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後日談2⑮


「ナナカ様、もう少しで到着ですわ」

「本当ですか。思ったよりも早かったですね」


 外の様子を伺っていたサリーさんが振り返る。

 予想していたよりも随分早い時間に、あたしはサリーさんの方へと身体を寄せた。窓の外に視線を向けると、見やすいようにサリーさんはカーテンを押さえたまま身体をずらしてくれる。


 窓の向こうの景色は確かに鬱蒼と茂っていた木々ではなく、人の手が入った低木が規則正しく並んでいる。


 前に見える灰色の建物は関所だろう。

 田舎と言われるわりには大きく立派で、車輪の下の道も舗道されて、お尻が弾むような感覚も随分緩やかなになっている事に今更気付いた。


 幸いな事に旅路は至って順調。

 予定よりも早く日が沈む前に――ここ、最後の宿を取る事になるサリーさんの生まれ故郷の街に到着した。

 道中は旅慣れないあたしへの気遣いで休憩はマメに取られ、必ず宿屋に宿泊出来るようにルートは組まれていたおかげで快適な旅だったと思う。


 サリーさんはいつも通りの甲斐甲斐しさであたしの面倒を見てくれて、暇つぶしになるような遊具や本も用意してくれていた。

 それに加えて護衛としてついてくれた騎士さん達も、この辺りはよく来るらしく控えめながら訪れた街の特産物や観光地なんかを教えてくれたので退屈を感じた時間はなかった。


 特によく話しかけてくれるリースさんは、時々サダリさんに注意される程笑わせてくれ、未知の生活への不安を紛らわせてくれたように思う。


「これなら早いうちに宿にも着けますわ」 


 サリーさんにとって五年ぶりとなる故郷だ。家族と会えるのを楽しみにしているのだろう。普段落ち着いている彼女にしては珍しく声音は弾んでいて、こちらまで嬉しくなってきた。


 故郷、かぁ……。


 心の中で呟くと、思い浮かんだのはあちらの世界ではなく神殿にある孤児院だった事に少し驚いてから、苦笑する。


 元の世界にいた時は『お姉ちゃん』が全てだったから、場所そのものにはちっとも未練はなかった。最後の方は入り浸っていた病院の方が過ごした時間は多く、ハウスキーパーさんが整えてくれた『家』は単なる眠るだけの場所だった。


 だからこそ最後の一年はほぼ泊まり込みで一日中過ごしていた孤児院の思い入れは強い。いつも賑やかで何かしら騒動が起こって落ち着く暇もなかったけれど、それ以上に充実していて楽しくて、子供達に頼られる事が嬉しかった。


 ……今頃子供達は、食事の準備でもしているだろうか。まだ日暮れまでには時間があるけれど、大人数の子供達の為に食事の準備は早い時間から行う。リラやレミーもあの小さい手で野菜を洗っているかもしれない。

 そう思って瞼を閉じると、賑やかな子供たちの笑顔が瞼の裏に蘇り、あたしはもう二週間も前になる別れの朝を思い返していた。



     *



 前日に王子がやってくる、というアクシデントはあったものの、出発は予定通り送別会の次の日の太陽が昇ってすぐの時間だった。


 昨日の送別会で特別だからと遅くまで起きていた子供達は勿論全員寝台の中――ではなく、テトを筆頭に大きな子供達は眠たそうな目を擦りながらも、見送りに出て来てくれていた。昨夜ちゃんと別れの挨拶をしたのに、最後の最後まで早起きして見送ろうとしてくれているのが嬉しいような申し訳ないような気持ちになって唇を噛みしめた。

