17 『人類三大汚点』、血脈と文化と誇りの剥奪【種族浄化】
クロ達が歩き続けること数時間。
山越えは残り半分というところまできた。
奥深い山中は静かなもので、風にそよぐ木々の葉がこすれる音や、遠くに流れる水の音、そして鳥の声ぐらいしか音が無い。
魔物の出現はめっきりと無くなり、自然の風情を楽しむ道中となっていた。
「わぁ……」
視界を遮る木々が晴れた場所で、エリクシアが思わず感嘆の声をあげた。
遠くには高い峰がいくつも連なる巨大な山脈が見える。
一面にひたすら続く高山。
山々の頂上付近には雪が積もっており、まるで白化粧をしたかのように美しい。
果てしない山々を望む景色はまさしく絶景と言うに相応しい。
「あれはアトラリア山脈ですか? 方角的に……ちょっと違うような」
エリクシアが首を傾げて言った。
たしかに見える方向が全然違う。
その疑問に反応したのはシャルラッハだった。
「今見えてるあれはレリティア山脈ですわ」
「あれが……」
エリクシアが遠くにそびえるレリティア山脈を眺める。
「すごい。本当にずっと西の果てまで続いてるんですね」
「ええ。グラデア王国を越えて、ずっと西……聖国アルアの果てまで続いていますわ」
グレアロス砦から見えるアトラリア山脈は、人境レリティアの最東端にあり、レリティアの南北を縦断している。
対してレリティア山脈は、東西を横断している大山脈である。
人境レリティアの全体図は、大雑把に言うと長方形を横倒しにしたような形をしている。地図で見るとレリティア山脈はその真ん中を横に貫き、レリティアを南北に分けている。
北側は『帝国ガレアロスタ』と、帝国の傘下である多数の中小国家で構成されている。
南側は、南東が『グラデア王国』、南西は『聖国アルア』がそれぞれ土地を治めていた。
その『三大国家』に挟まれる形で、レリティアのど真ん中に位置しているのがエルドアールヴが所属し、エーデルが国王として率いている、エルフの王国『エルフィンロード』だ。
人境レリティアに生まれ育った者は、このレリティア山脈を見ながら育つのだ。
もちろんエリクシアのような例外もいる。
エリクシアはアトラリア山脈近くのドワーフの里で育ち、以後もずっとデルトリア辺境で生活していた。なのでレリティア山脈を見たことが無いのも仕方ない。他にも、南方の海沿いで生活している者達も同じようなものだ。
「レリティアって、広いんですね」
エリクシアは雄大な自然を眺めながら、そんなことを言った。
あまりの感動に、彼女は微かに目に涙を浮かべている。
「ふふん! その広いレリティアより、更に何十倍もの土地が広がっておるのが、魔境アトラリアなんじゃぞ」
エーデルがドヤ顔で言った。
「ふわぁ……わたし達、本当に世界中を旅しようとしてるんですね……」
エリクシアは感慨深く、そう言った。
これから旅する場所に想いを巡らせて、また歩みを進めた。
◇ ◇ ◇
一行が更に歩いた頃だった。
山脈景色はあまり変わらず雄大な自然が見渡す限りに広がっている。
しかし、空は違った。
出発時とはうって変わって、暗雲が立ちこめていた。
ひと雨きそうな空模様だ。
「…………ッ!」
突然。
最後尾にいたクロが前に出た。
「え?」
シャルラッハやアヴリルが何事かと声を出す。
次の瞬間、凄まじい風切り音が聞こえた。
「な、なんの音じゃ!?」
エーデルが動揺する。
その疑問に対する答えとなったのが、クロの行動だった。
「ふ……ッ!」
大戦斧を横薙ぎに振るい、高速で近づいていた物体を弾き飛ばしたのだ。
「ま……魔物!?」
シャルラッハが驚きの声を上げる。
アヴリルも同じだった。
アヴリルは魔物の匂いを探りながら最前を歩いていた。しかし、この魔物が近づくのは感知できなかったようだ。
何しろ、魔物は遙か遠くから空を高速で飛んできたのだ。
匂いなど感じる余裕はなかっただろう。
「今の、トロールでしたが!?」
あり得ない、といった様子でアヴリルが言った。
他の3人がクロに弾き飛ばされた魔物の行方を目で追うと、アヴリルが言ったとおり、大柄の魔物トロールが谷に落ちていくのが見えた。
「なんでトロールが空を飛んで来たのじゃ!?」
トロールが空を飛べるはずがない。
