後日談2③
三十分程してアマリ様が持って来たのは、レースの多いピンク色のドレスだった。
「このデザインが気に入ってね、色違いで作ったうちの一枚だから、お揃いなのよ」
嬉しそうにそう言ったアマリ様にドレスを身体に当てられ、言葉に詰まる。 そして今更ながらそれに気付いた事に、自分を呪った。
アマリ様のドレスという事は一国の王女に相応しく豪華絢爛である。そしてそれは持ち主の意向を組んだレースとフリルがふんだんに使われたものであった。
故に明らかに年齢より上に見られる顔立ちの自分に似合うはずがなく、病み上がりでやつれた顔では余計にちぐはぐに見えるだろう。例えばイチカならば笑顔でしかしきっぱりと却下したはずだ。
本来こだわりは無く、お姉ちゃんが買ってきた服を適当に着ていた自分ですら、これは遠慮したい。
けれど。
わざわざ自分のドレスを解いて直してくれた事を考えれば、拒否できる訳もなく恐る恐るそれを手に取った。レースと散りばめられた宝石がずっしりと重い。ついでに気持ちも重い。
きっと目の前のアマリ様なら、それはもう可愛らしく着こなすのだろう。
けれど、中身が自分である。似合わない。きっと絶望的に。これは予感では無く確信だった。
「あとは水色もあるのよ」
そう言って手に取ったドレスの上から重ねられたのも、白のレースに大きなリボン。くらり、と違う意味で目眩がした。
「えっと……ありがとう」
するとそれまで黙っていたサリーさんがあたしからそれを引き取り、アマリ様に声をかけた。
「アマリ様……これは少し重たいので、病み上がりのナナカ様には辛いと思います。あの、あちらは?」
「ああ一応、ここに持ち込んだ衣装で、ナナカも着られそうなものを全部持ってきたの。そうね。他にもたくさんあるし、一緒に選んだ方がきっと楽しいわ」
アマリ様はそう言って、後からドレスが掛かったハンガーラックらしきものを持ち込んだ少し年嵩の侍女を振り返る。
初めて見る顔……だよね。
何度かアマリ様の部屋に誘われた事もあったが、間違い無く初めて見る顔だ。大体アマリ様付きの侍女さんは、サリーさんと同じ位かそれより少し若い位の女の人が多かった。そんな中で一人、こんな落ち着いた人がいればきっと印象に残ったはずだ。
うっかりじっと見つめてしまったらしい。目が合ってその失礼さに気付き頭を下げると、彼女は上品に微笑んで自分よりも深く頭を下げてくれた。気を悪くしてないようで安心したけれど、同時にその対応に迷う。彼女はどんな説明を受け、ここにいるのだろう。先程のアマリ様の話からすると、侍女としてここに来ているのは彼女だけだ。もしかすると彼女もすべてを知っているのかもしれない。
……いや、今考えても仕方無い。とりあえずは神官長に会って話を聞かなければ何も進まない。そう、このいずれかのドレスを着て――そこまで考えて、胸の内で溜め息をついた。
「ナナカ様はまだ本調子ではありませんから、座ってお待ち下さいね」
それとなく衣装から視線を逸らしていたせいで、気分が悪くなったのかと思ってくれたのか、サリーさんがそばに寄り添い、ソファへと座るように促してくれた。クッションを整え膝掛けを乗せてくれた所で、小さな声で耳打ちされた。
『もう少し大人しいものを選びますわね』
「サ、……」
思わず名前を呼び掛けると、それを咎める様にサリーさんは小さく首を振った。
張り切っているアマリ様を傷つけないように内緒で、と言う事なのだろう。
今のやりとりと口数の少なさだけで、自分もイチカと同じシンプルなものが好きだと察してくれたのだろうか。サリーさんに心から感謝して、その華奢な、しかし頼もしい彼女の背中を見送り、既に並べ始められていた色とりどりのドレスから、よく晴れた窓の向こうの緑へと視線を流し逃避した。
――それから数十分後、選ばれたのは、淡い黄色のドレスだった。
フリルはあるものの同色で目立たず綺麗に空いたデコルテが、それほど着る者を幼く見せないデザインだった。それに縫い付けられていたリボンを取り、少し色の入った造花を縫い止める。それだけでアマリ様のものとは思えないほど、趣の違うドレスになった。身につけた鏡の前の自分は、アマリ様と同じ、とまでは行かないが、『イチカ』よりは幼い、そう十六、七の少女に見えた。
「やはり随分印象が変わりますね」
