18 星の営みの淀み、深淵の化物
ざあざあと雨足が強くなってきた。
クロ達はそれぞれ外套のフードを被り、雨を凌ぐ。
視界は狭まるが、頭に水を被るとそれだけで体が冷える。
外套には雨を弾くために油分が塗られている。そのため、水分を吸収して重くなることを防いでいる。古来より受け継がれた人の知恵だ。
「あ……ナルムクツェさんが」
雨で霞む先を眺めていたエリクシアが言った。
レリティア山脈にいる『巨人』ナルムクツェが屈んで、山脈の谷間に消えていったのだ。
遠い昔、彼は歩く時に四足歩行をするクセがあった。今は亡き仲間内で、それを行儀が悪いと注意することが多かったのをクロは思い出す。
自我が無くなってしまってからは、移動する際には常にそうするようになってしまったのが、少し物悲しい。
「自分の敵を、捜しにいったんだよ」
「自分の敵……ですか?」
クロの言い方に少し違和感を覚えたのか、エリクシアが聞き直した。
「ずっとずっと昔、グリモアから魔物が生み出されるもっと前、人類には敵がいたんだ」
クロが言う。
それはクロが飛ばされた二千年前よりも遙か昔のこと。
まだ人類の種族が多く存在していた頃の話。
「この星が生み出してしまった『神獣』と呼ばれる怪物。人類は……いや、この星の生物はその『神獣』とずっと闘っていたんだ」
「神獣……魔物とは違うんですか?」
エリクシアの問いに、クロが頷く。
「魔物は『グリモア詩編』が生み出したまったく新しい命の系譜。
『神獣』は、俺達人間や動物と同じ、『命の海』から生まれた生物だ」
「それ聞いたことがありますよ!」
アヴリルが言った。
「生物はみんな、生まれる前は『命の海』という場所にいて、死んだらまたそこに還っていくんですよね!」
「それは昔の人が信じた……学説でもない、ただの言い伝えでしょう?」
シャルラッハが言って。
クロが黙って聞いているのを見て、首を傾げた。
「まさか……本当だとでも?」
「うん。アヴリルさんが言ったそれが、真実だ」
「そのとおーり!」
そこに、エーデルが会話に混ざる。
「我らの肉体は死ねば土に還るのじゃ。
じゃが、精神は? 魂はどこに還るのかの?」
「それは……」
シャルラッハが言葉に詰まる。
エーデルは指を立てて少し得意気に説明する。
「精神や魂はたしかに存在しておる。なぜなら、わらわ達が使うエーテルは、まさにそれの欠片なのじゃから」
闘気あるいは魔力と呼ばれるエーテルは、生命力や精神力のようなもの。
つまるところ、心や魂と呼ばれるもののことだ。
それを使い、戦技なら自分に、魔法なら自然に働きかけて、普通では出来ない奇跡のような行為を成す。
エーテルを使い過ぎるとエーテル切れを起こし、更にそれが過ぎれば絶命する。
心や魂、命そのものを使うのがエーテルならば、エーテルこそが、その心や魂だと言えるだろう。
「エーテルは食べ物や飲み物から補給しますね。それが魂を形作る元だとするなら……」
エリクシアが言った。
エーデルがそれに答える。
「体を形作るのもまた飲食じゃ。魂もまた同じ。つまり我らの魂は、この星から生み出されたものなのじゃ」
肉体を作るには栄養を摂取しなければならない。
その栄養とは肉や野菜、果物や水だ。
その食べ物や飲み物はどこから来るのか。
食べる肉は動物だ。
肉食動物は草食動物を食べる。
草食動物はその名のとおり草を食む。
人のような雑食もまた同じ。
そして草は、土や水を養分とする。
巡り巡る食物連鎖。
生物の育みはそうして出来上がっている。
そして、土や水は何かと言うと、星である。
つまりは肉体は星から与えられ、死んで星に還るのだ。
魂も同じものを摂取して作り出されていく。
大気に混じったエーテルも、飲食によって摂取するエーテルも、結局は根源的に星から貰っているものだ。
つまり、魂の起源もまた、星なのだ。
であれば死んで魂が星に還るのも自明の理。
「この地面の奥深く、星の中枢には『命の海』という、この星のエーテルすべてが集まる海が存在するのじゃ。
それこそが冥府、深淵……我らが死んだ後に行き着く『あの世』なのじゃよ」
クロが『剣豪』レオナルド・オルグレンに最後に言った惜別の言葉。
『命の海でまた会おう』というあの言葉は、『死んだらまた会おう』という希望の言葉だったのだ。
「理解したかのぅ? シャルラッハ」
エーデルが調子に乗って、シャルラッハの頭をポンポンと撫でた。
その手をパンッと弾いたシャルラッハが言った。
「いつ、誰が、あなたに、わたくしの名を、呼び捨てを、許したのかしら?」
