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16.鈴音

 次の日から師事して貰った舞は、動きに緩急があるものの、振り付け自体は単調で難しいものではなかった。


 太鼓の音でリズムを取り、踊りながら魔法陣の外側にある六つの模様を間違いなく順番に踏み込む。バレエや日舞を合わせた様なもので、足首に鈴をつける。うまく踊れば動かした足から鳴る鈴が太鼓とぴったりと合い、音楽になるそうだ。


 朝は食事を取った後、初日に部屋まで案内して貰った老神官に先導され祈りの間に入り張りぼての神に祈る。これが酷く億劫で何度欠伸を噛み殺したか数え切れない。けれど察するにサリーさんはこの時間に食事を取っていて出来るだけ長く籠もる様にしていた。


 けれどもそれが老神官は、熱心に祈りを捧げている、と、取りそれを周囲の神官に触れ回っているらしく、私は信心深い神子だと噂されている。


 それから少し休憩し、神官長に儀式の踊りについて教えて貰う。急な用事で途中で抜ける事はあるが、練習は初日から空く事なく毎日行われた。


「……あ」


 陣の円の外を踏み抜いた事に気付いて、伸ばしていた腕を下ろして足を止める。それを咎めるように遅れて、しゃん、と鈴が鳴った。


 小さく溜め息をついて足の動きをもう一度攫う。俯いた額から汗が流れ袖で拭う。

 ……簡単に出来ると思っていた訳ではなかったが、最初に神官長に見せて貰った時に感じたより難しいものだった。


 簡単に見えて難しい、と言うのは、見本を見せてくれた神官長がそれほど上手いという事なのだろう。

 視線は常に真っ直ぐ前に上げていなければいけないので足の位置がずれ、そして鈴の音もお手本通りに綺麗な余韻を持って響かない。


「少し休憩しましょう。今日は随分日差しが強い」


 神官長がそう言うと、そばで控えていたサリーさんが日除けの薄い布と飲み物を手に駆け寄ってくる。

 神官長はどれだけ失敗しても声を荒げて怒ったりせず、少しでも前より上手くなった所があれば誉めてくれた。穏やかに見守り的確にアドバイスをくれる彼は教師として優秀だろう。ともすれば冷たく見える整った顔は穏やかな笑みを絶やさないので、最初はこちらまで伝わる程緊張していたサリーさんも、五日目にして慣れた様だった。


 袖や裾が広がった衣装が汗で身体に張り付く。運動するならズボンが良いと思ったが、今身に付けているのは、長いフレアのロングスカートだ。本番にはスカート部分に幾つも布が重ねられるらしく裾の捌きが難しいとの事で、それに慣れる為にもスカートらしい。


「熱心ですね」


 果汁が少しだけ絞られた水を口にして、用意された椅子に腰掛けたまま腕の動きを浚っていると、その様子を見ていた神官長様が穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「そうですか?」

「イチカ様は就寝前にも動きを浚っているんですよ」


 私が首を傾げれば、ほんのり柑橘系の匂いがする水のお代わりを注いでいたサリーさんが口を挟んだ。

 そうなんですか、と少し驚いた様に瞬きした神官長は、長い髪をさらりと後ろに流し笑みを深めた。


「そこまで熱心に覚えて頂けて教える方としては嬉しいです」


 ……熱心なのだろうか。

 確かに手持ち無沙汰になると、部屋でも外でも動きを浚っている。本来身体を動かす事はそれ程好きではなかったが、ただ踊っている間は、ステップと動き以外の全ての事を忘れられるから、それがサリーさんには熱心に取り組んでいる様に見えるのだろう。


 ……神様と同じ位張りぼてな『イチカ』。


 なのに周囲の人間はそれを信じ儀式に意欲的かつ熱心で信心深いと思っている。それは自分にとって歓迎すべきものなのだろう。


 ――砂を噛む様な思いは確かにあった。けれどそれを遥かに凌駕する復讐の甘さに酔いしれる。



「忙しいレーリエ様にここまで時間を割いて貰ってますし、それに」


 神官長様によく似た微笑みを浮かべて、首を傾ける。舞いの練習が始まってから五日経ち、最初に比べれば神官長様ともお互い名前を呼び合う程に打ち解けた。そもそも神官長は王子と違い最初から私に好意的だった事も大きいだろう。恐らくは、この世界に引きずり込んだ張本人であるし、細やかな気遣いから察するに、僅かでも罪悪感を抱いている可能性が強い。


