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29.エピローグ


 嗅ぎ慣れない、けれどどこか懐かしい草と土の匂いにゆっくりと瞼を押し上げた。


 身体が酷く重い。

 地平線まで広がる草原には人の気配は無く、その中心らしき柔らかな草の上に自分は横たわっていた。


 春らしい花の匂いと、柔らかな陽光。

 遠くにすり鉢上に広がった街と、見慣れた王城が見える。

 誰に聞かなくたって分かる。ここはあの人達がいる、あたしが救ったつもりでいた世界。



 ――あたしは、結局この世界に帰ってきてしまった。



 眩しさに一度目を瞬いて高く昇った太陽から降り注ぐ木漏れ日は柔らかく温かで、顔を傾ければすぐ間近にあった葉先から朝露が零れきらきらと光った。


 小さな水滴の中に映り込んだ緑の鮮やかさが眩しくて、目を眇めると視界が揺れて歪んで、涙が零れた。



 どうして、『この』世界はこんなに美しいのだろう。



「……ぅ、……ぁっ」


 寝転んだまま指に触れた小さな白い花、土ごと掻いて引き千切りきつく握り締める。


 お姉ちゃんはやっぱり死んでいた。


 でも、あたしのせいじゃなくて、――寿命で。窪んだ眼窩、骨の浮いた身体、パサパサに乾燥した髪。いつかはなんてどこかで分かっていた。だけど覚悟も出来なくて、向き合えなくて、怖くて、恐ろしくて!


 何かのせいにしなきゃ立っていられなかった。だから自分のせいにして、彼らのせいにした。小娘が思いついた馬鹿馬鹿しい茶番に騙される程の優しい人達を傷付けた。


 酷いノイズの様に耳障りな自分の声が頭の中に反響する。


 結局あたしは、『死んで』償えると思ったから、それを大義名分にして彼等を傷付けた。死んだら優しい彼らはあたしを許してくれるだろうって思ってた。でもあたしは死んでない。生きてる。息をして、呼吸して、心臓を動かして。


 どくんどくんと力強く鼓動を刻む胸の音があたしを責める。

 土だらけの手で顔を覆って、しゃくり上げて子供の様に喚く。



「っど……っ、して……っなんで……っ」


 終われないの。


 お姉ちゃん、無理だよ。

 そこに行きたい、そばにいたいよ。


 答えてくれる声はないのに。


 どうすればいいのか分からなくて、ただただ喉が枯れるまで大きな声で泣いた。



 太陽が傾き、少し冷たい風が濡れた頬を乾かしていく。重そうな雲から千切れた小さな雲の向こうは既に赤く、もうすぐに夜が来る事を知らしめた。


 ゆっくり上半身を起こすと、泣きすぎたのか酷い耳鳴りと頭痛がした。――どれくらい泣いていたのか、一時間だったのか三時間だったのか時間の感覚がなくなって、ぼんやりと冷えた剥き出しの肩を両手で抱き締めて膝を丸める。


 ぼんやりとしたまま膝に熱い瞼を押し当てていると、不意に草を踏みしめる軽い音がした。傾きかけた太陽の赤い光を遮って、大きな黒い影が身体全体をすっぽりと包み込む。



「よっ」


 いつもと変わらない飄々とした軽い声。黒いマントが風に揺られて大きくはためいていた。違和感を感じるのはこの男を屋外で見た事がなかったからもしれない。


 崖に飛び込んだあたしを助けたらしい『賢者』。

 魂の抜けたこの身体を、ここまで運んで来たのも彼だろう。名前は――そう『キイチ』と言っていた。


 その正体は前の神子の弟で、アルジフリーフの関係者。


 ゆるゆると顔を上げて賢者を見ると、少しバツが悪そうな顔で顎を撫でていた。分かる、困った時に男がやる仕草。



 ――賢者は、何もかも知っていた。


 お姉ちゃんが神様と結婚した事も、あたしは結局死なないって事も。


「……んで」


 殺されるなんて言ったの。

 復讐を手伝うなんて言ったの。


 問いかけようとすれば乾いた喉が引きつれて咳が出た。けれど掠れた吐息の様な言葉でも彼には通じたらしい。


「だって、お前そうしないと死にそうだったろ。どっちにしろイチカの死は事実。あの時お前のせいじゃないって言ったって、誰一人知り合いのいない世界に飛ばされたお前にとって『イチカ』の存在は大きすぎて、そのまま自殺か……衰弱死するのは目に見えてた。嫁命のアルジフリーフの命令だったからな。どんな手を使っても『生かせ』って言うのが」


