23 気まぐれジズ君のニコニコ人助け
『剣豪』レオナルド・オルグレンがいた村の次。
ジズが壊した橋の先に、ひとつの街がある。
クロたちが山から遠回りして向かっている街、ナルトーガである。
大きい街で様々な施設があり、グレアロス砦から王都へと戻る行商人らで賑わっている。
剣や鎧などの武具や、回復薬や包帯などの治療品など、砦での売上金を持ちながら馬車で動くため、行商人らは用心棒などの護衛を雇っている。
このナルトーガ付近では、魔物などの襲撃の他に、その売上金や商品を狙う盗賊が非常に多い。
普段ならグレアロス砦から巡回しているグレアロス騎士団の面々らも、彼らを守るために動いている。
ナルトーガの自警団も頻繁に見回っており、比較的安全に移動することができていた。
しかし、今はグレアロス騎士団の巡回が少なくなっている。
ジズが壊した橋、その修理の手伝いに人員を割いているからだ。
橋の修理は大規模な工事になる。
橋はあの村が所有している。
村というだけあって、橋を直せるほどの職人は少ない。
そのため、少しでも早く橋を元に戻すため、グレアロス騎士団が力を貸しているといった状況だった。
ナルトーガの自警団だけでは、行商の守りを完全にすることは不可能だ。
王都へ連絡して、このナルトーガの治安を守るために兵士を派遣してもらうまでの、そのほんの僅かな日程に。
不幸にも、そのナルトーガへの道を進んでいた行商の集団があった。
「ギャハハハハッ!」
野太く行儀の悪い笑い声が、ナルトーガへの道がある荒野に響いた。
ここはナルトーガまで馬車で数時間といった地点だった。
「大漁大漁!」
「おっ、酒が大量にあるぜ!」
「よっしゃ! 今夜は酒盛りだな!」
盗賊たちが笑い合う。
下卑た装いで、簡単な武装をした悪人面の男たち。
「や……やめて、くれ……殺さない……で……」
盗賊に足蹴にされている商人の男が言った。
この商人の行商達は、キャラバンと呼ばれる組織を結成していた。
道中の危険から集団的に身を守り、複数の商人が徒党を組んだものだ。
互いに金を出し合って護衛を雇い、暴漢や盗賊に対抗するための組織である。
まだ太陽が空高く輝いている昼に近い朝。
そのキャラバンが、盗賊に襲われていた。
「バカが。おとなしく金目の物を渡せば命だけは助かったのによォ」
大柄で、黒いヒゲを蓄えた盗賊のボスが言った。
彼は強く、その力だけでこの盗賊団のトップになった実力者だった。
13人からなる盗賊団を率い、5名の護衛で守られていたこのキャラバンを襲って壊滅させたのが、彼だ。
強さでいえば、グレアロス騎士団の役職幹部クラスの強さを持っている。
そんな才を持ちながら、こうして盗賊として落ちぶれているのは元来の彼の性格に起因する。
命を懸けて誰かを守るのではなく、どうせ命を懸けるなら誰かのものを壊し殺して奪う方が人生が楽しい。
彼はそういう考えを持つ人間だった。
つまりは、宝の持ち腐れである。
おとなしく金目の物を差し出せば命だけは助けたと彼は言ってはいるが、そんなことはあり得ない。盗賊特有の冗談である。
「た……頼む、息子だけは……手を出さないで……」
商人が言った。
彼はもう瀕死の重傷を負っている。
乾いた地面に滴る血の量がそれを物語っていた。
「あぁん?」
ボスが周囲を見渡す。
近くには倒れた大型の馬車。
その周りに倒れ伏した商人たち。
そのすべてが剣で斬られ、槍で突かれ、弓で射貫かれ、絶命している。
惨憺たる光景である。
「ああ、アレか」
ボスが呟く。
馬車から少し離れた場所。
そこで、盗賊の部下たちが幼い子供をゴム鞠のように蹴飛ばしている光景が見えた。
「オラ!」
「うわああああん……ッ!」
「ハハハッ! こいつ、よく跳ねるぞ!」
「いだい……ッ、痛いよぉ……ッ! パパッ! パパぁあああ……」
抵抗など出来るはずもなく、何度も何度も蹴られてキズだらけの男の子。
まだまだ体は小さく、幼い。
5から6才ぐらいの年齢だろうか。
その服はボロボロになっていて、顔も体も真っ赤に腫れ上がっている。
本来なら元気いっぱいの笑顔が似合うであろうその表情は、恐怖と苦痛に歪んでいる。見るに耐えない光景だった。
「お願い……します、どうか……息子には……」
男の子の父親なのだろう。
行商では、自分の子供に仕事を継がせるために親子で一緒になって旅をするのは当たり前のことだった。
ボスに踏まれてうつ伏せになりながら、瀕死の身でありながら息子を案じている。
