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後日談2②


 二回目に目が覚めたのは、次の日のお昼少し前だった。

 最初に目覚めた時の様な混乱は無く、すんなりと状況を飲み込めた。


 ――ここは、あの台座がある神殿で。

 あたしは『イチカ』では無く、『ナナカ』。


 大丈夫。夢じゃない。

 分かっているのに自分に言い聞かせる様に反芻してしまうのは、きっと臆病さ故だろう。


 今日は鳥の声が近い。開け放たれた窓から差し込む明るい光に思わず目を眇め、手のひらでそれを遮る。


「ナナカ様? 眩しくて目が覚めてしまいましたか」


 手を持ち上げた少しの動きだったのに、そう言いながらすぐに飛んで来たのは、やっぱりサリーさん。


「いえ。大丈夫です。……風が気持ち良いですね」


 寝台の紗幕は引かれて束ねられており、初夏を感じさせる温かな風がその裾を揺らしていた。柔らかな影がシーツの上を踊っているようで自然と気持ちが和む。


「そうですわね。もう少しすれば暑くなりますから、今が一番良い季節かもしれません。……少し失礼致しますね」


 そう言って同意してくれてから、額に当てられた手に少し驚く。

 恐らく熱があるか確かめてくれているのだろう。至近距離にある瞼が伏せられて数秒、ほっとした様に表情を和らげたサリーさんは、そっと手を離した。


「熱は完全に下がったようですね。安心致しました」 

「……ありがとうございます」 


 慣れないスキンシップに驚いたせいで、返事は嫌にまごまごしたものになった。

 お姉ちゃんを思い出させるサリーさんとの距離が、寝起きのぼんやりとした頭のせいか、うまく計れない。他人行儀では違和感があるし甘える事も今更恥ずかしくて出来ない。


 けれど、彼女は目覚めてからずっとこの部屋にいてくれたのだろう。いや、きっとこの神殿に着いた時からずっと看病してくれているに違いない。


 身体はもう平気だし、明日は少し休んで貰おう、そう思ってそもそも彼女は王城に戻らなくても良いのだろうか、と気付く。本来の予定では神子の世話は儀式までだったはずだ。彼女には他に用意された仕事があったのではないだろうか。


 後で聞いてみよう、と思いながらゆっくりと身体を起こしてみた。

 うん、大丈夫。身体の節々は筋肉痛の様に痛むけれど、動けない程じゃない。


「大丈夫ですか」


 振り返って少し驚いたらしいサリーさんが、恐らく水の入った杯を片手に駆け寄ってくる。


「はい。逆にちょっと寝過ぎかも、です」


 あたしの返事にサリーさんは、ほっとしたように、そうですか、と微笑んだ。今日は本当に大丈夫だと思ってくれたのだろう。昨日とは違い素直に杯を差し出してくれた。

 しっかり受け取って口に運ぶ。昨日のサリーさんの言葉を思い出して、咽せないようにゆっくりと喉に流し込んだ。昨日よりも甘い、果実の味がする。不思議に思ってサリーさんを見ると、彼女は笑みを深くした。


「お口に合いましたか? 神官長様がお見舞いにと持ってきて下さった果物を絞ったものなんですよ」


 神官長が持ってきた、その意味に数秒置いて気付いた。


「神官長様が来てたんですか?」

「と言いますか、今もいらっしゃいますよ。今朝方、賢者様とこちらの神殿にいらっしゃったんです。お話があるとの事でお二人でお待ち頂いてますが、どう致しますか? まだ気持ちが落ち着かないようであれば、また出直すと仰っておられましたが」


 何でも無い事の様に続けられた言葉にぎょっとする。

 サリーさんの言葉通りだとしたら朝からずっと待たせてしまっていた事になるだろう。起こしてくれれば良かったのに、と恨めし気に見れば、サリーさんは全く気にした様子も無く「大丈夫ですよ」ときっぱり言い切った。その口調に少し違和感を覚える。


「あの、じゃあすぐ身支度しますね。手伝って貰っても構いませんか」

「本当に大丈夫ですか。……私の個人的な意見を言わせて頂ければ、明日か明後日か、もう少し時間を置いても構わないと思います」


 サリーさんの言葉はとても意外なものだった。サリーさんは神官長を尊敬していたはずだ。それこそ最初は神様の様に敬っていた。けれどたたみかけられた言葉には、さっきよりもはっきりとした憤りが含まれていた。