 死にそう、だったのだろうか。


 分からない。それすら遠い昔に思えて思い出せない。ただあの時は赤い絶望だけが心を占めて、『毒』にしがみついた。


『どんな手を使っても』


 ああ。それが彼が言い出した『復讐』だという事か。

 確かにそれであたしは、『復讐』を心の寄り所にして、生を選んだ。でも。


「……悪趣味」


 獣の様に唸ってそう吐き捨てると、賢者は大きく肩を竦めて「俺もそう思う」と頷いた。


 そしてややあってから。


「……お前ら姉妹はお互い依存しすぎたんだよ。魂の一部が繋がっちまうなんて病的な執着、……お前らが召喚されずに、イチカが病気じゃなかったとしても、いつかはきっと破綻してた」


 それはアルジフリーフからも聞いたし、お姉ちゃんも謝っていた。お姉ちゃんはあたしの全てだった。

 でもやっぱりあたしがお姉ちゃんの『そう』だったとはどうしても思えない。


「お姉ちゃん、も?」


 私と違って、何でも出来てみんなから愛されていた人気者のお姉ちゃん。


 劣等感を抱かない訳では無いけどそれ以上に大好きで憧れて尊敬していた。そんな完璧な人間があたしなんかに依存なんてするだろうか。


 そう言えば賢者は少し呆れた様な溜め息をつき、分かってねぇなぁ、とぼやいた。


「むしろイチカの方がお前に対する執着が強いよ」

「……まさか」


「年の離れた妹に手が掛かれば掛かる程、自分の事考えなくて済むだろう」


 いつも申し訳ないと思っていた。年の離れた引きこもりがちの妹の面倒を見る為に遊びの誘いを断って、毎日美味しい食事と健やかに過ごせる空間を用意してくれた。


「お前には分かんないだろうけどな、人に頼られる事で立ってられる難儀なヤツが世の中にいるんだよ」

「お姉ちゃん、が」


 掠れた声で呟く。

 あたしの前では一度も弱音を吐かなかったお姉ちゃん。渡米した時も意地の悪いクラスメートに虐められた時も、お姉ちゃんが病気になった時もそれが再発した時すら、不安がるあたしにいつもの様に笑って『大丈夫』と繰り返した。


「……」


 さっき、のお姉ちゃん、は、普段の穏やかで包み込む様な優しい雰囲気なんてなくてただがむしゃらに泣いてあたしを抱き締めていた。初めて見たお姉ちゃんは、あたしが気づかなかった――違う、見ようともしなかった本当のお姉ちゃんだったのだろうか。


 あたしが持っていたお姉ちゃんの欠片は既になく。

 もう感じる事は出来なくなったアルジフリーフへの想い。


 彼の隣、だからこそお姉ちゃんは、子供みたいに泣けたのだろうか?

 ……嫌だ。やっぱりあたしはアルジフリーフが嫌いだ。お姉ちゃんを奪った、大嫌いな神様。


「……嘘つき賢者」

「ひでぇ名前だな」


 完全な八つ当たりを、あの男の関係者である目の前の男にすれば、賢者はあたしの前にしゃがみ込み手を差し出した。いつまでもこうしていられないのは理解出来ている。億劫さそのままにのろのろと苛立ちささえ感じさせる程の時間を掛けて手を伸ばすと、半分くらいの距離を迎えに来ていた手が力強く掴んだ。


