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後日談2⑦


 ――だって。


「ナナカ様。お部屋に王子から贈り物が届いています」


 濡れた手拭いを差し出すついでにそう報告してくれたサリーさんに、はっと我に返った。

 周囲を見渡せば、子供達も休憩するらしい、いつの間にかそれぞれ木陰を探してしゃがみ込み、持参していた水筒を回し飲みしていた。きっとまたテトが指示してくれたのだろう。……もう完全に頭が上がらない。


 まだ冷たさの残る手拭いで思いきり顔を拭きたいけれど、サリーさんの前ではさすがに出来ない。きっとはしたないと怒られてしまうだろう。……監督役どころかこの中で一番手が掛かっているのは、自分のような気がしてきた。


「どうなさいますか」

「王子の贈り物、ですか。……どうしましょうかね」


 小さく溜息をついて、冷たい手拭いを頬に当てて瞼を閉じた。

 神殿に戻ってからも、王子は何かと理由をつけて色んな贈り物をしてくれる。最初の頃は儀式を終え国を豊かにした豊穣の神子への感謝の気持ちであると周囲に取られていたが、些か量が多すぎた。

 またその中身も豪華なドレスや宝飾品であり、市井で質素に暮らしたいという自分――いや元神子には、誰が見ても不必要なものだ。周囲が二人の間に何かあるのか、もしくは還俗など最初からするつもりはなく王子か、もしくはその血筋に近い有力な貴族に嫁ぐのではないかと勘ぐられる程に。


「ナナカ様、私から王子にお話しましょうか」


 最後まで抱き付いていた子供を木陰に移動させていた神官長が、遠慮がちにそう申し出た。いつの間にか戻ってきていたのか、会話を聞いていたらしい。穏やかな表情ながらも微かに眉間に皺が寄っている。


 周囲と同じ、溶け込むような新緑色の視線を合わせて、少し考える。

 それとなく神官長があたしの為に王子に注意してくれている事は、アマリ様から聞いて知っていた。王子と話している時、無意識に『イチカ』らしい行動や反応を求められると、話を変えたりそれとなく王子を戒めたりしてくれている。有難いと思う反面、彼等と王子と、一体何が違うのだろう、と考えずにはいられなかった。


 イチカが憧れだと公言していたアマリ様は、意外な程あっさりとナナカとイチカは別人だと受け入れてくれた。

 そして別人だと確信したからこそ、今も成人していない少女に生贄を強いた罪の意識に捕らわれている神官長様。

 ……サダリさんは、正直最初の方から何となく分かっていたような気がするから、除外してもいいかもしれない。いや、面と向かって言われた事もあったから、間違いないだろう。『あなたは子供なのか大人なのかよく分かりません』と。


 表情は読めないし、口数も少ない。でも休みの日にわざわざ会いに来てくれるくらいだから、嫌われてはいないと思う。最近顔を見ていないのは、単に自分が避けているせいだから。


 サダリさんと一緒にいると、思考がうまくまとまらなくて、戸惑う。だから顔を合わせるのを避けた。もう少し気持ちの整理が出来てから会いたい。……ああ、駄目だ。またサダリさんの事を考えている。


「……いえ、自分で言います。お気遣いありがとうございます」


 今、重要なのは王子の事だ。

 王子は、愚かな人ではない。

 ――ただ初めての恋に舞い上がっているだけ、と言ったのは神官長だったけれど、彼の相手は存在しない『イチカ』なのだ。

 それを証明するように、贈られるものは『イチカ』がよく好んでいた品の良い落ち着いたドレスや装飾品。あの時直接――死んだのだ、と告白したのに、本人も気付いていない心の底でそれを認めていないのだろう。


 手紙のやりとりや会話をする度に、彼はまだ『イチカ』に想いを寄せて、『ナナカ』の中に残る欠片を見つけようと、躍起になっているように感じる。いや実際にあるのだろう。似てはいないけれど、『イチカ』と『ナナカ』は血の繋がった姉妹なのだから。そして王子はそれを見つけては、以前と変わらない熱の籠もった眼差しであたしを見つめる。


