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後日談2⑥


 今年の夏はまだ初旬だと言うのに、うだる様に暑い。


 そう言えば去年のこの時期はまだ王城にいたのだと思い出して、指を折って日にちを数えて確認してみた。

 あまり暑かったとか寒かったとかそんな記憶は無くて、あの時は復讐する事だけが全てで、他の事に気を取られないようにした。季節の変化も咲く花の種類も風の匂いも単なるお喋りのきっかけで、それ以上でも以下でも無かった。


 けれど、今年は。

 よく晴れた空を見上げて目を眇める。神殿、いや孤児院で迎えた夏は去年よりも暑くなるのが早いそうだ。ぐんぐん伸びる雑草から敷地内にある畑の作物を守るべく、今日は朝から子供達総出で草引きをしていた。


 流れ落ちる汗を腕で拭う。濡れた土の匂いと緑の青臭さが近い。そんな些細な事すら立ち止まってその意味を考えたくなる。


 神殿に戻ってから二ヶ月、また同じ部屋を借り環境も落ち着いて、朝は勉強、昼から子供達の世話、とルーチン化してくると同時に気持ちも落ち着いた。


 元々新しい事にはなかなか手が出せない保守的な性格で、明日の予定も分からないような変則的な過ごし方は苦手だった事を思い出して苦く笑う。

 けれどそうして過ごす内に、あれだけはっきりしていた『イチカ』の記憶も薄れていくのも感じていて、それが正しいのだとしてもやはり寂しかった。そして同時にあまり社交的でも無い、本来の自分が表へと出てきてそれはあまり嬉しくは無かったけれど、サリーさんを含めた周囲の人達がそんな自分もいいと言ってくれるから、無理する事無く自分なりのペースで生活を送る事が出来ている。


 腹を割って、と言うのだろうか、素直に会話をすれば価値観の近いサリーさんは、良き相談相手になった。二週間に一度は参拝に来てそのついでに顔を見せてくれるアマリ様とも上手くやっていると思う(サリーさんは逆だと笑っているけれど)。賑やかな彼女は天然で可愛いらしいけれど、やっぱりそれだけではなく大国の王女らしく、こちらを気遣うような思慮深さも見せてくれた。本当に自分に都合の良い一部分しか見ていなかった事に罪悪感を覚えてしまう。


 行動範囲も広まって前の休みには、サリーさんと神官さんに着いて来て貰って街にも下りた。

 ちょうど市の立つ賑やかな日だったらしく、久しぶりの人混みに前に進む事も出来ず二時間もしない内に気分が悪くなり、顔色の悪さに気づかれ早々に切り上げる事になってしまった。申し訳無い気持ちで二人に謝るとサリーさんは、次は人の少ない時に来ましょうね、と軽く流してくれた。神官さんも優しく、私も実は人混みは苦手です、とこっそり打ち明けてくれて、少し気持ちは軽くなった。

 それに一番初めに少しだけ覗いた古書屋らしき店も、かさばるので最後にしようと思っていただけに残念だった。


 ……本は昔から好きだった。

 今はこの世界について知りたくて片っ端から読むようにしているけれど、残念な事に神殿の図書室の本は当然ながら宗教に関する専門書だらけでよく分からないものが多い。


 王城は幼い王女や王子が使う事もあるせいか、もう少し分かりやすいものが揃っていたけれど、今は気軽に遊びに行ける場所では無い。そんな中枢をうろうろしてあらぬ誤解を受ける可能性だってあるし、未だに何かと接触しようとしてくる貴族に利用されたくもなかった。


「――ほらチビ、帽子しっかり被れよ」


 いつの間にか隣に来ていたテトの声に少し驚いて顔を上げた。

 どうやらリラが麦わら帽子を取ってしまったらしい。鬱蒼としげる草むらの中に埋もれていたというのに、なかなか目ざとい。

 本来ならそう言った気配りをしなければならないのは一応監督責任の立場にある自分の仕事だ。


「テト、ごめん。リラおいで」

 ほら、と地面に落ちていた帽子を拾い、土を払ってから被せようとすると、リラは大きく首を振ってそれを押し返してきた。


「暑いからやだぁ!」

 帽子を嫌がる子供は多い。けれどこのまま草むしりなんてやらせれば、日射病一直線である。


「グダグダ言うんじゃねぇよ」

 ざっざっと草を掻き分け、あたしの手から麦わら帽子を取り上げたテトは、リラの頭を麦わら帽子ごと押さえ込んだ。ゃああ、っと可愛いらしい叫び声を上げたリラは、顔を歪めて潤んだ瞳であたしに助けを求めて来た。