 その先で賢者は、猫の様に笑う。


「な、お前俺と旅に出るか」


 いつかの様に反対側の手で、乱暴に頭を撫でて、髪の毛をくしゃくしゃにする。

 サリーさんに綺麗に結って貰った髪はもう見る影もないだろう。


 たび、と無意識に繰り返せば頷こうとした賢者が視線を上げ、あたしの頭越しに何かを見つけた様に首を竦めた。



「……あーでも時間切れだな」


 ぽつりとそう呟くと同時に、遠くで誰かを呼ぶ声と嘶く馬の声。


 ざわざわとした人の声が近付いて来て、眩しい緋色が見える。


「……っ!」


 とっさに逃げようとして身体を起こすと、ぐらりと身体が傾いた。その腕を賢者が掴んで支えてくれたけど、掴まれたまま解けない。足が絡まってその場にしゃがみ込む。


「逃げられねぇよお前の足じゃ。一応崖から落ちたんだ。余計な体力使わない方が良い」

「離して……っ」


 振り払おうとするけど、賢者の手はびくともしない。その場で癇癪を爆発させた子供の様に足踏みする。


「お願い……っ会わせる顔なんてない……っ」

「それはあっちも同じだろ」


 会わせる顔がないなら会いに来ないで。気まずいなんてものじゃない。

 優しくされて、好意を向けられて、嬉しくない訳がない。歪な『イチカ』を大事にしてくれた優しい人達に詰られる事が恐ろしい。


 だってお姉ちゃんの欠片はもう失われて、あたしはもう彼等が愛した『イチカ』になれない。

 ここにいるのは何の価値もない、ちっぽけなあたし。


「……分かってる。それでも迎えに来たんだよお前を。ナナカを、な」


 吐き出した慟哭に、賢者は頷いてから静かにそう言った。

 ……あたし、を?


 賢者の言葉が闇の中に小さな明かりを灯す。

 だけど。


「……待て!」


 背後から掛けられた声に、びくっと肩が震えた。数人の護衛らしき人と共にそこにいたのは、あの四人だった。


「……っ!」


 馬から跳び降り手綱を放り投げ、勢いよく駆けてきたのは、アマリ様だった。

 いつものふわふわしたドレスでは無く始めて見るズボンとシャツにレースは一つもない。白い足は飾り気のない分厚いブーツに覆われていた。


 腫れ上がった目元につり上がった眉。詰られるのかと一瞬強張った身体に、駆け寄った勢いのまま抱きつかれて、抱えきれずその場に沈んだ。視界の端で花びらが舞い散る。


「生きてて良かっ……ッ」


 埋められた首元、しゃくり上げた声は、最後まで聞こえなかった。途中で投げ出された手綱に驚いた馬が高く嘶く。


 ――生きてて良かった。


 生きてるだけで良い、そう、自分も何度も思った。祈る様な強さでお姉ちゃんに抱いた想いをアマリ様は自分に持ってくれたのか。


「アマ、リ様……」


 もう枯れたかと思った涙がまた溢れて、視界をゆらゆらと滲ませる。頬に触れる赤い髪が夕焼けに混じり合い焔の様に見えた。


「ごめ、……ごめんなさ……っ」


 謝る資格なんてないないのにとっさに出たのは謝罪で、唇を噛み締める。

 謝ったって許してなんて貰えない。だってあたしは彼等を騙してとても酷い事をした。


「どうしてあなたが謝るのですか」


 頭上から降って来たのは、神官長の声。びくっと肩が震え、恐る恐る顔を上げる。


「レーリエ、さま」


 少し首を傾けて困った様に笑う。以前と変わらない……違う、前よりも優しい笑顔だと思った。お姉ちゃんの笑顔にとてもよく似ていて、あたしが演じた『イチカ』はやっぱり紛い物だと思い知る。だって、あたしは絶対こんな風には笑えない。


