28 星の天地開闢に来たる大落星、『神の涙』惑星ティア
「これは……マズいのじゃ」
エーデルが焦った様子で言った。
ジズに蹴り飛ばされたシャルラッハの元へ急いで駆けつけて、すぐに診療を開始したのだが、瀕死の重傷を負っていたことに気づいたのだ。
大魔法使いのエーデルは、解毒などの治療系の魔法を得意としている。そのため、医療知識に関してはそれなりに造詣が深い。
「ど、どうマズいのですか!?」
座り込むシャルラッハを支えているアヴリルが言った。
よほど心配なのか、珍しく冷や汗を流している。
「肋骨が何カ所も折れておる。それが内臓に突き刺さって……ぬぅ」
吐血し続けるシャルラッハを診るなり、言葉を詰まらせた。
「アヴリルはそのまま体を固定じゃ。エリクシア、薬はいくつ持っておる!?」
「重傷回復薬がふたつです……ッ!」
腰に括っている鞄をゴソゴソと探り、小瓶に入ったハイポーションを急いで取り出したエリクシア。
薬の類いはエリクシアに一任してある。
闘い専門のクロとシャルラッハ、そしてアヴリルは激しく動くため、割れやすいものは出来るだけ持たないようにしていた。
基本的にパーティでは、魔法を使う後衛に瓶などの小物を持たせることになる。
「くッ……少ないのぅ。せめて完全回復薬があれば……」
フルポーションはグレアロス砦で大量に在庫を抱えていた。
副団長のマーガレッタが分けてくれようとしていたが、これからの砦のことも考えて断ったのが逆に仇となった。
エリクシアが持っているのは、旅途中で買ったハイポーションふたつのみだった。
不死のクロはポーション系の回復は必要ないので、重量も考えて手持ちは少なめにしていたのだ。
「テッタ、アンナ! そなたらは!?」
「す、すみません……今は包帯ぐらいしか……」
「よし、それを寄こせ!」
「はい!」
エーデルの指示にそれぞれがテキパキと行動を開始する。
「カハッ……ハァ……ハァ……」
吐血が止まらないシャルラッハ。
エーデルはシャルラッハの服を胸元までめくり上げ、その肌を露わにする。
白い肌を侵食するように、青紫に染まった脇腹の肌。
「ぬぅ……内出血が酷いのぅ」
エーデルは彼女の脇腹にゆっくりと手を添える。
「ぐッ……い、痛いじゃないの……」
シャルラッハが苦悶の声を上げる。
しかしエーデルは鼻を鳴らして言う。
「我慢せい。これから、わらわの魔力を流し込むのじゃ。どれほどの負傷があるか、そなたの体内を直接触診するのでな」
「そんな無礼なことをされるのは、初めての経験かしら……」
「軽口を言っておる場合か。痛みでそれどころではないじゃろ。意識を保っておるのも意味が分からん……気絶した方が楽じゃろうに」
「……ふん」
「意地か。まったくバカ者が……普段は冷静なクセに、なぜあんな挑発に乗ったのか……」
シャルラッハが激昂して突撃した理由は、エーデルにも分かっている。
しかし言わざるを得ない。
シャルラッハのケガは命に関わるほどの重傷だった。
このまま放っておけばまず間違いなく死ぬほどの。
「お小言は結構。反省はしておりますので……それより、治すならさっさとしてほしいものですわ」
「こんなケガがさっさと治るものかアホめ! フルポーションでも無理じゃ戯け! 見ようによっては致命傷じゃぞ、これは。下手な医師に診せれば匙を投げるほどのじゃ!」
「でも、あなたは治せるんでしょう?」
不敵な笑みを浮かべるシャルラッハ。
挑発的とも取れるそれを見て、エーデルもまた不敵な笑みを見せた。
「わらわを誰じゃと思うとる。かの高名なエーデルヴァインじゃぞ。ナメてもらっては困る」
言って、シャルラッハの体に自身のエーテルを流し込む。
