トラウマ再発
「柊、大好き……………柊がいれば私、他は何もいらない、ずっと一緒……………………」
病とは肉体的に言えば風邪からガンまで多種多様な身体に生じる不都合、不具合のこと。そういった病気には程度は様々だが前兆と呼べるものがありそれに気づけるか気づけないかで生死を分けることも少なくない。
しかしそれは果たして肉体的な病に限ったことなのだろうか?精神的な病というものにおいても同じことが言えるのではないのだろうか?
そして今、俺の背中に腕を回しそのまま俺の胸に顔を埋めたまま呟いた彼女もまた大きな病を患っていたのかもしれない。
だが前兆なんて俺が気づく余地も彼女が俺に気づかせる隙もなかったのだろう。気づかなければあってなかったようなものだよな……
「痛っ!」
脇腹に鋭い痛みが走り、閉じていた瞼が半ば強制的に開かれる。飛び込んできたのは窓から入り込んできた無駄に眩い光。そしてその光を糧に俺の視界が捉えた一人の黒髪ツインテールの少女。
「起きてください柊兄さん、朝です、7時30分です」
俺が寝転ぶベットのすぐ横に仁王立ちしていた俺の妹瀧谷桃華は調子の変わらぬ声で淡々とそう告げてきた。なんてことのない朝の一コマを歪なものにしているのは桃華の片手にその華奢な体躯には不釣り合いな竹刀が握られていることだった。
「桃華、おはよう」
「おはようございます、柊兄さん」
「あのさ、自分の兄を起こすのに竹刀を使うのはどうかと思うぞ?」
「すみません、柊兄さんを起こすのと胴の練習を兼ねてしまいました」
「その2つ絶対相容れないよね、ってか俺防具付けてないよね、反則とかいうレベルじゃないよね」
「まあ結果として起きることが出来たのだからいいじゃないですか。それより早く朝ご飯食べてください、遅刻しますよ」
桃華はそう言い残して俺の部屋を出ていった。
まだ微かに重い瞼を擦り大きくのびをする。高校2年にして7時30分起床、更に妹に起こしてもらっていることを考えると相変わらず俺は朝に弱い体質なようだった。
パジャマを脱ぎ捨てさっと着慣れた制服に身を包むと俺も朝食へと向かう。
「いただきます」
朝は少食な俺は桃華の用意してくれたトーストにかじりつく。
「柊兄さん、いい加減一人で起きれるようになってくれませんか?」
すでに朝食を済ませていたらしい桃華は俺の前に座って、2つに結んだ髪を解き、1つに結び直しながら俺を呆れた表情で見てきた。
「今日は目覚ましをかけたはずなんだが……」
「いえ、かけていませんでしたよ」
「マジか……」
「まあ、かけていたところで起きれないでしょうけどね」
「そんなことない、昨日の夜はたまたま寝苦しかったから睡眠不足だったんだ」
「そうですか、とりあえず私はもう行きますね。戸締りよろしくお願いします」
「おう」
「はぁ…」とひと息つくと桃華は席を立ちリビングを出ていき、しばらくして玄関の扉の開閉の音が家の中に響いた。
俺と桃華は一つ違いだが桃華は女子高に通っているため俺と登校することはまずない。
「テレビでも付けるか」
1人の静寂に苦痛を感じ適当にチャンネルを回す。
『昨夜、不動産王で知られる。○○○○氏が自宅で遺体となって発見されたことが警察への通報で明らかとなりました。なお○○氏は女性関係のトラブルに巻き込まれていたと関係者への取材で明らかになっています。』
「女性関係ね……結局金かな………」
そう1人で呟いてさっきより寂しい気持ちになりテレビを消した。
「もう行こう」
食器を片付け、俺も学校へ向かうことにした。
手提げカバンを片手に玄関を出て戸締りをする。家から学校までは徒歩15分ほど8時30分からのHRをリミットとすると今はまだ8時ジャスト余裕がありそうだった。
我が家は15階建てマンションの7階にある。両親と姉と妹の5人家族だが両親は子供たちを日本に残し共に日本の反対側にあるような国で暮らしている。姉は大学生でとある一件を機にアメリカ留学という名の島流しにあっているので今現在この家に暮らしているのは俺と桃華の2人だけ。
エレベーターのディスプレイが1階を表示しマンションの外へ、高校2年の一学期がダルさと共に開幕してもう二週間、この気だるさにも慣れてきて今ではすっかり状態異常がデフォルトで着いているようなものになってしまった。
マンションを出てすぐの自販機前に見慣れた顔が立っていた。
「おはよう、桜乃」
「おはよう」
俺の存在に気づいた少女朔桜乃は少しも表情を変えずそう返してきた。
「待っててくれたのか?」
俺の問いかけに桜乃はコクりと頷いた。変化の少ないというレベルでない表情の桜乃はその綺麗なショートカットの銀髪と碧眼とあいまってフランス人形のような見た目だった。北欧出身の母親の容姿を強く受け継いだハーフの美少女とはかれこれ8年近い付き合いになる。幼なじみと言ってもいいかもしれない。
「あんまり俺が遅かったら先行ってもいいんだぞ?」
「それはおかしい。私は小学4年の6月以来、柊と登校することを欠かしたことはない。皆勤賞」
「意味違うから……」
思えば登校に限らず俺は桜乃とずっと一緒にいるな。他に友達いないのかって?実際いないよねハハ……いいんだよ友達は指の数で足りるってお母さん言ってたもん……
「そしてこれからもそれは変わらない」
なんか心読まれた?