そう言ったのは、アマリ様についていた侍女さんだった。紹介は結局されなかったが、さっきアマリ様は、彼女の事を『ハンナ』と呼んでいた。どうやらお裁縫が得意らしく、リボンを造花に、と言ったのはサリーさんだったけれど、手際良く取り替えてくれたのは彼女だった。そして少々我の強いアマリ様にも丁寧な口調ながらも、はっきりとした物言いで意見していく。これにはものすごく感謝した場面もあった。
しかし結構頑固な所もある彼女が、文句を言いながらも最終的には譲るところから察するに、きっと彼女とは長い付き合いなのだろう。
「ハンナ様は、アマリ様の乳母をしていらしたそうですわ。口の固い信頼出来る人材と言う事で彼女を呼び寄せたらしいです」
半分だけ髪を上げて器用に編んでいく。その傍らでこっそりサリーさんが教えてくれた。そうか、それならばこの物言いも遠慮の無いやりとりも納得出来る。
最後に立ち上がるとパニエを重ねていない腰部分がすとん、と落ちた。こうする事で丈がちょうどよくなり、動きも制限されることなく随分楽になる。
化粧は淡い色の紅と微かな頬紅だけ。すぐに落として横になれるようにとの配慮だったけれど、このドレスでイチカと同じメイクはきっとおかしくなっただろう。
結局応接間は衣装で埋め尽くされ、あたしの体調も悪くない事から神殿の一階にある本来の応接間で話し合いをする事になった。ハンナさんが先触れと給仕の為に先に部屋から出て、きっちり十分後にサリーさんを伴い、アマリ様と共に応接間に向かう。久しぶりのドレスの裾は足に絡み付いて歩きにくいけれど、ヒールはイチカの時と比べると全く無いと言っても良いほど低いものだ。そして、サリーさんに手を預け階段を下りる途中もそれからも、人払いしたのかもともと人が少ないのか誰にも会う事はなかった。
……正直、状況が掴めないまま、神官達にも未だどんな顔をして会えばいいのか分からない。けれど『待たせている』という事実に、自然に早歩きになって前を歩くサリーさんを追い抜いてしまいそうになり、何度も立ち止まる事となった。
やがて、応接間らしき場所の扉を前にサリーさんは最終確認なのか振り返る。お願いします、と少しだけ頭を下げれば、サリーさんはやっぱり少し不安そうな顔をしながらも扉を叩いた。
「どうぞ」
許可を出したのは神官長様の声で、すぐに分かった。微かに震えた身体を抱き締める。そして数秒後に扉が開き、顔を見せたのも神官長様だった。
どうやらハンナさんがこちらに来たせいで付き人はいなかったらしい。扉を開けようとしていたサリーさんが驚いたように一旦後ずさったのが分かった。ハンナさんも同様に驚いた様に神官長を見ている。きっと自ら扉を開けて招き入れた神官長様の行動に驚いたのだろう。地位から考えればソファに座ったままでも良かったし、ましてやあたしは偽物の神子である。
もちろん自分も驚いた、が、見上げた神官長様自身も驚いた様に目を瞬かせてあたしを見下ろしていた。
「……ナナカ?」
何故か疑問系で名前を呼ばれて、迷う。
「……あの、お待たせしました」
およそ四日振りに顔を合わせた神官長。やはり儀式が終わった後も仕事に追われているのだろうか。やつれた頬は未だそのままだった。しかし最後に会った日よりも幾分顔色は良い様に思われる。咄嗟に右手を上げかけて――思い出した。もうあの能力は、姉の魂の欠片と共に失われてしまった。自分が今彼に出来ることは何も無い。彼をやつれさせた一番の理由は自分である。やはりここまで来てもらっている事自体無理をさせているのだろう。
そんな事をつらつら考えていると、神官長様が未だ立ちっぱなしだった事に気がついたのか少し慌てたように口を開いた。
「ああ、……随分感じが変わったので驚いてしまいました。こんな場所で立たせたままで申し訳ありません。どうぞ。ソファにお座り下さい」
最初の反応は、外見に対してだったらしい。先程見た鏡の中の自分を思い出して内心首を傾げる。そんなに驚く程の事だろうか。確かに自分でも『イチカ』の時と印象は変わったとは思うが……。神官長様の方を伺うと、眇めた目が自分を見ていて微かに潤む様に揺れていた。しかしそれは一瞬で、視線が交わるとすぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべて、ソファへと促した。
……何だろう。
