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後日談2⑭


 少し黴臭い小屋の中は、高く積まれた薪でいっぱいだった。その隙間から漏れる光源を頼りにつまづかないように、慎重に足を進めていく。

 床に落ちている炭の欠片や土が、踏みしめるたびにじゃりっと音が鳴った。

 薪割りは基本的に男の子の仕事だから、この小屋に入ったのは数える程しかない。

 ただ、この奥に椅子が置かれたちょっとしたスペースがあることは他の先生から聞いて知っていた。そこにはくりぬかれただけの窓もあって、まだ月の光も入るから、お互いの顔くらいなら分かるはずだ。


 そして予想通り、王子はそこにいた。

 小さな窓の真横の壁に身体を預けて、首を傾けて外を見つめている。

 窓からはいつかのような赤い月が覗き、王子の髪をますます燃えるような鮮やかな色合いに照らし出していた。


 まるで時間が巻き戻ったようだ。


「……王子」


 虫の声がうるさいせいか、近づくあたしの気配にギリギリまで気付かなかったらしい。

 呼び掛けたのと、王子がこちらを見たのはほぼ同時だった。

 久しぶりに至近距離で見た王子の身長はあたしの頭一つ分は高く、記憶の中の少年とは全く違う。……当たり前だ。彼をこんな近くで見るのは本当に久しぶりなのだから。


「……ナナカ、来てくれたのだな」


 驚いたようなほっとしたような複雑な表情の後、安心させようとしたのか、薄く笑みを浮かべたのが分った。声も驚く程低くてその顔にかつての無邪気さは見つからず、痛い程感じるのはあたしへの気遣い。

 自信と紙一重だった傲慢さは微塵もなく、見た目以上にその雰囲気が変わっていた。

 目の前にいる人物がまるで見知らぬ男の人の様で戸惑い、そして抑え込んでいた不安が胸に広がって、逃げるように視線を落とした。


 ――あ。

 けれど落とした視線の端に見えた王子の手に、はっとする。

 身長同様大きく節ばった王子の手が白くなるまで固く握り締められているのが分かった。対するあたしも、自分の両手を固く握りしめている。王子はあたしと同じく、緊張しているという事で。

 違う、それよりも早く返事をしなければ。


「……はい」

 来ない可能性もあると考えていたのだろう。

 もしくはサダリさんにそう告げられていたかもしれない。

 小屋の扉が閉まる直前まで感じた心配性なサダリさんの瞳を思い出して、苦く笑う。そんなあたしの表情を誤解したのか、王子は眉尻を下げて重そうに口を開いた。


「忙しい時にすまなかったな」

「いえ……王子こそ、わざわざいらしゃって下さるなんて……」


 首を振ってそう答えて、途中で口をつぐんだ。

 呼び出されれば王城まで行ったのに、そう言おうとした。けれど、三年前それで周囲から関係を邪推され色々と噂された事を思い出した。

 もしかしてそれを踏まえて、こうしてお忍びでやって来てくれたのだろうか。


 真っ直ぐ王子の顔を見られなくて、俯く。

 姿形よりもその気遣いに、王子の中の『時間』が進んだのだと感じて、成長したとは言えない自分を顧みる。また空気が張り詰めたような息苦しさを感じた。


 目が暗さに慣れて少し泥がついたつま先が見える。

 お互い無言のまま時は過ぎ、小屋の外にいるであろうサダリさんの存在が、かろうじて逃げ出したくなる気持ちを抑えていてくれた。

 一秒が五分にも十分にも感じる空気の中、何か話さなきゃ、と思ったその時、王子が沈黙を破った。


「あの時は、悪かった」


 静まりきった小屋の中、あの時よりも低くなった声が響いた。


 ――謝罪。


 王子からの『それ』は、半ば予想していたけれど、思っていた以上にあたしを動揺させた。


「あっ……たし、も言い過ぎました」

 釣られた訳では無い、だけど王子と続けたあたしの言葉はまるで反射の様に一呼吸も間隔が無かった。

 そこで初めて、どうやら自分は謝罪されるよりも責められたかったのだ、と気付く。

 当然かもしれない。だってずっと謝りたかった。元を正せばあたしの振る舞い故の結果で、今思えばあの時の立ち位置の定まらない自分自身に対しての苛立ち――八つ当たり、とさえ思える。


 反射的に口に出た謝罪に王子の目が丸くなった。どうやらあたしの態度が意外だったらしい。けれどそれは一瞬の事で、王子は苦笑して首を振った。


「お前が謝る事は無い。あの時のお前の言い分は何も間違っていない。ただ私が愚かだっただけだ」

「王子……そんな、事はないです」


 自分でもとって付けたような言葉だと思った。

 当たり前のように気付いた王子は苦笑して再び首を振った。


「肩書きだけで『自分』を見て貰えない悔しさは、自分が一番知っていたはずなのにな」

 まるで独り言の様に、少し声を落としてそう呟く。


「王子」

 今この瞬間も、話す程にかつての王子との違いをまざまざと見せつけられる。初めて会った時は、幼いとさえ感じた王子と自分の年齢差はいくつだったか、そう三つ。王子は、いや王太子は既に二十歳を越えている。


