25.幕開け
本編完結まであと四話と一話のおまけです。プロローグ回収
朗々とした神官長の声が高らかに響く。
それは今にも降り出しそうな重い雲を支えている様に力強く、男性にしてはその華奢な身体のどこから出しているのだろうと不思議に思う。
親衛隊数名に守られた王、王子とお姫様が並び、今日も王妃の姿は見えない。王族ならこの儀式を見届ける事は義務だと聞いたが、同じ城内だと言うのに結局顔を合わせる事も無かった幼い王子と伏せっている病人は除外されるらしい。自分としても、王妃はともかくそんな幼い子供の無垢な瞳に悪趣味な見せ物を映したいとは思わない。
独特な抑揚を持つ祝詞の様な口上が終わり、静寂が落ちて張り詰める様な緊張感が空気を支配する。空を仰いでいた視線がゆっくりと下がり新緑色の瞳が私を映した。
「イチカ、こちらへ」
神官長に呼ばれ、身体が冷えるからと身に纏っていた外套を神官に預ける。参加が許されなかったサリーさんの代わりに付いた神官さんは恭しく受け取りゆっくりと頭を下げた。冷たい風に剥き出しの肩を撫で、肌が粟立つ。
期待と崇拝と微かな憐憫が複雑に絡み合う皆の視線を感じながら私はゆっくりと足を踏み出した。
太鼓や鈴、木琴の様な管楽器を手にした神官達の間を通る。裸足の足首には鈴一つ、吹き上げる風にしがみつく様な微かな音を響かせていた。
丸く切り取られた台座の真ん中に立ち、神官達を見上げる。化粧をした私以上に白い顔をした神官長は、風に吹き上げられる髪を押さえる事も無くただ静かに私を見つめて、静かに視線を伏せた。
「――」
聞き取れない言葉で何かを呟き、後ろに下がる。
よく磨かれた白い台座の上。今、この場にいるのは私ただ一人。確かに裸足でなければ滑りそうな程磨かれた床は爪先から身体を凍らせていきそうな程冷たい。
神官長が微かに首を傾けると、タン、と始まりの太鼓の音が鳴った。自然に背筋が伸びて、毎日浚った動きを、手と足が刻んでいく。
もう目を瞑っても足が赤い円陣を踏み越える事はない。
踊る、踊る。
感心する様な、食い入る様な、疑う様な一層強くなった視線が肌に刺さる。
崖から吹き上げる風は冷たいのに不思議と身体を軽くしてくれて、まるで羽が生えた様にも感じた。
白い花が円座の真ん中に咲いて、閉じる。それを繰り返して踊る。
ぐるぐる、ぐるぐる。
視界の端に映るのは、騎士さんと、神官長、王子とお姫様。
ぱらぱらと絵本を捲る様に慌ただしく四人の顔が見えて、消えていく。結末は一緒『そして世界は平和になりました』。幸せ? そう幸せ。大多数が何も知らず『いつまでも幸せに暮らしました』。
ぐるぐる、ぐるぐる、回って、
そして、呆気なく滑稽な踊りが終わった。
息を弾ませたまま神官を見れば、伏せたままの視線を後ろへと流した。
余韻に浸る間も無く楽器を手にしたまま立ち上がった神官達は、私に一礼してはそれぞれ神殿へと引き上げていく。その表情に人間らしい感情は浮かんでおらず、動きの一律さがまるで人形のようだ。
「お疲れ様でした。とても素晴らしかったですわ」
無邪気に微笑み、近付こうとしたお姫様を止めたのは国王の親衛隊の一人だった。
ああ今気付いたこの人。一番初めにサダリさんを連れて――王様の命令だと宝石を持って来てくれた騎士さんだ。
「ネストリ? 何をなさいますの」
そういえばそんな名前だった。五十を超えている王と同世代だと言うのに質実剛健を現した様な薄い表情と立派な体躯。王を見かける時は必ずそばにいる。
無骨に前を遮った腕に、お姫様は目を丸くし、怖がる様に後ろに引いた。
「殿下もこれ以上動かれない様に。――サダリもだ」
付け足す様に呼ばれた名前に、サダリさんを見ればいつのまにか移動していたらしいサダリさんは、台座の端に足を掛けた所で配下らしい騎士に二人がかりで後ろから潰される様に拘束されていた。どうやら尋常ではない雰囲気に咄嗟に私を守ろうとしたらしい。最後の最後まで職務に忠実な彼に哀れみさえ感じる。
「っ何をしているんだ!」
拘束され容赦なく地面に押さえつけられたサダリさんを見て王子は怒鳴り、サダリさんは押さえつけられている騎士ではなく、真っ直ぐに私を見た。