 そうしないと泣いてしまいそうだったから。


「元気でな」


 子供達から少し離れた場所にいたテトが歩み寄って、紙袋を渡してくれる。美味しいと評判のパン屋さんの紙袋を餞別だと言って手渡してくれた。


「……ありがとう。馬車で食べるね」


 抱えたパンの袋はまだあったかくて、香ばしい香りに鼻の奥がつん、と痛くなる。

 孤児院から街のパン屋さんまで往復するだけで一時間はかかっただろう。もしかするとこれを買うために自分よりも早く起きてくれたのかもしれない。


 最後だと言うのに気のきいた言葉一つ見つからなくて、開いては閉じてを繰り返して。

 だけどそれはテトも子供達も同じらしく、昨日の賑やかさとは打って変わり言葉少なく、会話が弾む事ははかった。

 淋しさを堪えるような複雑な表情に、自分も同じ顔をしているのかもしれないと思う。


 だってきっともう二度と会えないから。


 あたしが向かうのは、ここから馬車で二週間も掛かる遠い田舎の小さな村。


 交通事情もいいとは言えない世界だし、何よりお互いの安全面から彼らに行き先を伝えていない。


 別れが長くなると辛くなる、なんて分かっていたから、手早く済ませる予定だったのに、やっぱり子供達を目の前にすると名残惜しさが先に立って足が地面に縫い付けられてしまっていた。


「――そろそろ出発します」


 それでも譲歩してくれたのだろう出発の時間を少し過ぎて、サダリさんがそう言い、あたしの背後に立った。

 身長差から仰ぐように振り返ると、こくり、と小さく頷いて見せる。

 昨日の今日だ。こうしてしっかり顔を合わせるのは、まだ少し照れくさい。

 頭を戻して「じゃあ」と、テトに最後の挨拶をした。


『さようなら』は、何となく万が一にも再会出来る可能性を潰すようで言いたくなかった。気持ちを切り替えて、背中を向けた、その時。


「おい!」


 叫ぶように呼び止めたテトに驚き、振り返ろうとした肩をサダリさんに掴まれ阻まれる。

 押し止めるように腕が背中を回り胸に押し付けられ、外気に晒され冷えた外套の表面に頬が押し付けられた。ひゃっと声にならない悲鳴が漏れる。


「サダリさ……!」

 慌てて身を捩る両手で押さえて離れようとしたけれど、何故かサダリさんの腕はぴくりとも動かなかった。


 え? なに?

 抱き付かれた、いや抱き込まれた? 

 どちらにせよ、これだとテトから……いや周囲の人から見れば抱き合っているように見える。

 それを証明するように年頃の女の子達は、きゃああっと楽しそうなからかうような黄色い声を上げていて、訳が分からないサダリさんの行動に顔が熱くなる。

 完全に顔が胸の中に埋っているせいで、非難の言葉はくぐもって言葉にもならない。

 テトにも呼ばれてるのに! と、太い腕を押すようにぐっと力を込め離れようとした所で、テトが絞り出す様な小さな声で何か、言った。


「――せるなよ」

 テト?

 太い腕に耳を押し付けられているせいで、ただでさえ小さな声は最後しか聞きとれなかった。


「分かった」


 ただすぐにサダリさんがそう答えたから、どうやらテトはあたしに話しかけた訳ではなかったらしい。そこでようやく腕の力が緩んだ。


「絶対だからな」


 畳みかけるように続いたテトの確認。

 年上の人相手には関心しない乱暴な口調だったけれどそれを咎める事なく、サダリさんはあたしの肩に手を置いたまま、もう一度しっかりと頷いた。


 ……あたしには聞かれたくない内容だった?

 抱き込まれたと思ったのは、耳を塞ぐ為だったのだろうか。

 サダリさんは休みになるとよく孤児院に顔を出してくれて、建物の修繕や男の子たちの遊び相手や簡単な護身術なんかを教えてくれていた。最初は強面で体格が良いせいか子供達はサダリさんを遠まきに見ていたけれど、 無害――、と言うか『遊んでくれる人』だと分かるとしつこいくらいに纏わりついてきた。


 だけどテトは難しい年齢のだったせいかそんな子供達とは違って、どこか距離を置いて接していたから、だからこそこんな風に、サダリさんを呼び止めて言葉を掛けた事が意外だったのだ。