「わかったよ、そういえば俺が学校休んだ日ってどうしてるんだ?」
「私も休む、柊がいないなら、私も行かない」
「マジか……」
「マジ」
その後もたわいない会話をしながら二人並んで学校へと歩を進めた。
校門に近づくと部活の朝練の光景が目に入る。
「運動部ってたいへんよな」
思わずどうでもいいことが口をついてでる。
俺と桜乃が通う公立新海高校は生徒全員どこかしらの部活に所属することを義務付けられている。俺は名ばかりの文芸部、桜乃は吹奏楽部に所属している。
「そうね。そんなことより今日部活、柊はあるの?」
「あるよ、桜乃は?」
「ない」
「そうかじゃあ今日は先帰ってくれ」
「ダメ、待ってる、一緒に帰る」
「何時に終わるかわかんないぜ?」
「待ってる……」
「わかったよ……」
桜乃は相変わらず変なところで頑固で俺はその桜乃の姿勢に押される形でしぶしぶ了承した。
昇降口で靴を履き替える。ここで桜乃はなぜかいつも俺の上履きを持ってきてくれる。上履きだって男のはお世辞にも綺麗とは言えないんだからやめてくれと言ったんだがここでも桜乃は頑固であった。
教室に着くと時刻は8時25分、5分前に到着するとは我ながら自画自賛してしまう。俺と桜乃は同じクラスではあるが席は離れているので各々席につく。
今日もまた代わり映えのない一日が始まった。
授業ってやつは憂鬱だ。新海高校は一応県内でも共学では3番目の進学校だと言われている。女子でもあるまいし制服で選ぶなんてことはなく単に徒歩で通えるという一点のみで選んだので思い入れは皆無。授業のレベル決して低くない、高3時での文理選択に備えて高2は特に科目数が多いのも実に苦しい。俺はうちの学校じゃ落ちこぼれの部類で定期考査のたびに毎度学年トップを取り続けている桜乃大先生の手を借りて赤点を回避するのが習慣となっている。
授業なんて真面目に聞いていなければまた理解出来ていなければ念仏と大して変わらない。
そんなことを考えているうちに睡魔に引き込まれ夢の世界に旅立つのだった。
「柊、起きて。もう放課後になった」
「……んむっ」
霞む視界で時計を見ると3時どうやら昼休みのあと丸々寝てしまっていたようだ。寝不足恐るべし。
「ごめんごめん、よく寝たわ」
「知ってる。よく寝てた、寝言で桜乃愛してるって言ってた」
「言ってません!」
「じゃあ今言って」
「言いません!」
桜乃とじゃれ合っていると周りの視線が痛いがおかげですっかり目が覚めていた。
「じゃあ俺、部活行くから、終わったらどこ行けばいい?」
「図書室」
「了解」
桜乃に見送られながら俺は教室をあとにした。
新海高校の新校舎は上空から見てHの形をしており北館と南館を渡り廊下で繋いでいる。俺の所属する文芸部は文化部の部室が並ぶ北館の4階の端にある。文化部の部室の扉が並ぶ中一際異質な黒い扉を持つのが特徴だ。
俺はその扉の目の前までたどり着き大げさに備え付けられたインターホンを押す。
「瀧谷です」
「合言葉は?」
「…………葵先輩としたい」
そういうと扉の鍵が外れる音がして扉が開かれる。
「葵先輩今週の合言葉キツすぎじゃないですかね?人に聞かれたら俺泣きますよ」
中に入るなり俺はインターホンの主を見やる。
「いいだろう今週だけなんだから、それに君もいつか言うことになるセリフなんだから」
「言いませんよ」
「いやきっと言うよ」
今日二度目の似たような俺のツッコミに対して魅力的ないたずらっぽい笑みを向けたのは俺の一つ上の先輩にして文芸部の部長である黒羽根葵。
「まあ、それはさておき今日も頼むよ」
「わかってます、原稿ありますか?」
「ああ」
葵先輩はそう言ってA4サイズの紙の束を取り出した。これこそが俺の文芸部の仕事である。
