後日談2⑬
「え……」
頭の中で処理しきれず、返事にもならない戸惑いを呟く。
触れた肩もそのままに微動だにしないサダリさんを見つめ返した。
あの、王子が来ている……?
反芻すれば戸惑いよりも恐怖に近い感情が、身体の奥から溢れ出す。
さっきの騒ぎで火照っていた身体から、すぅっと熱が引いていった。
王子はこの三年、他人から見ても分かる程にあたしの事を避けていた。
だからこそ当然の様にこのまま言葉も交わすこともなく、別れるのだと思っていた。
それなのに今更どうして。
……あたしが明日、王都から出るから?
確かに今日を逃せばおそらくもう王子とは会う機会は無い。だけど出発前日になんて唐突過ぎる。
どうして、と答えの出るはずもない問いを頭の中で繰り返して、さまよった視界にサダリさんの外套の端が映った。小さく泥が跳ねていてそれを擦ったような痕を見つける。
急いで来たのだろうか、と逃避して、だけど見慣れた色に少しだけ気持ちが落ち着けば、ふと気付いた事があった。
……違う、それよりも。
サダリさんと王子が一緒に来たのなら、結構な時間を待たせている事になる。
それに今いるこの孤児院の建物は人でごった返し、玄関は解放された状態だ。
つまり、開け放たれたままの扉のせいで、人の出入りはよく分かる。王子が訪ねてくれば、すぐに気付いたはずだ。王子は外、おそらくはどこか目立たない場所で待っているのだろう。
「あの……っどちらにいらっしゃるんですか」
今更ながらそう尋ねれば、サダリさんは落ち着かせるようにあたしの肩に手を置いた。焦る自分とは対称的に、静かに頷いてみせる。
「お忍びとの事で最低限の護衛だけを連れて目立たない場所で待っていらっしゃいます」
言葉の終わりにサダリさんの手が移動して、冷たい甲がそっとあたしの頬に触れた。労るような優しい手付きに思わずサダリさんに向けた視線は、きっとみっともなく縋るものだったのだろう。
サダリさんは頬を撫でていた手を下ろすと、先程より深い皺を眉間に刻んだ。
「最後にお別れを言いたい、と仰っておいでですが、ナナカ様がお会いしたくないのでしたら、このまま戻って頂きます」
「え……」
サダリさんが微かに首を傾げる仕草を見せる。どうするのか、そう問いかけているのだろう。だけど、あたしは予想もしなかった言葉に驚いていた。
「……あの、もういらっしゃっているんですよね?」
「ええ」
まるで何でも無い事の様に頷いたサダリさんの顔は至って真面目で、それが冗談ではなく本気なのだと分かる。
……断ってもいいと、そう言ってくれるのか。
苦いのに甘い感情が込み上げてきて、その後ろめたさにぎゅっと唇を噛み締めた。
躊躇なく言い切ったサダリさん。それはきっとあたしの戸惑いや不安を汲んだ上での言葉なのだろう。
もしかして、サダリさんが遅れた理由もこれなのだろうか。王城でこちらに来ると言った王子を止めようとしてくれていた?