疑問に思いながら、改めて部屋を見渡す。初めて入る場所だったが、調度品はナナカに用意された部屋とほぼ同じだった。ただ秘密裏の話し合いでも行われる事があるのかその部屋に窓は一つもない。そのせいか自分が今までいた部屋よりもずっと広いはずなのにどこか窮屈に感じた。
改めて部屋の中を見渡す。扉近くにはハンナさんが控えサリーさんと共にお茶の支度を始める。 真ん中にあるソファの肘掛けから足だけが見えているのは、きっと賢者だろう。見るからに高そうなソファの肘掛けに足を掛けるなんて不届き者は、知り合いでは彼しかいない。
「賢者殿、ナナカが来ましたよ」
さすがにそんな賢者に呆れたのか溜息まじりに神官長様が声を掛ける。だらしなく寝そべっていたのはやはり賢者だった。眠そうに掠れた声で返事をすると、後ろ頭をかきながら上半身を起こして、こちらを見た。ぱしぱし、と瞼を動かしてからにやりと笑う。
「おー年相応で可愛いじゃねぇか」
「賢者……」
相変わらずの緩さに、肩の力が抜ける。だけどその変化の無さにアマリ様同様ほっとした。そして、その一言のおかげで、先程の神官長様のおかしな態度の理由も、何となく分かった。
あの一瞬、神官長様の身体を縛ったのは、あたしに対しての罪悪感。成人した女性ではなく、未だ大人の庇護下に置かれるべき『子供』なのだと改めて認識したのだろう。自ら孤児院の院長になる程、子供が好きな神官長にとって、罪悪感を煽られたような気持ちになったかもしれない。
ゆっくりと拳を握り締める。
――もう復讐は終わった。これからは、誰も苦しめたくない。
次に神官長様に会う時は、もう少し大人っぽい格好をしてみようか。もちろん同じことを繰り返さないように『イチカ』とはまた違う感じにして。
賢者の隣に許可を得てソファに腰を下ろすと、神官長はまた穏やかな口調で尋ねて来た。
「ナナカ、熱は下がったと聞きましたが、大丈夫ですか?」
ぴくん、と膝の上で揃えていた指が震える。
迎えに来てくれた日から、すでに『ナナカ』と呼んでくれたけれど、やはり久しぶりに呼ばれると、少し違和感を感じる。
「はい、心配お掛けしました」
そう言うと神官長様はそれを確かめる様に私を見つめて「良かったです」と、頷いた。表情も柔らかくなってとりあえずほっとする。
「あの、……長い時間お待たせしてすみませんでした」
「構いませんよ。元々今日は様子を見るだけのつもりだったのですから。むしろ病み上がりに無理をさせてしまって申し訳ありませんでした」
一通り自分の体調についてやりとりをした後、横から賢者が「もういいか?」と口を挟んだ。
「一応、決まった事を報告に来てやったぜ」
そう言ったのを皮きりに賢者は、懐から書状を出し、一つ一つ説明してくれた。曰く。
徐々に、『神子』としての民衆への露出を減らし、この世界での成人する年齢を目標に自立すること。幸い黒髪も黒い瞳もさほど珍しくなく、神子にあやかり染めるのも流行っている事もあって目立つ事も無い。念には念をという事で王都から離れた片田舎なら、一般市民として自立し生活していけるかもしれないとの事だった。
ただし、それまでは神殿に身を移し、孤児院の子供達の面倒を見る『仕事』をしながら市井の情勢や価値観を学び、アルジフリーフにもこれまでと同じ様に祈りを捧げる。
「大体こんなもんだな。まぁ隠居先の田舎って言うのは、まぁおいおいな。なんか質問やら疑問やらないか?」
「え……っと」
城や神殿、神子とは無縁となり、出来れば生活力を身につけ、市井で暮らしたい、と思っていたし、賢者の申し出はナナカの希望そのものだった。 しかしそれを賢者に言った事は無いし、確認された事も無かった。……どうして分かったのだろう。神様ならではの能力で心を読んだのか、とも思ったが、まぁそれでもいいか、と思う。最初から賢者には心の底の鬱屈した心も弱い本心も曝け出していた。今更憤るのもおかしな話だし、あるいはもっと単純に自分の性格から察してくれたのかもしれない。
だから賢者の申し出は、有り難いものばかりだった。しかし。
「あの……、そんなに簡単に『それ』が通ったの?」
少し考えてそう尋ねる。その時僅かに神官長さんはぴくりと睫毛を揺らし、アマリ様はもっと分かりやすく眉尻を上げたのが視界の端に映った。ついいつもの調子で話し掛けてしまったが賢者はまがりなりにも神様だ。失礼だっただろうか、と後悔して言葉を丁寧に戻すと、本人から「今更気持ち悪いからやめろ」と、ものすごく嫌な顔をされてしまった。