そもそも文芸部は俺と葵先輩二人だけの部。本来5人未満の部活は廃部になるという暗黙の了解めいたものがあるがこの部が廃部にならないのはこの部長のおかげでもある。黒羽根葵先輩は赤羽根紅葉というペンネームで高一の時にデビューしデビュー以降出した小説の総発行部数は3冊で100万部を超える期待の新人作家の1人である。その功績が認められており学校側は文芸部の活動を容認どころか援助してくれているというわけ。
そして俺の仕事は先輩の書いた原稿を読み誤字脱字のチェックとちょっとした感想を求められるというもの。後は葵先輩の暇つぶし相手。正直いって後者の方がキツい。
「柊、どうかな?」
葵先輩が不安そうに真紅の瞳で俺を見つめてくる。
「面白いと思いますよ」
「そういうことを聞いているんじゃない」
「原稿のことじゃないなら何がどうなんですか?」
「私が書いたんだ、原稿は面白いに決まっているだろう。そうじゃなくて何か気づないか?」
なんという自信家。それはさておき特に変わったところは見られない。腕を組んで考え込んでいると……
「はあ……わからないのか、私が髪を切ったのが」
「えっ、切ったんですか?」
俺が見るに葵先輩が手で撫でる長く綺麗なワインレッドの髪は特に変わっていないように見える。
「君は女心がわかっていないな3センチも切ったのに」
「3センチって誤差ですよ」
「馬鹿者、私からすれば大冒険だ」
3センチが大冒険なら俺の散髪時空超えてるな。
「まあ、いつも通り綺麗ですよ」
「うっうるさい、今さら機嫌を取るような世辞などいらん」
葵先輩の頬がほのかに紅潮していた。世辞ではなく葵先輩は文句なしに美少女だ。あどけなさを残した桜乃や桃華とは異なり年上らしい大人びた雰囲気とスタイル。昔の俺なら秒で惚れていただろう。
「まあなんだ新作も書き終えた事だし編集に持っていったらゴールデンウィークに合宿にでも行かないか?」
「先輩、受験生でしょ?」
「問題ない。推薦をおそらく貰えるし、そもそも大学に行かないという選択肢があるくらいだからな」
まったく才能というやつが羨ましい。
「先輩が行きたいならお供しますよ」
「ほっほんとうか?」
大人びた雰囲気から急にどこか子供っぽく嬉しそうにする先輩にドキッとしながら、俺たちは世間話に花を咲かせた。
文芸部部室をでて時計を見ると最終下校時刻の1時間前18時になっていた。俺は思ったより桜乃を待たせてしまった思い駆け足で図書室へと向かった。
「遅い」
「ごめん」
「こんな遅いと思わなかった」
「先に帰ってくれてても……」
「ダメ!一緒に帰る」
「ほんとごめん」
珍しく露骨に不機嫌そうな表情を見せる桜乃に申し訳なさを感じながら、俺たちは帰路につく。
「18時はまだ暗いな」
「…………」
「図書室で勉強してたのか?」
「…………」
「だからごめんってば」
「柊、何に対して謝ってるの?」
「えっそれは……」
遅くなったことと言おうとした瞬間に俺の携帯電話が鳴った。アドレス帳に登録してる数の少なさから電話をかけてくる人など限られているのだが、桜乃じゃないしな……ディスプレイには桃華の名前があった。
「今は私と話す時間!」
文句を言う桜乃を軽く制止して電話に出る。
「もしもし」
「もしもし柊?私よ」
俺の耳元に木霊したのは桃華の声ではなかった。俺はその声を聞いた途端震えが止まらなくなった。声だけでわかった。嘘だなんで……なんでいるんだよ、おかしいだろ。まだ日本にいるはず……
「はぁ、はぁ……はぁっ……」
動悸が激しくなるのがわかる。胸が苦しくなる。
「どうしたの柊?」
心配そうに駆け寄ってくる桜乃の声が届かない。
それよりもただその一言が俺の全身を支配していた。
「ただいま」
その声の主は俺に消えない傷を、忘れられない記憶を刻んだ姉の声だった。
久しぶりになろうで小説を書きました。
前ヤンデレものを書いてしばらく書かないうちやめてしまったのですが暇つぶしに書いてみました。
拙い文章ですがヤンデレ好きの方に楽しんでいただければ幸いです。