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04.伏せられた未来

「――です」

「では……の様に」


 途切れた会話が耳障りで、喉が、痛い。クッションのおさまりの悪さに違和感を覚えて、 瞼を押し上げれば、濁った白い靄の様なものが暗い部屋に漂っていた。

 酷く甘い腐りかけた果実の様な変わった匂いを吸い込むと、とろ、と頭の芯が痺れる様に重くなった。


 ――どこ。

 視線だけ動かして、部屋の中を伺う、と、カタ、と何か動いた音がした。ベットを超えて床下に伸びる、光に照らされて、窓を開けたのだろうと、分かった。


 朝……?


 広がる太陽の光に部屋の内装が明らかになる。どこかのお金持ち、どころか美術館に置いてる様なノーブルな家具。視界の端に映る紗幕。もしかすると、今自分が眠っているのは、天蓋付のベッドだとでもいうのか。


 ぼんやりした頭の中では、なかなか思考が纏まらない。けれど、窓から吹き込むひんやりとした冷たい風のおかげで、幾らか気分はマシになった。


 少し間を置いたノックが二回。

 寝台の足元を誰かが通って、扉に向かう。

 しばらくして歩み寄って来たのは、長い法衣を身に付けた――あの男!

 

 咄嗟に起き上がって、その途中で、腕がぐにゃりと折れて倒れ込む。

 力の入らない身体に獣の様に低く唸って、男を睨み上げた。


「お目覚めになられた様ですね」


 少し驚いた様に長い睫を瞬かせ、男が宥める様な穏やかな微笑みを浮かべて見せた。


「あなたは、隣で控えていて下さい」


 男がそう言うと、もう一つの気配が静かに遠ざかり、扉が閉まる音がした。


 思い出した。


 この男、確か神官長だとか言っていた――が、意味の分からない事を言って、夢だと、思った。でも、怖くなって光ったままだった石台に戻ろうとして、誰かに邪魔された。


 そして何か嗅がされて――。


 その薬のせいなのか、力が入らない。

 理解出来ない現状。

 でも、今はそれよりも。



「か、え……」


 舌がもつれて、うまく言葉が出ない。けれど必死で言葉を紡ぐ。


 帰して今すぐ、間に合わなくなる前に。


「……おねが」


 滲む視界の中、神官長の表情はよく見えない。

 涙が溢れるのは、頭の痛みのせいなのか、突然得体の知れない場所に連れて来られたせいなのか、よく分からない。でも、


 お願い帰して。お姉ちゃんの所に。

 おねがいおねがい、


 必死で手を伸ばして、神官長の長い法衣を掴む。ただそれだけを、壊れたレコーダーみたいに何度も繰り返した。



「――神子様」


 握り締めた拳の上に、ふわり、と羽が触れる様な柔らかさで、手が重ねられる。


「召喚は一方的なものですので、こちらからお還しする事は不可能です」


 不可能?

 それって元の世界に戻るのは、無理だって事?


「それに」


 そして続けられた言葉に、あたしの心臓は動きを止めた。


「既に召喚した日から、今日で三日経っています」


 ――え?

 続けられた言葉に、あたしは限界まで目を見開いて、神官長を凝視した。


「う、……そだぁ……っ」


 唇が戦慄いてさっき以上に、言葉が揺れた。


「時間、戻して……出来るんでしょう、だって、異世界トリップとか、魔法なんでしょ? 簡単に出来るでしょう?」


「召喚の魔法以外は太古に失いました。ゆえに帰還の魔法は存在しません」

「……うそ……っ」


 三日?


 今から帰ったとしても、間に合う? 分からない、……違う、この人は帰れないって、言った。

 帰れないなら手術出来ない、手術出来なきゃ、お姉ちゃんは。


「死ん……っ」


 嫌だ口にしたくない。分からない、今も生きてる? 分からない分からない! だって先生もそこまで説明してくれなかった!


