17.奇跡の行方1
結局最初の予想通り、舞の練習以外やる事も無く、中庭にちょこちょこ忍び込むレミーやリラに誘われて、孤児院で時間を過ごす事が増えた。
最初は遠慮していた先生達も、神官長の許可がある事に加え、サリーさんと共に連日通ってくるのでようやく慣れてくれたらしい。いちいち膝を折って挨拶する事はなくなったが、やっぱり子供達の遊び相手以外の雑用は頑なに辞退されてしまう。
「みこさま!」
幼い子供特有の高くて少し舌っ足らずの高い声に下を向けば、いつのまにかそばに来ていたレミーがスカートの裾を引っ張った。最初に出会ったせいか子供達の中でも一番懐いてくれているのがこの子。食器を運んでいる私の手を取ろうとするので、やんわりと止めて「少し待ってね」と、と断り台所の作業台に置いて腰を落とした。
大人しく後を着いて来ていたレミーは今度こそ前に回って、両手を前に小さな握り拳を作って勢い込んだ。
「っあのねっ、聞きたいの、王様!」
可愛いなぁ、と思いながら要領の得ない単語の意味を聞き返すと、「王様の話面白かったから。今日もお話してくれるの」と、期待にきらきらした眼を向けられた。
「そうだねぇ、……っわ」
違うお話もいいかな、とそのまま首を傾げて考えようとすると、背中にまた違う体重が被さって来た。
「重いよー」
笑いながら首を回し、上半身を傾けてしがみついてる子供を下ろすと、前に回り込んだ女の子がレミーを押しのけた。
「違うよっ! 外で新しい遊びを教えて!」
何となく性別が逆な気もするが、私が教える遊びは女の子向き男の子向きに関わらずやっぱり物珍しいらしくこうしてせがまれる事も多かった。これが一番子供達と仲良くなれた要因だろう。
意外に子供達に受けたのは、影鬼、氷鬼と、単純なものだ。氷を知っているかと尋ねれば、この国の冬は雪が降り、屋根にはつららが出来ると言う。日本と同じ温度差のある四季があり、子供達の話は逆に貴重な情報源となった。
案の定押し合いの喧嘩になった二人を宥めてから、お昼寝の時間にお話をする約束をして先に外で遊ぶ事にした。院長先生に伝えた後、家の中を二人が賑やかに練り歩き、子供達を誘って行列が出来た所で外に出た。庭で洗濯物を干していたサリーさんに手を振ると、同じ様に返してくれる。
お城で働いている侍女と言えば、貴族の子女である事は間違いない。それを踏まえて、付き合わせて悪い、と思っていたのだけれど、意外な事にサリーさんは孤児院に着くなり子供達を上手にあやし、誰に言われる前にたくさんの洗濯物に手をつけた。
『三年前養女になるまでは、私は平民でしたから』と、やんわりと微笑んだサリーさんには何やら事情があるらしい。
愛人の子供とか連れ子とかその辺りか。貴族の令嬢にとって王城に務める侍女は一種のステータスで箔付けになるらしい。加えて城の中枢にいる主要な位を持つ男性の目に留まれば幸いとの思惑もあるそうだ。なんとなくサリーさんの性格からして好きで王城に上がったのではないだろうな、と思う。
「レミーとリラは手を繋いでね」
「はぁーい」
元気よく上がった手は空でぶつかり、リラの手がレミーの手をしっかり握り締めた。同じ年齢だけどやっぱり女の子の方がしっかりしているのだろうか。
でもレミーにしたってこの年齢の子供にしてはよく言う事を聞くと思う。やはり育った環境? 覚えてはいないけれど、多分私はこの頃ただ甘ったれて周囲から与えられる優しさに包まれていた。
「……さま! オニはどうするの!?」
不意に呼び掛けられて、我に返る。
「私がするよ」
一番初めはまだ慣れてない事もあるからとりあえず私が鬼だ。気持ちを切り替えて子供達に笑い掛ける。
初日の反省としてきちんと範囲を決める。そう最初に氷鬼をした時にそれを思い付かなかったせいで、林の中を散々駆け回ったのだ。
「テト、一緒に鬼してくれる?」
家を出た所で着いてきたテトにそうお願いすると、えー……と、嫌そうに顔を顰めたものの、すぐに仕方ねぇなぁ、と私の足元に座り込んだ。
「チビ共、二十数えるぞー」
テトの言葉に子供達はきゃあきゃあ言いながら散り散りに逃げて行く。
それを目で追い掛けていると、テトが欠伸をした拍子に空を仰いでぼそりと呟いた。
「明日は雨だな」
丸みを帯びた横顔なのに、静かに呟く表情はどことなく大人びている。その視線を追い掛けると小さな雲がたくさん――ウロコ雲が広がっていた。