 肩に置かれた手から、ゆっくりと力が抜けていく。

 そのまま離されるかと思ったのに添えられた状態のまま、サダリさんがゆっくりと口を開いた。


「ナナカを幸せにする」


 ぶわっと顔に集まる熱。ますます頬が熱くなる。

 今、サダリさんが『ナナカ』って呼び捨てにした。

 周囲に見られない様に慌てて俯いたせいで、余計に赤くなるのが分かる。


「当たり前だ……っ」

 拗ねるようにそう言った言葉の終わりが微かに震えた。


「テト……?」


 泣いてる? 驚いて駆け寄ろうとしたけれど、再びサダリさんに腕を掴まれ振り向くことすら許してくれない。

 そのまま馬車に行くように促されて戸惑っていると、その途中でいつの間にかそばに来ていたリーフさんが「見てやらないのも優しさだよ」と小声で耳打ちされた。

 驚いて顔を上げれば、唇に人差し指を置いて苦笑混じりに笑っている。


 昨日の、ともすればふざけたように見える普段の表情とは違う、きちんとした『大人』の表情に、振り返るのを止めた。


 そこまでされて気付かない程、鈍くない。

 自意識過剰じゃ無いなら、どうやら思っていたよりもあたしはテトに好かれていたようだ。

 ……もちろん、あたしにとってもテトは『特別』なのだけれど。


 でも、それはみんなが、多分、思っているような男女の関係じゃなくて、――家族愛、仲間意識に近いもの。

 とてもよく似た立場で同じ傷を抱えていたから、何も言わなくても一から十まで分かる。だから一緒にいるのは心地よかった。

 ただお互いに傷を嘗め合う状態にならなかったのは、テトの強さのおかげだろう。

 テトは年下だったけれど、あっという間に大人になって、いつも大事な事を教えてくれた。いや、違う。あたしより頭一つ小さい頃だって彼は立派だった。置いていかれたとさえ思うほど。

 だからあたしにとってもテトは、特別な存在だった。

 ぎゅっと奥歯を噛みしめて、込み上げる感情に耐える。自由になりたくて望んだ旅立ち、色んな人に迷惑を掛けて我儘を叶えたのだ。だからこそ泣くなんて出来ない。


「本当に、そろそろ行かなきゃね」

 リースさんが、太陽の傾きを見てサダリさんに声を掛ける。

 同行してくれる騎士さんはサダリさんとリースさんと残り二人。みんな見慣れた騎士の制服では無く、簡素な皮鎧に薄茶色の外套という、いわゆる旅装束に身を包んでいた。

 戻ってきたサダリさんが他の騎士から、馬の手綱を引き取る。他の護衛も一人は馬に乗り、一人は御者席に腰を下ろした。

 あたしもサリーさんに勧められて馬車の中に一緒に乗り込む。目立たないように外側は簡素に造られているけれど、中はサリーさんが整えてくれたらしくクッションが用意されていて、居心地は良さそうだった。


 最後にと、窓越しに顔を見せた院長先生に何度も別れとお礼の言葉を繰り返すけれど、どれだけ言っても足りない。

 馬の嘶きとともに馬車は動き出して、行儀が悪いと思いながらも、窓から身を乗り出して、追いかける子供たちに手を振った。


 遠ざかっていった孤児院は、確かにあたしの『故郷』だ。

 ここに来て一番長く過ごした場所で、人間として必要な温かさを先生や子供達、色々な人から学んで、自分も与えたいと思えるほどに優しさを貰った。

 あたしは恐らく、二度と戻る事は出来ないであろうその景色を目に焼き付けて王都を出たのだった。



        *



 サリーさんの故郷はこの辺りでは、そこそこ大きい街らしい。

 新生活を送る村はもう目と鼻の先だけれど、この街で一晩宿を取り、次の日の朝、細々とした生活用品を買ってから村へ向かい、一日掛けて引っ越しを済ませる予定だった。


「人がいっぱいですね」

「一番賑やかな時間ですもの。それに今日はお祭りなんですよ」

「お祭り?」

「ええ、港町でしょう? これから本格的な漁が始まるのでアルジフリーフ様に豊漁を祈願するんです」


 確かに街の規模の割に人も馬車も多い。

 けれど久しぶりに聞いたアルジフリーフの名前に、自然と眉間に皺が寄ったのが自分でも分かった。

 何でも屋よね、と心の中で皮肉交じりに呟く。これくらいなら許されるだろう。なんだかんだと『お姉ちゃん」を取られた気持ちは未だ消えていない。……例え本人が幸せだとしても、だ。


 不機嫌にしか見えないであろう顔をサリーさんに見られないように、あたしは反対側の窓のカーテンを少し開け街の様子を窺う。


 関所を通り抜け馬車が街道に入ると、その壁際、大きな木箱の上に立ち、何かを探すように忙しなく視線を動かす少年が目に入った。目を凝らせばその両脇には少年より幼い子供も二人。よく似た顔立ちから兄弟である事が分かる。