「おおいテメェら! 止めねェか!」
ボスが大声で怒鳴った。
その一声で、盗賊の部下たちが動きを止めた。
「あ……ああ……」
商人は自分の声を聞き届けてくれたのだと考えたが、
「そのガキは奴隷として売るんだ。あんまり傷つけるんじゃねェよ!」
「すいやせん! ボス!」
「申し訳ねぇ!」
「オラ! テメェのせいでボスに怒られちまったじゃねェか、クソガキが!」
「あぐッ……! いだい……ッ、いだいよぉ……」
泣きじゃくる男の子を容赦なく踏む盗賊の男。
その様子を見て、ボスが口端を歪める。
「残念だったな。テメェのガキは、これから奴隷として生きるのさ。もしかしたら、今ここで死んだ方がマシだったかもな?」
「そ……そんな……」
商人は絶望した。
この男は奴隷と言った。
人類三大汚点の一つ、『奴隷制度』。
奴隷が一体何をされるのか、商人の男でも知っている。
歴史の語り部はレリティアの人間に語っている。
イヤでも耳にするその悲惨な末路。
奴隷にされた者は地獄しか待っていない。
自由を奪われ、意思を許されず、尊厳までも貶められる。
「レリティア……十三英雄が……エルドアールヴが許さないぞ。そんなことは……絶対……にッ」
「うるせェよ、死んでろ」
ボスが商人の背中を、大鉈で斬る。
大量の血しぶきをあげて、商人が呻く。
「うっ……ぐぐッ……ギギギ……ッ」
涙を流し、歯を噛みしめて、己の無力を呪う。
そして、やがて力尽きたのか。
その顔を地面に落とした。
「ハッ、やっと死んだか」
ボスの顔に散った商人の血。
それをペロリと舐めて、ボスが笑った。
「パパァァァァァァァァッ!!
うわあああああああああああああああああああああ……ッ!!」
父親を目の前で惨殺された男の子が叫ぶ。
悲痛な叫び声。
幼い子供がこんな声を出すのかと、耳を塞ぎたくなるほどの。
「ギャハハハハハハハハハッ!!」
しかし盗賊達はそれを愉快な催し物と笑う。
彼らはもう、人の心を無くしていた。
「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
そして、同じように嗤う、声。
いや、もっと酷いかもしれない、不快な嗤い声だ。
「な、何だァ!?」
「テメェ、いつの間に!?」
「なんだテメェはァ!!」
盗賊達が驚く。
それもそのはず、その不快な悪意ある嗤い声の主は、突然現れたのだ。
男の子を蹴って遊んでいた盗賊達のすぐ傍に。
当然、盗賊達はその人物を知っているはずもない。
「ああ、ああ! こんにちは!」
真っ黒な外套を着ている少年だった。
フードの下から覗く青白い肌は病的で、やせ細っている。
下卑た嗤い声をする、枯れ木のような少年だ。
色を失ったかのような真っ白な髪。
胸元まで垂れている長いその白髪は、一切の輝きが無い、くすんだ白。
片目だけが見えており、もう片方の目は白髪に隠れている。
魚類かと見紛うほどの丸い目で、何を考えているのか見通すことは出来ない。
瞳の色は、鮮血を思わせる朱色。
白目はほとんど充血していて、眼球自体が異様にギラギラしているのも相まって、不気味に赤く揺らめく炎のようだった。
「ゲハハハハハ」
ジズ・クロイツバスター。
それが不気味な少年の名だ。
「ゲッ、なんだこいつ……右の頬が無ェぞ……」
「うわ……気持ち悪ィ」
盗賊達がジズを見て言った。
少し前に薔薇の花が頬について、それを頬の肉ごと引き千切った痕だ。
何の手当てもしておらず、千切られた頬からは奥歯が見えている。
意外と歯は綺麗に並んでいて、むしろそれが逆に不気味さを増大させていた。
「誰だテメェ」
盗賊のボスがゆっくりと近づく。
大鉈を構え、いつでもジズを攻撃出来る格好だ。
「ああ、ああ。残念、もう売れないんだよ」
しかし、ジズは意味の分からないことを言う。
「ああ!? 何言ってやがる?」
「ゲハハハ、もう潰されちゃったんだよ」
「……チッ、俺はテメェが誰かって聞いてんだよ!!」
「ゲハハハ! 残念、残念!」
会話が成り立たない。
しかしこれはジズなりの話し方。
人のことなど考えず、人の理解などどうでもいい。
ただ自分の言いたいことを言うだけの、ジズ特有の会話だ。
よくよく聞けば意味は分かるが、グレアロス騎士団にいた頃でジズの言葉に耳を貸すのはクロだけだった。
「デルトリア伯が殺されちゃって、奴隷の計画はパァなんだ」
たまたま偶然。
異様なジズを警戒していたため、ボスはそこまで会話の内容を聞き出せた。
