13、思惑に潜む熱
神殿への出発は正式に三日後と決まり、慌ただしく準備が整えられた。神殿に女の人は少なく不安もあるだろうからとの配慮で、サリーさんは今まで通り付き添いとして着いて来てくれるらしい。
神殿まで馬車で半日程。サリーさんに世間話の体を保って神殿について尋ねて見れば、月に一度里帰りの為に休んだ時には必ず祈祷に行くとの事だった。特に、サリーさんが熱心な信者と言う訳では無く、街に住む人達は大体同じ位の頻度で神殿に足を向けるらしい。さすが国教、信心深いが故に、たった一人の、異なる世界から来た人間が世界が救うなんていうおかしな話に疑問を持たないのだろうか。
「サダリさんは……」
そう言えば護衛はどうなるのだろう。
ふと思いつき、朝の挨拶の為に部屋にいるサダリさんを見上げて首を傾げると、彼は静かに私を見下ろし少し間を置いてから薄い唇を開いた。
「神殿から護衛が用意されるそうですので、神殿までお見送り致します」
「そうなんですか……残念ですね」
自然と口に出た言葉に僅かにサダリさんの表情が動いた。
「――もし」
彼らしくなく、ともすれば聞き逃しそうな程小さく呟かれた言葉。その後の無視出来ない程の沈黙にサリーが興味深そうな視線を私達に向けた。それが分かったのか、結局サダリさんは何も言わず、いえ、と視線を切って扉へと向かい部屋を出て行った。
「何か言いたかったのかな」
深くソファに身体を沈めて呟いてみれば、すぐそばにいたサリーさんが、扉を流し見て意味深に微笑んだ。
「あの堅物で有名なサダリ様が……案の定と言う所でしょうか」
「ん?」
「……イチカ様はサダリ様の事どう思われてらっしゃいますか」
「……頼りになる騎士様かな?」
注意深く言葉を選んで、そう答えれば、サリーさんは衣装をまとめていた手を止めて振り向いた。
「ふふ、サダリ様は平民ですけども団長の養子入りの話がありますの。不相応だと断り続けてらっしゃいますが、お受けになればイチカ様とも身分的に釣り合いますわ」
返事に困って曖昧に笑う。サリーさんはどうとったのか、笑みを深めて言葉を続けた。
「まぁ時間の問題とも言われてますけどね」
そう言えば何人かの護衛はついているが、きちんと紹介されたのは、サダリさんだけだった。召喚されて間もない頃は、こちらへの気遣いか姿を見せない事が多かったが、今は確認出来る距離に立ち、移動は常に後ろに付き従う。
「寡黙で話術が巧みではありませんが、その男らしい所が良いと侍女の間でも人気があるんですよ」
そう言ってころころと楽しそうに笑うサリーさんが、休み前に別れたクラスの友達の顔に重なった。どこの世界でも恋や異性の話は女の子の甘いおやつだ。
あの時自分は何と言っていたか。友人の話を聞いて自分に置き換えて考えて、応援して。
そう、雰囲気は固く近寄りがたいが、真面目で分かりにくいけれど優しい。今はもう届かない、あの遠い世界で会ったのならば、私は彼をどう思ったのだろうか。
「かっこいいですもんね」
「まぁ」
少し驚いた様に手を止めて私を見たサリーさんに気付き、曖昧に笑ってみせれば、彼女は何故か嬉しそうに顔を綻ばせた。
――賢者に聞いてみようか。
神殿へ行く前に一度訪ねると言っていた。今日か明日か恐らくどちらかには顔を見せるだろう。
「イチカ様?」
話半分になっていたらしいサリーさんに名前を呼ばれて、顔を上げる。ぼうっとしていた事を神殿に向かう緊張だと取ってくれたらしく、早めに寝台に入る事を勧められた。
夕食もそこそこにシーツの中に潜り込む。枕元にあったぬいぐるみを抱き締めて幼い子供の様に小さく丸くなって目を瞑る。
数分か数十分かそれ程長くない時間が過ぎて、吹き込んで来た冷たい風が部屋の空気を動かした。
「――賢者?」
予想通りそこには闇を纏った賢者が立っていた。
「あ、何だよ、眠ってたんじゃないのか」
気配から分かっていただろうにわざとらしく肩をそびやかして、ゆっくりと歩み寄る。
「聞きたい事あるんだけど」
「ん、麗しの騎士の事だろ?」
にやりと笑って顎で扉を指し示す。
サリーさんのふわりとした微笑みと違って完全に人を喰った笑いだった。何故分かったかなんて聞いても仕方ない、けれど妙にそれが腹立たしく思える。
「あいつは――」
* * *
「――、……」
声が聞こえた。
冷たい指先に温かな熱を感じて、ふわり、何かが撫でてくすぐったい。
「……おねーち、ゃん……」
「もう寝なさい」と叱られて、同じベッドに潜り込みシーツの中で冷たい手足を押し付けあって、きゃあきゃあ騒いでいた。
最後は、おねーちゃんだからって、ぎゅうっと抱き込まれて手も身体もぽかぽかになった。……ねぇ今ならちゃんと言えるよ。
「………と…う」
「――様」
抑えた呼びかけに、一瞬で目が覚めた。
……ああ、現実はこんなにも酷く冷たい。
視界にはサダリさんがいて、目が合うとすっと一歩下がって、目を伏せた。
「お休み中に申し訳ありません。今、何か物音がしましたが」
物音?