 同じように背伸びをしてきょろきょろしている姿は、明らかに何かを、いや誰かを探している様子だった。

 大きな馬車も多いし、危なくないかな、と心配になってしまうけれど、この世界の子供達は驚くほどしっかりしている。むしろお前が一番心配だと言われたテトの言葉がふっと蘇って口元が緩んだ。


「どうかされましたか」

「いえ……あの子達、誰を探しているのかなって」


 思わず笑ってしまった自分を不思議に思ったのだろう。

 隣に座っていたサリーさんに分かるように少年達を指して誤魔化すと、首を長く伸ばしたサリーさんは「失礼します」とあたしの方に身体を寄せての向こうに視線を向けた。


 指先を追って腰を上げたサリーさんは一瞬無言になる。

 そして次の瞬間には驚いたように目を見開き、カーテンを捲りあげて窓の縁を掴むと、落ちそうになるくらいに身を乗り出した。


「ロニー!」


 珍しいサリーさんの大声に驚いたのだろう。 

 御者席から「どうかしましたか」と声が掛かった……けれど、サリーさんの耳には届かなかったらしく少年をじっと凝視したままだ。


 ……ロニー? って人の名前だよね? 知り合いなのかな、と思って、あ、と声を上げる。


 もしかして、家族なのかな?

 そう思ってサリーさんを見れば、時々道行く馬車の影になる少年達を見失わない様に彼らを凝視していた。


 ……義理になりますが歳の離れた兄弟がいるんです、と教えてくれたのを覚えている。名前や年齢は聞いていないけれど、なんとなくイメージしていた年頃だ。


「もしかして家族の方ですか」


 今日戻る予定だと伝えていたのなら、家族が迎えに来ていても不思議はない。


 そう尋ねればサリーさんは、はっとしたようにあたしを見てから慌てて浮かせた腰を元に戻した。それでも視線は少年達を追ったまま。


「ええ、多分……いえ、そうだと思います」


 そういえば五年ぶりに会うと言っていたから別れた時、上の男の子はともかく、その脇にいる子供達はきっと赤ちゃんだっただろう。

 ただでさえ子供達の成長は早く顔立ちもころころ変わっていくのはここ三年、孤児院の子供達を身近で見て来たから分かる。いくら家族と言ってもサリーさんが確信を持てないのは無理も無い。


 あ、でも。

 注意深くサリーさんの表情を窺う。

 サリーさんの潤んだ目は、あの子達を家族だと確信しているのが分かる。


 戸惑いがちに頷いた視線は窓の外とあたしを交互に伺っていて、今すぐにでも彼らの元へ飛び出したい気持ちを抑えているみたいだった。あたしは窓に掛けられた手にそっと触れる。


「会いに行ってあげて下さい」

「……ですが」


 首を振るサリーさんに構わず、あたしは御者さんに向かって口を開いた――が、止めて下さい、と言う前に、馬車は街道の脇へと方向を変えた。

 子供達の方へと向かい、窓の外を見れば、いつの間にか並走していたサダリさんと目が合う。軽く頷く動きに同じ事に気付いて指示してくれたのだ、と分かった。


 馬車が止まった、と同時に駆け寄ってきた子供達は、少し迷った素振りを見せてからリースさんの方へと向かう。手前にいたサダリさんの方が距離的に近いと思うけれど、……おそらく話しかけやすい人を選んだのだろう。


 サダリさんは意外と強面なのを気にしているから、傷ついてなければいいな、と苦笑する。


「サリーさん、行って下さい。待ってますから」


 馬車が止まってすぐにそう声を掛けると、サリーさんはすぐに首を振った。


「けれど……私用で予定を遅らせるなんて」

「大丈夫ですよ。さっきも予定より早いって言っていたじゃないですか。あ、それよりもここからそう遠くないんだったら、弟さん達と一緒に行きましょう。久しぶりの実家だし、泊まってゆっくりしてくれても構わない、……んじゃないかと思います」


 最後に断言出来なかったのは、この旅におけるリーダーはあたしじゃなかったから、だ。でも、あたしの護衛に差し支えない範囲ならみんなもそれ位許してくれるんじゃないかな、と思う。