ひとつひとつ丁寧に言葉を句切り、ニッコリと憤激の笑みを浮かべながら。
「ヒェ!?」
一瞬でクロの後ろに回るエーデル。
「だ、だだだって……もう、一緒に旅する仲間じゃし……そろそろ呼び捨てでもよいかなって……」
シャルラッハのあまりの迫力に、エーデルはもう涙目だ。
そのエーデルの姿を見て少し溜飲が下がったようで、いつもの表情に戻ったシャルラッハがクロに言った。
「……で、その『命の海』と巨人の敵の『神獣』が、なんでしたっけ?」
「古代の人が海って比喩したのは実はそう間違ってなくて、死んだ人の魂は『命の海』に溶けて巡り、寄せては返す波のように、やがてまた地上に戻っていくんだ。土や大気や水に混じってね。そうしてエーテルはこの星を血液のように循環している」
ひとつ置いて、クロが更に続けた。
「水が集まると、必ずどこかに『淀み』が出来るものだ。『命の海』も例外じゃない」
「……なるほど、星を巡るエーテルが、淀んで集まってしまう」
さすが察しの良いシャルラッハだ。
「淀みはやがて大きくなって、信じられないぐらいのエーテルがそこに集まって更に淀みが酷くなる。魂が一箇所に集まってしまい、混じっていく。許容範囲を超えて融合して巨大になったそれは、ひとつの魂の塊と言っても過言じゃない」
「その巨大な魂の塊が、淀みに収まりきらなくなって、地表に出てくる……」
「そう。そのあまりに巨大な魂は、地上の生物は食べることが出来ない。大き過ぎて、強大過ぎてとてもムリなんだ。だから、逆転現象が起こった」
「逆転……魂が、生物を食べる……?」
シャルラッハがその真を察する。
そのあり得ない現象。
エーテルが物質を喰らう異常事態。
クロが頷く。
「大量の生物を貪り喰らって、やがてひとつの体を成す。
それが、生きとし生けるもの全ての敵――『神獣』」
いわば星による命の設計ミス。
偶然が偶然を呼び、悪循環が止めどなく起こり、どうしようもない生物が誕生してしまった。
「神獣に知的な意思は一切なく、原始的な意思、本能……食欲と睡眠欲で動く。地上のあらゆる生物、そして、この星すら喰らおうとする化物だ」
「なんてこと……魔物といい神獣といい、この世に救いは無いのかしら……」
シャルラッハが言う。
それが本当なら、この世界は一体どれだけ地獄なのかと。
グリモアの災い然り。神獣然り。
神という存在がいるのなら、いくら何でも、あまりにも試練とやらが多すぎる。
「大昔の人類が遭遇した神獣は『ベヒモス』と『レヴィアタン』の二体。
『巨人』の他、太古から続いていた今は亡き『種族』が倒すべきと定めていた敵が――陸の神獣ベヒモスだ」
エルドアールヴが言う伝説の真実に、一同が絶句する。
「だからナルムクツェは神獣ベヒモスを捜し続けている。種族の使命を果たすため、自我を無くしてしまった今も、まだ」
『巨人』ナルムクツェが消えた場所を見る。
もう今は雨でレリティア山脈すら霞んで見えない。
「……その神獣は、今は……?」
エリクシアが聞く。
星を喰らう化物の在処。
「分からない。魔物が出現してからは、それっきり見なくなったらしい」
「……冬眠でもしてるんでしょうか?」
「俺が思うに」
クロが言う。
「魔物の出現……つまり最初に生まれた魔物達を、『最古の六体』を怖れたんだと思う。神獣が本能で動くなら、強いものに怖れるのもまた、本能だから」
命の海の淀みより生まれた巨大な魂。
その巨大な魂が地表の命を喰らい、ひとつの肉体を持った。
食物連鎖の理すら破壊したその神獣すら怖れるのが、『最古の六体』だ。
「…………」
雨が強くなってきた。
強く、強く降り続ける。
「クロ・クロイツァー。あなた、まだわたくし達に色々と情報を隠してますわね?」
シャルラッハが唇をニヤリと歪める。
彼女はどこか楽しげだ。
「隠してるわけじゃない。話すのが難しいぐらい、知りすぎたんだ。
本当に……色んなことを」
「そう。それじゃ、旅の中でゆっくり聞くことにしますわ。
わたくし、あなたのお話は好きよ。酷い内容ばっかりだから」
「……なんでまた?」
「だって楽しいじゃない。わたくし達は、それを乗り越えるんでしょう?」
暗雲から雷が光った。
暗闇に照らすその紫電の光は、まるで道標のようで。
どこか頼もしさすら感じた。
「そう……だね。たしかに、そうだ」
「さぁ、先に進みましょう。
今夜はどこか、キャンプが出来る場所があるといいけれど」
一行は歩を進める。
それは強大な敵へ続く茨の道。
しかし、とクロは思う。
それと同時に、これは希望へ向かう道なのだと。




