15.小さな手
――朝、だ。
賑やかな鳥の声が近い。
上半身を起こすと、慣れない寝台に軋む身体をゆっくりと伸ばして、力を抜いた。
「おはようございます。早いお目覚めですね」
寝台をぐるりと囲った紗幕に映った影が大きくなってサリーさんの声が掛かる。
「んー……おはようございます」
重い瞼をこすりながらそう返事をし、カーテンを引いて答えれば、言葉通り部屋はまだ薄暗く、まだ外の光は微かに赤が混じり合っていた。冬に近付き、日の入りは遅くはなって来ているがまだ早い時間だろう。
「食事の用意をしてきますわね」
「うん、あ……忙しそうだったら手が空いてからでも」
私の言葉に、手早く紗幕をタッセルで纏めていたサリーさんは口元を手で覆い、くすりと笑う。
「料理長とはいえ神殿の人間にそんな事を言えば私が叱られてしまいますわ」
「そっか……じゃあ、サリーに任せます」
やはり神殿関係者は際立って信心深いのだろうか。
そんな会話をしながら、大きな寝台から這いだし立ち上がると、サリーさんはてきぱきと顔を洗う盥と手拭いを用意してから、部屋を出て行った。
顔を洗って少し迷って寝室の隅に綺麗に揃えられた衣装に視線を向ける。昨日見た通り頭から被るだけの簡素な服なので、恐らくサリーさんの手を借りずに着る事が出来るだろう。
裸足のまま、鏡の前に立ち下着を着けて頭からすっぽり被って顔を出した。……思っていたよりも着心地は悪くない。裾が捲れてないか首を回してチェックした後、改めて鏡と向き合えば、まるで小さい子のパジャマの様でちょっと困った。
「……あ、ベルトか」
衣装が入っていた箱を覗き込み、ベルトを手に取ろうとしたら、その下にまた一枚ショールの様な布が指に当たり、広げてみる。向こう側が透けて見える程薄く、細長い。
……そう言えばベルトの下から可愛い結び目が見えていた気がする。
サリーさんを思い出し、取りあえず細く折って腰に回して結ぶ。
最後にベルトらしき厚い布を手に取った所で、ワゴンを引いたサリーさんが部屋に入って来た。
「まぁ、お手伝いしましたのに」
「とりあえず、こんな感じかな?」
くるりとその場で一回転すると、サリーさんはワゴンを脇に寄せ私の前に立つと腰を落としだらりと落ちていた紐を複雑な形に編み込んだ。それがさり気なく見える様にベルトを巻き、胸の下で金具では無く紐で閉じていく。
「わ、可愛いですね」
白地のワンピースに薄い桃色の飾り紐がよく映えている。改めて端を開く事で花の形になった結び目を見下ろしてそう言うと、サリーさんは誇らし気に少し胸を張った。
「これ位なら許されると思います」
そう言って立ち上がると、サリーさんは上から下まで視線を流し、満足したように頷いた。
サリーさんが持って来てくれた朝食は、草粥の様なものだった。
お城では見なかったからお米なんて存在しないと思っていたけど、少し小さいもののちゃんとしたお米の形をしていて、確かめる様にスプーンで掬ってはじっと見つめてしまう。
「これ、私の世界の、……国の主食だったんです」
味付けこそ違うものの、馴染んだ食感に少し嬉しくなって給仕をしてくれているサリーさんに話し掛ける。サリーさんは、手にしていた皿を置き、改めて私の手元を覗き込んだ。
「まぁ、そうなんですか? 腹持ちがいいので男性に好まれてますし、甘く煮たものは女性にも人気なんですよ」
「へぇ……」
銀のスプーンで掬って、その粒々をまじまじと見つめる。お城でも出て来た野菜や果物はそう変わらなかったし、探せば醤油や味噌だって似た様なものは存在するかもしれない。
食事が終わると、サリーさんは私の身の回りを整えた後、私がいる応接間以外の部屋の整理と掃除を始めた。一人だと大変そうなので手伝いを申し出てみたものの、予想通り断られて、手持ち無沙汰に持ち込んだ本を捲ってみる。忙しなく部屋を横切るサリーさんの姿が声が届く様に少しだけ開けたままの扉の隙間から見えて溜息をついた。
……手伝わせてくれたらいいのに。
年上の女の人を働かせている横で、自分は読書なんて居心地が悪過ぎて頭に入らない。早々に溜め息をついて本を閉じる。言われるままにサリーさんだけを連れて来てしまったけれど、あと一人位城から手伝いに来て貰った方が良かっただろうか。
