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後日談2⑯


 今までの宿も随分と気を遣ってくれているとは思っていた。

 さすがに個室にお風呂こそないものの食事は美味しく部屋も清潔でサリーさんと一緒でも十分な広さがあって、予想していた以上に快適に過ごせていた。


 けれど、今日泊まる宿は今までと明らかにランクが違う。貴族のお屋敷の様な立派な外観に相応しく内装も豪華 ながらも落ち着いたもので、その場にいる従業員までもが執事やメイドさんを思わせるような上品な出で立ちをしていた。エントランスの奥に飴色に光るカウンターさえなければ、裕福な貴族のお屋敷だと思っただろう。


「ナナカ様」


 エスコートをしてくれているサダリさんに名前を呼ばれて、はっと我に返る。どうやら宿に一歩足を踏み入れた所でうっかり立ち止まってしまったらしい。


 慌てて足を動かして同時に白く砂埃のついた自分のブーツのつま先に気付き、恥ずかしくなった。違う、靴だけじゃない、馬車の移動が主なせいで皺のついたマントを身に着けた明らかな旅装束姿の自分は明らかに浮いていた。しかもその中に着ているのは動きやすいからと踝よりもやや裾が短いワンピース。

 待合室になるのだろう、窓際に置かれた幾つかのソファで談笑している貴族風の女性は全て丈の長いきちんとしたドレス姿で、思わずサダリさんの背中に隠れてしまう。

 馬車で着替えれば良かったかなぁ……。


 良い宿だと聞いていたのに、サリーさんと別行動になったことやサダリさんが馬車に乗り込んできたりと慌ただしかったので、すっかり忘れていた。

 ……サダリさんも似たようなものなのに自分ほど目立たない気がするのは、体格や腰元の剣から護衛だと分かるからだろうか。

 いっそ、髪を隠して長い外套を羽織れば良かったかもしれない。それなら従者の一人として目立たずに済んだだろう。


「……」


 一度意識すればもう駄目だった。


 さすがに王城とは比べられないけれど、こういった雰囲気は久しぶり過ぎて緊張してしまう。


 居心地の悪さにそわそわしていると、幸いな事に先に宿に入っていったもう一人の騎士さんが受付を済ませてくれていたらしく、それほど待つこともなくすぐにその場から引き上げる事が出来た。

 カウンターの奥から出て来たメイドさんがにこやかに頭を下げて、あたしの手荷物を預かってくれる。


「では、お部屋へご案内致します」

 きっちりとした紺色のお仕着せも言葉遣いも、お屋敷にいるメイドさんそのものだ。

 サリーさんがあらかじめ分けてくれていた着替えが入っている一日分の荷物は、サダリさんが持っている。サダリさんは寄って来たポーターらしき人の申し出を短く断ると、あたしの後ろに控え、残る二人はそれぞれ周囲の様子を見てきます、と宿から出て行った。


 場所は二階になるらしく、娯楽室や食堂の場所を、一通り説明しながらメイドさんが長い廊下を先導してくれる。奥に行くに従って扉の間隔が開いていくのは、そのまま部屋の広さとおそらくは値段に反映しているのだろう。……その金額を考えるとかなり恐ろしい。


 実は旅にかかるお金は全て神官長様が負担してくれているのだ。最初こそ手持ちもあるし、とんでもないと断っていたが、結局賢者にも説得され流されるように了承してしまった。今までの宿も綺麗だったけれどお客さんは一般の旅人や商人もいたので安心していたから、最後の最後でこんな豪華な宿なんて思ってもみなかった。


 広い廊下には、夕暮れにもまだ早いというのに既に火が灯っていてセンスよく配置された調度品を美しく見せている。

 次々と姿を見せる絵画に心を奪われていると、とうとう廊下の一番奥についてしまった。


 鍵を開け、開かれた扉の先は、立派な応接間があり骨董品や大輪の花が上品に飾られていて圧倒された。寝室も別に取られているらしく、どうやら部屋が幾つかあるらしい。宿のメイドさんは荷物を棚に下ろすと、後ろに着いていたサダリさんと二言、三言、言葉を交わしてから、静かに出ていった。


