魔術
メイドの朝は早い。
朝日が昇るくらいにベッドから出る。
まずは自分の部屋を掃除する。そしてリビング、玄関の掃除。カーテンは開けておく。そして朝ご飯を作る。今日のメニューはサラダに薄く切ったベーコンをカリカリに焼いて、少し炙ったパンの上に焼いた卵とともに乗せる。スープは玉ねぎと人参、腸詰を細かく切って、塩と胡椒で味付けをする。
この食材がどこから来ているのかは、私には分からない。
そうして出来た朝食を、師匠とともに食べるべく、私は師匠の部屋の前へ行った。
トントントン、と三回ノックする。中から返事は聞こえてこない。
「失礼するわよ?」
寝ていて聞こえないだろうと思ったが、一応声はかける。
彼の寝室は、真っ暗で何も見えなかったが、手探りで彼の寝ているベッドの近くまで歩く。大体の場所は把握済みだ。
「師匠、師匠、起きてください、師匠師匠。起きなさいほらほら」
「むぅ……せめて、太陽が……真上?に、来る頃に……起こして、くれ……」
「師匠、カーテン、開けるわよ?」
「カーテン、開け、……やめ、……おい、で、弟子よ……」
そんな制止を受けていたら日が暮れてしまうので、私は問答無用でカーテンを開ける。
白い雪が、吹雪いている。あまりに小さな光でも、真っ暗な部屋で寝ていた師匠にとっては大事件だ。もちろん、私がこんな真っ暗な部屋で、どれほど寝たい気分だったとしても、こんな些細な光に過剰に反応することは無いと思うけれど。
「師匠、起きたわね、行くわよ、リビングに」
「あ、ああ……早起きは、健康に、良い……よな」
朝の師匠は大人しい。
「おい、弟子よ……。お前、何か思い出したか?」
「思い出したこと……取り敢えず、私はヴァイオレットが嫌いだということは思い出したわ」
「なぜ……。まあ、いい。何か思い出したら、言えよ」
「分かってるわよ!料理のことは何故かできるし、息の吸いかたも、瞬きの仕方も覚えてる。魔術がこの世に存在するっていうのはなんとなく、概念?だけは覚えているわ。でも、」
「自分自身に関する記憶を消されたんだろ?お前、その若さで、というか、幼さで一体何をしでかしたんだ?普通、そんなことは更生の余地のない者がされる罰だ」
「そ、そうなのね……」
私は何かやらかしたのだろうか。過去の私。思い出したいような、思い出したくないような……。
師匠が食事を終えると、さっさと研究室へ行ってしまった。
その間に私は師匠の部屋を掃除する。まったく、どうしてこうも埃というものは毎日毎日出てくるのだろう。
そうして全てメイドとしての仕事が終わったのは師匠が起きたがっていた太陽が真上に上がるころだった。昼食は、師匠は要らないと言っていたので作らない。別に私は食べなくても平気なようだ。
師匠は夕食の時間まで研究室から出てこない。故に私は勉強する。
師匠は私に10冊の本を貸してくれた。
魔術についての本だ。これを、私はひたすらに読み、覚える。
魔術は、人の力であり、言葉の力でもある。精霊の力を借りているわけでもなければ、神様に願って起こしている奇跡でもない。人の本来の力。しかし、古代の人々は、魔術を使える人が極端に少なかったらしい。今みたいに呪文も無く、大衆が手軽に使えるものではなかった。今では、初歩の初歩とされる魔術でさえも。
しかし、それをどうにかして、人々が皆魔術を使えないかと思った魔術師が居た。その魔術師は、人の魔力が見える魔眼持ちで、最初は人の周りになにか靄のような、様々な色の何かが浮かんでいるのが見えていて、それは何だろうと思っていたが、力のある魔女おどその靄がとても美しく、綺麗であったため、それは人が持つ魔力のようなものだろうと結論付けた。しかし、そうなるとおかしな事実が浮き彫りになった。
