はそっと一言問いかけた。
「考えたこともございませぬな」
迷いのない即答が返る。
「若君とて我が国の立場は重々ご承知のはず。然様なこと思い悩む暇など、志岐の者には以ての外の贅沢と心得ます」
「仏に縋って生きる人が、殺戮ばかりを繰り返すなど許されぬのではあるまいか」
「若君っ!」
ぽつり洩らした迷いに、芳賀は玄鷲と同じ反応を示した。
「何を世迷い言を言われる。武家とは本来そういうもの。憚りながらこの敏邦、仏の加護などもはや縁なきものと思うて参りました。地獄に堕ちようと悔いはございませぬぞ」
「己が地獄に堕ちることなど恐れておるのではない!」
成鷲も思わず声を荒げる。
「人の世が…日に日に汚れていく。汚しておるのは我ら武家ではないのか。人の世を乱し…」
「世が乱れるのは治める者に力が足らぬからですぞ」
これ以上自らを貶める言は許さぬとばかり、敏邦が鋭く言って遮った。
「お上に、公方様に力が足らぬゆえ、世が千々として乱れておるのです。そして、よくよくお考えなされ。小国ながら若君とてやがて国を治めるお立場。志岐の里が乱れるも治まるも若君次第ということを胆にお命じなされ」
さすがに押し黙る成鷲に、敏邦はなおも説く。
「力ある主を頂くは、いつの世も臣民の願いにござります、若君。稲郷殿に何を吹き込まれたか存じませぬが、所詮稲郷は他国。惑わされてはなりませぬぞ」
どうやら敏邦は成鷲の様変わりを稲郷の謀略と見たらしい。いや、父も他の郎等達も同様に見ているのだろう。
当の成鷲には、殊武と熱く語り合ったことなど遠い昔のことのように思えるというのに…。
ふと、これが稲郷への不審に繋がり、更に両国を巻き込む大事になりはせぬとの不安が頭を過ぎる。しかし、それを案じるより先に、何もかもが血生臭い結末を予感させることに嫌気がさし、成鷲の気持ちを萎えさせる。
「ああ、天はまたも我らに腰抜けの御館様を下されたのか!」
成鷲の不甲斐ない態度に胆に据えかねたのか、敏邦が天を振り仰ぎ大声で嘆いた。
武勇を以て知られた先代から仕える敏邦には、玄鷲も成鷲も見るに堪えないのだろうが……。父までも腰抜けと称されては、さすがの成鷲も聞き捨てならぬ。
「敏邦、言葉が過ぎよう」
暴言を咎めれば、敏邦はここぞとばかりに言いつのった。
「苦言をもって主をお諫めするは忠義でござる。まこと見限っておるなら、何も申さずお命頂戴いたしております。それが今の世のあり様なのですぞ」
「敏邦…」
「腹をくくりなされ。迷いなどスッパリとお捨てなされ。以前のような若君なれば、我ら一同忠を尽くしお仕えします。どうか、どうか…」
3代に仕える老臣の言葉は重く痛い。しかし、だからといって即座に吹っ切れるものではない。
「いま少し…いま少し時をくれ」
許しを請うようにそう言って成鷲が項垂れたそのときだった。けたたましい足音を立てて、武者がひとり飛び込んできた。
「申し上げますっ」
明らかに戦い乱れた甲冑で、崩れ落ちるように平伏した武者は、間違いなく玄鷲の陣にあった伝令だった。
「何があった。早う申さぬか」
敏邦に胸ぐらを掴み上げられ、伝令は喘ぐように数度息を引き込んだ。
「み、明朝の…総攻撃と決し……、砦を取り囲んでおりましたところ、敵方が…日没間際の薄暮をついて討って出まして…。志岐は…東の一角を受け持ってお、おりました…が、運悪しく敵軍の通り道に位置しておったため、忽ちに破られ……」
「父上はっ! 父上はご無事か!」
「御館様は!?」
成鷲と敏邦が同時に詰め寄った。
「ご安心を、ご無事でございます。なれど…」
武者は即座に答え、取り敢えずふたりを安堵させたが、よい知らせはそれひとつだけだった。
「なれど、わが軍は不意をつかれて初戦で総崩れとなり、堀切彦右衛門殿、蒔田守計殿、天崎有十殿討ち死に。ただ今は残兵僅か百五十にて陣を立て直し、友軍と共に交戦中にございますが、なにぶん初戦の大敗が祟り十分な働きもできぬ有り様。急ぎ援軍をとの御館様のご命令にございます」
「あいわかった」
成鷲が直ちに立ち上がったが、敏邦はどっかりと座ったまま動こうとしない。
「若君」
その敏邦が低い声で成鷲を呼び止めた。
「お座りを。若君には参陣のお許しは下っておりませぬ」
「今はその様なこと…」
「いいえ、なりません」
「敏邦っ…非常の事態だぞ」
「斯様な事態なればこそ!」
敏邦が睨みつけるように成鷲を見る。
「御館様がなぜ退陣をお申し付けになったのか、まだおわかりにならぬか! 今の若君は戦の妨げにしかならぬからじゃ! この非常のときに妨げが参って何とする!」
「妨げ……」
この一言は応えた。成鷲は力なく腰を下ろした。
「志岐の陣がたまたま通り道にあったのではない。志岐の陣なら抜けると、そう見なされたのですぞ。先だっての一戦で戦意が落ちておるのを早速見抜かれたのですぞ。どなたの招いた事態とお思いか!」
そう断言されては成鷲にはもはや返す言葉もない。
「援軍の指揮は、不肖敏邦が勤めましょう。若君は、城より一歩たりとも出てはなりませぬぞ」
そう言い渡して、敏邦は「よっこらしょ」と立ち上がった。
伝令の者を労い、十分に休息を取るようにと言って下がらせると、成鷲に軽く一礼して、こほんと咳払いをひとつ去っていく。
今では自分より遙かに小さくなったその背中を見送りながら、成鷲は腹の底で渦巻くわけのわからぬ感情に身を震わせていた。
「くそぉっ…!」
低く唸って、板の間に拳を打ちつける。
「くそぉっ!!」
もう一度、両の拳を床に叩きつけて勢いよく立ち上がると、成鷲は敏邦を追って部屋を飛び出した。