 確かめたくて、一歩、確認する様に近付く。

 自分があまり伸びなかったせいか、身長差はますます開いていて三歩以上離れた場所からでも見上げる形になる。

 圧倒的な身長差、細かった肩は飾りの無い外套でも分かる程、広くがっしりしている。甘さの残る、けれど凛々しい顔立ちに浮かべた表情は、やっぱり自分が知る王子のものでは無い。


 あたしが知っているあの我が儘で感情的な王子はどこへいったのか。


 自分勝手にも寂しさを感じた。

 それを失わせたのは自分自身だと言うのに。


「……王子も以前は悩んでいましたね」

 自分そのものを見て貰えず、肩書きだけを皆が見る―― 確かに『イチカ』として取り入っていた時に、そんな彼の悩みを聞いていた。

 ああ、だからこそ自分はあんなに意固地になってしまったのだろうか。今更ながらに必要以上に責め立てた自分の言葉を思い返す。


「我が国が――いや私達が殺したに等しい『イチカ』に拘って、無意識とはいえ全く違うお前にそれを押し付けていた。あの時、新しく友人になってくれ、と願ったのに、それをすっかり忘れて何もかもうまくいっているような気がして思い上がっていた」


 頷く事も否定する事も出来ずに、あたしは以前とは真逆の立場で、話しやすい様に同意だけして王子の言葉に耳を傾ける。

 そのおかげか幾分幾らか滑らかになった口からは固さが抜けていた。


「避けていたのも悪かったな。――神官長に改めて問われて、自分がしていた事に気付いてからは、お前の顔も見られなかった。それに今更だと笑うかもしれないが――『イチカ』が死んでいる事を改めて受け入れるのに時間が掛かった」


 深く根付いた想いは、毒花。種を蒔いたのは自分自身。

 やはり諸悪の根源は自分自身だ。

 自然と詰まった息。

 

 そうか。王子は『イチカ』の死を受け入れる事が出来たのか。


 あたしが……多分、受け入れられたのは、最後に見たお姉ちゃんが『幸せ』と、アルジフリーフのそばで言ってくれたからだ。

 あれが無かったら、果たしてあたしは『イチカ』の死を受け入れられただろうか。

王子はそんな体験なんてしていない。自分自身の力で、恐らくは初恋の――亡骸を受け入れたのだ。


 王子はすごい。自分なんかよりもずっと。


「――ナナカ。こんな私の無礼な振る舞いを許してくれるか」

 しっかりと呼んだ名前は確かにあたしに向けられていて、『イチカ』を見ている訳では無い。


 不意に泣き出したくなって、顔を隠すように深く、何度も頷いた。


「っもちろん、です。……あたしの方こそ、もっと早く言えば良かったのに、あんな酷い言い方をして傷付けて申し訳ありませんでした……っ」

 例えば、一番初めに貰った大輪の花束にお礼を言った時、実をつけるような小さな花が好きだ、と自分の好みを伝えていれば聡い王子は気付いたのでは無いだろうかとか、今更ながら思う事はたくさんあった。結局は――。


 少しの巡準の後、王子が意を決したように酷く真面目な表情でそう言った。


「ではお互い様、と言う事で良いだろうか」

 そう、どっちもどっち。

 言いたかった言葉に、そうですね、と頷く。

 だってこれじゃあいつまでたっても堂々巡りでいつまでも進めない。


「……はい。でも王子はそれでいいんですか」

 同意したものの、一国の王子にあれだけ好き勝手言ったのだ。落ち着いて考えればやはり割合的に自分が悪いような気がしてくる。

そんなあたしに、王子はここにきて初めて表情を緩めた。


「それこそ私のセリフだ。ほら、堂々巡りになるだろう。残念ながら時間も無い」 


 それもまたあたしが考えた通り。

 ふっと小屋の中の空気が軽くなったのを感じると、王子はすっと手を差し出した。重ね合うものでは無く、それは握手の形であたしは、しっかりとそれを握る。

 固い、身長同様大きくなった手。

 離した瞬間、王子はぽそりと、まるで内緒話を打ち明けるように呟いた。


「それでもやはり『イチカ』は私の初恋だった、と言ったらお前は怒るか?」

 