「どうして分かるの?」
「雲だよ。小さいのいっぱいある。向こうの山にも雲掛かってんだろ。あーいう時は雨なんだ」
淡々と続けられた説明に、「よく知ってるね」と感心する。そう言えば学校で習った覚えはあるのに、肝心な内容を覚えていない。私の言葉にテトはあまり子供らしくない意地悪な笑い方をして私を見た。
「こんなの普通だ。アンタが何も知らないんだよ」
「……そうだねぇ」
抱えた膝の上に顎を乗せてテトを見ると、テトはちょっとむくれたような顔をして、変な女、と呆れ交じりに呟いた。
そうかな、と首を傾げて、ゆっくり数を数える。いーち、にー、さん……十まで数えた時、少し離れた場所から派手な泣き声が上がってテトと二人、同じ方向を見る。隠れていた場所からびょこびょこ顔を出すとわらわらと集まる子供達、きっとあの真ん中におそらくは転んだ子がいるのだろう。
「あーあ。アイツすぐ泣くんだから」
相当目がいいらしく、泣いてる子供が分かったテトはそう呟くとすぐに立ち上がり、そちらに向かって駆け出した。
神官長はテトの事を気難しいと言ったけれど、頼りにすれば悪態を吐きながらも付き合ってくれる。神官長がそう感じたのは恐らくは性別の違いからかもしれない。
苦笑しながら私も立ち上がり駆け寄ると、集まった子供達の中心には、大泣きしているレミーと苦い顔をしたテトがいた。
「大した事無いから泣きやめよ。な?」
「っいたぁああいっ」
テトの言葉を遮るように顔いっぱいくしゃくしゃにして、私を見上げるレミーに手を伸ばして抱き上げる。
背中に手を回すとコアラみたいな格好でぎゅっとしがみついてくる。視界の端で揺れた膝には赤い擦り傷があった。
「いたそー」
「大丈夫だって掠り傷だろ」
「足洗いに行こう」
やっぱりしっかりしてるなぁ……。周囲の子供達は、傷口を見下ろし口々に慰めの言葉を掛けながら、私のスカートを引っ張り出し井戸へと案内してくれた。
「痛い?」
「っうえ……いたぁいいいっ」
傷を洗っても泣き止まないレミーに私は一旦しゃがみ込んで、テトに抱っこして貰える様に頼むと、軽く深呼吸した。
血の滲む傷に手を翳して目を瞑ると、身体の奥に静かに存在した『力』の表面が緩やかに波打ったのを感じた。水が川上から川下へと流れる様に『力』が手のひらに流れ込んでくる。ゆっくりと傷跡を覆うように手を置くと、じんわりと熱が生まれて黄色い帯が手のひらと傷を覆った。
時間にして数秒、手を離したその時には、すでに傷は微かな赤みを残し綺麗に消えていた。
ほっとして顔を上げると、子供達が驚きにまん丸に開いた目で私とレミーの傷跡を交互に見る。
しん、と静まり返った子供達に、気持ち悪がらせたかな、と苦笑いしたその時、沈黙を破ったのはいつの間にか泣き止んでいたレミーの声だった。
「みこさますごぉい! 痛くなくなった!」
さっきまでの泣き顔は嘘の様ににこにこ笑ってレミーは立ち上がって、ほら、もう痛くない! っとぴょんぴょん跳ねて見せる。
その無邪気な様子に苦笑するとどうやら我に返ったらしい子供達も弾ける様に声を上げて騒ぎ出した。
「女神様みたいっ」
「すごい、魔法つかい!」
口々にに声を上げる子供達の頭を撫でて笑う。ふと一人だけ立ったままレミーを、いや傷のあった場所を凝視しているテトに視線が止まった。
「テト?」
呼び掛けた声に弾かれるように顔を上げたテトの顔は酷く強張っていた。他の子達は無邪気に受け入れてくれたけれど、テトは違うらしい。
敏い子だから余計受け入れられなのかもしれない。ごめんね、と呟いて視線をレミーに戻しせがまれるまま抱き上げると、ご飯が出来た事を知らせる院長先生の声が響いた。
「はーい」と子供達と返事をして、みんなを促し家へと足を向ける。その背中に静かに声が掛かった。
「……イチカ」
「テト? どうしたの」
振り向けば、表情は見えないけど、ぎゅっときつく唇を引き結んでいるのは分かった。テト? と名前を繰り返せば、テトはびくっと身体を震わせて黙ったまま。暫くして「……何でもない」と呟くと、顔を合わせないまま家に向かって駆け出した。
避けたの、謝ろうとしたしてくれたのかな?
「みこさま、はやく。お腹すいたよー」
「あ、うん」
私は多少引っかかりを覚えながらも小さい子供の手を取りゆっくりとそれを追い掛けた。