上級の魔物で、大柄の体から繰り出す怪力を持ち味とする魔物だ。
人と同じように二足歩行をするが、翼などは無い。
トロールが空を飛ぶなんて事例は存在しない。
しかも、今の速度は尋常じゃなかった。
風切り音が遠くから聞こえるぐらいの速度。
おそらく音速に近い速度で飛んで来た。
「いや、飛ばされて来たんだ」
クロが言う。
飛んだのではなく、飛ばされた。
ふっ飛ばされたと言った方が正しいか。
「彼がやったんだ。ちょうどコッチに飛んで来たのは……偶然だな」
「彼って……」
クロが見ている方向を、エリクシアとエーデル、シャルラッハとアヴリルの4人が見る。
そこには、
「な……っ」
「アレはまさか……」
「あらあら、なんて珍しい。子供の頃に見た以来ですわ」
「デカッ!」
巨大な人間がいた。
「久しぶりに会ったな、『巨人』ナルムクツェ。
相変わらず、体は……元気そうだ」
霞むほど遠い、レリティア山脈。
高く連なる山々より遙かに巨大な、人。
頭は雲を抜け、ちょうどお腹の部分の高さにレリティア山脈の峰がある。
とにかく巨大。
山のような、という例えを超える大きさだ。
「あ、あれは……いったい……」
エリクシアがクロに聞く。
「彼は『巨人族の人間』だよ。ナルムクツェって名前だ」
ここで言う人間とは、レリティアにいる人類全てのことを指す。
地方ではヒュームのことを人間とすることもあるが、レリティア全体の呼称としては、人間とはレリティア四大種族、ヒューム・エルフ・ドワーフ・ファーリー全ての種族を示す。
そして、かつて在った種族を指すこともある。
「あ、あんな大きさの人……はじめて見ました……」
エリクシアにとっては仰天ものだろう。
クロの知る限り、あれほど巨大な人間はナルムクツェの他に見たことが無い。
「ヒュームや他の四大種族の成長はある程度のところで止まるけど、彼ら巨人は生きている限りどこまでも成長していく。赤ん坊だった頃の彼は、ヒュームの赤ん坊ぐらいの大きさだったんだよ」
「……クロはあの人が赤ん坊の頃を知っているんですか?」
「うん。二千年前、俺が王国アトラリアからレリティアに来た時に、ちょうど産まれた。残念ながら、彼の親はその時に亡くなってしまったけれど……」
ずっとずっと前の話。
現代の人間からしたら、おとぎ話のような昔の話だ。
「そして、彼が……最後の巨人だ」
「最後の……ですか?」
「もう彼以外に、巨人は残っていないんだ」
沈んだ声で、クロが言った。
「……そして、彼は生きすぎた。もう自我はほとんど残っていない。成長し続ける体の寿命より、心の寿命が先に来たんだ」
さっき飛ばされて来た魔物も、ナルムクツェが反射的に返り討ちにしたのだろう。
彼はレリティア山脈の番人とも言われている。
自我はなくなってしまったが、彼の巨大な肉体は闘うことを忘れていない証拠だ。
巨人はレリティア四大種族に入らない。
なぜなら、巨人が絶滅するのは確定しているからだ。
彼はもはや子を残すことは出来ず、最後の巨人とはそういう意味だ。
「……」
二千年前に産まれた巨人。
根本的な寿命が四大種族とは違うのだろう。
永く生きすぎた故の、心と精神の死。
「今から千年前には、既に……ね」
「…………」
エリクシアはそれ以上聞けなかった。
永い寿命の巨人。
その巨人ですら、千年の時を耐えられなかった。
その事実が、エリクシアの心に強く刺さってしまった。
クロは二千年も生きた。
ヒュームとして産まれて、しかし不死となったクロ・クロイツァー。
二千年という時の流れがどれほどの地獄だったのか、エリクシアは改めて理解してしまった。
だから、それ以上言葉にならなかった。
「こうして人類の汚点を改めて知らされると、胸が苦しくなるのぅ……」
エーデルが言った。
「人類の……?」
「……うむ」
エーデルは眉間に皺を寄せて。
苦々しく、あるいは憎々しく、その言葉を放った。
「あやつは人類三大汚点【種族浄化】、最後の被害者なのじゃ」
「三大汚点……」
エリクシアがその言葉を反芻する。
絶対に繰り返してはいけない歴史。
人類が行った悪行の極み。
醜悪な負の歴史だ。
「わたし、そのことを詳しく……知らないです」