「……サダリさん」
落ち着け、あたし。
彼ときちんと顔を合わせて謝りたいと思っていたのは事実。
何よりここで断れば、サダリさんはさっき言ってくれた言葉通り、どれだけ王子が望んだとしても、あたしと会わせようとはしないだろう。
もともとあたしが『イチカ』を演じていたせいで、王子とサダリさんの仲はそれほど良い訳じゃなかった。お城での二人の様子までは分らないけれど、図書室で話をしたあの時から、サダリさんは王子の名前すら口にした事はない。
……二人の関係は、どういったものなんだろう。
かつて正しく恋敵だったであろう二人の関係。
大きな不安が一つ。サダリさんはあたしの護衛として着いて来てくれるけど、これまで通り騎士団に籍を置く事になっている。たからこそ、いつか王位を継ぐであろう王子とサダリさんの仲がこれ以上拗れるのは防ぎたかった。
……それに何より逃げてばかりでは駄目だ。
前向きに考えれば、ずっと気になっていた王子との関係を清算出来るかもしれないチャンス。
謝られるのか、貶されるのか分からない。けれどどちらだったとしても受け入れなければならないだろう。だって以前は自分だけ一方的に感情をぶつけて責め立てた。言わば言い逃げに近い。王子にだって言い分はあっただろうし、何よりそもそもの原因は自分にある。覚悟を決めて、あたしは重たい唇を開いた。
「お会いします」
顔を上げてしっかりと言葉にする。サダリさんは薄く目を眇めどこか辛そうな表情をした。だけど、すぐに表情を消し、「案内します」と静かに告げた。
……サダリさんは断って欲しかったのだろうか。
何となくそう思ったけれど、あたしは一瞬だけ見えた複雑な表情を見なかった事にした。弱い自分は、本当は会いたくない、これ以上傷つけられたくないと思っている。今、優しい言葉を掛けられれば気持ちが折れて王子と対峙出来る自信が無かったから。
いつまでも迷惑と心配をかけてしまうサダリさんの顔が見れない。
俯いて視線を避けながら心の中で謝り、サリーさんを探した。
話し合いにどれ位かかるのか分からない。
主賓の三人の内二人が消えれば、招待客は不自然に思うだろう。
院長先生と談笑していたサリーさんを見つけて、目立たないように部屋の隅へと誘う。
どうしたんですか? と首を傾げるサリーさんに、しばらくこの部屋から離れる事を告げた。
当然ながら理由を聞かれて、サダリさんの了解を得てから、周囲に聞こえない様に気をつけて王子が来ている事を告げると、サリーさんはあからさまに表情を険しくさせた。
「私もお供致します!」
即座に返ってきた言葉にサダリさんと顔を見合わせる。サダリさんも予想していたのだろう、王子がお忍びで来ている事を説明しようとしても、その序盤で言葉を遮り聞こうとしない。
その剣幕にサダリさんが微かに眉を顰めるのを見て、いっそ言わなければ良かったかもしれない、と後悔しかけてすぐに否定する。心配性な彼女の事だ。突然何も言わずに消えてしまったら心配して大騒ぎになるだろう。
どう言えば納得してくれるか考えながら、サリーさんに視線を戻した。
「すぐに戻ってくるつもりなので、本当に大丈夫です。サリーさんまで抜けたらさすがに用意してくれたみんなにも悪いし、……何かあったのかって心配されちゃうと思うんです。だからサリーさんはここにいて誤魔化して貰えませんか?」
「それはそうでしょうが……やはり不安ですわ。突然いらっしゃるなんてこちらの都合など何も考えてない証拠だと思います」
「それは、多分……なかなか時間が取れなかったんだと思います。お城からここまで遠いですし」
「ですけれど」
なるべく言葉を選んで説得するもののサリーさんはやはり難色を示し、着いていくと言い張った。サダリさんがいるからと言っても譲ってくれずに、会話は平行線のまま時間だけが過ぎていく。
「そもそもあれだけ避けておきながら今更話なんて……。またナナカ様を傷付けるような事を口にしないとも限りません」
もう三年以上も前だと言うのに、まるで昨日の事の様に語るサリーさんの表情はますます険しくなってくる。
「サリーさん……」
今更ながら改めて彼女にどれだけ心配を掛けたのかを思い知る。
