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18.凍える指先1

 テトの事件があって以来、当然ながら孤児院に行く事はなくなり、中庭を散歩しても小さな影を見つける事は無かった。


 けれど舞の練習以外部屋でぼうっとしている私を不憫に思ったのか神官長様が、信者さんとの交流という仕事を与えてくれて、稽古の後は毎日礼拝堂に通った。


 私がその広い部屋に入った途端、しんと静まり返り、その一挙一同に信望と熱気が籠もった視線が付き纏う。二、三日は居心地が悪かったものの、両脇に視線を向けずただ真っ直ぐに毎日その真ん中を歩いていると、次第に感覚が麻痺して気にならなくなった。


 けれどその最初の頃に一度だけ、その中に見知った顔を見た時は驚いた。

 目立たぬように薄暗いマントを羽織って群衆に紛れていたけれど、何故か微かに金色の靄の様な光をその身に纏っていた。


 力を注いだ時によく似た……いや、同じものだろうか。他の人には見えないらしく、特に周囲が注目している様子は無く、何故あんな風に見えるのか不思議に思う。



 ――まぁ、いいか。


 苦笑めいた笑顔を向けると、その人は目深に被ったフードの下で、一瞬驚いた様に目を瞠った。立ち止まる訳には行かずそのまま指定された場所に向かったが、腰を落ち着けもう一度その場所に視線を向けた時にはその姿はなかった。




 あっと言う間に季節は移り変わり、高台の涼しい場所だったせいか夏はあっという間に終わった。標高が高いせいか朝晩には部屋の暖炉に火が入れられる様になり、本来の目的である踊りも、中断させられる事もなく二度、三度と通せる様になっていった。


 そして秋も深まり、ちょうど神殿へ来てから三ヶ月が過ぎた夕方。

 赤い月が昇る前の藍色の空を映す窓の前で、手慰みになるからとサリーさんに教えて貰った刺繍を刺していると、サリーさんが珍しく部屋に駆け込んで来た。


 彼女が手にしていたのは王印がついた手紙で、視察と言う名目で王子とお姫様、その護衛の一人としてサダリさんも来るのを知らせる内容だった。


 日付は明日。急すぎる訪問としか思えないが、ぎりぎりまで王の許可が下りなかったのだろうか。


 お姫様のお付きとして侍女も数人着いてくるらしくそれをサリーさんに伝えると、嬉しそうに顔を綻ばせた。それが少し申し訳無くなって、そっと視線を逸らし、肩から下がっていたショールを外して膝に置いた。


 侍女は一人しかいないせいで、神殿にいる間彼女に休みらしい休みは無い。やはり無理にでももう一人付けて貰った方が良いのかもしれない。お姫様が来たら、サリーさんと仲が良さそうな一人を残して貰える様に頼んでみようか。


 そんな事を考えていると、すっかり恒例となった神官長との食事の時間が近づいている事に気付いた。


 思っていたよりも彼はよく――テトの事があってからは殊更付き合ってくれている様に思う。遅れて来たり少し早めに、「ゆっくりお召し上がり下さい」と私を置いて切り上げる事も多いのできっと無理をさせているのだろう。


 私は申し訳無さそうな顔を『して』無理しないで下さいね、と気遣う。


 その度に、彼は無理に時間を作り出し、食事の時間に遅れて来たり席を立ったりする事はだんだん無くなっていった。ある日は一緒に中庭を散歩したり、チェスによく似たゲームを教わったり随分態度が砕けた様に思う。けれどそれに反比例する様に彼は視線を合わせなくなり、私が他愛も無い話や冗談を言う度に浮かべる綺麗な笑顔の最後に影が差す様になった。


 ……昨日は、さすがに顔色も悪かった。仕事量から察するに一時間は超える夕食の時間を相当無理をして作っているのだろう。まだ時間はある。今日は色々考えたい事もあるし、何より私は彼の身体を害したい訳じゃない。入れ物なんて興味はない。