「く……ッ」
自分以外のエーテルが体に入り込んで、シャルラッハが苦悶の呻きを噛み殺す。
「…………」
極限まで集中しているエーデルは、シャルラッハの状態を把握していく。
やはり深刻な状況だった。
ジズに蹴られた側の肋骨が3本折れており、臓器に突き刺さっているものもある。見たとおり内出血が酷い。
これでは治ってもしばらくは食事を取ることさえ難しい。
幸いにして心臓付近にはダメージが無い。
だがそれでも、生命に危機が迫るほどの危篤な状態であることには変わりない。
「エリクシア、ハイポーションをアヴリルに1本渡せ。残りの1本は包帯に浸しておくのじゃ」
「はい!」
「アヴリル、ハイポーションを少しずつ、数滴ずつシャルラッハに飲ませよ。吐いても構わんから、施術が終わるまで無理やり飲まし続けるのじゃ」
「はい……ッ!」
「テッタとアンナは、あちらの様子を見ているのじゃ。エルドアールヴはこちらに気を配る余裕は無い。石や土が飛んで来たら、体を張って守るのじゃ」
「はいッ!」
「シャルラッハ、そなたはもう意識を手放すのじゃ」
「お断りですわ」
「……ここからは本気で痛いぞ? 何しろ、折れて臓器に刺さっておる骨を、このままわらわのエーテルで抜き、元の位置に戻す体内施術をするのじゃからな。神経に触れずに優しくする余裕は無いのじゃぞ?」
「ええ、それで構いませんわ」
「あくまで意地を通すか。よかろう、もう何も言うまい」
シャルラッハなりに、今回のことを反省しているのだろう。
自分が突っ込んでしまったからこそ、ここまでみんなに心配させている。
それで自分が易々と眠ってしまったら、それこそ無責任に過ぎるのだと。
「…………」
エーデルはシャルラッハの体内に広げていたエーテルを、折れた骨の部分に集約していく。
その途中。
「……?」
シャルラッハの足の付近。
そこに、小さな綻びがあるのが感じられた。
体の中にはエーテルが流れる血管のような、見えない道がある。
それが全身に張り巡らされているのだが、その一部に綻びがあった。
いや、綻びというよりは結びと言った方が正しいか。
例えると、血管がどういうわけか結ばれて詰まって血が流れにくい状況になっているような感じだ。
「…………」
これはおそらくエーテルの暴走から来た後遺症だとエーデルは推測した。
そして、それは事実的中している。
3ヶ月前、シャルラッハは『雷光』で王都の壁に衝突する寸前にエルドアールヴに助けられた。
その時のことをシャルラッハは自分の未熟さによる失敗だと思っているが、実はあれはエーテルの暴走だった。
小さな頃から『雷光』という特殊な戦技を使い続け、やがて体の成長よりもエーテルの成長の方が勝ってしまい起こった暴走。
普通、エーテルが暴走なんてしてしまったら、二度とエーテルが扱えなくなり、再起不能になる可能性が高い。
しかしシャルラッハは幸運かそれとも才能の成せる業なのか、この程度で済んでいる。
そして、この程度で済んでしまっているからこそ、これまで誰も気づかなかった。
いつもそばにいるアヴリルも。
シャルラッハ本人でさえ、その後遺症に気づいていなかった。
エーデルがシャルラッハの全身にエーテルを巡らせてようやく気づけるようなレベルの小さい違和だ。
エーテル操作は非常に繊細である。
こんな小さな結びでも、相当に影響が出るハズだった。
普通なら『雷光』どころか走ることが困難になるほどの。
しかし天才。
シャルラッハはそんな違和を持ちながら自分の才覚だけで乗り越えてしまい、再び『雷光』を使えてしまった。
だからこそ、自分の後遺症に気づかなかったのだ。
