19 歴史に残らない偉業、誰も知らない偉大な戦士の骸
巨人が去った後、クロ達はひたすら歩いた。
雨が降った分、山の斜面は滑りやすくなってはいたが無事に麓まで辿り着いた。
麓は深い森になっていて、うっそうと茂る木々が無作為に並んでいる。
「この森を抜ければナルトーガに出る道まで後少しかな」
コンパスと地図を片手に、クロが言った。
「ナルトーガ?」
「次の街の名前。昨日立ち寄った村から橋を渡った先にあるんだ」
エリクシアの疑問にクロが答える。
本来なら馬車で行くはずだったが、おそらくはジズに、橋が壊されていた。
なのでこうして山越えの遠回りを余儀なくされた。
「かなり大きい街だから、施設も色々ありますわ。山越えもしたことですし、丸一日ぐらい、ナルトーガで休憩してもいいですわね」
シャルラッハが言った。
さすがの彼女も疲れの色を濃くしている。
「そうしよう。食料の補充もだけど、装備も点検しておいた方がいい」
山越えをしたとなると、まず一番に見ておくべきなのが靴だ。
山の地面には鋭利な石や木片が落ちている。
思わずそれを踏んづけてしまっていたら、靴なんて簡単に壊れてしまうものだ。
雨も降ったから、外套に油分を塗り直しておくのも忘れてはならない。
「ナルトーガに着いたら、まずは柔らかいベッドで寝たいのじゃ……」
「エーデルヴァイン殿は体が小さい分、徒歩の負荷が他の人より強いですからねー」
エーデルを背負ったアヴリル。
年はシャルラッハやエリクシアと同年代だが、エルフであるエーデルの体は幼い。童女のそれそのもので、疲労の蓄積は半端なものではないだろう。
山越えは体力が有り余っているクロとアヴリルが交代でエーデルを背負っていた。
「それを差し引いても、エーデルはもうちょっと運動した方がいいと思うけど。子供でももう少し歩くぞ」
「いやじゃ! もう歩きとうない!」
そんなエーデルのワガママを聞きながら、一行が足を進めた時のことだった。
夕方になり日が落ちてきて、木々に光が遮られようとしていた頃。
「河原か」
「まぁ、このぐらいの浅い川なら突っ切っても問題ないですわね」
目の前には幅広い川が広がっていた。
シャルラッハの言ったとおり、川底の石が水から顔を出しているぐらいには浅い。
流れも急ではなく穏やかなものだ。
普段は水は無いが、雨が降って川となったのだろう。
「…………」
「クロ?」
エリクシアが、黙って川の向こう岸を見ているクロに声をかけた。
「みんなゴメン。ここで野営にしてもいいかな」
「どうかしましたか?」
「あの人を、ちゃんと弔ってあげたい」
言って、クロが視線で示した場所には、木にもたれ掛かった骸がいた。
亡くなって年月が経ったのだろう。ボロボロの衣服は着ているが、その肌はもう無く、全身が骸骨になっていた。
「このまま歩けば夜までには道に出るけど、あの人を弔ってたら陽も落ちてしまうから……」
夜の森は動かない方がいい。
それなら、この河原でキャンプした方が安全だ。
「お主の悪いくせじゃな、エルドアールヴ。道すがらの死者を見ると埋葬してやらねば気が済まぬのは」
「……どうしても、気になってしまうんだ。ああやって誰にも弔われていない死者は……」
クロが困ったような笑みを見せて言った。
「ま、いつものことじゃ。仕方あるまい。不死だからこその、じゃろうからな」
やれやれ、とエーデルが言った。
めずらしく自分の心情からの都合を優先したクロに、他の3人は驚きつつも、頷いた。
パチパチ、と焚き火の音が鳴る。
とりあえず河原を渡った一行は、暖を取って寝る場所を確保した。
その後、誰かも分からない骸をみんなで弔おうとしていた。
遺骨を土に埋めて、せめて墓を作ってあげるつもりだった。
「……クロは、こういうのを見る度に、いつも?」
エリクシアが聞いた。
クロが頷く。
「誰にも気づかれないまま死んで、誰にも気づかれないまま骸をさらし続けるのは、やっぱり辛いからね」
「……まるで、そうなったことがあるみたいなセリフですわね?」
今度はシャルラッハが言った。
クロは墓穴を掘りながら答える。
「まぁ……何度か」
その言葉の意味に気づいたのはエリクシアだった。
「……もしかして、エーテル切れで、ですか?」
「そういうこと。森の中で、洞窟で、あとは……氷河の中ってのもあった。その度に、エルフィンロードのみんなに助けられたね」
「本当にお主は無茶をする。わらわの先祖らもほとほと困っておったぞ。10年以上も見つからない時もあったからのう」
「……なかなか凄まじい人生を送ってますね、クロイツァー殿は」
穴掘りを手伝っているアヴリルが言った。
二千年もの間生きてきて、しかもそれが濃密な年月だ。
一体、何度絶望に挫けそうになったか分からない。
「そういうのもあって、どうしても気になってしまうんだ」
自嘲しながらクロが言った。
だからこそ、死者は供養してあげたいのだと。
「それにしても……」
シャルラッハが周囲を見渡していた。
「この状況、どこか見覚えが……」
「見覚え、ですか?」
エリクシアが聞いた。
次に答えたのは、アヴリルだった。
「あっ、それ私も思いました。クロイツァー殿を捜索していた時とまったく同じですよね」
「それですわ!」
シャルラッハがポンと手を叩いた。
「俺を捜してた時?」
「ええ。あなたがデオレッサの滝で闘っていたちょっと前に、あなたが闘った痕跡を浅瀬で見つけたの。ほら、ハイオークと闘ったんでしょう?」
「……あっ、あの時の」
今度はエリクシアが言った。