 少し考えて、自分のせいなのかもしれない、と思う。

 神官長は最初から全てを知っていた数少ない人間の一人。だからこそ、神官長が『イチカ』を助けなかった事を怒っている? そうならば見当違いだ。むしろそのせいで長く、世界と『イチカ』を天秤に掛けて彼は苦しんだのに。


「サリーさん……!」

「はい?」


 すっかりいつもの調子に戻っていたサリーさんに、言葉を呑み込む。

 ……単なる図々しい勘違い、だろうか。そんな考えが頭をよぎった。サリーさんは神官長に話かけられる度に緊張していたけれど、どこか嬉しそうだった。敬愛している、とまで言っていた神官長を、瞬時に嫌うだけの価値が自分の命にあっただろうか。


「いえ……何でもないです」


 自分から聞いて確かめるのがいちいち怖い。いつの間にこんなに臆病になってしまったのか。

 だけど神官長は忙しい人だし、ここから普段勤めている神殿とは距離がある。移動時間だけでも結構な時間を取られるだろう。そんな人をいつまでも待たせる訳にはいかない。


 とりあえず身支度の類はサリーさんに任せる事にして、もう一度杯に口をつけて半分まで飲む。甘くて栄養価の高そうな果物なのに、飲んだ後は微かな酸味が残りすっきりしている。


 ……彼等に会ったら何を言おう。

 許すとも許してくれ、とも言われた。多分お互いに謝罪して、『これから』を約束した。『イチカ』には無かったこれからの未来を。

 あの時は秘めた想いはあったものの、お互い納得して話を終えた。それでも日が経ったせいか、むしろそうした事で、何となく顔を合わせ辛い。


 きっと会いたくないと言えば、神官長は素直にこの神殿から立ち去るのだろう。しかし、自分の我が儘で忙しい彼をこれ以上振り回したくない気持ちの方が勝る。


 しかも王様と話して来ると言って消えた賢者も一緒だと言う事は、何かしらあたしのこれからの処遇が決まったはずだ。

 それは何より今一番知りたい事だった。本物の神子では無かった以上、国があたしを養う義務は無い。例えば明日ここから放り出されても文句は言えないのだ。


 賢者と神官長。

 サダリさんや王子の名前が出なかった事にほっとしたような、寂しいような複雑な気持ちになって、慌てて首を振る。みんな本当は忙しい身の上なのだ。あたしは出来るだけ早く身の振り方を考えなくてはいけない。


「サリーさん。きっと二人共これからの事について話しに来てくれたんだと思います。あたしも気になるし、会いたいです」

「……そうですか」


 少し間を空けて分かりました、と頷いたサリーさんはやはり、どこか不満そうだ。やっぱり近いうちに確認しておいた方がいいだろう。……もし『そう』だとしたら、いつか貰った優しさを返す事が出来るだろうか。それがそう遠くない未来だといい。


「ではまずその前に軽く食事を取りましょうね。お会いするのはこちらの応接間で、先触れを出しますので二時間程お待ち頂きましょう。……ナナカ様、神官長様はお仕事を持ち込んで部屋に籠っていらっしゃいますし、賢者様は客間のソファでずっと横になっておられますわ。ですから待時間なんてそれ程負担になっていないと思いますよ」


 二時間、と言われた時点で驚いたのが分かったのだろう。気に病まない様に先回りされた言葉。だけど確かにほっとしたのでサリーさんの気遣いに感謝する。

 それに身支度を整える中には、湯浴みも入っているだろう。実際食事と合わせれば、それ位掛かるかもしれない。


「ではお食事を――」


 持ってまいります、と言い終わる前にノックする音が微かに耳に届いた。おそらく寝室の向こうの応接間の扉だろう。


「誰でしょうか……」

 サリーさんは少し不信感を滲ませて部屋から出て行った。 が。


 その数秒後、閉じた時とは正反対の賑やかさで寝室の扉が開いた。


「ナナカ!」

「アマリ、さま?」


 寝台まで駆け寄って手を広げた彼女の勢いに、驚きつつも彼女の名前を呼ぶ。さすがに迎えに来てくれた時の様な全力では無いのか、かろうじて受け止めることが出来た。


「心配したわ! もう熱は下がったのよね!」


 肩口に埋めていた顔を上げて、アマリ様は一気にまくし立てる。


「あ……はい。心配をおかけして申し訳」


 はっと我に返りそう言おうとした、言葉をアマリ様が遮った。


「もうナナカ! 私達お友達でしょう!? 堅苦しい喋り方はよしてちょうだい!」


 ……そうか、友達。  アマリ様はそう言ってくれた。彼女の真っ直ぐさが眩しい。年齢は変わらないのに、あたしにはこんな風に気持ちを素直にさらけ出す事なんて出来ない。


 違う、か。前の世界でもそうだった。本心を否定されるのは怖かったから、いつもお姉ちゃんの背中に守られて、『安全』だと分かってから、それでも当たり障りの無い会話をしていた。――もう全てから守ってくれる『 イチカ』はいない。