それは、才能があるがゆえの不幸である。
「…………」
エーデルは、何の気なしに、施術のついでに、その後遺症の結びを解いた。
シャルラッハに相談もせず、本人の了解も得ずに。
「ん……っ」
アヴリルにハイポーションを飲まされながら、シャルラッハがくすぐったそうに呻く。
「……今、何かしましたの?」
「え!? い、いやぁ!? 別に!?」
明らかに怪しいエーデルの反応。
しかしシャルラッハは、
「まぁ……あなたのことは信じていますの。仲間……ですものね」
そう言った。
「…………ッ! おお、そなた……ッ」
「さっさと続けてくださる? 痛くて堪りませんの」
「わ、分かっておるわ! エリクシア、わらわの施術が終わったら、その浸した包帯を脇腹に当てるのじゃぞ! 内と外の両方から回復させるのじゃ!」
「は、はい!」
「ね、ねぇ! ちょっと!」
そこで、テッタが焦ったように叫んだ。
「どうした?」
「向こう、何かヤバいんだけど!?」
「あ、あれは魔法……なの?」
おっとりしたアンナもまた、その光景に戸惑いを隠せない。
「あれは――」
魔法を扱うエーデルとエリクシアが、
図らずも同じタイミングで言った。
「――『始原の魔法』……ッ」
◇ ◇ ◇
「――『彼方より暗黒を流るる旅路の果て、この星こそが我が終着』――」
自らの血で体を染めたジズが空に浮いている。
浮遊の魔法を使いながら、更に新たな魔法を紡いでいる。
ジズが口ずさむのは魔法の詠唱だった。
これまで高位魔法ですら無詠唱で、更に真名無しで発動させていた。
そのジズの詠唱だ。
彼の背後、その遙か上空には、とてつもなく巨大な魔法陣が出現していた。
「――『涙を濡らし、寒さに凍えて幾星霜。孤独の旅は終焉を迎え……」
ジズが言葉に詰まる。
詠唱の途中で止まるなんて、魔法使いの矜持があるなら絶対にあり得ない。
だがジズに矜持なんてものは一切無い。
「ええっと、何だっけ……まぁいいや。これでもきっといけるよね?」
だからこうして遊びのように、魔法を愚弄する。
「ゲハハ……クロなら詠唱を止めるかと思ったけど、真っ向から立ち向かう気だね?」
ジズが地上にいるクロを見る。
両手で大戦斧を天に掲げ、エーテルを練り上げている。
「――『翼無き愚者は手を伸ばす』――」
極大規模のエーテルが、クロの体から迸る。
ジズは右腕を無くし、更に瀕死の状態だ。
今のジズなら、真っ向から大技勝負をした方が確実に彼を殺せるとクロは判断していた。
絶対にここで仕留める。
そうしなければ、これから先、想像を絶する死人が出る。
ジズはレリティアの災いそのものだ。
最も古くからある絶望の災い。
魔物よりも誰よりも、何よりも優先して殺さなければならない天敵。
それがジズ・クロイツバスターだ。
「それじゃ、いくよ。クロ……」
ジズが左手を天に掲げた。
連動するように、背後の魔法陣が目映い光を放っていく。
「始原魔法――――」
裂けた口でニヤリと嗤い、
ジズがそのあり得ない現象を再現させる。
ジズの後方、遙か上空で、
直系50kmほどに膨れあがった魔法陣が破裂する。
魔法陣は扉だ。
その破裂した中から顔を出したのは、大質量の隕石だ。
「――『神の涙』――」
それは星の記憶の中で最も古い大災害。
星が誕生したばかりの頃。
46億年以上も前。
この星に大衝突した原始惑星ティア。
その衝撃は星誕史上最も凄まじい威力であり、この星の一部を削り取るほどのものだった。
激突により吹き飛ばされた星の欠片と惑星ティアの欠片は、やがてひとつにまとまり、星の周囲を回り、『月』になった。
いわゆるジャイアント・インパクトである。