希望すれば恐らく叶うだろう。ここに女性の姿は少なく、神殿から用意して貰うよりも、サリーさんも面識のある同性の仕事仲間の方が何かと気を遣わずに済むだろうし。
「サリー?」
聞いてみようかな、と隣の部屋を覗けば、既にそこに彼女の姿はなかった。
この部屋はサリーさんの部屋にも繋がっていて、そちらの方から外に出る事も出来る。
掃除道具でも借りにいったのだろうか。少しだけ、と思って部屋を出ると、廊下はしんと静まり返っていて人の気配はない。
サダリさんが護衛として着いていく事も出来る、と言っていたからお城でいる時と同じようにつかず離れずの距離でここでも護衛が付くのかと思っていたけれど、神殿側からその紹介はなかった。今もその気配すら感じられず、もしかしたらいないのかもしれない、と思う。
確かに、神殿の入り口や周辺はたくさんの神官に守られ、厳重だった。
しかし奥に進めば進む程、人通りも無く静か過ぎる程だ。外の護衛に絶対の自信があるのか、それとも神殿独自のセキュリティーを持っているのか。
……まぁいいか。
もしその辺に潜んでいたとしても、ただ散歩に行くだけだ。寧ろ危険な場所にでも出れば、さすがに姿を現すだろう。
迷う事なく足を進めて、ひとまず昨日通って来た道を戻っていく。
神像が安置された部屋と同じ位この部屋も随分奥にあるらしく、長い廊下を進んでも結局誰にも会わなかった。
ようやく出口らしき場所に出れば、向こうの建物に繋がる渡り廊下らしき場所に出た。緑溢れる中庭の東屋の壁に張り付くように黄色い頭と赤い頭がひょこりと頭を出していた。
「……子供?」
思わず漏らした呟きが聞こえてしまったらしい。黄色い方がぴょこんと上に跳ねて振り向いた。しっかり視線が合えば驚いた様に、目を見開き、ぱちぱちと何度か瞬いたのが遠目にも分かった。
五歳位だろうか。少し垂れた目が大きくて、女の子みたいな可愛い顔をしている。
「っわ! テト兄ちゃん!」
男の子は、すぐそばにいるもう一人男の子の袖を引っ張っる。
「おい、引っ張っるなって……ん? ぅわっ」
こっちは十歳位だろうか。驚いて立ち上がった男の子は遠慮の無い視線を向けてきた。
「ここは女が入っちゃいけないんだぞ。……ってなんで女なのに神官の服なんて着てんの」
隣の男の子とは真逆に吊り目がちの赤毛の男の子はしっかりと小さい方の手を握り直して胡乱な目で私を見上げる。
礼拝に来た兄弟だろうか。でもちっとも似ていないし、何より髪色が違いすぎる。
「入ってもいいって許可して貰ったの。あなた達は何してたの?」
少し迷ってその場でそう答える。自分から『神子』だと言うには未だ抵抗もあったし、嘘は言っていない。
「あなたじゃなくてレミーだよ! かくれんぼしてたの」
答えたのは赤毛の男の子では無く、小さい方。
「あのねーお兄ちゃんがここなら絶対見つからないからって」
「……確かに見つからないね」
無邪気に笑ってそう言った男の子……レミーに頷き、周囲を見渡して笑う。
確かに緑も死角も多い。隠れんぼするにはうってつけだろう。むしろここまで来たら反則に近いものがありそうだが。
少しずつ歩み寄ってみるが、兄弟に逃げる様子はない。
近付くにつれ赤毛の男の子は苦虫を噛み潰した様な顔で唇を尖らせているのが分かってまた苦笑する。さすがに無邪気には笑えない位にこの『反則』を自覚しているのだろう。
「おねーちゃんも一緒に帰る?」
「一緒に?」
「お家、そこなの」
「レミー、『お家』じゃねぇよ。コジインだ」
テトはさっきとは違う少し大人びた様な苦い顔をして言い直した。その意味と二人の関係にようやく気付いて、私は口を挟まずに黙って二人の会話に耳を傾けた。
「だって先生は、『おうち』って言ってたよ……ね! おねーちゃんっ、今の時間なら神官長様にも会えるんだよっ」
「神官長様が?」
「うん、すっごくキレイなんだ」
うっとりした顔で付け足された感想から察するに間違いなく神官長だろう。
神官長が、孤児院にわざわざ?