王子と話したあの日、サダリさんに付き添われて戻ったあたしの目は真っ赤で、目蓋も腫れていた。
あの時の王子との会話をうまく説明出来る自信が無くて聞かれない事に甘えてしまったけれど、あの時……違う、後にでもきちんと話しておけば良かったのだ。
とにかくあれ以来王子の話題になると、サリーさんはさすがにあからさまな悪口は言わないものの不機嫌な顔になる。
けれど時間が時間だ。
これ以上王子を待たせる訳にはいかない。
だけどサリーさんを連れて行けば落ち着いた話し合いは出来ないだろう。
サダリさんも言葉少ないながらも説得に加わってくれるけれど、彼女が了承する様子は無く、途方に暮れかけた所に助け舟が入った。
「どうされましたか」
それは今まで賢者と話していた神官長様。
尋ねられて、少し迷ってサダリさんを見上げる。頷いてくれたのを確認してから事情を話してみた。
後ろにいる賢者は……おそらく知っているのだろう、いつも通りにやにや笑って見ているだけだ。
その態度に半ば八つ当たりに近い苛立ちを感じながらも、王子が来ている事を告げると、どうやら神官長様の方は知らなかったらしい。長い睫を瞬かせ少し驚いた顔をしたものの、サリーさんの表情から事情を察したのか、そちらの方へと歩み寄った。
「サリー、気持ちは分かりますが、ここは私に免じで面会を許して頂けませんか」
「……神官長様」
乞うような口調に、サリーさんの眉間の皺が深くなる。昔から神官長様と王子は親しい。きっと王子の肩を持っていると思っているのだろう。
そんなサリーさんに神官長様は、何もかも分っているようにゆっくりと頷くと再び口を開いた。
「あれから王子も成長しました。今まで避けていたのは、ナナカに対しての嫌がらせではなく、どうしたらよいのか分からなかっただけなのです」
……どうしたらいいか。
似たような迷いをお互いに持っていると言う事だろうか。先に言った通り神官長と王子の付き合いは長い。あたしの知らない所で王子は神官長に相談を持ちかけていたのかもしれない。
「王子に最後の機会を与えてやって下さい」
思考に沈んでいると、神官長は穏やかに微笑み、最後にそう締めくくった。諭されたサリーさんはと言えば神官長の手前頷いたものの、それでも物言いた気な顔をして、あたしに視線を向けている。
不安気な表情に、痛い程心配してくれているのが分かった。
申し訳ないと思う一方で、サリーさんの、サダリさんの、神官長様の気遣いを嬉しく思う。……例え、王子に何を言われても大丈夫。受け止められる。そう思えるほどに。
続く沈黙にあたしは一旦目を閉じてそれから笑顔を作った。
テーブルの上のタルトを指差すと、改めてサリーさんを見る。
「サリーさんが作ってくれた洋梨のタルト、まだ食べてないんです。戻って来たら食べたいので子供達に全部食べられないように確保しておいて下さいね」
サリーさんの作るタルトが美味しいのは事実で、子供達はもちろんあたしも大好き。孤児院で切り分けるとあっという間になくなってしまうのだ。
出来るだけ明るい声でそう言うと、サリーさんは指の先のタルトに視線を流した。そしてぎゅっと唇を噛みしめてあたしの顔を見つめたて溜め息をつく。そしてようやく表情を緩めてくれた。
「……分かりました」
大きく首を竦めると、サリーさんは自分が羽織っていたストールを外した。
あたしの斜め前へと移動し肩へ掛けて、丁寧に巻き付けてくれる。
「外套を取りに行けば目立つでしょうから。私のもので申し訳ないですけれどこれで我慢して下さいませ」
「……有難うございます」
あたしが頷くと今度こそサリーさんはいつもと同じ明るい笑顔を見せてくれた。ストールの結び目を整えると少し後ろに引いて出来上がりに頷き、それからサダリさんに向き直る。
「サダリ様。ナナカ様の事宜しくお願い致します」
「了解しました」
聞きようによっては、真面目過ぎるサダリさんの言葉にサリーさんは、「言うまでもなかったですわね」と苦笑して扉の前まで見送ってくれた。
* * *
王子が待っているのはなんと敷地内の端にある、薪や備蓄品を置いている外の丸太小屋だった。
そんな所で、と驚いたのが顔に出ていたのか、廊下に出てしばらくしてからサダリさんが小声で、「王子自ら小屋を見つけて、『ここで良い』と仰ったのです」と、教えてくれた。
