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22.おわりのはじまり


「もう一年だな」


 何気なく手折ろうとした小さな花に伸ばしていた指が止まった。


「……そうですね」


 何気ない王子の言葉に頷き、変わった形の花弁を撫でるだけに留めて空を仰ぐ。

 確かに季節は一回りし、紗幕が掛かった様な薄い空はここに来た時と同じ春の気配を見せている。


 城に戻り暖かくなってからは鍛錬場の近くの木陰は私の見学スペースだ。芝生の上に布を敷き、サリーさんが淹れてくれたお茶を飲む。最初は狩りでもないのに地面に座り込むなんてと難色を示していた王子も慣れたのか諦めたのか、今はこうして同じ布の上に座り、一緒にカップを傾けてくれている。


 この時間、王子の命令でサダリさんは私から離れて鍛錬に参加していて他の護衛がついているらしいが、気を利かせているのかその姿を見た事はなかった。まぁ、例えいなくても騎士が鍛錬するその横で襲ってこようなんて無謀な事はしないないだろう。名目上の護衛だとしてもご苦労な事だと思う。


 紅茶のお代わりを持ってくると言ってサリーさんは一旦私の側から離れた。そのタイミングを計っていたらしく王子は、サリーさんの背中が視界から消えると、身体を私の方に向けて真面目な顔をして「イチカ」と名前を呼んだ。


「何ですか?」


 持ったままだったカップを一旦膝の上に下ろし首を傾げる。あれからまた少し伸びた前髪の下の瞳が微かに潤み、熱を帯びていた。まっすぐに見つめ返すと王子は、迷う様な間を置いて口を開き、それからすぐに閉じる。急かしたくなる気持ちを押さえて待っていると王子は、ぐ、と拳を握りこんでようやく口を開いた。


「っ儀式が終わればお前に言いたい事がある」


 一瞬笑ってしまいそうになって、堪える。随分回りくどい。これを見ているであろう第三者は、初々しいと頬を緩めるのか、それとも揶揄したくなるのだろうか。


「何でしょう」

「ぎ、儀式が終わった後だ」


「そうですか」


 焦った様に首を振った王子に、あっさりと引けばどうやらそれがお気に召さなかったらしい。むっと眉間に寄せられた皺を見て、私は小さく笑って口を開いた。


「私も言いたい事があるんです」

「何だ?」


 ぱっと顔を上げて私に詰め寄る。いつになく近い距離に騎士の鍛錬場から頭一つ分大きい彼の視線が突き刺さった。それに。


「今は内緒です。王子、紅茶が溢れますよ」


 顔のすぐ近くで人差し指を下に向けにっこり笑う。虚をつかれたように目を見開いていた王子は今更自分と私との距離を自覚したらしく、弾けるように身を引いた。


「……儀式が終わってから教えてくれるのか?」


 暫くしてからまだ赤いものの神妙な顔をして尋ねて来た王子の顔をじっと見つめる。

 ――頑固で、独りよがりな、優しい王子様。


「ええ。何もかも終わった時に言いますね」


 微笑んだその時、騎士達がいる鍛練場が急に静まり返った。視線を向けた時には既に全員が膝をつき建物に向かって頭を垂れていた。


 そこから僅かな視線を感じ顔を上げ王宮の二階部分を見上げると、いつか見た老年の騎士を先頭に、王、それに何人かのお付きらしき人達がいた。


 いつから見ていたのだろう。けれど皺に埋もれた瞳は、騎士達ではなく私に向けられていた。

 観察する様な、思惑を探ろうとでもいうような瞳。


「王か。ああ、祈りの日だな」


 鍛錬場の近くには王族専用の礼拝堂があり、週に一度王族は祈りを捧げに行くらしい。私が召喚されたあの石台がある部屋はあれの一階にあるそうだ。


 横に座っていた王子が、素早く立ち上がり私に手を差し出す。それを見た王の目が眇められたのを私は見逃さなかった。


 素直に手を重ねて立ち上がると、サリーさんを真似てゆっくりと膝を折って王が去るのを待つ。その短い時間に感じていた視線に、伏せた顔の下でそっと笑った。





 その三日後。


 久し振りに姿を見せた神官長は、緊張した面持ちで私を見つめ乾いた薄い唇を開いた。


「儀式は十日後に決まりました」


 ああ、ようやく、か。


 城に戻ってからはわざと乞われるままに王子の鍛錬を見学していた。きっと『その時』を決めるのは王であるはずだ。お姫様だけではなく王子とも交流を深めて関わりを持てば、きっと引き離す為にその時期を早めるだろうと思った。そして面白い程その通りに話は動く。


 く、と思わず漏れた笑いを俯く事で誤魔化す。


 視界の上の方で神官長の白い神官服が揺れた。ああ違う、そうじゃないの。その事に気付いて微笑みを顔に貼り付けた。わざとらしい位でも良い。


「お久しぶりです。レーリエ様」


 顔を上げレーリエさんを改めて見つめて、少し種類の違う笑みに変える。


 見上げなければいけない程高い身長に、腰まである銀糸の髪をそのまま背中に流しているのは痩けた頬を隠す為だろうか。明らかに憔悴した様子に苦笑する。けれどその窶れた姿がますますその美貌を際立たせ、浮き世離れした神々しさを感じさせた。