 自然と詰めていた息を吐き出すと、少し肩の力が抜けた。

 安全確認の為だろう部屋を一つ一つ見て回るサダリさんを横目に窺いながら、出てきたばかりのもう一つの部屋を覗く。


 広さは応接間の半分程。大きな寝台が備え付けられ、一面にクローゼットらしき扉があった。

 宿屋なのにこんな大きなクローゼットが必要な程、長期間滞在するお客さんがいるのだろうかと首を傾げる。聞いた限りでは商売は盛んだが観光地ではなかったはずだ。


 その奥にはまた扉があり、クローゼットより少しだけ小さい。メイドさんがサダリさんに説明しているときに聞こえた限りでは、水回りということだった。


「広い部屋……」


 部屋の探索もそこそこに、サダリさんに勧められてソファに落ち着き、改めて部屋を見渡してそう呟く。

 独り言のつもりだったのに聞こえたらしいサダリさんが「そうですね」と、同意してくれて少しほっとした。

 純粋に価値観が近い事は嬉しい。ただでさえ、生まれた世界が違う、なんて大きな壁があるのだから。


 リースさんはもちろんまだ戻っていないし、残りの騎士さん達もいない。

 部屋には馬車同様、サダリさんと二人きり。

 ……もしかしてサダリさんは、サリーさんが戻ってくるまで護衛としてこの部屋で一緒にいてくれるつもりなのだろうか。さっきも一緒にいたから今更なのだが、あれ以降結局お互い黙りこんでしまったので、話という話はしていないのだ。


 お互い話下手というのはこういう時に困る。

 思えば話したい事、と言うか聞きたい事はたくさんあるのだ。例えば婚約したものの、その期間はいつまで続くのか、サダリさんの両親に結婚の報告と挨拶に行かなくていいのか、とか。


 でも、それを自分から聞くのは何だか急かしているような気がして口にしにくい。かと言ってサリーさんに相談すれば、気が利かない、とサダリさんを叱り飛ばしそうで大袈裟になる気がする。

 ただでさえ例の送別会のプロポーズからサダリさんに対するサリーさんの態度が厳しいのだ。これから共同生活をする以上、なるべく仲良くしてもらいたい。


 一通り部屋を調べたのだろう、空気の入れ換えの為に開いていた窓をサダリさんが閉める。

 小さなその音に何故か必要以上に心臓が跳ねてサダリさんの方へと視線が向いた。そんな不自然なあたしの視線にサダリさんは少し考えるように間を置いてゆっくりと口を開いた。


「以前は領主の別宅だったそうですよ」

「……え、領主様の、ですか?」

 さっきの独り言に対しての同意の続きだ、と気付いて慌てて身を乗り出した。


 そうか、領主と言えば貴族であり、その屋敷と言うならばこの豪華さも納得出来る。けれど、そもそも矜持の高い領主が別宅とは言え屋敷を簡単に手放したりするのだろうか。


「ええ。別宅と言っても貴族が屋敷を手放す事はありませんが――経済状況があまり良くなかったようですね。それをこの辺りを仕切っている裕福な商人が買い取り、貴族との商談に使えて滞在出来るような高級宿にしたらしいです。この街は織物で有名ですし、暇な季節には田舎ならではの狩猟も出来ますから」


 ……という事は、この街では貴族よりも商人の方が羽振りがいい?

 確かに街はそれほど大きくない割に、人は多く王都ではあまり見ない髪や肌の色を持つ人もいた。貿易が盛んだと言うことだろう。


 それにしてもよく知ってるなぁ、なんて素直に感心する。

 やっぱりある程度は調べているのだろう。もしかしたら出身者でもあるサリーさんにも聞いていたのかもしれない。


 ……あたしも調べるべきだったよね。

 サリーさんは元の世界に戻れないあたしを気にして、あまり自分の家族の話をしてくれない。そこまで気を遣ってくれているのに、無理矢理聞くのも悪い気がして一番身近な人には聞けなかった。

 それでも他に知っている人もいただろうし、神殿にだって簡単な地理程度の本ならあったのに。


 サリーさんも舗装された道には驚いていたし、ここ数年で整備されたのだろうか。

 だけど元神子だと言うことは隠して生活する予定なのに、こんな賑やかな場所から一時間程度離れた場所が引っ越し先でいいのだろうか。……予想しているよりも早くばれてしまいそうだ。そんな事を考えていると、サダリさんに「何か不安でもありますか」と尋ねられた。

 そんなに顔に出てるのだろうか、と恥ずかしくなって両手で顔を隠すように頬を撫でた。


「……あの、思っていた以上に賑やかな街でびっくりして、……大丈夫かなって」

 あたしの言葉を半ば予想していたらしい、言葉足らずにも関わらずサダリさんはすぐに疑問に答えてくれた。


「領主が名ばかりになって商人組合が出来てからここ数年で発展したらしいです。この街を中心に職人が移住するようになって、周囲にもたくさん村が出来ました。あまり寂れすぎている村だと悪目立ちしますから、割合新しい村の方が馴染みやすいと、神官長様が配慮なさったみたいです」


 どうやら自分が思っていた以上に色々考えてくれいたらしい。

 穏やかに微笑む神官長様の顔を思い出す。

 あの人には何となくまた会えそうな気がして、きちんとして別れらしい言葉は交わしていない。今の時間はまだ忙しく執務を片付けている時間だろうか。自分の旅立ちの手配で神官長様にはたくさん迷惑を掛けている。……それには呆れる位の賢者の無茶振りも入っていて、いつか恩を返す事が出来ればいいと思う。


