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後日談2④


 王子一行がやってきたのは、賢者の言葉通り、その次の日の昼過ぎの事だった。


 部屋でお待ち下さい、と言われていたけれど、出迎えもしないと言うのはいささか失礼に思えて、私室ではなく昨日と同じ玄関のそばにある応接間でアマリ様と一緒に待つ事にした。


 昼食が終わってから、アマリ様と共にサリーさんが淹れてくれたお茶を飲みながら取り留めのない話をする。神殿と王城はそれなりに遠く、きっとしばらくは、こんな風に周囲を気にせずお喋り出来る事もなくなるだろうから。お互いの事を話して、時々笑ってアマリ様が案外聞き上手な事を知った。


 三日も寝込んだ割には体調も良く、立ち眩みも今日は無い。朝食は希望した事もあってお粥だったけれど、昼食は一般的に神殿で出されるものを食べる事が出来た。もともと王城で出されるご馳走よりも、神殿で出される野菜中心の食事の方があっさりして体質に合っているのも良かったのだろう。


 食後のキリキリするような胃の痛みは無いし、気持ちも悪くない。これなら半日程掛かる王都までの行程も、さほど苦にはならないだろうと考えてほっとした。


 ……神殿での生活が落ち着いたら、料理とかしてみようか。

 将来一人で暮らす事になるなら、料理や家事全般が出来るようにならなければならない。神殿に戻ったら前の部屋を使ってもいいと言われているし、隣接したサリーさんの部屋には、簡易キッチンらしきものもついていた。孤児院の院長も仕事としてなら、料理の下処理くらいはさせてくれるだろう。その時にこの世界の料理も覚えていけばいい。


 こんな風に頭の中に先の予定を入れていくのは楽しい。けれど同時に不安も大きい。これからどう神殿内で暮らしていけばいいのか、まだ分からなかった。


 結局、あたしは偽物の神子ではなく、あくまで神子。――つまりは元神子として振る舞う事になるらしい。騙しているようで良心が痛んだけれど、その方が周囲にとっても良いのだと説明されて、ひとまずは納得した。


 対外的には『儀式を終えられ力を失った神子は、終生を静かに送られたいと申されている』と説明されているらしい。


 あらかじめそんな噂を流しておけば、例えば田舎に引っ込み数年後何かの拍子に気付かれても、大多数の人は表立って騒ぎ立てたりせずにいてくれるだろう、との話だった。

 それにきっぱりといずれは王都を離れる、と宣言する事によって、神子を神聖化しすぎる一部の人間を牽制し、野心がない事も主張出来るし、煩わしい公式行事も出なくて済む。

 賢者が消えた後、補足としてそんな話をしてくれたのは、先程までここにいた神官長様で、彼は今は王子を出迎える準備の為に、忙しく立ち回っていた。


 そうして時間を過ごしている内に、馬の嘶きが微かに耳に入った。


「到着するみたいですわね」


 あまり興味も無さそうに呟いたのはアマリ様。その一鳴きだけで馬車の車輪や続く蹄の音は聞こえなかったから、きっと先触れの使者だろう。


「予定より早いのではないかしら」


 そう言いながらも、優雅にカップを口元に運んでいたアマリ様は、昨日話した所によると、どうやら予想に反して、自然の多いこの土地を気に入ったらしい。朝の散歩中におもむろに道を外れ大きな木を前にして、木登りをしてみたかったのよね――などと言ってハンナさんを青くさせたり、と、ここでも天真爛漫振りを発揮しているらしかった。


 そんな風に溢れる自然に心まで開放的になったのか、今日戻らなければならない事をとても残念がっていた。人は見かけによらない、なんて今更ながら思う。

 溜息をついて、カップを置くと、この神殿に詰めている神官から、もうすぐにやってくるとの伝言があった。


 サリーさん達が茶器やお茶菓子を片付ける中、予定していたよりはるかに早く、王子一行は到着したらしい。

 神殿内が一気に慌ただしくなって、さすがに出迎えに行くかと思ったがアマリ様はサリーさんにお茶のお代わりを頼んでいた。やはり動く気は無いらしい。


 自分はどうしようか、と迷っていると、控え目なノックが部屋に響いた。取り次いだサリーさんの後から入って来たのは、神官長、そして三日も眠っていた自分の感覚ではそれ程、久しぶりと言う感じはない、王子だった。