「アマリ様、どうなさったのですか。これは……厨房に頼んでいたナナカ様の?」


 いつの間にか寝室に戻って来たらしい、サリーさんが昨日と同じワゴンを引いて寝室に入ってきた。

 その上に乗っている器も昨日のお粥と同じものだ。


「賢者様がナナカの目が覚めた、と教えて下さったから、ついでに厨房に用意してあったものを持ってきたのよ。さぁ、ナナカ食べてちょうだい」


 どうやらアマリ様直々にワゴンを押して運んでくれたらしい。王城なら侍女達に間違いなく止められただろう。

 そう思って今更ながら、彼女付きの侍女の姿が無い事に気付いた。神殿内は王城と比べられない程、静かである。まさかサリーさんがアマリ様とあたし両方の面倒を見ているのだろうか。


「あの、アマリ様の侍女の方は」

「ハンナの事? 賢者様と神官長様に給仕しているわ」


 それを聞いてほっとする。しかし他にはいないと言う事だろうか。王城では当然ながらたくさんの世話係に囲まれていたアマリ様。不便は無いのだろうか、と心配になる。

 残ってくれた事はとても嬉しい。けれど早く戻る様に言った方が良いかもしれない。


 それにここは喧騒からほど遠く緑以外何も無い様な静かな神殿である、煌びやかなあの世界にいたアマリ様には退屈に思えるに違いない。


「アマリ様、ありがとうございました」


 納得したらしいサリーさんが、アマリ様にお礼を言って寝台のすぐ近くまでワゴンを押す。昨日と同じ様に寝台に用意してくれようとしている動きに、慌てて首を振った。

 向こうの応接間で、と頼んでみたが、急に動いたらまた倒れるかもしれないから、とやんわりと窘められた。

 幼い子供みたいだな、と昨日と同じ事を思って顔を上げ、ぎょっとする。訂正、昨日とは違う。昨日サリーさんが座っていた椅子に何故かアマリ様が腰を下ろしていた。これにはサリーさんも驚いている。

 そんな二人の視線に気付いていないのか、アマリ様はお粥の蓋を開けた。


「変わった料理ね。でも確かに消化に良さそうだわ」


 湯気の上がる、お粥を匙で掬って、あたしに向かってにっこりと笑った。


「はい、あーん」

「ア、アマリ様?」


 熱で朦朧としているのならともかく、こんなに元気な状態で、手自ら食べさせてもらうかなんて恥ずかしすぎる。しかも相手は年下扱いしてきた同い年なのだ。それに差し出された匙は、湯気が立っていてかなり熱そうである。どうしよう。


「私、弟がまだ幼い時に給仕をした事がありますのよ。と言うか食べさせる前にお母様に断られてしまいましたけれど。ナナカには私が食べさせてあげますわ」


 一度だけで断られた、の下りが引っ掛かる。

 アマリ様の背中の向こう。サリーさんがようやく状況に気付いてくれたらしく、ぎょっと目を剥いて慌てて口を開いた。


「アマリ様! それでは火傷しますわ!」


 悲鳴に近いサリーさんの言葉に、アマリ様の大きな目が真ん中に寄った。


「じゃあどうすれいいのかしら」

「た、食べ頃になるのを待つか、息を吹きかけて冷ますのが一般的です、が――あ、いえ私が」

「まぁいいわ。じゃあもう少し冷めるまで待ちましょう。何か他にして欲しい事は無い?」


 特に問題ありません、とは言い難い勢いに、困って言葉に詰まる。

 病人の定番である果物を、……いや彼女はきっと刃物を持った事はないだろう。 正直食事全般を姉に任せていた自分も似たようなものだが、そもそも彼女は一国の王女で、持つ必要性など無い。