「気にしないで下さいって言ったじゃないですか」


 自分が神殿を去ってからも、彼はずっと考えていたのだろう。酷い罪悪感と共に私の事を。きっとずっと。


 そっと手を伸ばし、その冷たい頬に触れる。

 光の粉が指先から零れ出すと神官長はまるでそれが染みるかのように、ぴくっと顎を引き身体を引こうとした。


「そんな事をして頂く訳には……」

「十日後ですね」


 もう片方の手で神官長の手を掴み、やんわりと押し留めて遮る。


「舞も毎日おさらいしてますし、大丈夫です」


 世間話の様に軽くそう続けて、力を注ぐ。前は気付かなかったけれど銀の髪に金色の粒子が絡まり毛先まで滑る様に落ちていく様がとても綺麗だ。部屋が暗ければもっと映えて良かったのに、とぼんやり思っていると、幾分落ち着いたらしい神官長は、苦い顔で私を見下ろしたまま、ゆっくりと口を開いた。


「……今日は連れがいるのです」

「連れ?」


 心当たりが無くて首を傾げる。

 一旦力を注ぐのを止めて神官長の後ろにある扉に視線を流せば、タイミングを計った様にノックの音が部屋に響いた。


 入ってきたのは、サリーさん。

 だけどその背中から赤い髪が見えた。そのままゆっくり顔を出したのは――、


「テト!」


 思わず名前を呼べば、びくっと肩を震わせて小さな頭が引っ込んだ。

 目が合ったサリーさんは苦笑めいた表情を浮かべると、すっと横にずれる。


「っあ」


 現れたテトは困った様にサリーさんと神官長を見て、そして最後に私に視線を向けた。

 所在無さ気に扉の前で立っていたのは、あの日以来となるテト。

 随分身長は伸びているが、少し釣り上がった目も目立つ赤い髪も間違いない。


「……イチカ」


 きゅっと引き結ばれていた唇がゆっくりと開いて、随分懐かしい声に思わず目を細めた。

 ああそうだ。テトは私の事を他の子供達と同じ様に「神子様」とは呼ばなかった。


「遊びに来てくれたの?」


 何故か胸が詰まって何を言えばいいのか分からなかった。顔を見れたのが純粋に嬉しい。きっともう見れる事は無いと思っていたから。


 その小さな身体に駆け寄れば、サリーさんの眉が少し不安そうに顰められた事に気付いたけれど、見なかったふりをする。


 テトにならどんなに傷をつけられても構わない。目線を合わせてしゃがみ込む。


「……怪我したって」


 間近に私を見て、テトは視線を泳がせたままぽつりと呟いた。


「怪我?」

「花瓶」


 俺が投げた、と続けられて、なんだ、と笑う。

 割れた欠片が頬に掠っただけだ。噛まれた肩ももう赤みすら残っていない。


「大丈夫、傷なんて残ってないよ」


 そう答えれば明らかにほっとした様にテトの身体からほんの少し力が抜けたのが分かった。

 頭を撫でたくなったけど、よく子供扱いしては怒られていた事を思い出して持ち上げた手を慌てて下ろす。そして改めて、中に入ろう、と促すと、「すぐ帰るからここでいい」と首を振った。


 それからぎゅっと拳を握り締めてまっすぐ私を見た。少し茶色がかった赤い目の中に私が映る。


 その目の奥の光の強さに、ぎくりとして思わず口を開いた。だけどそれより早くテトの声が部屋に響く。



「俺、お前に謝らなくちゃいけない」



 ――だめ。


「ごめん。俺無茶苦茶だった。イチカの事責めたって仕方ないのに」


 口に出せなかった言葉を呑み込んで俯く。


 ぎゅうっと白くなるほど握り締めた拳が目に入って、そっと触れた。小さな手のひらにはくっきりとした爪の跡。


 だめ。


 謝らないで。私を憎んでいて、ずっと。


 ―僕置いていかないで。



「……テトは強いね」


 私の言葉にテトは不思議そうに顔を傾けたのが気配で分かった。


「つよい?」


 よく分からない、という様に反芻したテトに私は目を逸らしたまま頷く。


「うん強くて優しいよ。私の百倍くらい」


 なんだよそれ、と 少し難しい顔をしてテトは子供らしくなく唇の端を釣り上げた。以前はよく見たテトの笑顔に、子供達の高く賑やかな声を思い出す。


「イチカ様、そろそろ王子との会食ですわ」

「ああ、ではこれで。また明後日に――儀式の打ち合わせに来ます」


「はい」



 ――テトは強い。


 だって私は許せない。


 テトが向かった光の先に焦がれて、今にも錆び落ちそうな鎖で自分で自分をがんじがらめにして、足踏みしてる。


「またな。イチカ」



 分かってる。多分何もかも。


 でも私は。




「さようならテト」





 復讐をやめられない。





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