「ナナカ! 調子はどうだ」


 何故か苛立つ様に吊り上がっていた青い瞳が、あたしを見つけて捉える。やや驚いたように瞬きをしたのは、昨日の神官長と同じ理由かもしれない。けれど今日のドレスは昨日より幾分襟ぐりが空いた大人っぽいデザインだ。ハンナさんが、あの後手直ししてくれたうちの一枚。色合いはやはり若い娘らしい柔らかさがあり、あまり化粧もされなかった。小物はアマリ様と同じ揃いのリボンで、これから長い間馬車に乗る為に緩く編んで胸元に垂らしてあり、いつも結い上げていた『イチカ』とは随分印象が違うだろう。


 少し首を傾けてみせると、王子ははっと我に返ったように立ち止まっていた足を動かした。そして前にいる神官長様の横をすり抜けると、立ち上がったあたしの前へと立つ。


「熱は下がったのか」


 至近距離で見上げた王子の顔は、成長期のせいか見る度に印象が変わる。

 忙しい上に、短い期間に王都を往復したせいもあるだろう。以前より顔色は悪くないが、幼さの残っていた頬からまた薄く肉が落ちていた。西洋風の顔立ち故に大人とは言えないものの、青年と言われれば納得出来るものに変わりつつある。


「すっかり元気になりました。ご心配をお掛けして申し訳ありません」


 やっぱり神官長様同様緊張したけれど、この部屋に入って来た彼の第一声はこちらの体調を真っ先に気遣うものだったから、素直な言葉が出た。


 そもそもアマリ様の迎えを兼ねていると言っても、わざわざ王子自らがここまで来る必要は無かったはずだ。使者を立ててある程度の護衛を向かわせれば、それで済む。それだけ自分を気に留めてくれていると言う事だ。


 身体の回復の報告とお詫びを込めて頭を下げる。

 しかしいくら待っても返事は無く、不安に駆られてそろりと王子を伺った。


 ……やっぱり怒ってる?

 見上げた王子は眉間に皺を寄せて、最初に見せたような怒った顔をしてあたしを見下ろしていた。

 そしてややあってから王子の口から発せられたのは意外な言葉だった。


「お前はまだ怒っているのか」

「……? いいえ?」


 窺うような王子の視線に慌てて首を振る。むしろそれはこちらのセリフだ。しかし何故か既視感を感じて口元に手をやった。それ程遠くない、何度も味わった馴染みのある『記憶』。

 あと少しでその記憶に指先が掛かろうとした瞬間、それまで黙っていた神官長が、王子に話しかけた。


「王子、お話中申し訳ありませんが、少しこちらに来て頂けませんか。王からお預かりした書状について確認をして頂きたい項目がありまして」

「なんだ、レーリエ。後でも構わんだろう」


 眉間に皺を寄せたまま王子は振り返ると、神官長様はゆるりと首を振った。


「いいえ。こちらへの滞在は二時間程です。王子自らが使者に立つと仰ったのをお忘れですか。きちんとお仕事をして頂きませんと」


 穏やかな神官長にしては、厳しい口調だった。しかし、王子は「分かっている」と途中で遮り、あたしへと顔を戻した。幾らかしかめ面を直してから口を開く。


「ではナナカまた後でな。――ああ、アマリも準備は済んでいるのか?」

「人をナナカのオマケの様に言わないで下さいませ」


 それまで珍しく黙っていたアマリ様が血色の良い頬を膨らませる。迎えに出なかったアマリ様もある意味お互い様だと思うが、王子の物言いは確かにそんなニュアンスだった。さすがに失敗したと悟ったのか、何だかんだと妹姫に弱い王子は、悪かったな、と素直に謝罪の言葉を口にして、扉に向かう。その後に神官長が続いた。