 サダリさんの言葉に納得して、改めて部屋を見渡すとソファの近くにワゴンごと用意されているお茶のセットを 見つけた。伏せられたティーカップにも金の縁取りがあって何より薄かった。壊れやすくて高そうだな、なんて洒落っ気の欠片も無いことを思う。

 ……自分で使うものはもっと実用的な分厚いマグカップが良い。


 こちらに来てから揃えよう、と思っていたもののリストの中に頭の中で書き加えていると、視線に気付いたらしいサダリさんが、「お茶を用意致しましょうか」と、尋ねてきた。


 一瞬固まって、慌てて首を振る。

 割ったら高そう、なんて考えていただけで、飲みたいと思っていた訳じゃない。だけどそう口にするのは言い訳がましい気がする上に、ますます子供扱いされそうで言葉に詰まる。

 それにむしろ、自分がそう声をかけるべきだったのではないだろうか。一応婚約者なのだから、こういった家向き(といっていいものか)の事は自分がした方がいい。

 ただでさえ世間知らずで、周囲の人、特にサリーさんに甘えている自覚はある。


 ……どうしてこんなに気が利かないんだろう……。

 サリーさんは、飲みたいな、と思った時には既に温かい飲み物を用意してくれている。どうやったらそう気遣えるようになるのか聞いた事があるが、長い間見ていれば分かりますよ、ところころ笑っただけだった。


 ……いらない、っていったのに今更お茶いれましょうか、とか言ったらおかしいよね……。


 溜め息をついて、あたしは手持ちぶさたに両手を握り締めた。

 あたしの身分は、どうしても拭いきれない世間知らずな雰囲気から、下級貴族のお嬢様という事になった。孤児院で働いていたといっても、サリーさんの毎日の肌の手入れのお陰で手も肌も荒れていないし、日焼けの類いも用意されていた帽子のおかげで白いままで一般市民には見えないらしい。


 結果、騎士として出世した婚約者のサダリさんの派遣先で所帯を持つ事になった、というシナリオになった。


 勿論これは、あたしが考えたものではなく、プロポーズされた日に神官長様やサリーさん、賢者が面白おかしく脚色したものだ。しかし、以前の病気療養の為にやってきた貴族令嬢と護衛というよりはよほど説得力はあり、病弱でないなら外出も制限されないと言われて、受け入れざるを得なかった。


「では、湯を使っては如何ですか。用意は出来ています。介添が必要なら先程のメイドを呼びますが」

「お風呂に入れるんですか!」


 サダリさんの言葉に、思わず食いつく。だって、この旅の間、宿には泊まる事は出来たけれど、お風呂については共同浴場が多く、警備の問題で入る事は出来なかったので、お湯で身体を拭くだけしか出来なかった。

 どうやらさっき見た寝室の奥の扉は水場だけでなく浴室になっているらしい。


 サダリさんは、一言断ってから寝室に入り浴室に案内してくれた。


「では、私は廊下で待っています」

「はい。……あ、外じゃなくても応接間で構いませんけど」


 浴室と応接間の間には寝室がある。浴室に着替えを持ち込むし、物音が聞こえる事もない。

 護衛してくれているなら近い方がいいのでは、とそう思って言葉にすればサダリさんは、一瞬動きを止めた。

 眉間の皺がくっきりと濃くなった、と思ったのと同時に硬い表情のまま首を振った。


「部屋の外で待機しています。何かあればお呼び下さい」


 先ほどと一字一句違わずまた同じ言葉を繰り返すと、サダリさんは止める間も無くすぐに部屋から出て行った。

 ……なんだか、いつも以上に堅苦しい言い回しだったと思うのは気のせいだろうか。


 唸って、もしかしたら、はしたなかったのかもしれないという事に思い至った。

 未だ、時々周囲を困らせているらしい元の世界の常識。発言や肌の露出など最初に比べれば随分マシになったと思っていたが、どうやらここに来てまたやらかしてしまったらしい。


 ……いや、でも隣でもなく一室跨いでても駄目なの?


 サダリさんは護衛で、しかも婚約者でもあるのに。

 ……悲しいことに旅の間、そんな甘い雰囲気になることは皆無だったけれども、確かに自分はプロポーズを受けて了承したのに、距離が縮まった気が全くしない。……さっきまでの馬車の中は……うん、それなりにそんな感じだったけれど。


 いろいろと難しい……。

 考えすぎて面倒になってしまったあたしは、一旦サダリさんの事を頭から追い出して、まずは着替えを用意すべく荷物の置かれた寝室へと向かった。




次で最終話なので今日の21:00に更新予定です

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