サダリさんしかいない暗い部屋の中を見渡して、思い出す。
――どうやら賢者と話している途中で眠ってしまったらしい。
「何か落ちたのかな?」
部屋の様子を窺うが特に変わった様子は無い。
それにしたって、今まで賢者の気配に気付かれた事なんて無かったのに。賢者が何か落として、慌てて逃げたとか? 一瞬そう思ってすぐに否定する。そんな拙い失態と賢者がとても結びつかない。
それよりも。
(どこまで聞いたっけ?)
注意深く記憶を攫って、ほっとした。
――うん、大丈夫。
肝心な所はちゃんと頭に残ってる。
厳しい目で窓や寝台の影やらクローゼットを検分していたサダリさんは、本を手に戻って来た。
「これが落ちた様です」
神殿から用意された本が二冊。応接間に置いていたはずだが、それが何故寝室にあったのか。
(サリーさん、かな)
荷物を整理してくれていたので、出発まで使いそうなものをより分けてこちらに運んでくれたのかもしれない。
「ごめんなさい。中途半端な所に置いてたみたいですね」
「いえ、何事も無く良かったです」
本を大きな手の中でまとめてテーブルの真ん中へと置くと、注意深く部屋を見渡し影になる部分を一つ一つ確認していく。
「ここで寝ずの番します?」
その生真面目さに苦笑して、そう尋ねると、サダリさんは窓の下を覗いていた顔をあたしに向けた。
「……そのような軽率な言動は控えて下さいとお願いした筈です」
以前とは違って微かに言葉尻に苛立った様な感情が滲む。
彼の中でどういった変化があったのか。どちらにせよ、相手にされず流されるよりは好ましい。
敢えてその理由を聞かずシーツから抜け出すとサダリさんの前に立った。起きたばかりだと言うのに手足が凍る様に冷たい。
「サダリさん、今まで護衛してくれて有り難うございました」
深く頭を下げてお礼の言葉を贈る。少したじろいた様な気配の後、「顔を上げて下さい」との声が上から降って来た。
「それが私の仕事ですから、あなたがそんな風に頭を下げる必要はありません」
「でも色々気を遣って貰ったと思うし、……夜中も話し相手になって貰っちゃったから」
予想通りの答えに笑って首を振る。
「……もう、大丈夫ですか」
ぽつりと落ちた言葉。何が、とは聞かなかった。
部屋には明かりも無く、赤い月も細くて暗く、少し離れただけで輪郭も見えなくなる。少し近付いたサダリさんの言葉が静かな部屋に響いた。
「もし――望んで下さるならば神殿に滞在中も護衛としてお側にいる事も出来ます」
意外な言葉だった。
だって賢者から聞いた話では、彼は。
「……さすがにそこまで迷惑を掛ける訳には」
「迷惑などでは」
「本当に?」
言葉を遮り、一歩踏み込んで顔を上げる。
伸ばした手に触れたのは冷たいボタン。尖った顎のラインが動いて、視線が、流れ落ちて、注がれる。
「着いて来てくれるなら私は心強いから嬉しいですよ。でも、さすがに神殿にまで着いてきちゃうと」
一旦言葉を切って、顔を伏せる。
「――逃げられなくなっちゃうよ」
手のひらの向こうの心臓の鼓動が大きく跳ねる。
賢者はこうも言っていた。
平民ながら剣も立ち勤勉なサダリさんは現騎士団の団長に気に入られ、数年前から養子に来ないかと誘われている。
けれど、サダリさん自身は貴族同士の付き合いや位に拘らず剣の腕を磨きたいと思っていて、それを断り続けていた。サリーさんに聞いた通り、私の護衛になったのも、伯爵家を継いだ時の『箔付け』の為で、団長が半ば無理矢理議会に通したらしい。
そして『神子』の未来を知らない団長は、あわよくばサダリさんと『神子』である私を一緒にさせて、伯爵家の権力保持の為に二人を取り込もうとしている。
城の中ならともかく神殿にまで着いて来てしまえば、若い男女の事、妙な噂を立てる人間も出るだろう。思えばサダリさんの他は、年配の騎士が配置されており、日中はほぼサダリさんが付いている。慣れない世界で精悍で見た目の良い騎士に四六時中守られていれば、若い娘ならそれなりの感情をその騎士に抱いてもおかしくは無い。
結局、色んな人の思惑に私は利用されている。別にどちらでも、どうでも良い。けれど。
サダリさんが神殿まで着いて来てくれると申し出てくれたのは、同情か愛情かまだ分からない。けれど私の中のボーダーラインは超えた。
「……私、手習いが終わったらまたここに戻ろうと思います」
静かに言葉を続けると、サダリさんははっとした様に顔を上げた。
だから時間をあげる。
距離を置く事でただの気の迷いだと片付けられても、その間心と頭に占めるのは『イチカ』の事だ。
「おやすみなさい」
にっこりと笑って目を瞑って、もう話す事はないと言外に示せば、しばらくして音もなく扉が閉まる気配がした。
それからあっと言う間に準備は整い、私はわざわざ城門まで見送りに来てくれたらしい王子とお姫様に見守られ、国旗の掲げられた立派な馬車に乗り込んだ。
隣に平行して馬を操るサダリさんともあれ以来、個人的な会話はしていない。
けれど物言いた気な視線は常に感じるから、きっと私が蒔いた種はどんな形にせよ彼の中で芽吹くだろう。必ず様子を見に行く、と約束してくれた王子とお姫様の様に。
道中何事も無く、私はサダリさんの痛いほどの視線を背中に感じながら神殿へと足を踏み入れた。