 驚いて顔を上げると、悪戯っぽく笑う王子の表情が間近にあった。

 周知の事実を敢えて口にしたのは、あたしの罪の意識を減らす為だったのかもしれない。

王子は笑った。だからあたしも同じ様に笑って軽口を返した。


「まさか怒りませんよ。お姉ちゃんは一目惚れされてもいい位素敵ですから」

 お姉ちゃんの魂の欠片が残っていたからこそ、あたしの『イチカ』は――終盤以前は完璧だった。自慢のお姉ちゃん、あたしがもっとお姉ちゃんに似ていたらもっと上手く演じ切れたかもしれない。


「あ、でも」

 けれど、言葉の途中でふと思い出した顔。


「お姉ちゃんの旦那様はとっても嫉妬深いそうですよ? 聞かれたらマズいかもしれません」

「アルジフリーフが?」


 ぽかんとした顔から一転、王子は今までの深刻な雰囲気が嘘の様に吹き出していた。

 アルジフリーフはこの世界での唯一の神である。そんな存在が嫉妬深いなんて人間臭い感情があると聞いた事がおもしろかったのだろう。

 釣られて笑ったあたしに、それはマズいな、と付け足した王子は、一層声を上げて笑った。あの日と同じ赤い月を背負って顔いっぱいに笑う。少し幼くなったその表情は、ちゃんと出逢ったばかりの面影を残していた。


 この世界で最大規模の国を継ぐ人。

 おそらくこの国で一番この国の未来を心配し『神子』という存在を危ぶんでいた。それなのにまんまと騙された優しい人。国の頂きに立つ人間としてはまだまだ頼りないと思うけれど、どう成長していくか未来は分からない。それに何よりこの世界の色とも言える赤い髪を持つ彼が一番国王に相応しいと思う。



 王子は収まらなかったらしい笑いを最後に苦労するように飲み込んでから、あたしの真横を通り抜けた。


「ナナカ幸せにな」


 アマリ様と同じ別れの言葉を残して、王子は小屋の扉に手を掛ける。


「王子もっ……」

 幸せに、大きくなった背中に投げた言葉は、扉が開く音と同時で聞こえたかどうか分からない。



 あっさりと終った再会、そして仲直り。

 だけど、確かに王子はあたしと『イチカ』を別人だと認めた上で、笑ってくれた。

 最後の話題がお姉ちゃんだなんて思っても見なかったけれど……ああ、馬鹿だ。あたし。

『イチカ』の旦那様の話なんてするべきじゃなかったかもしれない。願わくば、あの笑顔の半分でも本物であって欲しいと願う。


 ふ、と零した吐息。

 泣きたい訳でも無かったけれど、両手で顔を覆った。

 手のひらは冷たくて触れた頬はそれより少しだけ温かい。

 何もかも吐き出して、すっきりとは違う真っ白になった頭で、ただただ何も考えずにぼうっとしていると、不意に冷たい空気が流れ込んできた。


「ナナカ様」


 その一瞬後に、頭上から声を掛けられて、ゆっくり顔を上げる。

 扉が開く音は聞こえなかったけれど、確かめなくても分る。

 暗がりだったけど目が合うとサダリさんの眉間の皺が微かに緩んだのが分った。ああ、ぼうっと立ち尽くしていたから泣いていると思ったのかもしれない。


「大丈夫ですよ」


 ぽつりと呟く。

 泣いて居た訳じゃない。ただの、現実逃避だ。

 後ろめたさから目を逸らしたかっただけ。

 彼の気持ちを否定し跳ね除けたくせに、自分だけこうして大事な人がそばにいてくれる事が。多分、アマリ様に関してもそう。立場が違う、分っている。だけど、彼女や王子は国の為に数度しか顔を合わせた事が無い人と婚姻を結ぶ。自分はそれを送り出すだけで、何も出来ない。友人だと言ってくれたのに。


 ばさり、と布が翻る音がして肩に重く、温かい外套が被せられた。


「肩がすっかり冷えています。戻りましょう」

 さすがにサリーさんに借りたケープだけでは防寒にならなかったらしい。嗅ぎなれたサダリさんの匂いと残った温かさが胸に染みて、痛かった。


 意識すれば、真っ白だった頭の中に色んな感情が溢れて、零れ出して。

「……今、優しくしないで下さい」

 前にも同じことを言った気がする。だけどそれは叶えられた事はなくて、今日もきっと。

 今度こそ声が濡れて、喉が鳴った。

 サダリさんは何も言わない。だけど揺れていた視界を包み込む様に大きな手のひらが目を塞ぎ、滲んだ涙を拭って外套ごときつく抱き締められる。


 そして、私は私のやりたいようにします――と、それ以外は何も言わずに彼らしい優しさで慰めてくれた。




2014.08.17



なんとなく毎日更新してたのに、昨日更新できませんでした;待ってたよ! という方いらっしゃったらすみません;

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