確かに二階建てとは言っても孤児院の建物自体は小さく空き部屋らしきものは少ない。今日は特に人の出入りが激しく、普段客間として使っている院長室は廊下の奥にある。
もしここに来ていたら、居間に集まっているお客さんはともかく、子供達の世話で廊下を行き来する先生にはどうしても姿を見られる事になるだろう。
みんな噂の種にするような人達では無いけれど、騒ぎにはなる。現に王子がこんな場所にいるなんて院長に言えば、確実に卒倒するのは間違いなく、混乱を避けたと言うなら納得の選択だった。
玄関を出てサダリさんの後ろを着いていく。外は既に日は落ちていて周囲は暗い。なだらかな丘の影がうっすらと見える程度で、部屋の明るさに慣れた目を何度か瞬いて慣らそうとしていたら、前を歩いていたサダリさんが足を止めて振り向いた。その下には差し出された大きな手。
「足元が危ないので」
手を繋いで引いてくれると言う事なのだろうか。
……誰にも見られないかな。そう思って、みんなの前でプロポーズまでされたのに今更だという事に気付き苦笑いした。
その手にそっと手を乗せると、固く冷たい皮膚の感触がして緩く握り込まれる。遠慮したのかすぐに振り払える様な強さに、少し寂しいような複雑な気持ちになって逆に強く握り返すと、ほのかに届く建物の光で、サダリさんの目が僅かに瞠られたのが分かった。
……びっくりさせたかな。
反射的な行動に反省しかけたその時、見つめたままだったサダリさんの口角がほんの少しだけ持ち上がったのが
分かった。次いで握りあった手の親指が優しく甲を撫でて今度はちょうど良い強さで握り返された。
「……」
建物側に自分がいて良かった、逆だったら暗くてきっと見逃していた珍しい表情にそう思う。そして、真っ赤であろう自分の顔も見られなくて良かった。
……というかそんな場合じゃないのに、こんな事で過剰に反応してしまう自分に呆れてしまう。
「……あ」
ふと思いついて、立ち止まる。
どうかしましたか、と尋ねてくれたサダリさんに慌てて首を振り、再び足を動かし始める。
……サダリさんに求婚され、受けた事を王子に伝えた方がいいのだろうか。恐らくいつかは本人の耳に入る。
他人の口から聞くよりも、本人が言うべきなのだろうか。
でも、……神官長の言葉から察するにもう王子はあたしとイチカを同一視していない。王子が好きだったのは、あたしではなくイチカだ。それなのにわざわざ報告するのもおかしい気がする。……でも。
答えのでない問いに頭を悩ませながらあたしは、サダリさんと共に、王子が待つ小屋へと急いだ。
丘を登り少し下った所にある小屋の扉の前で立っていた人が、手を上げたのが影で分かった。次いで重く低い声が暗がりに響く。
「サダリ。こっちだ」
恐らく王子の護衛の人だろう。だけどどこかで聞いた事がある――そう思いながら近付いて行くと、はっきりとその顔が見えて、ようやく思い出した。
もう随分前になるけれど、きちんと自己紹介までしてもらったのに、肝心な名前が思い出せない。
王様直属の親衛隊の隊長さんで、いつも王様のそばに着いていた壮年の男の人だ。
初めて会話したのは、ここに来たばかりの頃。王様から預かったという大きな宝石を持ってきてくれたのを覚えている。……確かサダリさんを紹介してくれたのも、この人だったはずだ。
そしてあの時――儀式が行われた日も王様のそばに控え、王子達にあたしと離れる様に警告し、サダリさんに至っては力づくで抑え込むように命令した人でもある。
「……」
あれから三年。
その前の一年はひたすら長く苦しかった。終わりが救いだと盲目的に信じて周囲の人間全てが敵だった。確実にこの男の人もその一人で。
改めて長かったような短かったような日々に向き直るような気持ちでその姿を観察すると、最初の印象より随分年齢を感じさせるようになったと思う。
それでも、今も現役で王様に仕えているのも納得出来る程、その体躯は逞しく隙が無い。外套に包まれ辛うじて見える首はサダリさんよりも太かった。現国王とも昔からの知り合いで信頼も厚いと聞いている。
ここに彼がいる以上、王様が彼に着いていくように命じたのだろうけど、その事を少し意外に思った。