 騙されて、

 裏切られて、

 大事なものを奪われて、

 どうして、そんな風に笑えるの。


 想像とは正反対のその表情が信じられなくて、首を振る。


「どうして、……許せるの」


 分かる。アマリ様も神官長も、あたしの事を許している。


「貴方がちゃんと帰って来てくれましたから」


「どうして……? 言ったじゃない! あたし……っは、『イチカ』じゃないのっ本当は……ッ」


 お姉ちゃんの様に優しくもなくて、

 人見知りで臆病で引っ込み思案で。


 ――そして、大事にされるべき『神子』でもなんでもなかった。


 嗚咽まじりに叫べば、神官長は笑みを崩さぬまま、汚れるのも構わず膝をつき、あたしの頬に触れた。泣いて火照った頬に冷たい指が滑って涙を拭う。 


「はい。ちゃんと聞きますから、ゆっくりお話しして下さい」


 足元に広がる緑を移した様な瞳には、泣いて酷い顔をしている『あたし』がいた。


「あ、たしは……」


 イチカじゃないの。

 みんなから愛される優しい優しいお姉ちゃんじゃない。


 でも、優しくされる度に、私は、あたしを見て――ナナカって呼んで欲しかった。

 想いを途切れ途切れに告白して、責められるのを覚悟して唇を噛む。


 けれど誰も何も言ってくれなくて、不意に大きな影があたしとアマリ様の身体をすっぽりと包み込んだ。

 アマリ様が鼻を啜ってあたしから離れ、地面に投げ出した手を取ったサダリさんは、ゆっくりと立たせてくれた。


 そしてそのままぎゅっと抱き締められる。


「賢者から全て聞きました。私達は「あなた」が生きていてくれた事が嬉しいのです。……だから、本当の名前を教えて頂けませんか」


 息が触れ合う程の近い距離。大きな手が押さえる様に背中に回された。


 強引な手、腰に巻き付いた腕。彼がこんな風に乱暴に触れた事は一度だって無かった。その力の強さにやはり怒っているのかと思って、ぎゅっと目を瞑れば、一層腕に力が入って、首筋に顔が埋まった。


「――名前を」


 懇願する様に声に震えが混ざる。

 時々動く彼の表情の変化が好きだったから、わざと困らせた。

 何かが起こる気配をいち早く察して、あたしをこの場所に留めようとしてくれた優しい騎士様。


「……ナナカです。橘、奈菜香」


 ずっと呼んで貰いたかった自分の名前を告げれば、サダリさんは一度口の中で小さく呟いてから、次ははっきりと呼んだ。


「ナナカ、……ナナカ様」


 呼ばれた名前に、改めて自分の存在を強く意識した。違う、足元の緑の様に根を張ったような感覚。掻き抱く様に込められた力に、触れ合っている身体が熱い。


「騙して、て、ごめん、……なさい」


 そう呟くと、サダリさんの抱擁が一層きつくなり、その口から同じく謝罪の言葉が呟かれた。

 痛みを堪えるようなその表情を見ていられない。

 背中に手を回そうとすれば、いつの間にか近付いていた賢者が、あたしの身体を横から攫い、サダリさんから引き剥がした。


「……賢者?」


 突然の行動に驚いて名前を呼べば、あたしとサダリさんの間に入った賢者は、面倒そうにフードごと後ろ頭を掻いた。


「あー……お前はあんまりナナカに近付くな。イチカからも厳命されてる」

「……何故だ」


「お前ナナカが幾つか知んねぇだろうが、向こうの世界じゃ立派な犯罪者だ。このロリコン」

「ロリコンって何ですの」

「子供に手を出すイケナイ大人の事だよ、お姫様」


 まぁ、と口を押さえたお姫様が、サダリさんから少し距離を置く。その様子にきゅっと眉間の皺を深めたサダリさんは、睨む様に賢者を見た。



「待て。ではナナカ様はおいくつなんだ」


「何で本人に聞かないんだよ。……あー……っと、十四サイ、いや十五になったんだっけか?」


 年齢……?


 いつの間にか過ぎていた誕生日を思い出して頷く。



「え」

「は」

「……っ」



 王子が驚きの声を上げ神官長も目を見開く。残るサダリさんは信じられない顔であたしを見つめて固まった。


「まぁ私と同い年なのですわね」


 そして誰より復帰が早かったのはお姫様で――何故かサダリさんがとどめを刺された様に口元を覆った。


 ……そこまで驚かれる様な事だろうか。

 姉、と『イチカ』の事を話した時点で、妹である事は分かっていたはずなのに。それ程年相応には見えないのか、とまじまじと凝視される視線に不思議に思う。


「素敵! 私同い年のお友達はいないのよ」


 そんなサダリさんを押しのけて、アマリ様は嬉しそうに微笑んで、あたしの手を取った。


 友達……?