「あの……もう元気なので、お気遣いなく」

「だから、堅苦しい言葉遣いは止めてって言ってるでしょう。……ナナカはとっても大人しいのね」


 刺した胸の痛みは、『イチカ』と比べられたからだろう。確かに、お姉ちゃんとあたしは正反対だったから。


「アマリ様。ナナカ様は思慮深いのですわ」


 しかし、何か言う前にサリーさんからそんなフォローが出た。その口調はさっき以上に、不本意そうである。

 ……サリーさんってこんなに感情を出す人だったかな。

 昨日と今日と、あたしの中でサリーさんの印象がどんどん変わっていく。けれど、それを嬉しいと思えるのは何故だろう。


「まぁそうね。そろそろ冷めたかしら」


 しかしアマリ様はあくまでマイペースだ。再びお粥を匙で掬い食べさせようとしてくれる彼女の顔は、至って真面目である。

 ただ一杯の量が多くて、……そして未だに熱そうな湯気が立っている。


 はらはらと見守っていたサリーさんは、はっと何かを思い出したように顔を上げた。それからやや不自然な笑顔を貼り付けて、アマリ様に言った。


「アマリ様、そういえばナナカ様の為に用意して下さったドレスがあると仰っていましたね。食事を終えたら神官長様とお会いする予定なのですが、よろしければコルセットが不要なドレスを、数着貸して頂けませんか」


「え? ……ああ! そうね。ナナカ。本当は新しいものをお揃いで用意したかったのだけれど、仕立屋を呼ぶ訳にはいかなくてね。私の手持ちの中からナナカの為に直したものがあるのよ。それがなかなか良い仕上がりなの」


 一気に跳ね上がったアマリ様のテンション。思いついたらいてもたってもいられなかったのだろう。自分で食べられますから、とやんわりと器を受け取ると、待ち構えていたように、すくっと立ち上がった。


「少し待っててちょうだい! すぐに持ってくるから!」

 くるりと背中を向けたアマリ様に、はっとして慌てて呼び止める。何となく早い内に言ってしまいたい。

「あの……ここに残ってくださっ……くれて、ありがとう」


 敬語は止めてと言われたのを途中で思い出して、言い直す。

 真面目にお礼を言いたかったのに、何故か異常に羞恥心を覚えた。顔が熱くなる。あれ、どうして。

 真っ赤になったであろう顔を隠したくなって俯く。何故か沈黙が続き、不思議に思って顔を上げれば、アマリ様の顔がすぐ近くにあった。どうやら覗き込もうとしていたらしい。


 ぎょっとして後ろに下がると、アマリ様はますますぐっと身を乗り出してあたしの顔を下から覗き込んでいた。血色の良い唇の端がにんまりと上がっていて――。


「さっきの感想だけれど付け足すわ。ナナカはとっても可愛いのね」


 ふふ、と可愛いらしく笑ってそう呟く。

 可愛い? あたしが?

 大人っぽいとかリップサービスで美人だと言われる事はあったけれど、『可愛い』なんて、お姉ちゃん以外に言われた事はない。


 そのせいか反応に困って無言でいると、アマリ様はいっそう笑みを深くしてドレスの裾を翻した。


「いいわ。待ってて! すぐに持ってくるから!」


 そう叫んで颯爽と部屋を出て行く。アマリ様が苦手な礼儀作法の先生が見ればかなり叱られそうだ。


「嵐みたいですわねぇ……あら、ナナカ様お顔が赤いですわ」

「……サリーさん、意地悪ですね」


 じとりと睨んだものの恐らくまだ赤い頬なのだろう。効果は無かったらしい。サリーさんはくすっと小さく笑った。


「さぁアマリ様がいらっしゃる前に、食べてしまいましょうね」

「そうですね」


 そう、それに。早く支度を整えて彼等に会わなくては。

 結果的にアマリ様は登場が突然だったから、気持ちの準備すらする時間なんて無かった。アマリ様は、本当に『いつも通り』で少々面食らい、けれど、ほっとした。


 さっきはやっぱり少し緊張してしまったけれど、何となく彼女とは前よりも近く、親しくなれるかもしれない、と思う。あのいたずらっぽく笑う笑顔が、もう会えない幼なじみのシンディを思い出させた。

 一国の王女に対してかなり馴れ馴れしい、と自分に呆れてまた少し笑う。


「ナナカ様、お味はどうでしょうか」

「今日も美味しいです。ありがとうございます」


 食べ頃になったおかゆは、昨日と同じとても優しい味がした。




2013.06.14


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