あの儀式以降、王様とは言葉を交わす事は無くここ一年は顔すら見ていなかった。王様があたしの事をどう思っているかは直接知る機会は無く――ただ、立場的な事を考えれば邪魔なのは間違いないし、面倒がられていると思う。だって、王様は王子とあたしが仲良くしている所を見て、儀式を早めるように指示したのだから、できるだけ王子とは関わりを持って欲しくないはずだ。
神子としての仕事を放棄した上に駒にすらならず、好き勝手振る舞う元神子なんて目の上のたんこぶ以上に鬱陶しいだろう。
――でもだからこそ、今日王子が行く事を反対しなかったのかもしれない。いつまでも偽物の神子に何らかの想いを残したままでは、すぐ未来にある隣国の王女との婚約にも差し障りがあるかもしれないから。
終わらせる、為に。
それが親心からならいい、そう願う様に思った。
「中でお待ちになっておられます」
挨拶も無く、誰が、だとか分かりきった名前は言わなかった。
緊張と少しの恐怖を感じながら、小さく頷いて扉を開けようとすれば、それよりも先にサダリさんの手が取っ手に掛かった。
「待てサダリ。お前はここにいろ」
「お断りします」
脇から掛かった鋭い声に、サダリさんは間を置かず断る。
鋭い視線が交差し、隊長さんが威圧的に慣れた仕草で顎を引いた。
「――ここにいろ。命令だ」
一歩も引こうとしないサダリさんに、むしろあたしが戸惑う。相手は王様の親衛隊のましてや隊長なんて呼ばれる人だ。 力づくでこられたらサダリさんは敵うのだろうか。
それに王子との仲も気になるのに、これ以上自分が原因で諍いを起こして欲しくない。
だけど糸を張り詰めた様な無言の睨み合いに、口を挟む事も出来ず、ただ握ったままだった右手に力を込める。さっきと同じく逆に握り込まれたその瞬間、重かった空気がふっと緩んだのが分かった。
「真面目で忠実な団長のお気に入りが。随分感情を表に出す様になったものだな」
言葉程、彼の口調に棘は無い。
……今の言い方は多分、サダリさんが小屋に入る事を許してくれたのだろう。
そう思い、おそらくサダリさんもそう答えを出して身体から力を緩めたその時、隊長は予想だにしなかった行動に出た。
「サダリ、王子と神子の二人で話をさせてやってくれ。この通り頼む」
気付かなかった腰元の剣から手を置いて、深く、頭を下げる。
勿論驚いたけれども、サダリさんはそれ以上だったらしく、ここに来て初めて表情が動いた。
けれどすぐに寄せられた眉に、唇がきつく噛み締められる。……だけどきっとサダリさんは譲らないだろう。親衛隊長さんとサダリさんの仲はどういったものなのか、あたしは知らない。ただサダリさんは敵意は向けながらも最低限の礼節は守っていた。そもそも立場的には反論なんて許されない程の身分差があるのだ。
けれどサダリさんは、王子からの申し出を断ってもいい、と言ってくれた。目の前の親衛隊長以上の身分差なのに。だからどんなに頼まれても疎まれても首を縦には振らないだろう。
……何してるの、あたし。
深く頭を下げたままの親衛隊長と、苦し気なサダリさんを見つめて、我に返った。
最初からこれはあたしと王子との話だったじゃない。
「……サダリさん。大丈夫ですから、ここにいて下さい」
取っ手にかかっていた手に触れる。
いつかやってくれたみたいに上から撫でるように置いて、やんわりと押しのけた。
「しかし」
「本当に大丈夫です。心配無いって神官長様も言ってくれていたでしょう? それにもうこれが最後になるでしょうから」
少しでも信頼してもらえるように、出来るだけきっぱりと宣言する。
時間にして数十秒、いやもっとあっただろうか。重い沈黙が三人の間に流れて、それを破ったのはサダリさんの小さな溜息だった。
「分りました」
どうやら気持ちは通じたらしく、だけどサダリさんは扉の真横に陣取ると、「ここでお待ちしています」と低く呟いた。
近過ぎないか、と言う呆れた隊長の言葉を綺麗に無視するサダリさんに苦笑したら、少し肩の力が抜けた。
「――行ってきます」
そう言って、冷たい取っ手を引いて開いた隙間に身体を滑り込ませ、あたしは中へと足を踏み入れた。
2014.08.17