「たしかに、あの時と似たような状況ですね」
ハイオークのガルガと闘った時。
クロが不死になったキッカケのあの闘いの場とそっくりなのだ。
「妙な偶然もあるようだ。この人も、多分オークと闘ってる」
クロが骸の服を指差した。
「この服の独特の裂け方は、オークの武器で斬られた感じと似てる。それに、骨の損傷具合から見ても、多分ここでオークと闘って……死んだんだ。
この風化の仕方からすると、10数年前ってところかな」
誰も知らない闘いがあった。
ここで誰かが闘って、そして死んでしまったことだけが事実としてあった。
見つけられて良かった。
クロは小さく、呟いた。
「……よし、出来た」
そうこうしている間に、墓穴が出来上がった。
「あとは墓石と、手向けの花とか近くにあるといいんですが」
「とりあえず骸を埋葬してあげよう」
クロが骸の肩にそっと手をかけた、
その時だった。
「――――な」
一同が騒然とした。
カタカタと音を鳴らし、白骨が動いたのだ。
肩に乗せたクロの手を、死んでいるはずの骸が掴んでいた。
「クロ……ッ!」
エリクシアが叫ぶ。
しかし、クロだけは冷静だった。
「平気。よくあることだ。敵意もないし、大丈夫」
自分の手首を握っている骸の手の上に、自分の手を優しく重ねた。
「この人のエーテルが残留してたんだろう。長い年月が経っても、残留思念としてエーテルの欠片が残ることが稀にある。それが、何かの拍子に体を動かすんだ」
落ち着いた声で、この現象の説明をした。
死して『命の海』に還る魂。
しかし時として思いが強すぎて、その魂の一部が体や物や土地に残り続けることがある。
それを残留思念と言って、巷に言う幽霊というものの正体だ。
誰もいないのに声がする。
誰もいないのに物が動く。
うっすらといないのはずの人の姿が見えてしまう。
それら全ては、残留思念によるエーテルが原因なのである。
「独りで辛かったね。もう大丈夫だ。
さぁ、『命の海』へ還るといい」
そういう残留思念は、エーテルで弾くとたちまちに大気や大地に拡散していく。
自然に溶けて、自然に還っていくのだ。
クロがそうしようとして、
「あッ……あぐッ……ッ!?」
だが、ここで、いつもとは違うことが起こった。
「エリーッ!?」
今度はシャルラッハが叫ぶ。
エリクシアが突然苦しみ出したのだ。
「これは……」
クロはこれを見たことがある。
グレアロス砦の地下牢にいた時、第四悪魔デオレッサと縁が繋がり、その魔法を使えるようになった時と同じような現象だ。
「あ……あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
絶叫だった。
エリクシアの体から血が流れ、そして、
「な……」
悪魔の写本が出現した。
「そ、そんなバカな……まだ陽は落ちていないぞ!?」
グリモアは夜にしか出現しない。
それなのに、何故かエリクシアの背後には巨大な黒い本が出現した。
そして、そこから無理やり這い出るかのように、
「炎!?」
紅の炎がページの間から溢れ出て来たのだ。
「な、なんじゃ……何が起こっておるのじゃ……」
しかし、クロでさえ何が起こっているのか分からない。
当の本人のエリクシアも理解できていないだろう。
「く……ッ、なんてエーテルの圧ですか……ッ」
「だ、ダメ……エリーに近づけない……ッ」
凄まじいエーテルの奔流が、エリクシアの背後にあるグリモアから発せられる。
その暴風のような圧で、苦しむエリクシアに誰も近づくことが出来ない。
そして、徐々にグリモアが開かれていく。
まるで内側から無理やりこじ開けられているかのように、紅の炎が出現していく。
「……人?」
その紅の炎は手のように見える。
グリモアの中から這い出て来て、やがてその全貌が明らかになる。
「……女の、人……?」
炎の女性。
そうとしか言えない風貌だった。
体は明らかに人間の女性の形をしている。
しかし、それがどういう人なのかは分からない。
炎がそのまま人のシルエットだけを模している状態だ。
「あ……あぐぅ……ッ」
エリクシアが地面にヒザをつく。
とてつもなく苦しそうで、頭を手で覆っている。
「エリクシアッ!」
そのクロの声に反応するかのように、
「ダメェ――――――――――――ッ!!」
グリモアの中からもうひとり。
第四悪魔デオレッサが飛び出してきた。
「ダメだよ、ルシフェリア! 無理やり外に出ちゃったら、あなたの魂が壊れちゃうッ!」
そのまま炎の女性の前に立つ。
その小さな両手を広げて、仁王立ちのような格好だ。
「デオレッサ、一体何がどうなってる!?」
クロが叫ぶ。
「この炎は、悪魔なのか!?」
「…………」
デオレッサは答えなかった。
その代わり、別の、クロが一番欲しい答えを言う。
「エリクシアはだいじょうぶ。苦しいだろうけど、だいじょうぶ。
でも……」
デオレッサが包帯をした目で紅の炎を見やる。
「ね、お願いルシフェリア。おとなしくグリモアに帰ろう?」
懇願するような声で言った。
しかし、その炎の女性は、
「アアアア……」
炎の唇で、
炎の喉で、
「キャァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
大絶叫を張り上げた。
まるでそれは怒りに満ちた怨嗟の声のようで、
あるいはそれは、悲しみに染まった悲鳴のようで、
「…………ッ」
その炎の瞳は、
明らかに、
クロ・クロイツァーの方へ、
あるいは、傍にいる骸へ向けられていた。