普通ならここまで彼の言葉を待つ人間はいない。
ボスがジズからその事実を聞けたのは本当に偶然だった。
「な、何!? どういうことだ!?」
「あれぇ? 知らないの? エルドアールヴに殺されたんだよ、伯爵は」
「…………」
この盗賊団は、デルトリア伯と繋がっていた。
デルトリア伯が奴隷の王国を作るために、奴隷を仕入れていたのが彼ら盗賊団だった。
他にも仕入れ業者はいたが、そのほとんどがデルトリア伯の城に滞在していたため、もう既にルシール率いるグレアロス騎士団の面々によって壊滅されているのが現状だった。
このナルトーガ区域で好き勝手に暴れていた彼ら盗賊団だけが、ある意味で助かっていたのだ。
しかしそれも時間の問題だった。
デルトリア伯の加護無き今、彼らは知らぬ間に追いつめられていた。
ジズの言葉だけでそれを理解したボスが言う。
「なんてこった……つまりテメェは、俺らと同業ってわけか。へへ……奇妙なやつだと思ったが、俺らに助け船を出しに来てくれたってわけだ」
「ゲハハハハ」
「何がおかしい……?」
「いやいや。ぼくはただ、君達がおもしろそうなことをしているから覗きに来ただけだよ」
ジズは邪悪に嗤いながらそう言った。
怖気の走る、丸い魚眼の視線。
真っ赤に燻る炎のように、ただただ不吉な色をしている。
「でもダメだよ。子供に手を出しちゃ、ダメなんだよね」
ジズが言った。
怒っているでもなく、喜んでいるわけでもなく。
ただただ嗤いながら。
「だってほら、可哀想じゃないか」
「テメェ……」
盗賊のボスは、ジズを敵だと断じた。
自分達の所業に文句を言う相手。
それはもはや敵であり、仲間などではない。
「…………ッ」
「ボス、やるんですね」
ボス以外の12人の部下達も、戦闘体勢に入った。
それぞれが得物を構える。
ジズを取り囲む。
「ゲハハハハ」
ジズはただ、嗤っていた。
不気味に。
邪悪に。
下卑た笑みで。
◆ ◆ ◆
「た……すけてくれて、ありがとう……」
幼い男の子が言った。
戦闘という戦闘など無かった。
そこにあったのは理解不能な光景だ。
「う……うぁ……ッ」
「ぐっ、どうなってんだ……」
「なんだ、これは……」
「痛ェ……痛えええええええッ!!」
盗賊達は全員、仰向けに倒れていた。
盗賊のボスも同じように倒れていた。
「何がどうなってやがる……テメェ、何しやがった!?」
ボスが叫ぶ。
その足元には、キャラバンの馬車が横たわっている。
盗賊全員の両足が動けないよう、彼らの足を下敷きにしているのだ。
「ゲハハハハ」
ジズが嗤う。
男の子の頭にポンと手を置いて、
「いやいやいや、まだ助かってないよ」
そう言った。
男の子は意味が分からない。
この、ちょっと変な人は自分を助けるために盗賊達をこらしめてくれたのだ。
そう思っていたから、ジズの言わんとすることが分からない。
「さ、コレを持って」
そう言って男の子に差し出したのは、一本の槍だった。
小さなその手に握らせる。
「……え?」
「たしか、あっちの死体がパパだっけ?」
ジズが見た方向は、先ほど盗賊のボスに殺された、男の子の父親だった。
苦悶の表情を浮かべて絶命している。
「痛かっただろうね、辛かっただろうね、悔しかっただろうね」
演劇のような仕草でジズが言う。
「さぁ、パパの仇をとらなきゃ……ね?」
ジズが男の子の持つ槍を、盗賊のボスに向けた。
「え……え……?」
「まだ君は助かってないんだよ。この人がもし生き残ったら、絶対に君に復讐しに来るんだよ? 君は顔を見ちゃってる。何が何でも殺しに来るよ。ここでこの人を殺しておかないと、君はこれから先、彼らにずっと狙われることになるんだよ」
べらべらと喋り出す。
愉快そうに、これから先、男の子の人生がどうなってしまうのかを語る。
「で……できないよ、そんなこと……」
男の子が言った。
当然だろう。
5才か6才ぐらいの幼子だ。
商人の子として生まれ、商人として生きていく予定だったはずだ。
人を殺すなんてとんでもない。
そんなことを思ったことすら無かった。
「でも、ほら」
ジズが男の子を促す。
盗賊のボスを見る。
「あんなに、睨んでる」
「ひッ……」
馬車に足を下敷きにされていながら、それでもジズと男の子を憎悪の目で睨んでいるボス。
その眼力に、男の子が後退する。
「おっと」
それを防ぐように、ジズが男の子の背を押した。
前へ、前へ。
動けないボスの元へ。
「テメェ、それ以上近づくんじゃねェ……ッ!!