「まさか! ナナカ様をお一人で泊まらせるなんて」

「荷物を解く訳じゃないし、後は夕食を食べて眠るだけです。身の回りの事くらい出来ますよ」


 とんでもない、と首を振ったサリーさんを説得すべく言葉を重ねる。

 あたしの言葉に嘘は無い。もう何度も宿に泊まっていれば、大体の事は分かる。今日は外に行く予定もないし明日の引っ越しの為に早めに寝台に入るつもりだ。


「では、こちらで別れてはどうですか。サリー殿のご実家はどうやらここからさほど遠くないようですし、荷物は私かリースが運びましょう。逆に狭い道に馬車を止めれば悪目立ちするでしょうし」

 馬車を止めたもののなかなか出ようとしないサリーさんに、御者席にいた騎士さんが遠慮がちにそう口を挟んだ。


「あ、じゃあ俺が行きます。今日泊まる宿はきちんとした所で専門のメイドがいますし、今までのご様子から察するにナナカ様が困る事はないと思います。ここから宿までそれほど遠くありませんし、こうして迎えに来てくれたのですから顔だけでも実家に顔を出しにいけばどうでしょうか?」


 いつの間にか近づいていたのか、馬から下り、子供達を引き連れたリースさんが手綱を引きながらそう言葉を重ねる。


「けれど」

 それでもまだしばらく迷っていたサリーさんは、落ち着きなく馬車の中を覗き込もうとする兄弟達に我慢がならなくなったらしい。行って下さい、と言葉を重ねると、サリーさんは「挨拶したら宿にすぐに向かいます」と言って頭を下げて馬車から降りた。


「ちょっとあんた達!」

「ねーちゃん!!」

「あんた貴族さまの馬車覗き込もうとするなんて、王都なら打ち首モンなのよ! この馬鹿! いつまでたっても成長しないんだから!」


 わぁああ! と賑やかな歓声と溢れる笑顔。こちらからはサリーさんの背中しか見えないけれど、その表情は見なくても分かる。


 肩が震えているのは怒りじゃなく、泣いているのかもしれない。五年ぶりの家族との再会をどれだけ楽しみにしていたか、あたしの前では気を遣って多く語る事は無かったけれど、たくさん積んだ家族へのお土産からもよく分かった。

 少しだけ周囲が慌ただしくなって、後ろの荷台から物を下ろす音がする。


「家族かぁ……いいな」


 耳を澄まさなくても聞こえる兄弟同士の遠慮のないやりとり。

 ぽつりと呟けば少し寂しい、と言うよりも羨ましくなってしまって、なんだかダメだなぁ、と思う。


 溜息をついてこっそりとカーテンの隙間から外の様子を伺う。

 荷物を下ろしたのはリースさんらしく、大きなトランクを軽々と抱えていた。反対側の手にも重そうな鞄を持っている。


 そしてもう一つ、サリーさんの手荷物を抱えるのは一番身長の高い少年。あとの二人はしっかりとサリーさんの手をそれぞれ握っていた。忙しなくサリーさんに何か話しかけては答えて貰うたびにはしゃいでいる。


 ……明日にでも紹介してもらおうかな。今日はちょっとお邪魔な感じがするし。

 サリーさんが気遣う事のないように首を引っ込めてカーテンを閉め、大人しく座り直す。遠ざかっていく足音と子供達の声を目を閉じて聞いていると、不意にノックの音が狭い馬車の中に響いた。

 馬車を出す合図かな、と返事をすると、予想に反して、がちゃりと扉が開いた。


「失礼します」

 そう言って大きな身体を屈めて入ってきたのはサダリさん。

 そしてそのまま流れるように今までサリーさんが座っていた席――つまりは、あたしの隣に腰を下ろした。外で脱いだのか腕に抱えていた外套を膝に置くとまっすぐ正面を向き、馬車を出すように指示を出す。あたしはと言えば、そんなサダリさんの行動に驚いて、反応が遅れた。


「サダリさん!?」

「警備上、ご一緒させて頂きます」


 理由を尋ねる前に、淡々とした口調でそう言われた。

 慌てて頷いて、ものすごく近い距離にいるサダリさんを窺う。そんなに狭くないはずなのに、さっきまで華奢なサリーさんが座っていたせいか妙に近く感じて、一挙一動にいちいち反応してしまう。