 もう少し優しい言い方をすればいいのに、と思うけれど、十二歳――自分の三年前を思い出して微妙な年頃だろうなぁ、なんて考える。いや、三年前の自分なんて比べるのも失礼だ。守られる事が当たり前で、甘ったれだった自分。テトは見た目や粗暴な口調に反して面倒見が良く、大人以上に気が回る。けれどもそんなテトの不器用な優しさは、当然ながら幼い子供には通じないらしい。


「お日様の光を浴びすぎると、後ですごく頭が痛くなるの。テトはリラの事心配してくれてるんだよ」

 手に持っていた雑草を袋に入れてからリラの前にしゃがみこむ。帽子についているリボンを顎の下でしっかり結び直しながらそう説明すると、テトはふん、と鼻を鳴らして自分の持ち場へと戻っていった。


 もうちょっと口調が優しければなぁ……。

 こちらに向いた背中の布は汗で張り付き濃くなっていて、まだ細い身体を余計にそう見せた。

 どうやらまた身長が伸びたらしい。来年には抜かされているかもしれない、となんて思いながら横にはいかないテトに少し羨ましく思う。

 僅かに丈の足りない上着に気付いて、院長に伝える事の中にメモしておく。


「……ナナカもサボってんなよ」


 どうやら考え事をしていたのも見抜かれたらしい。

 いつの間にか振り向いていたテトにそう注意されて、慌てて草引きを再開する。目が合ったリラと首を竦め合うと、背中にテトの鋭い視線が刺さった。

 本当にどっちが監督役だか分からない。


 神子では無くなるからこれからはナナカと呼んで、と頼めば子供達は大人よりも素直に受け入れてくれた。元々『神子様』と呼んでくれる子供達が多かったから、素直にそれが本名だと思ってくれたのだろう。しかし唯一『イチカ』と呼んでいたテトだけは、当然ながらその理由を聞いて来た。


 散々迷ってから『イチカ』は亡くなった姉の名前だ、と告げた。

 感情なんて乗せたつもりは無かったけれど、問いに答えるまでの沈黙に何か感じるものでもあったのか、テトはあたしの顔をじっと見つめてから、もういい、とぶっきらぼうに言って話題を変えた。そう、確かいつもより豊作そうで刈り入れが大変だろうな、とかそんな話だったと思う。気を遣ってくれたのだ、と聞かなくても分かった。


 やっぱりテトには敵わない。

 謝罪に来てくれたあの時も思った。 

 そして、テトは本当の名前と年齢を知ってから、自分に対して遠慮が無くなったと思う。教えて貰う事が多い分、頭が上がらないから仕方が無いけれど、本当の年齢は黙っておけば良かった、なんて少し後悔している。いやうん、いいんだけど、……うん。


「ナナカ。怪我するなよ」

「分かってマス……」


 ちなみに今もそう、テトがあたしを見る目は隣のリラを見るのと同じ目だ。けれどテトとの年の差は三つ、勿論あたしの方が年上である。同年代を通り過ぎた幼児扱いは止めて欲しいと切実に思う。

 けれど、遠慮の無いテトが周囲の人間の中で一番あたしの世間知らずを矯正させてくれているのは事実。市井に下りる事を考えれば何より感謝しなければならない事だ。


「おい、ナナカ」

「なに?」

「そろそろあのうるさい侍女が来るだろ。さっさと顔洗って部屋に入っとかないとまた怒られ――」


 テトが中途半端に言葉を止めて、顎であたしの肩の向こうを指した。はぁ、と大きく溜め息をついて、何も言わずに自分の作業に戻る。そしてあたしは、その一連の動きだけで分かってしまった。……これは怒られる。巻き込まれたくないとばかりに、背中を向けさっさと抜いた雑草を袋に詰め始めるテトに恨めし気な視線を送っていると、