「どういう事ですか!」
地面を震わせる様な怒号がこだまし、その迫力に呑まれるように周囲が静まり返る。
彼のそんな声は初めてで、釣り上がった目が、食いしばった唇が、怒りを露わにしていた。そうか、あんな馬鹿な真似しなくても、ここで見る事が出来たんだ。
「神子様はまだ儀式を終えられておりません」
「何?」
訳が分からないとばかりに、王子は眉を顰めて私を見た。それに肩を竦めて笑って見せると、ますます眉間の皺が深くなる。
いつの間にか、王子、お姫様、王とサダリさん、神官長、親衛隊の騎士以外の人間はこの異常な事態に関わらず、波が引くように消えていた。
「これを」
それまで黙っていた神官長が私の元へ歩み寄り、綺麗な細工がされた金の縁どりの杯を静かに差し出した。
受け取ると、花の蜜の様な甘い匂いがした。毒かもしくは睡眠薬か、最後の瞬間の痛みを和らげようと差し出すのは、果たして優しさなのだろうか。
私はそれを手に取り、三人を見渡してから、ゆっくりと後ろに――崖の方へ進んだ。
「おい! それ以上行くな、危ない!」
止めようと駆け寄ろうとした王子をまた別の騎士が押し止める。
「どけ!」
「儀式を邪魔する事は許されません」
淡々とそう言ったネストリさんに、王子はとうとう怒りを剥き出し怒鳴りつけた。
「お前達さっきから何なんだ! 儀式は終わっただろう。サダリを離せ! イチカもこっちに来い!」
「なりません。儀式はまだ終わっておりません」
「何を……レーリエ! どうなっている!」
その場にいた全員の視線が注がれた先、ぽつ、とレーリエさんの頬を降り出した雨が打った。
「神々に舞を奉納した後、神子はその身を捧げるのです」
薄い唇がゆっくりと開かれ、静かに告げられた言葉に王子の目が驚きに見開かれた。
「何を言って……」
から、と足下で石が崩れる。
お姫様が息を呑んだのが分かる。限界まで見開いた目が私を映して、レースで覆われた手のひらが口元を覆った。
「それが神子の役目だ」
最後の引き金を引いたのは、それまで黙っていた王だった。
「馬鹿な……っイチカ! 逃げろ……っ落ち着いて話し合えばきっと」
「神子様は知ってらっしゃいます」
そう告げたネストリさんに、王子は息を止め信じられないものを見る様に私を見た。
雨は静かに降り注いで台座を白くけぶらせて、私は一度ゆっくりと瞬きをした。白い靄がまるで夢を見ている様な気持ちにさせて現実感が薄くなる。
「……おいっイチカ! 嘘だろ!? 何故、お前が死ななきゃいけないんだ……っ」
睨む様に私を見つめるのは、御伽の国の王子様。雨で張り付いた緋色の髪を振り払う事もせず怒鳴った。
「こんなの嘘です! ねぇ!? 神官長様、そうだと仰って下さい」
そう吐き出して、白く華奢な手が顔を覆う。か細い泣き声を上げて、ドレスに泥が跳ねるのも構わずその場に崩れ落ちたのは、皆から愛されて育った可憐な花の様なお姫様。綺麗に纏められた髪から飾りが滑り、雨でぬかるんだ地面に落ちた。薄紅色の綺麗な花弁がゆっくりと泥に侵蝕される。
「嘘ではありません」
胸元の鎖の先にある印を、折れそうな程強く握り締めそう呟くいた神官長。ゆっくりと視線を傾ければ、いつも穏やかな慈愛に満ちた目は、静かに伏せられていた。
「イチカ様! ……っあなたは……っ」
腰に穿いた剣の柄には、鷹に茨が巻き付くこの国の紋章が記されている。堅く握った拳は震えていた。一年間ずっとずっと私を護衛してくれた騎士様だ。
四人が四人、私に向けた視線の中にあるのは、深い絶望と罪悪感。
小さな命を惜しんでくれますか。
不条理だと嘆きますか。
信仰する唯一の神を冒涜しますか。
言葉も出ない程、悔しいですか。
あの日、私が召喚されたせいで、お姉ちゃんは死んでしまった。
だから私は、復讐を決めたのです。
大切で大事な人を理不尽に奪われる苦しみを、あなた達に与えましょう。
私の優しい大事な人たちへ。
消えない傷を一生抱えて、罪悪感に塗れ、私の屍を苗床に栄えるこの世界で生きて下さい。
谷底から喚ぶように風の音がする。
役者も舞台も揃った。
――さぁ、幕をあげましょう。