「サリー。今日おやつ食べ過ぎちゃったみたいで食欲なくて、部屋で取るから神官長様にそう伝えてくれますか?」


「分かりました。では何か消化に良いものをお持ちしましょうか」

「うん、お願いします」


 そう頼んで視線を刺繍へと戻す。別に間食を食べ過ぎた訳ではないけれど、こうでも言わなければサリーさんも神官長もすぐにお医者さんを呼ぼうとするのだ。


「あとちょっと……」


 ぽつりと呟いて白い糸を針に通す。この世界に来て始めた刺繍は自分のペースでコツコツと刺していく過程が自分に合っていたらしい。

 パンジーの横に映えるようにシロツメグサの白い花びらを作っていると、そこにうっすらと赤が差し込んだ。顔を上げ窓の向こうに視線を向ける。


 大嫌いな赤い夜がやって来る。


 私は刺繍を窓辺に置くと立ち上がり、肘掛けが落ちるのも構わず勢いよくカーテンを閉めた。




* * *




 次の日。


 お昼を少し過ぎ先触れの一時間後にやって来た王子様一団は、思っていたよりも静かに迎えられた。視察と言うより明らかに『お忍び』でやって来た風体だった。

 王子も王女も地味な色合いのマントを身に付けていたものの、その下の衣装は城にいる時のものと変わらず、お姫様に至っては、白しかない神殿の中で久し振りに見る煌びやかな装飾の色合いが目に眩しい程だった。


「イチカ!」

「イチカ様!」


 入り口まで神官長と共に出迎えた私に、二人が気付いたのはほぼ同時だった。駆け出す事こそしなかったが、ゆっくり先導する神官に焦れる様な目を向けている。


「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


 私も歩み寄りにこやかに微笑めば、お姫様は嬉しそうに頬を染めてこくりと頷いた。


「ええ、イチカ様も。お会い出来て嬉しいですわ」

「王子もわざわざ様子を見に来て下さってありがとうございます」


 王子に向き直ると、身長が伸びたのか目線が上がっていた。少し伸びた前髪のせいか大人っぽく見える。


「……ああ、神殿とはいえ、アマリを一人で出す訳には行かないからな」


 分厚い外套を鬱陶しそうに捲り上げ、相変わらずの口調でそう言った王子に目を眇めて懐かしさを感じた。一瞬笑い出しそうになって慌てて堪えれば、形の良い眉がぴくりと吊り上がった。


「なんだ?」

「いえ、随分大人っぽくなられたな、と。もう目線が合いませんね」


 微笑みを作ったまま少し顔を背けてそう言えば、王子は少し驚いた様に後ろに下がり、その言葉を確認する様に目を軽く上下に動かして「そうだな」と頷いた。


 ふとその口元が綻んだのが分かって、相変わらず分かりやすいなぁ、と思う。

 けれどすぐにはっとした様に厳めしい顔を作り、私の視線を避ける様に神官長へ向き直った。


「急で悪かったな」

「いいえ。とんでもないことでございます。今日は随分寒い。部屋は暖かくしておりますのでまずは休憩なさって下さい」


 いつまでも入り口で話し込んでいるのもまずいと思ったのだろう。神官長は短く挨拶を済ませると、二人に中へ入る様に促した。


 旅の汚れを落とし身支度を整えると言う二人と別れ、侍女と護衛と共に遠ざかる後ろ姿を見送っていると、それまで黙っていた神官長が、おもむろに口を開いた。


「王子と仲良くなられたんですね」


 微かな驚きを滲ませた質問に、私は真横に立つ神官長を見上げた。


 そうか。神官長が城を出たのは召喚されてから一週間程経った辺りだった。その頃の王子の私に対する態度は頑なで辛辣だった。そこから知らないのなら、今の言葉だけの素っ気ない態度も随分軟化したものに見えるだろう。


「ここに来るまでお城で過ごしましたし。素直じゃないだけで悪い人では無い事は分かっていますから」


 私の言葉に神官長は、少し嬉しそうに柔らかく微笑んだ。


「そうですね。王子は自分に厳しい分他者に厳しい方ですが、根は優しい子なんです」


 確かにお姫様もそんな事を言っていた。幸せな王子様。どれだけ人を傷つけたって、こうして庇ってくれる人の存在に気付かない。


「ええ。『儀式』までにもっと仲良くなれればいいと思ってるんです」


 あからさまな八つ当たりだった。笑顔でそう言った私の言葉に神官長の顔が一瞬強張る。そうですね、と頷いた声は小さく掠れていた。


「私はこれで。祈りの間の準備がありますので」

「分かりました。では私は部屋に戻ります。また昼食に」


 お互いに頭を下げ、私達は反対方向へ歩き出した。遠ざかる足音が途中で止まった事に気付き、背中に痛い程の視線を感じたけれども私は振り向く事なく足を動かした。止めない。立ち止まったらもう終わってしまう。


 お姫様の希望で少し早めに昼食を取る事となり、今日は神官さんに案内されたいつもと違う食堂に向かった。既に王子とお姫様が席に着いており、給仕してる侍女の中にサリーさんの姿もあった。


 サリーさんには、きっと色々慣れないだろうから、とお姫様の侍女さんにしばらく着いてあげて下さい、と言ってあった。お城と違って何かする度に着替えるという事は無いので、私の世話はあって無い様なもので特に問題はない。