「へぇ……私も行っていいかな」
何かあるに違いない。
敷地内にはかわらないし、すぐ戻ってくれば良いだろう。サリーさんゴメン、と心の中で謝って私は、大きい方の男の子に尋ねた。
「別にいいけど……。じゃ、案内する代わりに、ここに隠れてた事」
「うん、言わない」
真面目な顔で頷いて見せると、ようやくほっとしたらしく幾らか表情を和ませて、私の方へとレミーの手を引き歩いて来た。
「じゃあいい。案内してやる。俺テト。こいつはレミーだ」
「うん、よろしくね」
手を繋いだままの二人の後を追い掛けて、緑を掻き分けると前を塞ぐ様に白く高い壁が立ち塞がる。到底超えられない壁の高さの、その頂上を目を眇めて探していると、つんつんと裾を引かれて下を向く。
「ここだよ」
レミーの小さな指で示された方向を見れば、なるほど茂みに隠れ子供が通れる位の亀裂があり、その下には穴が広がっていた。 二人なら余裕で通れる広さだが……通れるだろうか。その場にしゃがみ込んでその内側を手のひらで確かめていると、テトがぶっきらぼうに言った。
「向こうにも神官長が使ってる扉がある」
「そうなの?」
一旦立ち上がり踵を上げて目を凝らしても、それらしきものは見つからない。それに公用の出入口なら恐らく見張りもいるだろう。
「うーん、通れないかなぁ」
遠回りするのも咎められるのも嫌で、再び屈んで向こう側へ顔を突っ込んでみる。ここと同じく茂みに囲まれているらしい。いけそうだ、と判断して向こう側の地面に手を置き一気に身体をねじ込んだ。
「ん、いけた」
膝をついて立ち上がって、スカートの埃を払う。
「ねーちゃん、お姫様っぽくないなぁ」
追い掛ける様に穴から顔を出したテトが、驚いた様な呆れたような複雑な表情でそう呟いたのが聞こえて、振り返り肩を竦めてみせた。
「お姫様じゃないからね」
お姫様なんて、自分のどこをどう見ればそう見えるのだろう。
ちょっと首を傾げながら、自分の服を見下ろし、また軽くはたく。
お天気が良くて良かった。土も乾いていて服に汚れはない。
「ふぅん、あ、そっちでレミー受け取ってくれよ」
「あ、うん」
どうやら向こうで抱えているらしい。笑顔で両手を突き出したレミーの脇を両手で抱えて引っ張り込むと、子供のらしい汗と、太陽と草の匂いがした。
そのまま抱きかかえていると、テトは私とは逆に器用に穴から足を出して滑り込むようにこちら側に入ってきた。
「おねーちゃんありがとう! こっちこっち!」
地面に下ろすと同時に駆け出したレミーを追いかけるように、私はテトと一緒によく晴れた日の空の様な青色の屋根に向かって駆け出した。