ブッ殺すぞッ!!」
「ゲハハハ、怖いねぇ、怖いねぇ?」
「ひッ……ひぃ……」
男の子は恐怖で顔が引きつっている。
「でも頑張らないと。君が、パパの仇をとってあげるんだよ」
「ひ……ッ」
男の子はようやく理解した。
ジズが、自分を助けたわけではないのだと。
自分はまだ、地獄の中にいる。
「さ、槍の穂先をこの人の胸に向けて刺しちゃえ」
ボスの前に来たジズが、とんでもないことを言う。
「む、ムリだよぉ……」
「大丈夫。最初は誰だってはじめてなんだ。君なら出来る。君なら出来る。さぁ、頑張ってみよう」
「テメェ、ふざけんなッ! この馬車をどけろ!!」
ボスが怒鳴る。
少し離れた場所で、横たわる馬車に足を下敷きにされている他の12人の部下達も、同じように怒号を放つ。
「ナメんじゃねェぞコラァッ!」
「これをどけろクソガキ共がッ!!」
「ブッ殺すぞゴラァッ!!」
男の子にとっては怖ろしい声。
恐怖で顔を引きつらせ、槍を持つ手が震える。
「大丈夫だ。ぼくがついてるからね」
その手をそっと包み込む、ジズの痩せた手。
ジズが何とかすればいいのではないか。
理解不能な力で盗賊達を拘束したのだ。
とてつもない力を持つジズが盗賊を倒せばいいのだ。
本当なら。
しかし、ジズにはその気がまったく無い。
「ほら、怖いでしょ? このまま放っておけば、君はこの人達に殺される。パパはどうだった? どんな感じに殺された? 痛そうだった? 苦しそうだった? それよりももっと酷い目に遭うかもしれないんだよ。
君が、今ここで頑張らないと」
助けてほしい。
そんな考えが浮かばないほどに、男の子は追いつめられていく。
「ハァハァ……ハァハァ……」
自分がやらないと、もっと辛い目に遭ってしまう。
自分が目の前の人を殺さないと、自分が殺されてしまう。
精神的に追いつめられて、過呼吸を起こしながら、錯乱した思考の中で、男の子は大きく槍を振りかぶった。
「そう、そのまま思いっ切り、刺すんだッ!」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
叫び声が轟き、男の子がボスに向かって槍を振り下ろした。
ドス、という不快な音。
真っ赤な血がボスの服に滲む。
そして、
「ぐああああああああああああッ……ああああああッ!!」
ボスの苦悶の声が、荒野に響く。
「ゲハハハハハハハハハッ!!」
ジズが嗤う。
そのやせ細った手を叩き、愉快そうに嗤い続けた。
「ああ……ああああああ……」
「いでェ……ッ! 痛ェよチクショォオオオオオオオオオッ!!」
ボスの様子を見て、ジズが言った。
「ああ、ダメだったね。力が足りなかったんだ。でも大丈夫。失敗は誰だってするんだから! 何度だって失敗したっていいんだ。失敗は成功の母って言うしね。大丈夫だよ、大丈夫。重要なのは、めげないで、諦めないで頑張り続けることなんだ! さぁ、もう一回だ」
「え……」
男の子が光の無い目でジズを見る。
「今度は、そうだね。槍の穂先を、この胸の傷口に当てて」
ジズが男の子の持つ槍を誘導する。
「ぎゃあああッ!!」
「ひッ…………ッ」
「そう。ここが心臓だ。分かるね?