そして惑星ティアの核は、この星の核とひとつになり『命の海』を形成した。
莫大なエネルギーの塊である『命の海』は、やがて『エーテル』となり、この星を今の形にした。
星の始まりの大落星。
これなるは始原世界を構築した起因。
神の所業なる創世の序。
星の天地開闢を成した、偉大なる神話の現象。
遙か空の彼方から来たる大地の祖。
莫大な力の奔流を生み出した始原最初の自然現象。
隕石よりも遙か巨大な惑星の落下。
これこそが土属性・最強最大の魔法。
自然現象を再現する魔法の中でも最高位に位置する、別格の『大魔法』である。
◇ ◇ ◇
一方、グレアロス砦は大騒ぎになっていた。
外壁の上で空を見上げるのはマーガレッタ・スコールレイン。
そして、その隣にいるのは彼女の妹ヴィオレッタ・スコールレインだ。
「……まるでこの世の終わりのような景色だ」
マーガレッタが空を仰ぎ、言った。
「姉さん……」
ヴィオレッタがマーガレッタの手を握る。
その不安を察し、しっかりと握り返すマーガレッタ。
今度こそは絶対に離さないというかのように。
「大丈夫。私がついている」
「……はい」
既に部下達には命令を下してある。
砦の住人達の避難。
空から顔を出している魔法が落ちたきた場合、最善の手を取る。
ほんの僅かでも衝撃を逸らすため、自分がここにいて『斬空』を放つ。
自分の『斬空』では大した効果は見込めないだろうが、やらないで後悔するよりはやって後悔した方がいい。
「さて……」
そして、マーガレッタは再び空を仰ぎ見る。
魔法の影響なのか、凄まじい突風が砦に吹き付けてきている。
「しかしまさか、ふたつも同時に『始原の魔法』が現れるとはな……」
ひとつはナルトーガ地方の空の上。
もうひとつは、南方の『不吉の森』あたりの空の上。
「こんな時に、団長はどこにいったのか……」
昨日から姿が見えないベルドレッド・グレアロスの愚痴を言いながら、
マーガレッタは空の星を睨んだ。
◇ ◇ ◇
空より来たる暴虐の化身。
惑星ティアによる大落下。
この究極の暴力に対するのは『最古の英雄』クロ・クロイツァー。
「――『天蓋の星へ、ただひたすらに手を伸ばす』――」
この詠唱こそが彼の人生の全て。
諦めることなく、ただひたすらに手を伸ばしたエルドアールヴの人生。
人が人として生きる時間を超越した、不死が手にした努力の結晶。
たったひとりの少女を救いたい。
その想い、その誓いが成した偉大なる奇跡。
ひとりの才無き少年が、二千年もの努力の末に辿り着いた境地。
あらゆる悪を滅ぼし去った、人類最強の英雄の必殺。
幾多もの窮地に立たされながら、それでも勝ち取り続けた栄冠。
「戦技――――」
いつか星に手を届かせるため。
いつか星を打ち落とすため。
いつか星を打ち砕くため。
少年はひたすらに手を伸ばす。
その想いは、どれほどの年月が経った今でも――変わらない。
「――――『断空』ッ!!!」
激烈極まる漆黒の波動が天を断つ。
巨大な魔法陣から顔を出した原始惑星ティアに、音速を超えて立ち向かう。
とどまることない勢いは尋常を超えて。
始原の魔法に真っ向からぶつかり合う。
「ゲハハハハハハハハッ!」
ジズは笑う。
嗤うではなく、笑う。
クロの力を目の当たりにして、なお笑う。
「……ああ、ああ! クロ……君の力は、なんて、なんて綺麗で尊いんだッ!」
楽しげに。
嬉しげに。
本気の賞賛を、唯一のトモダチに。
「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
そうしてジズの笑い声は、『断空』と『ティア』の大激突の爆音によってかき消されていった。