「慌ただしいですわね」

「お忙しいのですよ」


 ぱちん、と扇を閉じ呆れたように片眉を吊り上げたアマリ様を、ハンナさんが嗜める。そして、扉近くて控えていたサリーさんに視線を向けて頷き合った。


「さぁ姫様達も一度部屋に戻りましょうか」


 教えられていた予定よりも随分早いが、滞在時間は伸びないらしい。

 一階は否応なく騒がしくなるし、この部屋も空けておいた方が神官達や騎士達も動きやすいだろう。そう言ったハンナさんの言葉に頷き、アマリ様と一旦別れて自室に戻る事にした。


 既に荷物は纏められ、神官達が馬車まで運んでくれたらしい。元々持ち込んだ荷物など少ないが、それでも昨日よりがらんとした部屋を見渡す。


 ……きっと二度と来る事はないだろう。窓から見える台座を見つめてそう思う

 古い台座の先の崖の深さを改めて見下ろして、足元から震えが走った。……今、飛び下りろ、なんて言われても無理だろうな、と思う。あの時は躊躇なんてなかったけれど。


 サリーさんはいつの間にか荷物の点検を終わらせていたらしい。あたしの視線がどこにあったのか気付いたのか、お茶を淹れましょうか、と明るい声を出した。


 さっきアマリ様と飲んだばかりだし、もうすぐ出発なのに洗い物をさせるのも残していくのも忍びない。サリーさんに首を振ってから、そうだ、と、昨日から気になっていた事を尋ねてみた。きっと今が良いチャンスだ。馬車に乗ってしまえば二人きりになれる事は無いだろうから。


「サリーさんは、王都に戻ったらどうするんですか?」

「どう、とは……?」


 あたしの質問の意図を図りかねたらしい。サリーさんは、手荷物を確認していた手を止めた。


「これまで通り、ナナカ様のお世話を勤めさせていただくと聞いておりますが……ナナカ様は私が侍女ではお嫌ですか?」


「え? あ、いえっ全くそんなつもりじゃなくて! むしろずっと一緒にいてくれるのは嬉しいです。だけど元々あたしの世話は儀式の日までだったはずなんです。だから本来の仕事があるなら……あたしの侍女役は迷惑じゃないかなって思って」


 まさかの発言に慌てて首を振って一気にまくし立てた。聞き方を失敗した。自分の口下手が腹立たしい。どれだけサリーさんに感謝してるか伝わらない事がもどかしかった。

 一つずつしてもらって嬉しかった事を羅列していけばいいだろうか、子供みたいで恥ずかしいけれど。どうしようか頭を巡らせていると、表情から何か察してくれたらしい。


「嫌われていなくて安心しました」


 と、彼女にしては砕けた口調で返して来た。そして。


「ナナカ様の侍女を辞めれば、私に待っているのは婚姻ですわ」

「え?」


 さらりと出てきた単語に戸惑う。


「婚姻って……結婚ですよね」


 一瞬聞き間違いかと思って、思わず尋ね返していた。

 サリーさんの表情は穏やかなからも感情を封じたような不自然さがあった。自分の感覚で結婚と言えば、おめでたい事だ。だけどこの表情は。


 ……政略結婚……とか、なのかな。


 お城に詰めている侍女さんは、貴族令嬢で行儀見習いを兼ねていて、城に出入りする貴族や将来有望な文官や騎士を見つける為に来ている人も中には多いと聞く。


 この世界での身分差は絶対だ。男尊女卑とまではいかないが、貴族同士の政略結婚なんて珍しい事では無いのだろう。けれど、出来るならサリーさんにはちゃんと好きになった人と結婚して幸せになって欲しい。


 考え過ぎて黙り込んでしまったあたしにサリーさんは苦笑した。


「ナナカ様にはいつかちゃんとお話ししようと思っていたのです。私事で恐縮なのですが、お迎えが来るまで少しお時間頂いても構いませんか」


「……サリーさんが嫌でなければ、聞きたいです」


 少し迷って、お願いします、と頷く。この部屋で目覚めたあの日、サリーさんは根気よくあたしの話を聞いてくれた。気持ちが軽くなって身体も楽になった。そんな風にあたしもサリーさんに思って貰えるなら、聞きたい。