「そういう事ではありませんのよ」
アマリ様が慌てて首を振り、神官長さんも同意したけれど、やっぱり気になる。しかしそんなやりとりを遮るように賢者が「いいか」と、口を挟んできたので慌てて頷いた。
「そりゃ、もちろん王とかあの老議会とか死にかけの面々は、反対した。神子ではなくても儀式をやり遂げた人間である以上『神子』だってな。平和の象徴として王城に留まって欲しい――なんて言いながら、その辺に放して他国にかっ攫われるの阻止したいんだろう」
「賢者殿!」
「うるせぇなぁ。かいつまんで説明すりゃその通りだろ」
諌めるように名を呼んだ神官長様を賢者は鼻で笑う。確かに神子が現れ儀式を行う事で、この国は他国を牽制しまた優位な立場でいられる。使用済の神子だとしてもそれを旗印にどこかの国が何かを企んでも不思議は無いことくらい自分にも分かる。……だからこそ、あっさり認められたのが不思議だったのだけど。
「どう納得させたの?」
「なぁなぁ、お前も俺の正体忘れたか? 一応神様だぞ。しかもレアな生き神。格の違いをちょーっとだけ見せつけて、押し切った」
ちょっと、の辺りが妙に間延びしているのが気になり、神官長様を見れば、困ったような笑みを浮かべていた。聞きたいような聞きたくないような、微妙な空気だ。
「……ありがとう」
きっと賢者らしく、強引に押し切ったのだろう。面倒な事が何より嫌いなのに、随分心を砕いてくれた事が嬉しいと思った。
どーいたしまして、と猫みたいに笑った賢者に、頭を下げて神官長に向き直る。
「まだしばらく面倒をお掛けしますが、宜しくお願いします」
「いいえ。私もナナカと一緒に過ごせるのは嬉しいです。子供達もきっと喜ぶでしょうね。テトなんていつ戻ってくるのか、と、院長に毎日詰めよっているようですよ」
「テトが……」
子供の気まぐれと言えども、待っていてくれる人がいるのも嬉しい。
「じゃまぁ、おおまかな事は以上だな。その他の事は神官長にでも聞け。俺は帰るわ。んで明日は王子が迎えに来るってよ」
「まぁ、もうナナカも戻らなくてはいけませんの? ナナカは昨日熱が下がったばかりなんですわよ」
それまで黙っていたアマリ様が、非難を込めて賢者を見た。しかしそれをフォローしたのは神官長様だった。
「……ええ、熱が下がったばかりだと言うのに申し訳ありません。神殿に戻って頂いた方が警備上安全なのです。なるべく揺れが無いようにゆっくりと王都にお連れ致します」
「そうですね」
確かにアマリ様がいるのだ。辺境の地より、少しでも王都に近い方が良いだろう。
立ち上がった賢者を見送るべく、自分も立ち上がる。すると扉に向かって歩いていた賢者がくるりと振り返り、小さな声で耳打ちした。
「ナナカ、ちょっとこっち来い。明日はあのムッツリも来るぞ」
「ムッツリ……?」
意味が分からなくて、そう呟くと賢者は笑いを含ませた声で続けた。
「おぅ、今の所本命馬」
振り向いたそこには自分と同じ黒い瞳。少し驚く自分を映す目はおとぎ話の猫のようににんまりと三日月の形をしていた。それからぽん、と頭に軽く触れて、その場からかき消えた。サリーさんやハンナさんの目が驚きに丸くなる。
「……あの方は何度扉から出入りして下さい、とお願いしてもそうして頂けませんね……」
疲れたような神官長に、あたしとアマリ様は顔を見合わせて少し笑った。
その夜。
どうしても一緒に眠りたいというアマリ様が寝入ってから、あたしは、サリーさんに賢者に耳打ちされた内容を尋ねてみた。するとすぐに意外な言葉が返って来た。
「サダリ様ではないでしょうか」
サダリさん?
思い浮かんだのは、感情の出ない硬い表情。それから少し怒ったような横顔だった。
もちろん、むっつりの意味は知っている。特定の男の人に関して実際に思った事は無いけれど、サダリさんに対しては真逆にも思えた。
「……サダリさんってむっつりなんですか」
単純に疑問に思ってそう尋ねると、少しの間の後サリーさんは慌てて首を振った。
「え!? ……いえっそういうわけではなく寡黙な方はそうだと言う一般論がありまして!」
どうしてそんなに焦るのか。
サリーさんは何故か必死に弁明し、最後は何故か王都の方に向かってサダリさんに謝っていた。
2013.06.21