「だからこそ、あなたは戻る事は出来ない。健やかに過ごしやすいように気を配ります。神子としてこの世界を守って下さい」


「何、言ってる……の?」


 酷く乾いた声が出た。

 一体何を言ってるのだろう、この人は。


「帰して! 嘘、嘘つき!!」


 人形の様な綺麗な顔、理想的な形に整った唇から吐き出されるのは、酷い言葉ばかり。芽吹いたばかりの若葉の様な新緑の瞳は、静かに伏せられただけで否定しない、してくれない。


 声が枯れる程叫んで、詰って、息が切れたその時に、乱暴に扉が開けられた。

 

「――なんだ、騒がしいな」


 眉を顰めて歩いて来たのは、緋色の髪に軍服の様な服を身に付けた、男の人、目の前の神官より若い。まだ十代かもしれない。 


「気狂いか」


 神官長に掴みかかったままのあたしを見て、酷く傲慢に吐き捨てる。

 疎んじる様な視線は、まるで人間じゃない何かを見ているようだった。


「ユーリウス殿下、お言葉を慎み下さい。恐らく召喚と薬の影響で意識が混濁してるのでしょう。それに薬の効きが良すぎる事から察するに、似たようなものをあちらでも接種したと考えられます」


 ユーリウス、と呼ばれた男からあたしを庇う様に神官長は、あたしに腕掴まれたまま身体をずらす。


「神子、お前が認めずともどれだけ暴れようとも神子である事に変わらない。それ以上抵抗するなら、儀式のその時まで薬を与え続けて生かしても良いんだぞ」


 不機嫌に鼻を鳴らした王子様、多分、そうだ。神官長が、殿下って言ったからきっとそう。


「……神子?」


 ぽつりと何度も聞いた言葉を繰り返せば、王子が尊大に頷いて腕を組み直し言葉を続けた。


「ああ、今から一年後に儀式がある。千年に一度の神を慰める祭りだ。お前はその台座に立って神を慰める舞を奉納する」


 ――馬鹿じゃないの。

 舞、って何、何でそんな事しなくちゃいけないの。

 いっそ今すぐ殺してくれれば良いのに。じゃあきっとお姉ちゃんに会える、会ったらちゃんと謝って、それから。


「異世界からやって来た神子は、類稀なる魔術を使えると伝えられています。きっとあなたの慰めになるでしょう」


 あたしが神子なんて馬鹿馬鹿しい。

 笑いすら込み上げて、王子がまた訝し気に眉を顰めたのが分かった。


 だって、ねぇ? そういう役回りは、優しくて人望もある太陽みたいな明るいお姉ちゃんこそ相応しいのに、なんであたしなの。


 なんでこいつらはお姉ちゃんを殺しておいて、平気な顔して、この世界を救えなんて身勝手な事言うの。

 馬鹿馬鹿しい喜劇を見ている様だった。神官長の説明も、王子の蔑む言葉も空っぽな頭の中をすり抜けるだけ。


 だから三度目の扉が開いた音も、どこか遠くに聞いていた。


「アマリ様! いけません!」


 甲高い悲鳴の様な呼び掛けと同時に、転がり込む様に部屋に飛び込んで来たのは、あたしと同じ位のお姫様だった。


「神子様! お会いしとうございました!」

「アマリ! ここに来てはいけないと王が仰っただろう!」


 さっき神官長がした様に、お姫様の視線を遮る様に、王子が前に立つ。

 腕を掴まれたお姫様は、長いドレスの裾を翻して、王子を睨んだ。


「だってお兄様だけずるいですわ! 私だって王族の一員として神子様と」

「いいからお前はさっさと部屋に戻れ」


 賑やかに言い争う二人。

 並ぶとよく分かる。

 お姫様は王子と面差しがよく似ていた。


 王子の口調も、言い争ってはいるものの、あたしと接している時とは全く違って、その茶色の瞳は柔らかく、ぶっきらぼうな親愛があった。


 彼らの間の見えない絆に、自然と言葉が零れ出た。



「……お姉ちゃんを、助けなきゃいけなかったの」



「あの時も……その様な事を仰ってましたね。申し訳ありませんでした、今ご事情をお伺いしても……?」


 近くにいた神官長が、呟きを拾った。けれど答えたのはあたしでは無く、しっかりと妹の腕を掴んでいた王子だった。



「この世界に何百万の人間がいると思う? 人一人の命など軽くて比べようも無いだろう。レーリエが謝る必要は無い」


 ようやく緊迫した空気が読めたのか、兄の腕の中に隠れる様にして、こちらを伺うお姫様。

 目が合うと、少し迷った様にはにかむような曖昧な微笑みを浮かべて見せた。


 長い睫毛に縁取られた大きな栗色の瞳は、好奇心を抑え切れないようにも見える。


 兄にもおそらく周囲からも愛されて、無邪気に育ったお姫様、……ねぇあたしも同じ様に愛していたの。



 たった一人のお姉ちゃんを。




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