 恐縮するサリーさんを無理矢理ソファに座らせる。何となく近い距離にいたいと思ったし、大きな声で話せるような内容では無いだろう。


 サリーさんは居心地悪そうにしていたけれど、しばらくして覚悟を決めたように口を開いた。


「私は伯爵の庶子なのです。十四まで父親の名は一切知らされず田舎町で両親と弟達と育ちました。祭りの前の日、でしたか……ある日突然伯爵の使者を名乗る男が数人やって来て、王都に攫われるようにして連れていかれました」


 庶子と言うのは、貴族を片親にもつ平民の子供の事だ。戯れに手をつけたメイドだったり、屋敷に囲んだ愛人や妾だったりする事が多いとか、そんな話を何かの物語で読んだ。

 どんな経緯があったのか知らないが、しかし十四になるまで連絡もなかったのに突然名乗りを上げるなんてありえない。しかも本人の了承も得ないままに攫うなんて、向こうの世界なら例え血の繋がった父親だとしても警察沙汰になるだろう。


「どうして今更迎えに来たんですか」


 以前さらりと交わした会話。

 貴族のお嬢様が皿洗いや子守なんて出来る訳もなくて不思議に思ったけれど、それ以上深く関わりたくなくて、そのまま流した。平民ならば自給自足が基本のこの世界。出来て当然だ。


 しかもサリーさんはそんな生活に不満はなかったはずだ。だっていつも子供達と楽しそうに家事をしていたから。


「駒にしたかったのでしょう。よくある話ですが、伯爵は有力な貴族に娘を嫁がせて縁を繋ぎたいのです。けれど所詮彼らが言う所の下賎な血が入った庶民の娘ですから、その価値を上げる為に『神子』の侍女役にしたのでしょう。前の『神子』は元の世界ではそれ程裕福ではなかったと伝わっておりますから、市井で育った自分の娘の方が気後れする事無く過ごして下さるだろうとか――半ば無理矢理推したと聞いておりますわ。私に対する他の侍女の態度から察するに、かなり強引だったのでしょう」


 もしかしなくても、城の侍女とうまくいっていなかったのだろうか。自分の事で手一杯で気付かなかった――いや、神殿に来たばかりの頃、手が回らなさそうだったから、城から人を呼ぼうかと聞いた事があった。あの時遠慮したサリーさんの態度は確かにおかしかったのにそのまま流してしまった。 それにしたってここでも駒扱い。サダリさんと似たような状況に、自然と眉間に皺が寄ったのが自分でも分かった。


「だから、神殿でまたナナカ様のお世話が出来て嬉しいのです。結婚は延びましたし、他の侍女と顔を合わせる事もありませんしね。子供達のお世話も田舎の弟や妹を思い出して正直とても楽しいです。半分だけしか血は繋がっていませんけれど、とても可愛かったですから」


 言葉通り、『本当の』家族を思い出しているのだろう。懐かしそうに目を眇め微笑んでみせる。

 

 サリーさんだけが連れて行かれたと言う事は、弟や妹は父親が違うのだろう。

 それに攫われるように、と言った。身分差故に強引に連れて行ったのだろう。きっとサリーさんの家族も心配しているに違いない。


「連絡とか取れていますか」

「ええ、神殿に来てからは伯爵の監視も緩みましたから、買い物ついでに町の行商人に頼んで何度か送りました。随分時間を要しましたが、返事もちゃんと来たんです。元気そうでした」


 言葉のわりに表情はまた微かに沈んだ。サリーさんの事だから、当たり障りのない内容にしたのかもしれない。きっと望まぬ結婚を強いられていると聞けば、彼女の母親もきっと家族も激高するだろう。


 けれどしばらくはそれでいいとして、あたしの『価値』はきっとどんどん下がってくる。伯爵が言えばきっとサリーさんはあっと言う間に引き上げられるだろう。


 どうにかならないか――

 そう思った所で、扉を叩く音がした。


 そういえば、神官長様が出発の時間を改めて連絡してくれるって言っていた。だけど部屋に戻ってからまだ三十分も経っていない。


 同じ様に不思議に思ったのだろう。サリーさんは一度顔を見合わせてから扉の方へと向かった。

 やりとりしているような間を置き、サリーさんに背中を押されるように部屋に入ってきたのは、サダリさんだった。



2013.04.05

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