「きっともっとこれまで以上に仲良く出来ると思うんですの、だからその前に」

「待てアマリ、私が言う」


 呆けていた王子が、はっと我に返りあたしの前へと立った。


「ナナカ、申し訳なかった。我々の世界の勝手でお前を召喚してしまった事を王族代表として謝罪する。重ねて失礼な言動も」


 王子はそこで一旦言葉を切った。

 徐々に強張っていく真面目な顔に、緊張が見える。最初の印象から一番変わったのはきっと王子だろう。

 王族は謝罪の言葉を簡単に口になど出来ない。けれど、こうして頭を下げてあたしに謝ってくれている。


「許せ、などと言うつもりも資格もない。だが謝罪を受け取って欲しい」


 ……前は言葉の上だけも許したくなくて、よく覚えていないと、誤魔化した謝罪。


「……悪かった」


 真摯な瞳で呟かれた声に、こくりと頷く。


「うん……っあたしも、……っごめん」


 さっきから涙が止まらなくて、ぼろぼろだ。そんなあたしに王子はアマリ様に時々見せる様な困った顔をして、くしゃりと表情を崩した。


「本当のお前はよく泣くのだな」


 呆れた様な言葉に含まれるのは親愛。

 それだけで『あたし』を受け入れてくれようとしているのが分かった。


 ……罪とか贖罪とか聞こえの良い言葉をお姉ちゃんを失ったその場所に埋めて、感情を動かさない様にこの一年を過ごした。

 でもその大きな穴に彼らの優しさも降り積もって、私の心を苛んでは――癒してくれた。



「よし、じゃあここでお開きだな」


 赤い月が空に浮かびすっかり暗くなった野原で、賢者はそう言うと手を叩いた。

 四人の視線が集まったのを確認すると満足気に頷く。


「千年に一回、この世界の神は伴侶を選び、見返りとして世界を潤して感謝を表す。それが太古からの約定。でもそれも今年で最後だ」

「……どういう事でしょうか?」


 演説するように語りだした賢者に神官長が微かに眉を顰めて尋ねた。


「アルジフリーフは、お前らに大層な儀式をして送って貰わなくても、自分の伴侶を見つけられる事が分かったからな、もう儀式は必要ない」

「それでは千年に一度の恵みはもう頂けないと?」


「そもそも代々のアルジフリーフは大した事やってねぇんだよ。ほんの少し大地を潤した位らしいぞ。思い込みって怖いよな、この世界が栄えたのは自然の摂理とお前らの自身の力だ。……そもそもあるかもしれない与えられるかもしれない、そんなあやふやな『神』に頼っていい事あるかよ?」


 呆れた様な賢者の言葉に、身を乗り出し首を振ったのは王子だった。

 そんな王子に賢者はニヤリと笑い腰に手を当てて言葉を続けた。


「だよなぁ? お前のそーいうとこは気に入ってんだよ。ナナカの今後と儀式の終わりを一足先に王に伝えといてやる。あとまぁ色々と話してくるわ」


 翻されたマントの端を慌てて掴む。


「賢者っ、……っまた会える……?」


 名前を呼んだ事に驚いたのか、分厚いフードの下で目が丸くなる。それからゆっくりと口の端を釣り上げると、ぽん、とあたしの頭に手を置いた。


「ああ、お前まだまだ危なっかしいし、しばらくは見張りが必要みたいだしな」


 ちらり、と視線を流した先にいたサダリさんは眉を顰めて賢者を睨んだ。それを鼻で笑う賢者との間に奇妙な空気が作られ、何故かアマリ様の目が楽しそうに輝いていた。


「じゃあな。神官長、ナナカの面倒頼むわ」

「はい、お任せ下さい」


 そう言って賢者はいつもの様に空間を切り裂きあっけなく姿を消した。


 いいのかな、と神官長を伺えば、王城は暫く騒がしくなるでしょうから、と告げられた。その声音は気遣うもので、申し訳無さと嬉しさが混じり合って複雑な気持ちになる。


 冷えて来ましたから、とサダリさんが駆けてくれた上着の端を握り締めて、ゆっくりとまぶたを閉じる。


 あたしは、この人達に貰った優しさを……嘘で固めた見せ掛けだけではないそれを、返す事は出来るだろうか。




『――幸せになって』


 ふっと、意識が落ちる刹那、懇願する様な強さで聞こえた言葉が蘇る。顔を上げると赤い月に守られた星空の向こうで、お姉ちゃんがあの無愛想な神様と笑っている気がした。



 お姉ちゃんの最後の願いは、今の自分にとって酷くおこがましい事の様に思えるけれど。



「どうかしましたか」

「……ううん、何でもない」


 気遣うように触れた大きなサダリさんの手に、小さく首を振る。



 そう、焦らずに少しずつ考えれば良い。

 元々じっくり納得が行くまで考えて行動するのが自分の常だった。


 思考は纏まらなくて何から始めればいいのかすら分からないけど。



 ただ、『イチカ』でも『神子』でもなく、あたしはあたしらしく日々を重ねて行こうと思う。そして。




「……またいつか会おうね」



 あの場所で見ているだろう、あたしの優しい大事な人に向かって、そう呟いた。









『わたしの優しい人へ』








 完



最後までお付き合い下さって有難うございました。


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