 にっこりと無邪気に笑い、黒く淀んだ醜い悪意を綺麗に隠して私は言葉を続けた。


「だってほら、私の肩に掛かってるんでしょう世界平和」


 ぴくり、と僅かに神官長の表情が動いた。


「突然連れてこられた時はびっくりしましたけど、お姫様も、……王子様だって仲良くしてくれて、お城でも優しい人はたくさんいたし」


 後ろに控えたサリーさんを見れば、嬉しそうに表情を綻ばせる。

 笑みを返して真っ直ぐに視線を戻せば、それとは逆に神官長の目が微かに伏せられたのが分かった。


「レーリエ様もこうして一生懸命教えて下さいますし、私に親切にして下さった人達の世界を私が救う事が出来るなら、頑張りたいです」


 伏せられた睫毛が震える様に動いて、ゆっくりと向けられたら瞳は酷く揺れていた。一瞬だけ隠しきれず泣きそうに歪んだのが分かって、胸に溢れたのは、喜びだった。




 ねぇもっと。


 もっともっともっと哀れんで。

 何も知らずに、ただ殺される為に頑張る、なんて言ってる馬鹿な人間を前に、


 死にたくなる位に哀れんでくれれば、



 私は満たされる。





「……あ、そうだ」


 いつまでもその表情を見ていたいけれど、あまり引っ張ってこんな所で終わらせる訳にはいかない。それにサリーさんの前でもある。


 今思い出した、とばかりに手を打って、神官長様から自然に視線を逸らした。


「もう少し狭い部屋ありませんかね」

「……何か不備でもありましたか」


 一呼吸置いてそう尋ねてくる表情は、完全に居を突かれたものだ。


「いえ、ちょっと広すぎて落ち着かなくて」


 後は切実にサリーさんの掃除が大変そうだから。無駄に部屋が四つもあるし、二日に一度は神官がやって来て掃除や身の回りの世話なんかを申し出てくれるのだが、いかんせん働かせるのを躊躇う位高齢なのである。若い神官でないのは気遣いなのか、王城からの指示なのか――どちらにせよ、部屋は寝室と応接間さえあれば事足りる。


 サリーさんも私同様戸惑い、それこそ気を遣って仕事を振っているし、部屋さえ狭くなればサリーさん一人でも何とかなるだろう。


 実は前に王城から侍女をもう一人呼んで貰いましょうか、と尋ねたけれど、サリーさんは「不自由をお掛けしていますか?」と逆に問い掛けてきた。慌てて首を振ると、サリーさんは「では私一人でも大丈夫です」と、きっぱりと断ったのだ。


 そのいつにない強さを意外に思いつつも、自分一人では力不足だ、と王城の人間に思われるのが嫌なのかもしれない、と思いついたんだけど、何となくそんな理由では無い気がした。


 それで結局部屋を少なく狭くして貰ったなら負担を掛けずに済むかな、と思ったんだけどなかなか言い出す機会が無かったのだ。


「分かりました。では来賓室の一室をお使い下さい。部屋数は三つになります、がその内の一つを侍女部屋としてサリーが使えばいいでしょう。……そうですね、今のお部屋のほぼ半分位の広さかと思います」


 ほぼ理想的では無いだろうか。サリーさんには何度となく広い部屋は落ち着かないと話していたから、反対される事は無いだろう。


「いいですね。正直広過ぎて少し淋しいと思ってたんですよね。食事も一人だし」


 二日目位にサリーさんに一緒に食べてくれませんか、と声を掛けてみたけれど、とんでもない事でございます、と勢いよく首を振られた。


「……淋しいですか」

「ええ、向こうの世界では友人や……家族と揃って食事をする事が当たり前でしたから」


 最初は本当。最後は嘘。

 学校の食堂でのランチは賑やかだったけど、お姉ちゃんが入院し、お父さんは手術前後に休みを取るために遅くまで会社にいてここ暫く一緒に食事なんてしていなかった。


「それでは夕食を一緒にとりましょうか。その後予定が無ければ儀式のおさらいも付き合えると思います」

「いいんですか。お忙しいのでは」

「いえ、少しばたばたしていましたが、孤児院を任せられる人間も見つかりましたし、時間に余裕も出てきましたのでお気になさらず」


「じゃあぜひ。嬉しいです。一人で取る食事は寂しくて。ありがとうございます」


 はしゃいでお礼を言うと、神官長は穏やかに微笑んで、いえ、と首を振った。


「では後一回通して終わりにしましょう。今日は珍しく雨が降りそうですし」


 はい、と元気よく返事をして私は膝元に置いていた水筒を脇に避けて陣が描かれた庭へと足を向けた。




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