「…………」
「クロ、わたし……知りたいです。あの人がどうして最後の巨人なんて言われているのか。多分、知らなきゃいけないんだと思います」
【悪魔狩り】【奴隷制度】と共に並ぶ【種族浄化】。
人類の愚行。
それが人類三大汚点である。
エリクシア自身も決して他人事ではない。
彼女が悪魔として人から忌み嫌われていたのも、このひとつ【悪魔狩り】の影響によるものだ。
「……分かった」
クロが頷く。
そして遠い目をして、人類が悪と断じた歴史を語る。
「俺が飛ばされた二千年前より、もっとずっと昔にはね、人類には種族がたくさんあったんだ」
「たくさん、ですか?」
「そう。たくさん、だ。
竜に変化できたと言われる『竜人』、自然と共に生きた『草人』、海を支配した『人魚』、とんでもなく強かったらしい戦闘種族『鬼人』、人類で唯一空を自由に飛べたという『翼人』……」
いくつも、いくつもクロが例に出す。
これは全て王国アトラリアに実際にあった書物の中に存在する、人の種族だ。
二千年前には既にいなくなっていた人種。
「今の人類の背にある肩甲骨は『翼人』の翼の名残だという説もありましたわよね」
シャルラッハが言った。
クロが頷く。
その失われてしまった種族は、レリティアの古文書にも書かれてある。
「他にもたくさん、いたんだ」
「どうして、そんなにもたくさんいたのに……」
エリクシアが聞く。
「今言った種族は比較的少数だったらしくて、多数派だった人種に、戦争の戦略として消滅させられてしまったんだ」
人と人同士が闘い、殺し合う。
それは今でも続く、人類の悲しき定めだ。
人類共通の敵である魔物が現れて以降、人類同士の大きな闘いは無くなったが、それでも、今でもたしかに存在する。
今でさえそうなのだから、魔物がいなかった当時なら、それは途轍もない頻度で起こっていたのだろう。
「その種族同士で子供を産ませず、隔離して、血の断絶を生む。そうして自分達の文化に馴染ませるために教育という名の虐待をする。従わなければ虐殺する」
「…………っ」
「やがて徐々に数を減らされて、この世から消えていく」
言葉にするのは中々に重苦しい内容だ。
吐き気すら催す邪悪な所業。
こんなものがあってはならない。
そう考えを改めた人類が取り決めたのが、
人類三大汚点のひとつ【種族浄化】という禁忌である。
「種族浄化という名前は、当時の政策の名そのままにしてあるのはなぜか分かるかしら?」
シャルラッハがエリクシアに言う。
「どうして、ですか……?」
浄化とは、悪いものを取り除くだとか、そういう意味がある。
そんなものをそのまま使っている意味。
「そんなバカげた行為を正当化して、それを是として悦に浸っていた人類の最悪の見本として、わたくし達現人類が絶対に忘れないために……ですわ」
人類の恥として、レリティア全土で禁じられた絶対悪。
【種族浄化】然り、【奴隷制度】然り、【悪魔狩り】然り。
三大汚点が始まれば、とんでもない数の犠牲者が出てしまう。
これらが起こると即座に『全英雄』が出動することを義務付けた。
例えばどこかの国が禁じられた行為をすればその国を滅ぼすまで、徹底的に叩き潰すのだ。
二度と在ってはならないから、絶対的な力でそれを抑制する。
「…………」
エリクシアがショックを受けたように呆然としている。
これまで人が行ってきた非道。
それは彼女にどれほどの衝撃を与えたのだろうか。
真実は時として毒となる。
急激に知識として抱えるには人類三大汚点はキツすぎる。
だから、クロは少し話を変えた。
「エリクシア、君が持つ『悪魔の写本』のギガスっていうのはね」
クロはレリティア山脈に佇む最後の巨人、ナルムクツェを見た。
「彼ら『巨人』が読むぐらい、大きな本って意味なんだよ」
「…………」
エリクシアはナルムクツェを見る。
たったひとり、孤独の中で生きている最後の巨人。
自分が種族最後の生き残りだと知った時、彼は一体どんな気持ちだったのだろう。
寂しかったのだろうか。
辛かったのだろうか。
「…………」
曇天から、雨がぽつぽつと降ってきた。
『悪魔』エリクシア・ローゼンハートの頬には、
彼女に降った雨よりも多くの雫が、流れていた。