「ナナカ様!」


 予想通り振り向いた先には、これでもかというほど眉を吊り上げたサリーさんがいた。

 肩をそびやかしたものの、よく目を凝らせばその隣には神官長様までいる。驚きに声を上げるよりも早く周囲の子ども達から歓声が上がった。


「神官長様!」

「わぁっ」

「神官長さま」

「あ、こらお前ら!」


 せっかく抜いて纏めてあった雑草を踏み散らして、子供達は神官長様の元へと駆けていく。

 子供達は優しい神官長が大好きだ。ここに彼が来るのも久しぶりなので一人が行けば次々と他の子供もそれにならい、足元にじゃれつく。

 中途半端に名前を呼ぼうとして開いた口を閉じる。子供達の邪魔をしないように小さく頭を下げると、神官長もまっ先に駆け寄ったらしい子供を抱き上げて苦笑し、同じ様に軽く会釈してくれた。同じ建物で生活していると言っても神官長は多忙であり、各地の神殿を視察したりと出張も多い。以前の様に約束が無ければ会う事すら出来ないのだ。


 しかし今、神官長より問題なのは、鬼の様な形相で駆け寄ってきたサリーさんだ。


「また外仕事をなさって! 肌が弱いのですからなるべく屋内で出来る仕事をして下さいとお願いしましたでしょう! また真っ赤になって痛い思いをするのはナナカ様ですよ!」


 あたしの前に立つなり、頬やら項やらせわしなく触れてチェックする。

 実は春の終わり頃、収穫のために畑に出た時、小さな実を取るのが楽しくてついつい夢中になってしまった事があった。

 その結果、子供達同様に日焼けし、その日の晩、無防備にに晒していた腕や項が真っ赤になってしまった。その後、子供達みたいに健康的に黒くなる事はなく、二日程赤みが取れなかった。もともと焼けにくい体質なのでその後はまた元の肌色になったけれど、ここでは向こうの世界以上に日焼けは好まれないようである。年頃ならとくに。サリーさんは毎日の様に半泣きになって化粧水のようなものを朝昼晩と塗り込んでくれた。時々痛くなるほどに。……肌が白くなるというそれは、実際日焼けよりも痛かったのだが。


「大丈夫ですって。ほら今日は長袖だし、帽子の鍔も広いでしょう?」


 もうあんな痛い思いはたくさんだ。両手を伸ばしてから帽子の鍔を摘んで目深に被って見せる。サリーさんの疑わし気な目が体中を這い回り――結果、それらしい箇所は見つからなかったらしい。

 ようやく力を抜いたサリーさんはあたしから離れると、溜め息混じりに呟いた。


「もう私本当にナナカ様の肌が焼けて真っ赤になった時は、心臓が止まるかと思ったんですからね!」

 自分の感覚では日焼けをして一日、二日赤く熱を持つくらい普通だった。が、サリーさんにとってはそうではなかったらしい。


「そうだサリーさん、お使いありがとうございました」

  このままでは分が悪い。話題を変えようと話を振れば、やはりわざとらしかったのか。それでも一つ溜息をついただけで誤魔化されてくれたサリーさんは、しっかりと頷いた。


「はい。ちょうど訓練中で本人にはお会いできませんでしたが、詰所の騎士に渡しておきました」

「ありがとうございました」


 サリーさんの外出先は王城。忘れ物を取りに行くついでに、サダリさんへの手紙を預けていた。

 読むのはきっと夜になるだろう。怒っていなければいいな、と思って自分の行動の矛盾さに心の中で苦く笑った。


『会いにいきます』


 そう簡潔に書かれた手紙が届いたのは一週間前。

 一日迷ってから、用事があるので、と謝罪を込め返事を出したのに、サダリさんは留守にしている間に神殿まで来てくれたらしい。取り次いだ神官曰く、『これを神子に』とだけ言って袋を渡し、そのまま王城の方向へと戻っていったらしいので、不在は承知の上だったのだろう。


 中に入っていたのはたくさんの本。

 ジャンルは歴史書から子供が読むようなお伽話、そして護身術、サリーさん曰く年頃の少女が好む流行りらしい小説。一般市民の生活が描かれた大衆的なものも多く、まさしくそれは自分が今一番欲しかったもので、手紙を貰ってから『わざと』予定を入れた事に、ますます罪悪感が膨らんだ。


 そう、わざと、だったから。






2013.08.08

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