 ――息が、苦しい。


 本当はこのまま王子が静かにイチカの事を忘れていってくれれば、と願っていた。それが一番楽だったから。

 そんな王子に気付いている人間は意外に多い。サリーさんにアマリ様。そして神官長も、何回目かの贈り物の中身を見て察したらしく、その時もさっきと同じ問い掛けをくれた。


 多分他人からではなく、あたしから彼に伝えるのが一番早く、プライドも傷付かないだろう。



 けれど。



 あたしは『イチカ』じゃない。


 もう『イチカ』は死んでいる。


『イチカ』と『ナナカ』は全く違う。


 ――『ナナカ』に『イチカ』を求めないで。



 自らそう差し向けたくせに、そんな言葉を一体どんな顔で王子に言えばいいのか。

『イチカ』が撒いた種は思惑通り鮮やかに王子の心に咲いた。あの儀式の時に潰してしまったはずだったのに、一体いつまた新しい蕾をつけてしまったのか。

 けれどもこの状況が長く続けば、お互いにとってよくない事にしかならない。


 あたしの返事を、ある程度予想していたのか、神官長は溜息のような吐息を一つ零して考え込むように押し黙った。


「神官長様。眉間に皺が寄っていますよ」

 重くなってしまった空気を払拭すべく、わざと軽く言うと神官長様は少し笑った。


「見苦しくて申し訳ありません」

 また続いた沈黙の後、静かに神官長が口を開いた。


「ナナカ。私はあなたの力にはなれませんか」

「神官長様」


 穏やかながらも、真摯な声に戸惑う。用済みの神子に衣食住を与えてくれるだけでも十分だと言うのに、彼は事あるごとに何か不足はないか、困ってはいないかと聞いてくる。

 慈悲深い聖職者は、さっきも言った通り未だに罪悪感に囚われていて、過保護な程あたしに気を遣う。成人もしていない少女に与えてしまった苦痛を我が事のように感じて、安寧と幸福だけを捧げて大事にしたいと手を尽くしてくれているのだろう。


 ……良い機会かもしれない。

 王子の前に、彼とも話し合いをして、自分の今の気持ちを知って貰うには。

 神官長の為と言うよりは多分自分の為に、あたしは彼と話すことにした。


「神官長様にお話があるんです。お忙しいところ恐縮ですが、あちらで少し話をしませんか」


 指さしたのは、ここから少し離れた建物。中に入らなくても大きな屋根があるので日陰と、椅子代わりになる丸太もある。 

 サリーさんとテトに子供達を任せて、返事も聞かないまま神官長様の背中を押して、そちらへと向かう。


 いつにない強引な行動に驚いていた神官長は、あたしが丸太の椅子に座る様に促すと、戸惑いながらも素直に従ってくれた。ほっとしてあたしもその隣へと腰を下ろす。

 お互い地面を見下ろして、しばらく沈黙が続く。視界の端に少し張り詰めた神官長の表情が映って、あたしはようやく覚悟を決めて口を開いた。


「もう終わりにしたいんです」


 ぴくり、と神官長様の指先が動いた。


「……何を、とお訊きしても構いませんでしょうか」


 分かっていないのか本当は分かっているのか。俯いたままだから表情は分からない。

 でも、あたし自身神官長様の膝の上から視線を上げられなかった。だから素直に言葉を口にした。


「神官長様は、ずっとあたしの事で負い目を感じてますよね?」

 ストレートに尋ねた問いに、神官長が弾けるように顔を上げたのが気配で分かった。暫くして静かに口を開いた。


「いいえ、とは言えませんね。後悔は、しています。……けれど同じ時間を繰り返したとして、私はあなたを救おうとはしないでしょう」

 潔い、神官長様らしい嘘偽りのない言葉だと思う。


「……それは当然でしょう。あの時は――神官長様があたしを逃がしてくれたとしても、結局皆が死ぬっていう事になってたんですから」


 それでも救いたかったのだ、と表情が語っていた。けれども口に出さないのは結局は同じ事だと思ってくれているのだろう。膝の上で固く握り締めた拳が小さく震えている。


 あたしはそこから視線を外し、子供達の方を見た。

 賑やかな話し声と、時々上がる笑い声。

 夕日から伸びた影が一人、二人、と繋がって重なっていく。それはいつか見た夢に似ていて、少し胸が痛くなった。


「あの時、あたしはどんな手を使っても神官長の事傷つけてやろうと思ってたんです。すっごくえげつない事考えてました、本当にもう色々」


 口の端を吊り上げてわざとらしく笑ってみせる。そこまで言ってようやく踏ん切りがついて神官長様の顔を見た。テトが昔見せていたような悪ガキみたいな顔で。


「……それは興味深いですね」

 どうやら付き合ってくれるらしい。神官長様はあたしとは正反対に上品に緩く微笑んだ。

 少し気持ちが軽くなって、だから自然に言葉が続いた。


「だから、そんな意地の悪い小娘に神官長様が罪悪感なんて抱える事、ないんです。逆にもう何の得にもならないのにこんなに良くして貰って、今申し訳ないくらい充実しています」


「ナナカ、それは」

 呼んだ名前には少し嗜める様な響きがあった。


「だからあたしを見る度に世界が終わったみたいな不幸な顔しないで下さい。正直迷惑です。ずっとそのままならあたしはもう一度『イチカ』になりますよ。いたいけな少女、だなんて思うから余計に罪悪感が増すんでしょうから。それって神官長様が王子に戒めようとしてくれてる事ですよね?」


 神官長様の言葉を遮って一気に吐き出すと、はっとしたように神官長様の目が見開かれた。

 長い睫毛が一度瞬いてから、深いため息が吐き出される。


「……そうですね」と呟いた声は少し苦かった。

 だから、と一旦言葉を切る。


 神官長様にお説教とか不相応すぎて自分でも呆れる。

 自分勝手だな、と思ってその図々しさに居た堪れなくなって立ち上がった。

 既に日は傾き始めていて、子供達も後片付けを始めている。


「もう自分の事許してあげて下さい」


 そう言って振り向くと、ちょうど西日が当たったのか、神官長様は眩しそうに目を眇めて「……善処します」と緩やかに微笑んでくれた。





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