 警備上。確かに要人が馬車の中に一人、と言うのは問題があるかもしれない。神子として神殿に向かった時も移動する時は必ず神官が同乗していたし。


「あの、でも、サダリさんの馬は……」

「サリー殿の荷物を運べるように貸しました。おとなしい馬ですから大丈夫です」

「そう、ですか」


 馬車でサダリさんと二人きりなんて今までなかった。

 もちろん御者席や馬車の横にも騎士さんはいるけれど、密室で二人きりなのは間違いない。

 それにそもそも旅に出てからこんな風にサダリさんと一緒にいるのも初めてだった。

 『ナナカ』と呼び捨てにしてくれたのは、テトと話したあの時一度きり。この一週間は必ずサリーさんがそばにいてくれたし、二人で話す機会も無かったので不意打ちでこの状況というのは、どうにも気恥ずかしい。それにどうしても体格の良いサダリさんでは広い馬車の中も狭く――いや、妙に近い、と感じてしまう。

 サリーさんがいれば婚約までしているのに何を今更、と笑われてしまいそうだ。


 こっそり顔を見れば、まっすぐ前を見つめているサダリさんの横顔にこれといった変化は無い。

 あたしだけが一人意識してしまってるのだろうか。


「……ナナカ」

 不意に話しかけられて、自分でも分かるくらい大げさにびくっとした。

 サダリさんはそれに気付いたのか、少し困ったように眉を寄せてあたしの方を見る。少し迷うような素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。


「……私達も家族になります」

「え……」


 家族?

 反芻して気付く。

 ……もしかして、さっき呟いた独り言が聞こえてしまったのだろうか。

 それで、わざわざ乗り込んできてくれたの?

 嬉しいような泣きたいような気持ちでサダリさんの腕に触れる。サダリさんはいつの間にかまた顔を正面に向けていた。ほんの少し耳が赤い気がするのは気のせい、ではないだろう。それがどうしようもなく可愛いと思ってしまう。


「……そうですね。うん、そうでした」


 小さな呟きだったのに、拾い上げてくれたサダリさん。

 それだけ注意深く自分の様子を見て貰えている事が嬉しくて、感じていた寂しさはあっという間に霧散していた。


「……サリーさん、気を遣わずにそのまま実家で泊まってくれたらいいんですけど」

 無言の時間が少し照れくさく感じて話題を変えてみる。


 そう、せっかく同じ街にいるのだからわざわざ別の場所に泊まらなくてもいいと思う。

 まぁ家庭には色んな事情はあるから一概には言えないけれど。サリーさんが家族と一緒に過ごせない用件があたしの身の回りの世話だとしたら、ぜひとも家族を優先してもらいたい。

 サダリさんも同じ事を考えてたのか、小さく頷いた。


「宿はそれなりの場所ですし、あなたは身の回りの事は自分で出来ますから問題ないでしょう。その辺りはリースがサリー殿の家の状況を見て申し出ると思います」

「あ、適任ですね」


 そう、この旅で知った事の一つに、リースさんの事がある。彼はその軽い雰囲気に反して、とてもよく気がつく人で、少し馬車酔いした時も、その辺りからすっきりする野草を取ってきてくれたり、休憩のタイミングなんかも計ってくれる。退屈だと思えば、次の街の話なんかもしてくれて気分を紛らわせてくれた。彼曰く、歳の離れた姉に女性に対しての気遣いを叩きこまれたらしい。それもまた笑い話として提供してくれた話題の一つだった。 


「良かったです。長い間会ってなかったみたいだし、少しでも長く家族と一緒に過ごしてほしいですよね」


 もともと引っ越しが済めば、何日か休暇を出して実家へ戻ってもらおうと思っていた。何ならこのまま休暇として過ごして貰ってもいいとさえ思う。てきぱきしているサリーさんが引っ越しにいないのは少しだけ不安だけど、村の人も手伝ってくれると言うし何よりサダリさんもいるのでなんとかなるだろう。


 なるべく隣のサダリさんを意識しないようにそんな事をつらつら考えていたら、あっと言う間に、馬車は賑やかな道を通り過ぎ、街で一番大きな宿屋の前に静かに停車した。





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