18.凍える指先2
ショールを羽織り温室へ向かう。温室はその名の通り温かいと言っても、そこに行くまでに渡り廊下と庭を超えなければならず、さすがに法衣だけでは身体が冷える。
二重になった重いガラス戸を開けて、昨日膨らんでいた蕾を見て回り、ぐるりと一周して、以前にサリーさんとピクニック気分で布を敷き茶をした場所を思い出し、少し開いた芝生の様な場所に今回は直接腰を下ろした。しばらく誰も来ないだろうと布靴も脱いで足を伸ばす。
目を瞑り、室温を保つ為に流れる温かな水の音に耳を傾けていると、微かに扉が開く音が聞こえた。その後に続く足音がない事に確信を込めて名前を呼んだ。
「サダリさん、ここ。奥です」
声を掛けずとも分かっていたのかもしれない。その大柄な身体をどこに隠していたのだろうと不思議に思う位気配なく茂みから現れたサダリさんを見上げて、笑みを浮かべて口を開いた。
「お久しぶりです」
彼とも三ヶ月振り。成長期にある王子達とは違い、特に外見的に変わったところはない。
「――眠れていますか」
挨拶もなく降って来た言葉に少し驚いて、笑う。
そういえばお城にいた頃は、眠れないと彼に叱られても懲りる事なく話しかけていた。
「やだなぁ……」
一度神殿に来ましたよね。
そう聞こうと思ったけれど、何となく言い出すのが億劫になった。
「サダリさん、ここ座りませんか?」
隣を指さすとサダリさんは、微かに眉を顰めた。そうだ、サダリさんの困った顔を見るの、好きだった。
随分と懐かしく思う。
「仕事中ですので」
「仕事って私の護衛? 王子に頼まれたんですか?」
神殿にいる以上は、私の護衛は神殿の管轄だ。そもそも簡単にテトが侵入した事を考えても、護衛なんてものは存在しない。はい、と頷いたサダリさんに、伸ばしていた足を引っ込めて見上げる。
「私また『ご主人様』ですね」
くすくすと笑って「じゃあ見下ろしちゃ駄目じゃないですか」と続ければ、サダリさんは表情を変えないまま、音もなく私の目の前ですっと片膝をついた。
間近で見るサダリさんの精悍な顔。額には汗が浮き、そう言えば今まで馬を走らせていた事を思い出す。ならこの場所は暑いかもしれない。
「これで宜しいですか」
「宜しくないです。……隣がいい。膝枕して欲しいです」
冗談ぽく軽く返して、横の地面を手のひらで叩く。
「神子。それでは子供です」
「仕方ないじゃないですか。――夜、全然眠れないんです」
さっき笑った質問に時間差で答えたのが分かったのだろう。嘘ではない。抱いて眠るぬいぐるみの懐かしい香りはとっくに失われた。その時点で私にとってライナスの毛布ではなくなってしまったらしい。柔らかな毛に顔を埋めても赤い夜はいつまでも私に付き纏う。
サダリさんを見上げれば、その身体が微かに強張ったのが分かった。
「じゃ、肩でいいです」
そう妥協して見れば、数秒程の沈黙の後、その身体が動いた。
失礼します――、と、低く抑えた様な声は、ひそやかな囁き声にも似ていて少し甘い。
真横に来た微かな熱。こてり、と首を傾ければ、調整するようにまた少し身を寄せてくれた。身長差がありすぎて肩に頭が来ない。太い腕が微かな熱を放ち、頭の収まりが良い所を探して動かすと、くすぐったかったのか微かに身じろいたのが分かった。
そのままサダリさんは片膝を立ててそこに肘を置く。いい感じに頭が腕部分に納まり落ち着く。
冬だと言うように指先まで日焼けした太い指先は、筋張り酷くささくれ立っている。
そっと手を伸ばすと、その指先は驚く程熱かった。
「熱い、ですね。熱でもあったりします?」
顔を上げれば、静かに私を見ていたらしいサダリさんと視線が合って絡まり合う。
その間に指を逆に握り込まれて、視線を向けると、「……貴女の指が冷たいのです」と、静かに呟いた。
「そう」
ずっと窓辺で刺繍をしていたから。
そう言って、視線を正面に戻し再び顔を傾ける。
「……堅い」と文句を言うと、「我慢して下さい」との意外な言葉が返ってきて笑った。
会わなかったこの三ヶ月。彼の中で私が蒔いた種ははどんな風に芽吹いて、花を咲かせ、毒の実を作ったのか。
「うん」
我慢します、子供の様に呟いて、そっと目を瞑る。まぶたの裏は赤くない。とろとろと眠気が一気に襲い掛かり、しばらくの間緑の中で微睡んだ。
その少し上でサダリさんがどんな顔をしているのか、見てみたいと思いながら。