よし、そのまま。体重をかけて槍を突き刺していこう!」
どうかしている。
この下卑た嗤い方をする少年は、頭がおかしい。
人じゃない。
人の皮を被ったバケモノだ。
盗賊よりも何よりも、魔物よりも怖ろしいナニか。
「ひ……ああ…………」
怖い怖い怖い。
男の子は思った。
はやく、はやく。
はやく、はやく、言うとおりにして、彼から解放されなければ。
そうしなければ、自分もこの邪悪なバケモノに汚染されそうで。
「や、やめて……やめて、くれ……」
盗賊のボスが懇願する。
もはや部下の手前なんてものは頭に無い。
ただ助かりたいがために、泣きながら懇願した。
「さぁ、頑張ろうか。失敗してもいい。何度でも挑戦すればいいんだから。諦めない心が、大事なんだ」
しかしジズは、そんなものに意を介さず。
男の子の心を壊していく。
◆ ◆ ◆
一体どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
太陽はすでに朝の日差しから昼になっている。
煌々と照らすそれは、目の前の死体をイヤでも認識させる。
「ハァハァ……うぇ……ゲハ……ッ」
男の子が胃の中のものを全て吐き出した。
あまりに吐きすぎて血が出ている。
「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
ジズは愉しそうにそれを見ている。
「うう……うああ……」
男の子は罪悪感で震えている。
耳に残るのは男の悲鳴。
手に残るのは刺し貫いた肉の感触。
鼻に香るのはおびただしく流れた血の匂い。
あれから何度も何度も失敗した。
何度も何度も繰り返し、手を変え品を変え。
とうとう、男の子は人を殺した。
「よくやったね。よく頑張ったね!」
ジズが、返り血に塗れた男の子の頭を撫でた。
「ひっぐ……ひっぐ……」
男の子が泣きじゃくる。
なんてことをしてしまったのか。
苦痛に歪む男の顔が頭から離れない。
幼い子供が背負うにはあまりにも大きすぎる罪だ。
「さぁ、残りも頑張っていこう」
ジズが変わらない口調で、言った。
男の子は、ジズの顔を見た。
「……………………え?」
意味が分からなかった。
何を言っているのか、理解が出来なかった。
しかし、
「まだまだ、後12人もいるからね」
ジズが指し示すのは、盗賊の部下達。
男の子が行った残虐な殺人を目の当たりにしていた部下達は、もはや言葉すら出ていない。
ただただ恐怖に震えるだけだった。
「え……あっ……え……?」
「大丈夫。君なら、出来るよ」
ニコリと笑ったジズの顔は。
まるで世に伝え聞く、『悪魔』のようだった。
◆ ◆ ◆
「あああ……アアアアアア、アハ」
男の子はひとり、荒野にひざをついていた。
太陽は下がり、夕刻。
真っ赤な夕陽は大地を赤く染め、荒野に滲んだ血の色を隠している。
そこにあるのは男の子の父親や、その仲間の商人と護衛の死体。
さらにあるのは、13人もの盗賊の死体。
みんなみんな、夕陽の赤に染まっている。
「アハハッ、アハハハハハハハハハハッ!!」
男の子がひとりで笑う。
ふわふわとした心持ちで、体が軽い。
なんだか自分がいなくなったかのようだ。
「アハハハ……ゲホッ、ゲホッ……ゲッ、ゲハ……」
吐きながら、笑いながら。
男の子は泣いていた。
「ガハッ……ゲハ……ゲハ……ゲハハ……」
やがて喉が枯れに枯れ、
「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
男の子の笑い声は、どこか。
イビツなものになっていた。
「おっと。自警団が来たようだね。よかったねぇ。
助かったんだよ、君は!」
傍にいたジズが遠くを見つめて、言った。
荒野の向こうからは、時間が経っても一向に到着しないキャラバンの様子を見に来た、ナルトーガの自警団の馬車煙が立っていた。
「それじゃ、ぼくはこれで。
元気でね!」
ジズが男の子にそう言って、ゆっくりゆっくりどこかへ歩いて行く。
てくてくてくてく。
どこ吹く風で、ゆらりゆらりと歩いて行く。
「いやぁ、良いことをするのって気持ちが良い」
ジズは本心からそう思っている。
自分が男の子に対して何をしでかしたのか、理解していない。
命を助けた。
ジズはそれだけだ。
その代わりに、とんでもない心の傷を男の子に負わせたのをジズは理解できない。
「たまにはエルドアールヴの、クロのマネゴトもやってみるもんだぁ」
絶対にそれは違うと言う人は傍にいない。
エルドアールヴはこんなことは絶対にしない。
決して違う。
断じて違う。
それを、ジズは理解していない。
「ゲハハハハ」
ジズには人の心が無い。
あるのはただ純粋な、悪意のみ。
悪意を悪意と認識していない彼は、このレリティアを彷徨っていく。
多大なる犠牲を背後に残し。
大いなる絶望を振りまきながら。
今日もジズ・クロイツバスターは、
「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
おそろしく邪悪で、
すさまじく異常な、
下卑た笑い声を残している。