『人は皆、魔力を持っているのに、使えない者がいる』
その魔女は、魔法を使えないとされている人も、どんな人も、多かれ少なかれ、魔力を持っていることに気付いたのだ。ではなぜ、それを使えない者がいるのか。彼は考えた。そして、ある答えに行き着いた。
『魔力はあっても、放出できない』
そう。人には魔力があっても、それを無意識に放出できる人と、そうでない人がいるのだ。
そこで彼は、言葉に魔力放出の魔術をかけた。それをつぶやいて、そして念じれば、魔術を使えるように。
この本には、そんな”原始の魔女”の話が書かれている。
そして厄介なことに、彼は本を書いた。
それが、ここにある、9冊の本だ。
本当に、厄介だ。彼は非常に几帳面な性格だったらしく、本の内容は、非常に、事細かに書かれている。初級魔術から、上級魔術、魔法の作り方、魔物の性格、生息地、倒し方、薬の作り方など。なんだ貴様は。万能だったのか?魔術の呪文を作り、魔物を狩り、薬を作り、調合する。人の、短い人生の中で、一体どうしたらそこまでのことを成し遂げられるのか。
まあ、私はひたすらに本の内容を記憶するだけ。
元倉庫の現自室で、私はひたすらに本を読む。
午前中にメイドとしての仕事をして、午後は本を読み、夜に師匠のご飯を作ってまた本を読む。
その繰り返し。
「なあ」
「何よ」
師匠が夕食のときに話しかけてきた。
「お前、俺が貸した本読んでるか?」
「もちろん、読んでるわ。寝る間も惜しんで」
「いや、寝る間は惜しんでくれ。……そうだ、じゃあ、なにか覚えたことを披露してくれよ」
師匠はいいことを思いついたと言わんばかりのニヤニヤ顔で言ってきた。
これは本当に私が本を読んでいないと思っている。くそ。
私は、二冊目から暗唱することにした。
「いくわよ……」
「おう、ちゃんと覚えているか、見せてみろ」
「”原始の魔女”著、初級魔術」
師匠の表情が、訝しげに歪んだ。
大丈夫、覚えているから。
「初級魔術、水球。この魔術は水の球を出すことが出来る魔術である。火球も同様、火の玉を出すことが出来る魔術である。この二つの魔術は、比較的イメージしやすく、魔術を使用するにあたって必要になる、念じるという行為を行いやすい。まず初めて魔術を使うのなら、この二つのどちらかをおすすめする。では、次に土塊だ。これは、土の塊を生み出すことが出来る。石塊というものもある。ただ、注意して欲しいのがこれらの魔術は、使用者の魔力量によってその効力や濃度、大きさ、密度が変わってくると思ってくれて良いということだ。しかし、何も恥じることは無い。魔力は使えば使うほど成長するのだ。ほんと僅かではあるが。しかし訓練すれば、それ相応の結果を得られるだろう。それでは水球のイメージ方法を説明することにしよう。まずは」
そこまで話したところで、ストップがかかった。
なんなんだ、と思ったが、師匠が非常に驚いたような表情をしていたので、私も少し驚いてしまった。
「お前……凄い」
「凄い……?何がよ」
「いいか、お前には他の人間の記憶が無いかもしれないが、俺が知る限り、お前のように本の内容を、一言一句違えずにいうことの出来る奴なんて、居なかった」
「え、じゃあ、師匠は?」
「俺が、そんなこと、出来るわけないだろ。俺は実技で点をかなり稼いでいたからな」
「記憶力が良いってことかしら?」
「そういうことだ。どのくらい覚えてしまったんだ?」
私は正直に、5冊、と言ったら、また驚いた顔をして、少しだけ微笑んで、頭に手を当ててきたからグリグリされるかと思ったら、なんと、撫でてきたから、驚いた。
「お前もなかなかやるな」
とか言って。
変態か。