 食堂には、私とお姫様と王子様。久し振りに三人で積もる話もあるでしょうから、と神官長様は昼食を辞退するとの伝言が案内してくれた神官から伝えられた。


 乗馬を習い始めた事や家庭教師が増えたとの近況報告から、建国祭の準備、騒がしくなって来た王城の様子。主に話すのはお姫様だったが、王子もその合間に相槌だけでなく補足する様に言葉を重ねた。以前の頑なさは影を潜め、爽やかな笑顔もよく見せてくれた。笑みを絶やさず相槌を打っていたら、お前は何かなかったのか、と聞かれて少し困った。


 孤児院の子供達。レミー、リラ――テト。


 あの子達と過ごした二週間程の短い日々は、確かに楽しかった。


「……残念ながら特に何もないんですよね。毎日舞の練習をしています」

「本当に他にはないのか? ここは街にも近いだろう。行ってないのか」


 むっと眉をひそめた王子に穏やかに微笑んで、はい、と首を振った。

 暖炉の火がパチリと鳴ったのが聞こえて、曇った窓ガラスを見た。


「……寒いですから」


 そう付け足した私に王子は呆れた様な顔をして、お姫様は、まぁ、と楽しそうに笑った。


「年寄りでもあるまいし。――そうだ。来月には私主催の狩りがある。お前も連れていってやるぞ」


 不意に王子が思い出した様にそう言い、あまり聞き覚えの無い単語に戸惑った。


「狩り、ですか。……でも神官長の許可を頂かないといけませんよね?」


 何となく血生臭い行事。一応潔斎中の身体としてはまずいのではないかと首を傾げれば、王子とお姫様は、少し驚いたように顔を見合わせた。


「イチカ様は、こちらでの手習いを終え、城に戻られるのですよね」

「え?」


 お姫様にそう尋ねられて戸惑う私に王子が口を開く。


「何だ、聞いてなかったのか。私も先程聞いた所だか、一週間以内には戻るのだろう?」


 予想外の言葉に目を瞬かせる。まさに寝耳に水だ。

 先程、聞いた? ……朝会った神官長はそんな事言っていなかった。


『随分仲良くなられたようですね』


 もしや、あそこで頷いたからだろうか。確かに踊りは注意される事もあまりなくなってはいたが、何となくもうしばらくはここにいるだろうと思った。苦いものを呑み込む様な表情で私を見る神官長を思い出す。恐らく彼は。



 ――私から逃げたいのだ。



「っ……」


 思わず漏れた笑いに、お姫様が可愛いらしく小首を傾げる。


「どうかしましたの」

「……いえ。慣れた王城でまた皆さんと賑やかに過ごせるのが嬉しくて」


「私もですわ! 神子様がいなくなってから城は随分と寂しくなってしまって。お兄様と一緒にこちらに遊びに来れる様に何度もお願いしましたのよ」

「アマリ! 余計な事は言うな!」


 久し振りに見る二人の掛け合いを聞いていると、お姫様の侍女が遠慮がちに声を掛けて来た。


「王子、姫様、祈りの間の準備が整いました」


 ああ、と少し不機嫌に席を立った王子は、私に視線を流す。


「お前は行かないのか?」

「はい、朝に行きましたから」

「分かった。すぐ戻る」


 そう言ってアマリ様を促して部屋を出ようとした王子に、私はさっきから気にかかっていた問いを投げかけた。


「あの、王子。サダリさんも来ると聞いていたんですが」


 そう、王子達を出迎えた時、あの大柄な騎士の姿はなかった。


「……ああ、連れて来た私の馬がここに入る前に癇癪を起こしてな。馬小屋に入れる前に神殿の周囲を走らせる様に頼んだ。あいつがどうかしたか」


 あからさまに探る視線に苦笑する。

 私とサダリさんをくっつけようとする騎士団長の思惑に気付いたのか、あるいはただの嫉妬か。


「またお世話になると思うので挨拶したくて。話せますか」

「……分かった。伝える」


 苦虫を噛み潰した様な顔をしつつも頷くと、侍女が引いた椅子から立ち上がった。


「温室で待っていますね。そうだ、薔薇が綺麗なんですよ。アマリ様も祈りが終わりましたらぜひ」

「まぁ楽しみですわ」


 少し不機嫌になった王子の後ろを弾む様な足取りで祈りの間に向かうお姫様。


 その背中を見送り、私は残っていた侍女さんに、お姫様が戻ってくる頃に温室にお茶の支度を頼んでからサリーさんに「もう暫くそちらに着いていてあげて下さい」と伝えて、ショールを取りに一旦部屋に戻る事にした。




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